人の気配

文字数 2,465文字

 3.

 湿った空気で目を覚ました。空は曇っていて、ミレイは頭上の、まだ葉を茂らせていない枝々に目をすがめてから、体にかけたジャケットを払って身を起こした。
 感心なことに、候補生たちは全員起きていて、つまり明るくなるまで寝ていたのはミレイだけだったのだが、とりあえず声のするほうへ足を向けると、視界が開ける峠道でランゼスがライフルの銃口を空に向けていた。微かな放電音がして、銃口の周りに火花が見えた。
「ヤバいな」ランゼスがラトルに言った。「塩鉱に急がないと」

 ※

 午前から昼過ぎにかけて雷雨となることを、大人三人は通信端末を通じて知っていたのだが、出来のいい若者たちは雨が本降りになる前に大ルベル塩鉱の入り口にたどり着いた。
 石組みの階段が洞穴に向かって下りていた。七人が通るのに十分な広さがある、だが真っ暗な洞穴、その入り口の左上の赤い光点に、ラジャンでさえ気付かなかった。
「動くな」
 ミレイの抑えた声に、先陣を切って乗り込もうとしていたイスマリルが振り返る。ヘッドライトつきのヘルメットをかぶったその頭を避けて、ミレイのハンドガンから撃ち出された弾丸が飛んでいく。
 銃声に、ミレイ以外の全員が身構えた。
 破壊された機器が洞穴入り口の上部から地面へと降り注いだ。最後列のミレイは仲間たちを押し除けて階段を下り、機器の破片を拾いあげた。
「人感センサーだ」
 誰もが沈黙した。
「民間のメーカーだね。協会が取り付けたものならこんな安物じゃないはずだ」
 ミレイは一番おとなしい候補生に目を向けた。
「さてラトル君、問題です。こんな山奥の洞穴に人感センサーを取り付けるのはどういう人でしょうか?」
 ラトルは体を強張らせて答えた。
「ええっと、世捨て人的な?」
「確かに都市生活に嫌気がさして出ていく人は一定数いる。世捨て人かもしれないし、そうじゃないかもしれない。私たちは常にシビアな方向で物事を考えなければならない」
 雨の中、ミレイは全ての候補生を階段の上に戻らせた。
「雨をよけてライフルの再点検だ。いつでも撃てるように。赤外線ゴーグルをつけろ。私からの指示は以上だ」

 ※

 大ルベル塩鉱は内部に一つの地下都市をもつ、最長六十一キロメートルに及ぶいびつな円形の巨大廃墟だ。十二の入り口があり、ナイラノイラに最も近い入り口から中央の地下礼拝堂までのおよそ二十五キロメートルはレールが敷設されて人気の観光地となっている。その東隣の入り口は宗教修行者や教会のサマーキャンプ地として利用されている。
 今ミレイたちがいるのは、ナイラノイラから最も離れた地点の入り口で、なるほど世捨て人が隠遁するにはまたとない隠れ家だ。
 だが隠れ家を必要とするのは世捨て人だけではない。
「今なにか聞こえなかった?」
 暗闇の通路にフィフィカの声が恐怖を伴って響いた。
「音ってどんな?」
 イスマリルが振り返る。冷たい空気の中、ヘッドライトの閃光が通路の壁を照らした。白地に青で幾何学模様が描かれていた。
「なんか、下のほうからガシャン、みたいな」フィフィカは自信なさげに目を伏せた。「気のせいかも」
「いや、俺には聞こえなかったけど、フィフィカは今までだっていろんなことに気がつくタイプだったからな。先生、塩鉱の深部が崩落しているということはありませんか?」
 ラジャンが答えた。
「仮にも地球文明遺産だぞ。それに崩落の危機がある場所を訓練場所に選んだりしない」
「もっと先に進もう」イスマリルが言った。「そしたら音の正体がわかるかも。この先のコントロールルームまでは歩かない?」
「待って」
 止めたのはラトルだった。
「僕、さっきから後をつけられてる気がするんだ」
 全員の視線とライトがラトルに向けられた。
「一回だけだけど、後ろのほうで硬いものが転がる音を聞いたんだ。先生たちの誰かがゴミでも蹴飛ばしたのかなって振り向いたんだけど、それよりもっと後ろでした音みたいだった」
 ミレイはアイメルに話しかけようとした。そのとき気がついた。
 壁際に菓子の袋が落ちている。
 新しい。
 歩み寄り、拾った。
 裏面の製造年月日を確かめた。
 わずか一ヶ月前だった。
「アイメル」
 菓子の袋を光に向かってひらひらさせてから、ミレイは言った。
「本来なら不正行為だが、この際仕方ない。能力開発センターとの交信を試してくれ。それから詳細地図で現在地の確認だ」
 端末を操作してすぐにアイメルは答えた。
「できない。ジャミングされてる」
「ミレイ、先頭に立ってくれ」
 ミレイはラジャンを見た。緊張した顔があった。
「俺は最後列を守る。ガキども、訓練は終わりだ。これより実戦闘に入る。第一目標は九百五十メートル先の九〇八号コントロールルーム」
 フィフィカが動揺を見せた。
「引き返さないんですか?」
「ラトルの話が正しければ俺たちは尾行されている可能性がある。引き返せば鉢合わせるだろう。相手がどんな武器を持っているかわからない。そして俺はお前たちを一人として死なせるつもりはない。
 前進する。コントロールルームから別の出入り口に繋がる通路に入る」
「後ろにいる人、本当に敵なんでしょうか」
「わからん。世捨て人の可能性がなくなったわけじゃない。だが、それ以外だったら?」
 フィフィカは今にも震えだしそうだった。ラトルの顔は蒼白だし、ランゼスは体に余計な力を入れている。イスマリルは唇をかたく一文字に結んでいた。
「アイメル、星獣をラジャンに渡して私の後ろについてくれ」ミレイが指示を出した。「候補生たちはランゼス、ラトル、フィフィカ、イスマリルの順に並べ。最後尾はラジャンで異議はない。行くぞ」
 先頭に立ったミレイは、次の角を曲がれば目指すコントロールルームという地点で足をとめた。
 行く先から光が漏れている。
「ライトを消せ」
 ミレイは曲がり角の壁に背中をつけ、そっと角の向こうの様子を伺おうとした。
 嫌な予感がして、すぐに顔を壁の手前に戻す。
 途端に銃弾が、ミレイが顔を出した空間を切り裂いて素早く飛び、十字路の暗闇に吸い込まれていった。


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登場人物紹介

◆ミレイ・スターセイル

◆32歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈茜の闇〉。本作の主人公。

◆ラジャン・シンクマール

◆32歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈墜とし得ぬ星〉。ミレイの相棒。

◆イスマリル・ダーシェルナキ

◆17歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈呪つ星の狂照〉。旧大陸からきた特務治安員候補生の一人。

◆フィフィカ・ユンエレ

◆17歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆ランゼス・フーケ

◆17歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆ラトル・グレイ

◆17歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆リリファ・ホーリーバーチ

◆29歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


協会の戦闘支援部隊員で、ラジャンの婚約者。

◆エリク・ラーステミエル

◆24歳/男性

◆所属:新生アースフィア党


新生アースフィア党ナイラノイラ支部の指導者。ナイラノイラ人民解放戦線の広告塔だった人物の息子。

◆エリエーン・ラーステミエル

◆17歳/女性

◆所属:新生アースフィア党


エリクの妹で、弱火の新人種。イルレーン地区の高等学校に通っている。

◆ニハザ・マーシーン

◆19歳/トランス男性

◆所属:新生アースフィア党


エリクの助手。ナイラノイラ人民解放戦線指導者ラルフ・ヴォレックの甥。

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