理想の姿、純粋な心

文字数 3,581文字

 6.

 イルレーン地区とトロマカム地区の中間に、かわいらしい街並みのアンナフェルナ地区がある。そこまで戻って瀟洒なカフェのオープンテラスに陣取ったミレイは気前よく言った。
「もし足りなければ追加で注文すればいいよ。今日は私のおごりだ」
 時刻は十五時を回っていた。食べ盛りの十七歳の小腹がちょうど減る時間だ。ミレイはアフォガードを、アイメルは苺のパフェを、フィフィカはガトーショコラのオーロラキャンディソースがけを注文した。甘いものに飽きたらフライドチキンやポテトなどの軽食もある。
「ご馳走になります。でもイスマリルに悪いな、今も訓練中なのに」
「君には君でやってもらうことがあるよ。午後いっぱい付き合ってもらう」
「私にできることがなにか――」
 そこへ、黒髪の、かわいらしいウェイターの少女がやってきた。
「こんにちはー、ミレイさん! アフォガードをお持ちしました。アイメルさんは今日は苺のパフェで、こちらの方がガトーショコラのオーロラキャンディソースがけですね」
「ありがとう、エルーシヤ。君は今日も機嫌がいいね」
「聞いてください、ミレイさん。私イルレーンの大学に進学できることになったんです」
「へぇ、そいつはめでたい。君も大きくなったものだな。私が着任したときにはまだほんの子供だった」
 ウェイターのエルーシヤはカフェ『芥子(けし)とニワトリ』を経営するコレー夫妻の一人娘だった。彼女は人懐こい笑みをフィフィカに向けた。
「特務治安員候補生の方ですね。若い人が新しく来るって噂に聞いて、私ずっと楽しみにしてたんです」
「彼女は君と同い年だよ」
「こんにちは、エルーシヤさん。私はフィフィカ。ナイラノイラへの正式な着任はまだだけど、なんとかみなさんを守っていけるように頑張りますね」フィフィカはガトーショコラにかかったソースの透き通る緑の渦巻きに目を奪われた。「このソース、すごくきれい」
「私が着色したんです」町に降り注ぐクリスタルガラスの色彩から拝借した色だ。「舌だけじゃなくて、目と感情でも楽しんでくださいね。それでは!」
 フィフィカはそれなりに精神的なショックを受けたはずなのだが、甘味と心を撫でる緑系の色彩を味わって、うっとりした光を目に浮かべた。ミレイはそこに希望を見た。飯が食えるなら生き延びられる可能性は高まる。
「『弱火』の能力でも、料理を彩ったり大道芸をしたり、人の心を楽しませるのにいくらでも生かせるものさ」ミレイはそう言って、声を数段落とした。「フィフィカ、いずれ何度もこの店に通うことになるから、コレー一家のことをよく覚えておきなさい。『協力的な市民』だ」
 フィフィカが真顔になり、フォークを動かす手を止めた。ミレイは声の調子を戻した。
「で、旧人種どもを見物した感想はどうだ?」
「感想って、ううん……」
 フィフィカはせっせとおやつを口に運んでから答えた。
「旧大陸の旧人種とは全然タイプが違いますね。旧大陸では私たち、なんだかんだで共存してましたし、攻撃的な旧人種だって『新大陸に追い払ってしまえ』くらいの考えでしたから、実際に殺される危険なんて感じたことなかったです。あの人たちが本気だなんて……」せっせとガトーショコラを頬張りながら、「あっ、ミレイ先生たちは私たちを迎えに来るだけで五人殺したんですよね。ってことはあの人たちも本気ですよね。すみません」
「実際のところ、旧人種どもの本気度は協会も測りかねている。問題が旧人種どもの施策にあって、そこをつついてガス抜きしてやればおおかた大人しくなる程度なのか。結託すれば我々を皆殺しできると思っている層はどれくらい厚いのか」
 ミレイは柔らかくなったラムレーズンアイスにエスプレッソを注いで続けた。
「すでに聞いていると思うが、改めて教えておこう。この街で活動的な旧人種どもの組織のうち特に危険なのは二つだ。一つは新生アースフィア党。もう一つはナイラノイラ人民解放戦線。この二つ以外の、例えばミス・マーリーンの灼舌党なんかはその他の有象無象に分類して構わないだろう。
 新生アースフィア党について君が知っていことはなんだ?」
「ええっと、強制移民の身であった私たちを守るために設立されたのが『治癒と再生者の協会』で、その中枢の語り部たちを『悪い語り部』、旧人種に同情的な新人種を『善い語り部』と呼ぶのが特徴的、であってますよね」
「そうだ。まだ語り部が『言葉つかい』と呼ばれていた頃から奴らは『善い言葉つかい』『悪い言葉つかい』という分類を好んでいた。二分法しかできないアホどもさ。だが厄介なことに、旧人種と新人種の公平平等な世界を目指して、我々の社会にもじっくり浸透してきている。で、もう一つ。全ての新人種を敵視する極めて攻撃的なのがナイラノイラ人民解放戦線だ。かつて移民団が地球文明の再興を果たした土地を協会に追い出され、そのことを先祖の代から恨んでいる。ナイラノイラ中枢の奪還のためなら死をも厭わぬ連中さ。灼舌党のような狂信的な連中が奴らの思想を支えている面もある」
「人民解放戦線の成員も地球人の唯一神教に感化されているんですか?」
「いい質問だね。奴らの組織としてのアイデンティティに関する問題だ」
 神という絶対存在を仮定したとき、ミレイが見てきた限り、人の反応は二つだ。祈るか呪うかだ。
「正義を自分の側に手繰り寄せたいとき、人は突然敬虔になることがある。神に祈るんだ。フィフィカ、神に祈る者と神を呪う者、心が純粋なのはどっちだ? 神を呪う、というのは新大陸文化に特有の言い回しだね。単に唾棄する、否定するという意味で捉えてもらっていい」
 引っかけ問題なのかと疑う表情を見せてから、フィフィカは答えた。
「『心が純粋』の定義によると思いますが、一般的には祈る者のほうじゃないですか? わざわざ呪うって、捻くれてるじゃないですか」
「さきほど私が奴らのユートピア願望に言及したことを思い出しなさい」
 ミレイがアイスとエスプレッソの混合液を口に運んでいるあいだ、フィフィカはその言葉の意味をじっと考えていた。
「奴らは新人種や協会という共通の敵がいるあいだは恐らく一致団結できる。だが、所詮個々人の夢想するユートピアは異なるものだ。自分のユートピアが実現不可能と知ったとき、祈る者は簡単に呪う者に変わる。全て自分の思い通りになるというエゴが、いくつ歳を重ねても打ち砕かれないから呪うんだ。奴らは神に祈っている限り、エゴが傷つくことによる挫折から立ち直れないだろうさ」
「挫折、私もしました。何度も。メリアノ校にいたときですけど」
「立ち直れたと思うか?」
「乗り越えられたからここにいるんだと信じています。もし立ち直れていなかったら、きっと自分のことを嫌いになっていました」
 ミレイは心温まるものを見た。フィフィカの初々しい微笑みだ。
「恐らく、我々を穢れたものとして滅ぼしたくて仕方がない連中は、自分のことが嫌いなんだろうな。たとえ我々を皆殺しにしたところで奴らは満足しない。ユートピアがこない、つまりそこに君臨する『架空の王』に自分がなれないからだ。奴らは神に願いを託すことによって、どのような状況がきても決して満足できないという罰を自分に課してる。その不満、その怒りを、自身の心や信仰の純粋さに由来するものと錯誤しているんだ」
「でも、あの人たちなりの理想像がなにかあるはずなんですよね」
「人間の理想の状態とはなんだ?」ミレイは右手にスプーンを持ったまま左手をテーブルに乗せた。「理想を高く掲げ、純粋な心を持ったままでいることか?」
「わかりません」
「私にもわからない」
 ミレイは微笑んだ。
「考えた。生き残るたびに。でもわからなかった」
 アフォガードのカップを取り、中身を一息に飲みほした。
「おーい、エルーシヤ」
 ホールで待機していたエルーシヤが愛想よくテラス席にやってきた。
「君は灼舌党の説教師マーリーンのことを知っているか? ときどきアンナフェルナで目撃したという情報が上がってくるんだが」
「見たっていうお客さんはいますね。でも最後に聞いたのは年が明ける前ですから、ここ数ヶ月のことはわからないんです」
「ありがとう。ダメもとで聞いてみるが、マーリーンの住処は?」
「それが誰にもわからなくて」
 エルーシヤは申し訳なさそうに眉を垂らした。
「他のお客さんたちの話では、クロイー地区に下っていく姿を見たってところで終わるんです」
「あら、ミレイ、マーリーンのところに殴り込むつもり?」
 これまで黙っていたアイメルが口を挟んだ。
「さあ、どうしようかね」
「マーリーンの現在の居場所がわかっているのなら、棲家を突き止められると思う」
 アイメルは微笑む。
「私が鳥飼いだって忘れたの?」
 眼鏡の奥にある不思議な瞳の中を、ゆく鳥の群れが横切っていった。


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登場人物紹介

◆ミレイ・スターセイル

◆32歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈茜の闇〉。本作の主人公。

◆ラジャン・シンクマール

◆32歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈墜とし得ぬ星〉。ミレイの相棒。

◆イスマリル・ダーシェルナキ

◆17歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈呪つ星の狂照〉。旧大陸からきた特務治安員候補生の一人。

◆フィフィカ・ユンエレ

◆17歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆ランゼス・フーケ

◆17歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆ラトル・グレイ

◆17歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆リリファ・ホーリーバーチ

◆29歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


協会の戦闘支援部隊員で、ラジャンの婚約者。

◆エリク・ラーステミエル

◆24歳/男性

◆所属:新生アースフィア党


新生アースフィア党ナイラノイラ支部の指導者。ナイラノイラ人民解放戦線の広告塔だった人物の息子。

◆エリエーン・ラーステミエル

◆17歳/女性

◆所属:新生アースフィア党


エリクの妹で、弱火の新人種。イルレーン地区の高等学校に通っている。

◆ニハザ・マーシーン

◆19歳/トランス男性

◆所属:新生アースフィア党


エリクの助手。ナイラノイラ人民解放戦線指導者ラルフ・ヴォレックの甥。

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