悪役でしかない
文字数 1,938文字
5.
『今は過渡期なの。時代に合わないものは次々壊れていく』
『お前の心もな』
※
「撃て! 殺せ! 容赦はするな! 奴らは敵だ! 皆殺しだ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」
ラジャンの声、銃声。そちらに向かって通路を駆けるミレイの目の前で、防火扉が上から下へと閉ざされた。
何も聞こえない。
暗闇のなか、何かに蹴つまずき、倒れた。
右手から飛び出したハンドガンが通路の床を滑っていく。
手をついて起き上がり、ミレイは何につまずいたのか、ヘッドライトで照らして見た。
血に染まった服を着た小柄な少年の遺体だった。顔にはハンカチ、あの日フィフィカが追いかけていた、母親からもらったというハンカチがかけられていた。
白色光の中でミレイはハンカチの端をつまんだ。息絶えたラトルの紫色の頬を見て、ハンカチを戻した。死に顔を見る必要はない。それよりも、敵が追ってきていた。
飛び跳ねるように立ち上がり、防火扉の前まで滑っていったハンドガンを取り上げる。振り向くのと、足音を立てて追ってきた敵が曲がり角から飛び出すのが同時だった。その二人の影を、ミレイは撃った。二人とも倒れた。少しのあいだ呻いていたが、すぐに沈黙した。
ヘッドライトを切る。
ジャミングが解除されておらず、大ルベル塩鉱内部の地図は確認できないままだった。あるのは広大な闇の迷路の中。
『腐った果実は落ちる』
マーリーンは言っていた。
『あなたは落ちる。砂にまみれて死ぬ』
防火扉を押してみる。それから蹴ってみた。びくともしなかった。どちらが場を制したのか、ラジャンたちが撃ち合う音ももう聞こえなかった。
もう一度ライトをつけた。防火扉の右に階段が見えた。上と下、どちらにも続いている。下は地下都市だ。ミレイは上り始めた。やがて下のほうから、新生アースフィア党の革命戦士たちの騒ぐ声が聞こえてきた。
彼らは地下都市に向かっていった。
地上を目指すミレイは暗闇の中で次第に息切れしていった。ミレイが見つからなければ、奴らはこの階段を上ってくる。ハンドガンの残りの弾数は? 知るか。星獣は体に宿す色彩を使い果たす前に破壊されていた。
ここで死ぬとしたら、
(私たちは所詮)
こんなものか。
(悪役)
打倒すべき悪の体制の犬の最期などは。
(でしかない)
闇が幻を見せる。
『ミレイ、こっちに来て!』
手のぬくもり。
笑顔。
私の騎士。
私の金木犀。
私のカラスアゲハ。
※
私の騎士は、私の金木犀は、私のカラスアゲハは、冷たく土に横たわった。黄昏時、二度と帰らぬ彼を待っていた。
二人で暮らしていた部屋には茜の闇が満ちていた。
『出て行くなんてできるわけないでしょ?』
部屋に茜が満ちる頃、彼が出てくるから。
ダイニングの椅子に。ベッドの上に。戸棚の陰に。
触れることのできない幻影。
※
光が見えた。
階段を上りきると、天然の岩石を利用した展望台に出た。雨は去り、雲間から差す光を浴びて浮く協会のヘリコプターの存在が頼もしかった。ミレイは展望台から大きく手を振った。注意して展望台の中央に進み出る。足元の岩は濡れて滑りやすい。
ノイズの音がして、ヘルメットと一体型の通信機が復活した。
『こちら〈治癒と再生者の協会〉ナイラノイラ支部治安部隊、通信が回復しているならば応答願う、どうぞ』
「ミレイ、〈茜の闇〉。負傷なし。どうぞ」
『こちらP六九号機、十三時五十五分、通信の回復及びスターセイル特務治安員の無事を確認。スターセイル特務治安員、シンクマール特務治安員及び二名の特務治安員候補生の収容が済んでいることを報告します。どうぞ』
「裏切り者の話は聞いてるかい? どうぞ」
『委細はわかりかねますが、治安部隊の突入に支障はございませんでした。どうぞ』
「候補生ラトル・グレイの遺体を収容してやってくれ」
ミレイはヘルメットのバイザー内のディスプレイを網膜操作しておおよその位置情報をP六九号機に投げた。
「地上にはもう降りて大丈夫か? どうぞ」
『はい、展望台の真下は協会治安部隊が制圧しております。どうぞ』
「そうか。通信を終了する」
ミレイは首から下げたペンダントを服の中から引っ張り出した。協会の支給品で、非常時に星獣を利用できない場合に色彩を引き出すためのクリスタルガラスだ。
クリスタルを雲間の狭い青空、そこにちょうど出ている太陽にかざし、光を散乱させる。生まれた色を集めて固め、風に乗るように、ミレイは展望台から眼下の森へと滑翔を始めた。
『何回見ても信じられないぜ。あれは本当に人間か?』
『馬鹿野郎!』
今度こそ、通信が切れた。
人間だとも。
色彩をまといながら、ミレイは空中で思った。
結局、人間以外の何ものかになれたわけじゃないさ。変わり果ててもな。
『今は過渡期なの。時代に合わないものは次々壊れていく』
『お前の心もな』
※
「撃て! 殺せ! 容赦はするな! 奴らは敵だ! 皆殺しだ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」
ラジャンの声、銃声。そちらに向かって通路を駆けるミレイの目の前で、防火扉が上から下へと閉ざされた。
何も聞こえない。
暗闇のなか、何かに蹴つまずき、倒れた。
右手から飛び出したハンドガンが通路の床を滑っていく。
手をついて起き上がり、ミレイは何につまずいたのか、ヘッドライトで照らして見た。
血に染まった服を着た小柄な少年の遺体だった。顔にはハンカチ、あの日フィフィカが追いかけていた、母親からもらったというハンカチがかけられていた。
白色光の中でミレイはハンカチの端をつまんだ。息絶えたラトルの紫色の頬を見て、ハンカチを戻した。死に顔を見る必要はない。それよりも、敵が追ってきていた。
飛び跳ねるように立ち上がり、防火扉の前まで滑っていったハンドガンを取り上げる。振り向くのと、足音を立てて追ってきた敵が曲がり角から飛び出すのが同時だった。その二人の影を、ミレイは撃った。二人とも倒れた。少しのあいだ呻いていたが、すぐに沈黙した。
ヘッドライトを切る。
ジャミングが解除されておらず、大ルベル塩鉱内部の地図は確認できないままだった。あるのは広大な闇の迷路の中。
『腐った果実は落ちる』
マーリーンは言っていた。
『あなたは落ちる。砂にまみれて死ぬ』
防火扉を押してみる。それから蹴ってみた。びくともしなかった。どちらが場を制したのか、ラジャンたちが撃ち合う音ももう聞こえなかった。
もう一度ライトをつけた。防火扉の右に階段が見えた。上と下、どちらにも続いている。下は地下都市だ。ミレイは上り始めた。やがて下のほうから、新生アースフィア党の革命戦士たちの騒ぐ声が聞こえてきた。
彼らは地下都市に向かっていった。
地上を目指すミレイは暗闇の中で次第に息切れしていった。ミレイが見つからなければ、奴らはこの階段を上ってくる。ハンドガンの残りの弾数は? 知るか。星獣は体に宿す色彩を使い果たす前に破壊されていた。
ここで死ぬとしたら、
(私たちは所詮)
こんなものか。
(悪役)
打倒すべき悪の体制の犬の最期などは。
(でしかない)
闇が幻を見せる。
『ミレイ、こっちに来て!』
手のぬくもり。
笑顔。
私の騎士。
私の金木犀。
私のカラスアゲハ。
※
私の騎士は、私の金木犀は、私のカラスアゲハは、冷たく土に横たわった。黄昏時、二度と帰らぬ彼を待っていた。
二人で暮らしていた部屋には茜の闇が満ちていた。
『出て行くなんてできるわけないでしょ?』
部屋に茜が満ちる頃、彼が出てくるから。
ダイニングの椅子に。ベッドの上に。戸棚の陰に。
触れることのできない幻影。
※
光が見えた。
階段を上りきると、天然の岩石を利用した展望台に出た。雨は去り、雲間から差す光を浴びて浮く協会のヘリコプターの存在が頼もしかった。ミレイは展望台から大きく手を振った。注意して展望台の中央に進み出る。足元の岩は濡れて滑りやすい。
ノイズの音がして、ヘルメットと一体型の通信機が復活した。
『こちら〈治癒と再生者の協会〉ナイラノイラ支部治安部隊、通信が回復しているならば応答願う、どうぞ』
「ミレイ、〈茜の闇〉。負傷なし。どうぞ」
『こちらP六九号機、十三時五十五分、通信の回復及びスターセイル特務治安員の無事を確認。スターセイル特務治安員、シンクマール特務治安員及び二名の特務治安員候補生の収容が済んでいることを報告します。どうぞ』
「裏切り者の話は聞いてるかい? どうぞ」
『委細はわかりかねますが、治安部隊の突入に支障はございませんでした。どうぞ』
「候補生ラトル・グレイの遺体を収容してやってくれ」
ミレイはヘルメットのバイザー内のディスプレイを網膜操作しておおよその位置情報をP六九号機に投げた。
「地上にはもう降りて大丈夫か? どうぞ」
『はい、展望台の真下は協会治安部隊が制圧しております。どうぞ』
「そうか。通信を終了する」
ミレイは首から下げたペンダントを服の中から引っ張り出した。協会の支給品で、非常時に星獣を利用できない場合に色彩を引き出すためのクリスタルガラスだ。
クリスタルを雲間の狭い青空、そこにちょうど出ている太陽にかざし、光を散乱させる。生まれた色を集めて固め、風に乗るように、ミレイは展望台から眼下の森へと滑翔を始めた。
『何回見ても信じられないぜ。あれは本当に人間か?』
『馬鹿野郎!』
今度こそ、通信が切れた。
人間だとも。
色彩をまといながら、ミレイは空中で思った。
結局、人間以外の何ものかになれたわけじゃないさ。変わり果ててもな。