王を討つ
文字数 3,303文字
1.
ガキどもを拾いにいく途中、大人二人は架空の王と出会った。
清浄で永久不滅の国づくりに励むべき王が、路地裏でゴミにまみれてオウムを愛 でていたところで驚く必要があろうか。人はしばしば永遠の愛を求めてハエを追いかける。
王は雨に打たれてうずくまっていた。オウムの翼の一枚一枚色の異なる羽毛の輝きが、やつれた頬を七色に染めていた。路地の外では一台の車が銃撃を受け、蜂の巣にされていた。
「最悪」
撃ち殺された運転手を一瞥したミレイは、そう吐き捨てて車を離れた。傘は使わなかった。路地に入り、王の前に立つ。その王は、男で、ひどく老けて見えた。肌は垢のせいで浅黒かった。異臭を放ち、櫛を通していない縮れた髪が背中まで伸びていた。
ガキどもを待たせなくてはいけないね、とミレイは考える。この男がすんなり言うことを聞くなら別だけど、と。二年間の黙想修行を終えたばかりの少年少女。このナイラノイラへの仮配属が実質の試用期間となるかわいそうな若者たち。
黄昏のどこかでラジャンの銃が吼え、運転手の仇討ちを知らせた。その音で、男はミレイの顔へと目を上げた。ぎらついた目をしているが、意外にも正気のようだった。
両膝を立てて座る男がしゃがれた声で問う。
「合言葉は?」
ミレイは応えて言った。
「知っていればよかったんだがね」
相手を誰何 したものかと男は迷う表情を見せたが、あしらうことにしたようだ。
「失せろ」
「残念ながら、そのオウムを取り引きする相手は私の仲間が撃ち殺したよ。たった今」
それで、男はもう一度、ミレイに目線を戻した。ミレイはわかり切ったことを尋ねた。
「そのオウムは星獣だね?」
「だったらどうした」
「私たちには民間人の手に散らばった星獣を回収する義務がある」
「貴様の義務など知るか」
肌寒い風が吹いた。温暖なナイラノイラだが、今年の春は例年よりも遅かった。濡れて地面に張り付いた大量のビラが惨めったらしくばたついた。別の誰かがやってくる。黒髪の偉丈夫、ラジャンだ。彼はミレイと肩を並べ、挨拶もなしに威圧的に言い放った。
「星獣を寄越せ。断れば命はない」
「貴様らは何者だ?」
ミレイが答えた。
「我々は〈治癒と再生者の協会〉ナイラノイラ支部能力開発センターの特務治安員だ。わかったらさっさと星獣を寄越せ」
「星獣を手に入れた途端に俺を殺すつもりだろう」
「手に入れなくてもできる」
沈黙のあと、男は唸るような口調で話をすり替えた。
「協会の連中は民衆を餓死させようとしている」
ミレイはそれを鼻で笑った。
「まさか。旧人種どもの社会で餓死者が出ているのは彼らの革命政府と政治の問題だ。我々はこの地に強制移住させられた新人種を保護するためにいる。協会はこの町の貧困の問題とは関係ない」
「保護だと。そんなお題目を信じているのか」
今度は男が嘲笑う番だった。
「星獣を渡してくれ」ラジャンが若干、下手 に出た。「それはあなたがた一般市民の手に余る代物 だ。それがあってはあなたは残り一生を安泰に生きることはできないだろう」
男は口を歪めて黄色い歯を露わにした。膝の上のオウムを撫で回すのをやめ、両手を雨空に向けて、胸の高さに上げた。
灰色が、オウムの体から薄い煙のように立ち上って消えた。
ラジャンが驚きと警戒の両方を込めた口調で言った。
「あなたも新人種か」
「俺にできるのはこれだけだ」
「力の強弱は関係ない。新人種、つまりこの惑星アースフィアで生きる言語生命体のうち色彩と輪郭からエネルギーを引き出す能力を有する者はみな――」
「俺に色は見えない。生まれつきだ。だが輪郭 ならわかるぞ」
濡れそぼつコートの内側から、男はハンドガンを出してみせた。
「素晴らしい形だ。革命の形をしている」
「――能力を有する者はみな、協会の保護対象だ」ラジャンは臆さず言い切った。「その益体 もないものをしまえ。お前は我々の保護対象だ。殺しあう理由はない」
男はミレイとラジャンを交互に見た。思い詰めた目だった。
「星獣は渡せん」
「理由を聞かせてもらおう」
忌々しい雨粒が顔を伝うのもそのままに、男は理由を語った。荒れた唇は皮がめくれ、血が固まっていた。彼は真剣だった。
「保護など嘘っぱちだからだ。貴様ら協会の連中は、同じ新人種の俺たちからさえ力を奪い、自分たちの手元に集中させ、俺たちを搾取する。子供でも予期できる未来だ」
「我ら新人種は自分たちの国を持たなければならない」ミレイは言った。「そうでなければ永遠に、能力を持たない旧人種どもに追われる流浪の民だ。ナイラノイラで、この町で、私たちは国の礎を築かなければならないんだ。協会があるのはそのためだ。あんたがたを搾取するためじゃないよ」
「誰が信じるか」
「信じる信じないは勝手だが、じゃあ、あんたはどうしたい?」
「俺は協会が打ち立てようとしている国家を否定する」
「で?」
「同じ新人種の中でさえ、能力の強い者が頂点に君臨する今の構図は新たな貧困と差別の問題を生み出すだけだ。新しい国は、平和で平等な社会でなければならない」
「あんた、新生アースフィア党の党員か?」
そうだとしたら五回くらい殺してやらねばならんなとミレイは考えた。
「違う。だが志を同じくする者は多くいる。俺は一人じゃない。俺を殺してオウムを奪うこともできるだろうが、報復する者は必ずいる」
「永遠の平和、誰もが納得する平等、全ての人の幸福……」
報復される心当たりのありすぎるミレイ、は蔑みも露わに男を見下ろした。
「そういう、いまだ人類の見たことのないものに自分なら到達できるという考えは、単なる思い上がりなばかりでなく、背後には人間は本来清らかで、純粋なものだという思想がある。そういう思想の持ち主を私たちは『架空の王』と呼ぶんだ」もちろん蔑称だ。「いもしない人々の上に君臨したがる者のことだよ」
「神の国に欠けているものはない。俺たちは自分の善性を信じて、神の国を地上に実現しなければならない。それができないなら、新人種という存在は、ヒト型言語生命体にとって単なる淘汰圧でしかないだろう」
ミレイは神を信じていなかった。多宇宙も、地球人の再臨もだ。だが、自分たちの存在が自らに対する淘汰圧だという考えはなかなか気に入った。
「勝手に神の国に行くがいい。だが神の国を地上でどうこうするのは許さん。立て。オウムは渡してもらうぞ。あんたは私が連行する」
「できるか?」
素晴らしい早業 だった。男の右手が路上のハンドガンを取る。だがミレイのほうが早かった。あるいは、ラジャンのほうだったかもしれない。
オウムの翼の七色の羽根、その中で、攻撃性を表す赤系統の色彩が一斉に輝いた。それらの色は刃となって男の胸を貫いた。
ことが終わったとき、王を殺したのが自分なのかラジャンなのか、ミレイにはわからなかった。
十七時のチャイムが路地に忍び込んできた。目をむき、血の混じった咳をして事切れた王のことなど知らぬげに。
「おっ、定時だ」
ミレイは王の亡骸の前で春物のジャケットのポケットに手を入れた。銀色のスキットルが現れて、たちまち雨に濡れた。それをラジャンの手が奪い、元通りポケットにねじ込んだ。
「お前は定時になった瞬間酒を飲むのをやめろ。それに、今から残業だ。忘れたか」
「そうだったね」ミレイは酒を諦めて、肩まで伸ばした水色の髪を耳にひっかけた。「ガキどもを迎えにいくんだった」
ミレイは温もりのないオウムを胸に抱き上げた。オウムは瞬膜を出して黄色い小花模様の眼を隠した。二人は王の前を去った。彼を悼む者はなかった。
車に戻った。
窓という窓が銃撃によって破れていた。周囲には、撃ち殺された革命家――これまた架空の王――たちの骸が転がっていた。
車は手動運転モードのままで、運転席では名も知らぬ運転手が血まみれで死んでいる。
後部座席に乗り込み、ようやく雨から逃れたラジャンはため息混じりに命じた。
「目的地まで自動運転だ。運転を再開しろ」
了解しました、と答え、八人乗りの車は協会の特別自治区内トロマカム 駅方面に向けて滑り出した。
厚い雨雲に、忍び寄る夜の暗さが滲んでいた。
ガキどもを拾いにいく途中、大人二人は架空の王と出会った。
清浄で永久不滅の国づくりに励むべき王が、路地裏でゴミにまみれてオウムを
王は雨に打たれてうずくまっていた。オウムの翼の一枚一枚色の異なる羽毛の輝きが、やつれた頬を七色に染めていた。路地の外では一台の車が銃撃を受け、蜂の巣にされていた。
「最悪」
撃ち殺された運転手を一瞥したミレイは、そう吐き捨てて車を離れた。傘は使わなかった。路地に入り、王の前に立つ。その王は、男で、ひどく老けて見えた。肌は垢のせいで浅黒かった。異臭を放ち、櫛を通していない縮れた髪が背中まで伸びていた。
ガキどもを待たせなくてはいけないね、とミレイは考える。この男がすんなり言うことを聞くなら別だけど、と。二年間の黙想修行を終えたばかりの少年少女。このナイラノイラへの仮配属が実質の試用期間となるかわいそうな若者たち。
黄昏のどこかでラジャンの銃が吼え、運転手の仇討ちを知らせた。その音で、男はミレイの顔へと目を上げた。ぎらついた目をしているが、意外にも正気のようだった。
両膝を立てて座る男がしゃがれた声で問う。
「合言葉は?」
ミレイは応えて言った。
「知っていればよかったんだがね」
相手を
「失せろ」
「残念ながら、そのオウムを取り引きする相手は私の仲間が撃ち殺したよ。たった今」
それで、男はもう一度、ミレイに目線を戻した。ミレイはわかり切ったことを尋ねた。
「そのオウムは星獣だね?」
「だったらどうした」
「私たちには民間人の手に散らばった星獣を回収する義務がある」
「貴様の義務など知るか」
肌寒い風が吹いた。温暖なナイラノイラだが、今年の春は例年よりも遅かった。濡れて地面に張り付いた大量のビラが惨めったらしくばたついた。別の誰かがやってくる。黒髪の偉丈夫、ラジャンだ。彼はミレイと肩を並べ、挨拶もなしに威圧的に言い放った。
「星獣を寄越せ。断れば命はない」
「貴様らは何者だ?」
ミレイが答えた。
「我々は〈治癒と再生者の協会〉ナイラノイラ支部能力開発センターの特務治安員だ。わかったらさっさと星獣を寄越せ」
「星獣を手に入れた途端に俺を殺すつもりだろう」
「手に入れなくてもできる」
沈黙のあと、男は唸るような口調で話をすり替えた。
「協会の連中は民衆を餓死させようとしている」
ミレイはそれを鼻で笑った。
「まさか。旧人種どもの社会で餓死者が出ているのは彼らの革命政府と政治の問題だ。我々はこの地に強制移住させられた新人種を保護するためにいる。協会はこの町の貧困の問題とは関係ない」
「保護だと。そんなお題目を信じているのか」
今度は男が嘲笑う番だった。
「星獣を渡してくれ」ラジャンが若干、
男は口を歪めて黄色い歯を露わにした。膝の上のオウムを撫で回すのをやめ、両手を雨空に向けて、胸の高さに上げた。
灰色が、オウムの体から薄い煙のように立ち上って消えた。
ラジャンが驚きと警戒の両方を込めた口調で言った。
「あなたも新人種か」
「俺にできるのはこれだけだ」
「力の強弱は関係ない。新人種、つまりこの惑星アースフィアで生きる言語生命体のうち色彩と輪郭からエネルギーを引き出す能力を有する者はみな――」
「俺に色は見えない。生まれつきだ。だが
濡れそぼつコートの内側から、男はハンドガンを出してみせた。
「素晴らしい形だ。革命の形をしている」
「――能力を有する者はみな、協会の保護対象だ」ラジャンは臆さず言い切った。「その
男はミレイとラジャンを交互に見た。思い詰めた目だった。
「星獣は渡せん」
「理由を聞かせてもらおう」
忌々しい雨粒が顔を伝うのもそのままに、男は理由を語った。荒れた唇は皮がめくれ、血が固まっていた。彼は真剣だった。
「保護など嘘っぱちだからだ。貴様ら協会の連中は、同じ新人種の俺たちからさえ力を奪い、自分たちの手元に集中させ、俺たちを搾取する。子供でも予期できる未来だ」
「我ら新人種は自分たちの国を持たなければならない」ミレイは言った。「そうでなければ永遠に、能力を持たない旧人種どもに追われる流浪の民だ。ナイラノイラで、この町で、私たちは国の礎を築かなければならないんだ。協会があるのはそのためだ。あんたがたを搾取するためじゃないよ」
「誰が信じるか」
「信じる信じないは勝手だが、じゃあ、あんたはどうしたい?」
「俺は協会が打ち立てようとしている国家を否定する」
「で?」
「同じ新人種の中でさえ、能力の強い者が頂点に君臨する今の構図は新たな貧困と差別の問題を生み出すだけだ。新しい国は、平和で平等な社会でなければならない」
「あんた、新生アースフィア党の党員か?」
そうだとしたら五回くらい殺してやらねばならんなとミレイは考えた。
「違う。だが志を同じくする者は多くいる。俺は一人じゃない。俺を殺してオウムを奪うこともできるだろうが、報復する者は必ずいる」
「永遠の平和、誰もが納得する平等、全ての人の幸福……」
報復される心当たりのありすぎるミレイ、は蔑みも露わに男を見下ろした。
「そういう、いまだ人類の見たことのないものに自分なら到達できるという考えは、単なる思い上がりなばかりでなく、背後には人間は本来清らかで、純粋なものだという思想がある。そういう思想の持ち主を私たちは『架空の王』と呼ぶんだ」もちろん蔑称だ。「いもしない人々の上に君臨したがる者のことだよ」
「神の国に欠けているものはない。俺たちは自分の善性を信じて、神の国を地上に実現しなければならない。それができないなら、新人種という存在は、ヒト型言語生命体にとって単なる淘汰圧でしかないだろう」
ミレイは神を信じていなかった。多宇宙も、地球人の再臨もだ。だが、自分たちの存在が自らに対する淘汰圧だという考えはなかなか気に入った。
「勝手に神の国に行くがいい。だが神の国を地上でどうこうするのは許さん。立て。オウムは渡してもらうぞ。あんたは私が連行する」
「できるか?」
素晴らしい
オウムの翼の七色の羽根、その中で、攻撃性を表す赤系統の色彩が一斉に輝いた。それらの色は刃となって男の胸を貫いた。
ことが終わったとき、王を殺したのが自分なのかラジャンなのか、ミレイにはわからなかった。
十七時のチャイムが路地に忍び込んできた。目をむき、血の混じった咳をして事切れた王のことなど知らぬげに。
「おっ、定時だ」
ミレイは王の亡骸の前で春物のジャケットのポケットに手を入れた。銀色のスキットルが現れて、たちまち雨に濡れた。それをラジャンの手が奪い、元通りポケットにねじ込んだ。
「お前は定時になった瞬間酒を飲むのをやめろ。それに、今から残業だ。忘れたか」
「そうだったね」ミレイは酒を諦めて、肩まで伸ばした水色の髪を耳にひっかけた。「ガキどもを迎えにいくんだった」
ミレイは温もりのないオウムを胸に抱き上げた。オウムは瞬膜を出して黄色い小花模様の眼を隠した。二人は王の前を去った。彼を悼む者はなかった。
車に戻った。
窓という窓が銃撃によって破れていた。周囲には、撃ち殺された革命家――これまた架空の王――たちの骸が転がっていた。
車は手動運転モードのままで、運転席では名も知らぬ運転手が血まみれで死んでいる。
後部座席に乗り込み、ようやく雨から逃れたラジャンはため息混じりに命じた。
「目的地まで自動運転だ。運転を再開しろ」
了解しました、と答え、八人乗りの車は協会の特別自治区内
厚い雨雲に、忍び寄る夜の暗さが滲んでいた。