レギオン

文字数 3,763文字

 7.

 陽が落ちて、天頂に星と発電衛星が輝きだした。ミレイは協会の車を森の端に乗り捨ててナイラノイラの南の郊外を歩いた。そこは草原で、自然の河川が清らかに流れていた。濡れた木橋でフィフィカが滑ったが、ミレイは顧みなかった。あたりは暗い。二人はあかりを持っていないのだから。
 ぽつぽつと、村落の灯が行く手に見えてきた。ミス・マーリーンの隠れ家はそこから少し離れた小高い丘の上にあった。
 木と漆喰でできたマーリーンの素朴な平屋(ひらや)は、ドアノブを回すと不用心にも鍵がかかっていなかった。というのも、そこは個人所有の礼拝所になっていて、信者たちがいつでも懺悔なりなんなりしに来られるよう計らわれていたのだ。
 板張りのホールから上がり、すぐ左のステンドグラスつきのドアを開けるとそこが礼拝室だった。五十人ほど収容できる広さがあり、奥には説教をするための壇と、白木の十字架があった。肉を焼く香りが食欲を誘う。キッチンに誰かいるのだ。
「外に出ろ」
 ミレイはフィフィカに命じた。
「見張りに立て。人がきたら合図をしろ」
 足元が濡れているくらいで転びかけるどんくさい少女に何を任せるというわけでもないが、これは保険だ。フィフィカは「はい」と答えて静かに出ていった。
 十字架の右奥に片開きの戸があった。それを開けると、ダイニングで、白いクロスのかかったテーブルには、三十人分程度の皿とワインが用意されていた。
 ダイニングを抜けると、廊下を挟んでキッチンがあった。マーリーンはこちらに背を向けてオーブンに向かい、たった一人で肉をローストしていた。
 ミレイはわざと音を立ててダイニングの扉を閉めた。
「あら、いらしたの――」
 マーリーンが振り返る。そのとき既にキッチンの中ほどまで歩を進めていたミレイは電灯の下でハンドガンをマーリーンに向けた。
「エリク・ラーステミエルはどこだ?」
 マーリーンは信者向けの愛想笑いを浮かべたまま固まった。ミレイは彼女に騒いでほしくなかった。マーリーンはある意味で野鳥のような女だ。小さな体で力の限り鳴く。オーブンの中で肉汁が滴り落ち、炎がその赤い手を伸ばした。
 人食い説教師め、お前は人の肉ではなく、人の心を食う。人格を食うのだ。たわごとを吹き込むことで人生の問題から目を背けさせ、個人を個人だったものの残骸に変える。
「今宵は晩餐ですので――」マーリーンは表面上の冷静さを保って応じた。「日を改めてくださる? そのほうがあなたの身のためだと思うけど」
「取り巻きどもは最後の晩餐に際して剣を買ってくるわけか。では急いで答えてもらおう」
「あなたは昼の伝道にきておられましたね」
「それが主の霊の教えか?」
「あなたはエリクに会えない」
 時間を稼ぐようにゆっくりとマーリーンは言った。
「エリクには近づけないわ。サタンの手下どもは」
「一説によれば悪魔はもともと天使だったそうだな」
「あなたは天から落ちた」脂と肉汁がじゅうじゅう音を立てている。「腐った果実は落ちる。あなたは落ちる。砂にまみれて死ぬ」
「そして、お前は血にまみれて」
 ミレイはさらに歩み寄り、マーリーンの目にも見えるようにハンドガンの安全装置を解除した。
 マーリーンは喉を詰まらせた。今にも吐きそうだ。それが何故なのか、ミレイは神がかった閃きで察した。
「つわりか?」
 沈黙が返ってくると、残忍な喜びが込み上げてきた。顔いっぱいに笑みを浮かべる。
「そうなんだな? わかるぞ。私にも覚えがある」
「あなたの悪魔の子供はどうしたの?」
「死んだ」
 急に恐怖が押し寄せてきたようで、マーリーンの腰が砕けた。くずおれたマーリーンは尻と肘を床につけ、見開かれた目で銃口を凝視した。
「エリクの居場所を吐かんなら、私はこの銃をどうしようか。上のお口に突っ込んでお前の頭を撃ち抜くか? それとも下のお口に突っ込んで、お前の天使の子を撃つか?」
 ミレイはマーリーンの下腹にまたがって膝をつき、銃口を相手の喉に突きつけた。
「あなたはエリクに会えない」
「で、お前はエリクをかばい、お前の臭いお股に顔を突っ込んだ男は知らん顔で生きていくわけか。お前のことなど忘れてな」
「彼は私を忘れないわ。特別な絆があるもの。私のために必ず復讐する。神の復讐、神の怒りがあなたに臨む。義憤よ」
 ミレイは銃床をマーリーンの頬に打ちつけた。そのよく動く口の中で、歯が砕ける手応えがあった。
「聞け。お前に勇気はない。お前に愛はない。愛されてもいない。行きずりの女の涙ほどつまらんものはあるまいよ。エリクはお前を助けない」
 マーリーンの片足を持ち上げて、ミレイは自分の左肩に乗せた。大きく開かれたマーリーンの股間、めくりあがったスカートの中の股間に銃を押し付ける。
「決めた。天使の子を撃とう」
「やめて! やめて、それだけは! お願い!」
 血と歯を吹きながらマーリーンが嘆願する。
「エリクはどこに隠れた?」
「ルベル山、その裾野よ。東登山口から最初の峠に向かう途中に湧水の洞窟があるの。そこに……私……ああ……」
 仰向けに倒れたまま、マーリーンは両手で顔を覆って泣き出した。それを見てもミレイは満足しなかった。全く。
「やはり愛していなかったな」
 そのとき、フィフィカが外からキッチンの小窓を叩いた。
「……で、お前はどうなりたい? エリクの銃で死にたいか? それとも私の銃で死に、私の愛する子に会うか?」
「放っておいて」
「いい答えだ。私はお前を放っておいて、できるだけ最後のほうに殺したかったんだよ。馬鹿な取り巻きどもが一人また一人とお前を去り、携挙もなく、終末もなく、打ち砕かれたお前がお前の無意味な十字架につけられるのを見たかった」
「私があなたに何をしたというの?」
「わからないなら結構なことだ。何もわからず死んでいけ」
 ミレイはハンドガンを収め、裏口から外に出た。
 平然と出てきたミレイに、フィフィカは何も言わずに丘の下を指差した。最後の晩餐に剣を買ってきた救い主の弟子たちが、手に手にあかりを持ってこの平家へと上ってくるところだった。
「サタン!」
 早くも玄関からまろび出てきたマーリーンがそのよく通る声を張り上げた。
「汚れた霊に支配された者がここにいます! ここに!」
「フィフィカ、走れ」
「えっ?」
 ミレイはフィフィカの肩を掴んで後ろを向かせ、背中を押した。躊躇いがちに振り向いたフィフィカは、有無を言わせぬミレイの視線を浴びて、平屋の後ろの森へと丘を駆け降りていった。
「今宵、我ら神の家族を打ち砕こうと地獄から遣わされてきた者が! 撃ちなさい! 祈りによって! 滅ぼしなさい! 御言葉(みことば)によって!」
 ミレイの姿は家の側面の窓から漏れる光に淡く照らされていた。
「実によく動く口だ」
 農夫の一人が食事の入った籠を草原に置き、ショットガンを構えた。この先は正当防衛だ。ミレイはまずそいつの眉間を撃ち抜いた。乾いた銃声が連発し、後頭部から血を飛び散らせながらマーリーンが前のめりに倒れた。残念だ。あれを殺すのは後のほうにしたいというのは本心だった。
 婦人が悲鳴をあげて草に伏せた。反応が鈍く棒立ちになっている別の婦人は胸に銃撃を受け、星空の下でくるりと体を一回転させてから倒れた。ミレイは平屋の裏に回り込んだ。途端に救い主の素晴らしい弟子たちが次々に銃撃を始めた。
 家の中で爆発が起こった。玄関に近い部屋の窓が粉々に吹き飛ぶ音をミレイは聞き分けた。小賢しいマーリーンがなんらかの証拠を隠滅するために火をつけたのだろう。
 片膝をつき、家の角から二発撃った。どちらも外した。三発目が農具を振りかざす男の足を撃ち抜いた。
 すぐ壁に身を隠す。
 狂信者たちの銃弾が漆喰の壁を削る。
 アイメルに星獣を託したままだったのは間違いだった、とミレイはいまさら考えた。逃げるか? 相手は数が多い。すぐに家の左右から回り込まれる。逃げたほうがいいか。いや。今から逃げても後ろから撃ち抜かれるだけだ。第一、奴らに背を向けて犬のように逃げ去るなどできるだろうか?
 否。
 新しい弾倉を掌で押し込んだとき、空が真っ赤に染まった。
 女が憎悪を込めて叫ぶ。
悪魔の軍団(レギオン)!」
 ああ、奴らは誰も生きて私のところに辿り着けない。そう思った。
 天の赤がひび割れ、鋭利なガラスのように降り注いだ。それが大地に刺さるたび、どす、どす、という衝撃が膝に伝わった。
 スピーカーが怒鳴る。
『治癒と再生者の協会治安部隊だ! 全員武器を捨てて地面に伏せろ!』
 ラジャンだ。
「神に栄光!」
 叫んだ女が、草を踏みしめてやってくる協会の装甲車めがけて手榴弾を投げた。手榴弾は空中で被弾して炸裂し、投げた女も機銃掃射を浴びて内臓を赤く飛び散らせた。家の中でもう一度爆発が起きた。
 旧人種どもが勧告どおりに地に伏せたら、協会の装甲車は奴らを掃射するだろうかと考えた。ミレイならそうする。何故ならば、奴らを武装解除させ、油断したところで体に巻きつけた爆弾のスイッチを押されたくはないからだ。現に装甲車の機関銃手は撃ち続けている。
 ミレイは熱を帯びていく漆喰の壁に背中を預け、ため息をついた。足元に空薬莢が散らばっていた。
 協会を敵に回したら誰も生き延びられはしないのだ。少なくとも、今この場では。
 誰も。


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登場人物紹介

◆ミレイ・スターセイル

◆32歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈茜の闇〉。本作の主人公。

◆ラジャン・シンクマール

◆32歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈墜とし得ぬ星〉。ミレイの相棒。

◆イスマリル・ダーシェルナキ

◆17歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈呪つ星の狂照〉。旧大陸からきた特務治安員候補生の一人。

◆フィフィカ・ユンエレ

◆17歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆ランゼス・フーケ

◆17歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆ラトル・グレイ

◆17歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆リリファ・ホーリーバーチ

◆29歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


協会の戦闘支援部隊員で、ラジャンの婚約者。

◆エリク・ラーステミエル

◆24歳/男性

◆所属:新生アースフィア党


新生アースフィア党ナイラノイラ支部の指導者。ナイラノイラ人民解放戦線の広告塔だった人物の息子。

◆エリエーン・ラーステミエル

◆17歳/女性

◆所属:新生アースフィア党


エリクの妹で、弱火の新人種。イルレーン地区の高等学校に通っている。

◆ニハザ・マーシーン

◆19歳/トランス男性

◆所属:新生アースフィア党


エリクの助手。ナイラノイラ人民解放戦線指導者ラルフ・ヴォレックの甥。

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