息をしたいか
文字数 2,663文字
2.
ガキどもが強運の持ち主であればいいのだけど、とミレイは思った。生死を分けるのは成績表や見かけの優秀さではない。運だ。
『戦闘の音声記録の確認が終了したわ』
トロマカム駅付属の煉瓦ビルに入っていきながら、骨伝導型通信機から響く協会の戦闘支援員リリファ・ホーリーバーチの声を聞いた。
『今回の遭遇戦で掃討した反体制分子は五人、うち一名が星獣を所持。五人の遺体は収容作業を終えて現在身元確認中。補足や質問事項はある?』
「代車は?」
地下駐車場とビル内部を隔てる、ガラスの二重扉の前に立ってラジャンが尋ねた。
『手配済みよ。候補生たちとのミーティングが終わるまでには駅駐車場に配置できるはず。ダレスさんのことは残念だった』
「誰だ?」
『運転士。亡くなった』
「そうか。ダレス氏の遺体も車の中だ。回収を頼む」
二重扉を抜けると視界が明るくなった。天井一面が間接照明となったエレベーターホールだ。アサルトライフルを携行した機構軍の兵士が二人、エレベーターを開けて待機していた。
『星獣はどうしたの?』
「心配するな。ミレイが持っている。肌身離さずな」
その通り、ミレイは動作停止に陥った冷たいオウムを胸に抱いていた。エレベーターに乗り込みながら、明日から始まるクソほど面倒な新人教育について考え、うんざりしていた。そう、ずっとうんざりしていた。服が濡れているからだ。いいや、もっと言うと、自分とラジャンが三十二歳という、とうに最前線を引退していてもおかしくない歳になるまでナイラノイラに新人が回ってこなかったからだ。
「象徴名を見つけた奴が一人いると言っていたな」
エレベーターが上がり始めると、ラジャンが口を開き、ミレイは覚えておいた名を答えた。
「イスマリル・ダーシェルナキ。十七歳。ガキどもの代表だそうだ」
「ダーシェルナキ家の人間か」
ラジャンはしみじみ呟いた。その気持ちが、ミレイには痛いほどわかった。
五〇五会議室のドアを開くと、前途有望な四人の若者たちがそこにいた。長方形の机で一列に座り、あれやこれやと話をしていたが、みな一斉に顔をこわばらせてラジャンとミレイを見た。若者たちの目はすぐに、ミレイが胸に抱くオウムに釘付けになった。
銀髪を高く結い上げた、褐色の肌の少女が立ち上がった。これがイスマリルだ。
「ガキどもに聞く」
全ての窓にカーテンがかかった会議室で、ナイラノイラの流儀に従って、ラジャンが居丈高に声を張り上げた。挨拶もなしだ。
「呼吸をするのは好きか?」
若者たち、立っている一人の少女と座っている一人の少女、座っている二人の少年は途端にそわそわし始めた。未知の言語を前にしたようだった。
「呼吸、息だ、息をし続けたいか。この町で生きながらえたいかと聞いている」
「あ、あの」立っている銀髪の少女、イスマリルがいささか失望を催す気抜けした調子で答えた「……はい、それは、もちろん」
「お前がイスマリル・ダーシェルナキだな」
「はい」
「前に出ろ」
イスマリルは萎縮と興奮が相半ばする複雑な面持ちで、三人のお友達の後ろを通って机を迂回し、ミレイとラジャンの前に立った。
「象徴名を見つけたそうだな」
口調も眼光も一切和らげずにラジャンは言った。少女はじきに傷付けられる誇りを一瞬、目にきらめかせた。
「イスマリル、〈呪 つ星の狂照〉」
「ダーシェルナキ家は名家だが、常に二つに分裂している」ミレイは左腕にオウムを抱えて直して言った。「同じ名のもとに、ある者は革命家となって旧人種共の肩を持ち、ある者は新人種による惑星統一の旗印となっている。どちらの勢力にとっても武力闘争の重要な資金源だ。君はどっちだ?」
「私は色彩と輪郭からエネルギーを取り出す〈語り部〉として生まれました。自らの人生を言い表わす象徴名と出会い、新人種を導くために必要な教育を受け、メリアノ校舎第十四期春季生代表としてここにいます」
人生の象徴か、とミレイは疑わしい気持ちで呟いた。それにしても、十七歳の女の子が、黙想修行の日々で何に想到して人生の象徴を見つけたのだろう? ミレイのように、強火 と揶揄 される強烈な異能を有する〈語り部〉の中にさえ、己の名を見いだすことなく前線を退く者も少なくないのに? そして、ミレイもそのうちの一人となるはずだったのに。
「旧大陸からはるばるご苦労なことだ」と、ラジャン。「お前たちはナイラノイラの街に入ってからこのトロマカム駅までどうやって来た?」
「機構軍……新大陸強制移民保護条約機構の部隊に送られて来ました」
「協会ナイラノイラ支部能力開発センター入り口からトロマカム駅までわずか二十五キロメートル。その間に俺たちは五人の敵を殺し、一人の仲間を殺された」
その言葉に、他の三人の若者も体を強張らせた。
「お前たちの護衛の兵士は帰った。ここには実戦経験のない四人のガキが丸裸も同然でいる。違うか」
「何も違いません、教官」
「教官だと? バカめ。上官だ。ここは学校ではない」
バカの一言に反応し、イスマリルの頬が引き攣るのをミレイは見た。相当にプライドが高いのだろう。かつてミレイがそうだったように。
「上官殿、あなた方のことはなんと呼べばいいでしょうか?」
ため息をつき、ラジャンは名乗った。
「ラジャン、〈墜 とし得ぬ星〉」
続けてミレイが。
「ミレイ、〈茜の闇〉」
ミレイは少女に右手を伸ばした。握手をしたその手は華奢で、繊細だった。やる気のない口調でミレイは言った。
「ミレイ先生って呼べばいいよ。こっちはラジャン先生ってことで」
「おい、勝手に決めるな」
「君の名前は長すぎる。マリちゃんと呼んでいいかい?」
「はあ、あの、上官……先生方がそれでいいのでしたら」
「いいね、ラジャン」
「勝手にしろ」
ラジャンは濡れたままの髪から水滴を飛ばして頭を振った。
「あの」
少し緊張がほぐれた様子でイスマリルが尋ねた。
「この町に特務治安員は先生方お二人ですか? お二人の後継が、私たち四人ですか?」
当然の疑問だった。これにはラジャンが答えた。
「はじめ、ナイラノイラにも四人の候補生がいた」
そう、ミレイとラジャンが十七歳で配属されたときには。
「そのうち二人が死に、一人が補充され、補充された一人も死んで、残った二人のうち一人は今じゃ酒浸りだ」
酒浸り。それ本人の前で言うかね、とミレイは心の中で呟いた。
薄気味悪い沈黙が会議室を満たした。ラジャンはガキども一人ひとりの顔を順に見て、重々しく告げた。
「ナイラノイラとはそういう街だ。既にお前たちは戦場にいる。覚悟しろ」
ガキどもが強運の持ち主であればいいのだけど、とミレイは思った。生死を分けるのは成績表や見かけの優秀さではない。運だ。
『戦闘の音声記録の確認が終了したわ』
トロマカム駅付属の煉瓦ビルに入っていきながら、骨伝導型通信機から響く協会の戦闘支援員リリファ・ホーリーバーチの声を聞いた。
『今回の遭遇戦で掃討した反体制分子は五人、うち一名が星獣を所持。五人の遺体は収容作業を終えて現在身元確認中。補足や質問事項はある?』
「代車は?」
地下駐車場とビル内部を隔てる、ガラスの二重扉の前に立ってラジャンが尋ねた。
『手配済みよ。候補生たちとのミーティングが終わるまでには駅駐車場に配置できるはず。ダレスさんのことは残念だった』
「誰だ?」
『運転士。亡くなった』
「そうか。ダレス氏の遺体も車の中だ。回収を頼む」
二重扉を抜けると視界が明るくなった。天井一面が間接照明となったエレベーターホールだ。アサルトライフルを携行した機構軍の兵士が二人、エレベーターを開けて待機していた。
『星獣はどうしたの?』
「心配するな。ミレイが持っている。肌身離さずな」
その通り、ミレイは動作停止に陥った冷たいオウムを胸に抱いていた。エレベーターに乗り込みながら、明日から始まるクソほど面倒な新人教育について考え、うんざりしていた。そう、ずっとうんざりしていた。服が濡れているからだ。いいや、もっと言うと、自分とラジャンが三十二歳という、とうに最前線を引退していてもおかしくない歳になるまでナイラノイラに新人が回ってこなかったからだ。
「象徴名を見つけた奴が一人いると言っていたな」
エレベーターが上がり始めると、ラジャンが口を開き、ミレイは覚えておいた名を答えた。
「イスマリル・ダーシェルナキ。十七歳。ガキどもの代表だそうだ」
「ダーシェルナキ家の人間か」
ラジャンはしみじみ呟いた。その気持ちが、ミレイには痛いほどわかった。
五〇五会議室のドアを開くと、前途有望な四人の若者たちがそこにいた。長方形の机で一列に座り、あれやこれやと話をしていたが、みな一斉に顔をこわばらせてラジャンとミレイを見た。若者たちの目はすぐに、ミレイが胸に抱くオウムに釘付けになった。
銀髪を高く結い上げた、褐色の肌の少女が立ち上がった。これがイスマリルだ。
「ガキどもに聞く」
全ての窓にカーテンがかかった会議室で、ナイラノイラの流儀に従って、ラジャンが居丈高に声を張り上げた。挨拶もなしだ。
「呼吸をするのは好きか?」
若者たち、立っている一人の少女と座っている一人の少女、座っている二人の少年は途端にそわそわし始めた。未知の言語を前にしたようだった。
「呼吸、息だ、息をし続けたいか。この町で生きながらえたいかと聞いている」
「あ、あの」立っている銀髪の少女、イスマリルがいささか失望を催す気抜けした調子で答えた「……はい、それは、もちろん」
「お前がイスマリル・ダーシェルナキだな」
「はい」
「前に出ろ」
イスマリルは萎縮と興奮が相半ばする複雑な面持ちで、三人のお友達の後ろを通って机を迂回し、ミレイとラジャンの前に立った。
「象徴名を見つけたそうだな」
口調も眼光も一切和らげずにラジャンは言った。少女はじきに傷付けられる誇りを一瞬、目にきらめかせた。
「イスマリル、〈
「ダーシェルナキ家は名家だが、常に二つに分裂している」ミレイは左腕にオウムを抱えて直して言った。「同じ名のもとに、ある者は革命家となって旧人種共の肩を持ち、ある者は新人種による惑星統一の旗印となっている。どちらの勢力にとっても武力闘争の重要な資金源だ。君はどっちだ?」
「私は色彩と輪郭からエネルギーを取り出す〈語り部〉として生まれました。自らの人生を言い表わす象徴名と出会い、新人種を導くために必要な教育を受け、メリアノ校舎第十四期春季生代表としてここにいます」
人生の象徴か、とミレイは疑わしい気持ちで呟いた。それにしても、十七歳の女の子が、黙想修行の日々で何に想到して人生の象徴を見つけたのだろう? ミレイのように、
「旧大陸からはるばるご苦労なことだ」と、ラジャン。「お前たちはナイラノイラの街に入ってからこのトロマカム駅までどうやって来た?」
「機構軍……新大陸強制移民保護条約機構の部隊に送られて来ました」
「協会ナイラノイラ支部能力開発センター入り口からトロマカム駅までわずか二十五キロメートル。その間に俺たちは五人の敵を殺し、一人の仲間を殺された」
その言葉に、他の三人の若者も体を強張らせた。
「お前たちの護衛の兵士は帰った。ここには実戦経験のない四人のガキが丸裸も同然でいる。違うか」
「何も違いません、教官」
「教官だと? バカめ。上官だ。ここは学校ではない」
バカの一言に反応し、イスマリルの頬が引き攣るのをミレイは見た。相当にプライドが高いのだろう。かつてミレイがそうだったように。
「上官殿、あなた方のことはなんと呼べばいいでしょうか?」
ため息をつき、ラジャンは名乗った。
「ラジャン、〈
続けてミレイが。
「ミレイ、〈茜の闇〉」
ミレイは少女に右手を伸ばした。握手をしたその手は華奢で、繊細だった。やる気のない口調でミレイは言った。
「ミレイ先生って呼べばいいよ。こっちはラジャン先生ってことで」
「おい、勝手に決めるな」
「君の名前は長すぎる。マリちゃんと呼んでいいかい?」
「はあ、あの、上官……先生方がそれでいいのでしたら」
「いいね、ラジャン」
「勝手にしろ」
ラジャンは濡れたままの髪から水滴を飛ばして頭を振った。
「あの」
少し緊張がほぐれた様子でイスマリルが尋ねた。
「この町に特務治安員は先生方お二人ですか? お二人の後継が、私たち四人ですか?」
当然の疑問だった。これにはラジャンが答えた。
「はじめ、ナイラノイラにも四人の候補生がいた」
そう、ミレイとラジャンが十七歳で配属されたときには。
「そのうち二人が死に、一人が補充され、補充された一人も死んで、残った二人のうち一人は今じゃ酒浸りだ」
酒浸り。それ本人の前で言うかね、とミレイは心の中で呟いた。
薄気味悪い沈黙が会議室を満たした。ラジャンはガキども一人ひとりの顔を順に見て、重々しく告げた。
「ナイラノイラとはそういう街だ。既にお前たちは戦場にいる。覚悟しろ」