いつかまた、あのヒマワリの丘で

文字数 3,503文字

 1.

 親愛なるエリエーン

 平和と共存の妨げとなる優勢主義者どもを皆殺しにすると誓ってから五年が経ちました。党の支援でメリアノ校舎に潜り込んだ私も、来週からいよいよ二年間の黙想修行に入ります。
 よく知られている通り、私の祖母ウィーゼル・ダーシェルナキは新生アースフィア党の熱心な後援者でした。そのため入学時にはさんざん思想試験を受けましたが、うまくいったのは機構から新大陸移住支援法人に天下りした大伯父の入れ知恵があったからです。
 それからずっと、私は同期生や教師たちを騙し続けています。毎日、一日も休まずに、です。何が本当の私の考えで、どちらが本当の私の姿なのか、わからなくなるときがあります。これは、決意や覚悟とは別の次元でとてもつらいことです。弱い私を支えてくれたのが、あなたとの交流でした。ありがとう。
 これから二年間、私は通信環境のない山奥に閉じ込められます。どうか私を強めてくださるよう神に祈ってください。実のところ不安なのです。配属先で予定された初仕事にかかるとき、迷ってしまわないかと。
 何が正義で何が悪かを決めるのは大国の広告代理店だと大伯母は言いました。でも私は信じない。そんな悲しいこと信じたくない。協会の考えに染まりたくない。怖いんです。私は十七歳になるまで協会の人間たちの中でひとりぼっち。怖いの。助けて。でも、やります。これまでやってきたように。
 不安にさせてごめんなさい。でもどうか私のために祈ってください。毎日神様に祈ってください。お願いです。
 私たち、いつかまた、あのヒマワリの丘で会いましょうね。
 愛を込めて。

 イスマリル・ダーシェルナキ

 ※

 親愛なるエリエーン。
 エメラルドグリーンの長い髪と、まだ発達しきっていないほっそりした肢体をもつ美しい娘。新人種だが弱火で、それゆえ一般市民としてイルレーン地区のとある女子高等学校に通っている。できるものならば、協会特務治安員の育成校にイスマリルともども潜り込み、助けあいたかった。でも、いずれにしろ駄目だったかもしれない。ラーステミエル家の人間だから。イスマリルのようにずる賢く思想試験を突破できる自信はなかったし、協会に通じて入れ知恵をしてくれる身内もいなかった。協会の思想に染まらずにいる自信もなかったし、何よりも、自分が兄を裏切ってしまうことを一番恐れていた。
「兄さん」
 地下街の小さなレストラン。その扉を開けて一人の若者が入ってきた。言わずと知れた有名人、エリク・ラーステミエル。弱冠二十四歳にして新生アースフィア党ナイラノイラ支部長、そしてエリエーンの七歳上の兄。
 テーブルを立つエリエーンの顔に喜色が広がり、二人は狭いレストランの通路で愛のある抱擁を交わした。他の客たちは優しい眼差しで若い兄妹を見ていた。
「久しぶりだな、エリエーン。元気にしていたか?」
「ええ。兄さんは?」
 エリクは強張った微笑みを返してレストランの店主を振り向いた。
「個室に通してくれ」
「あいよ。確保しておいたよ」
 カーテンで仕切られた狭いテーブル席へ兄妹は入っていった。
「ちょうど半年ぶりぐらいか」
 椅子に座るなりエリクは言った。
「ええ。寂しかったわ、兄さん。姉さんたちも全然会いに来てくださらないんですもの」
「ラサとレイハもお前のことを嫌っているわけじゃないんだ。ただ、党の仕事がある――」
「仕事と立場がね、わかるわ、兄さん。わかってる。ラサ姉さんも今じゃ〈ルーアハ〉の編集長ですものね」エリエーンはぽつりと呟いた。「私の立ち位置はなんなの?」
 エリクは答えなかった。
 前言を打ち消すようにエリエーンは声音を変えた。
「イスマリルはお元気?」
「そのことなんだが」
 エリクは喉を詰まらせ、鼻でゆっくり息を吸い、口で吐いた。
 それからやっと言った。
「亡くなった」
 エリエーンは微笑みを浮かべたまま凍りついた。
「戦って……党の理念に殉じた」
「……いつ?」
「昨日。大ルベル塩鉱でナイラノイラの特務治安員とその候補生を一網打尽にできるはずだった」
 うーん、と曖昧な声でうめき、エリエーンは再び凍りついた。理解が追いついたのだ。エリクは掌で顔を撫でた。
「ニハザが一緒だった。守りきれなかった」
 エリエーンの視線が泳ぎ、卓上の塩入れに定まった。顔色は失せ、声もまた失われたままだった。
「生き残りどもは遠征訓練を切り上げてナイラノイラに帰ってきているはずだ。エリエーン、俺も悲しい。とても悔しい。ニハザも同じ気持ちだ。ラサもレイハも」
「イスマリルは怯えていたわ」やっとエリエーンは言った。「本当に死んでしまったのね。本当に……」
 左の目尻に涙の粒が浮かび、それを慌てて指でぬぐう。今度は右目から涙が溢れてきた。
「エリエーン、聞いてくれ。俺たちは次の手を打たなければならない」
 エリエーンは気丈に頷いた。
「今度お前が校外学習で見学する予定のナイラフェリス色覚輪郭資料館、そこに収蔵された『天球儀の戦象』のことだ。こいつを無事に奪えるかどうかはお前の手引きにかかっている」
 少し口篭ってからエリクは言葉を続けた。
「だが厄介なことに……さっきの話の通り、特務治安員どもが遠征訓練を中止して市内に戻ってきた。予定を変えた奴らが資料館の警護に回される可能性がある」
「そいつら、イスマリルの仇なんでしょう?」
「奴らを殺してやりたいか」と、エリクは冷徹な顔で尋ねた。「答え次第ではお前を作戦から外す」
「余計なことはしない」
 答えたエリエーンはもう泣いていなかった。
「しないわ、兄さん。殺してやりたいのは本当だけど、決められたことだけをするって約束する」
「それを聞いて安心したよ」
 エリクは肩の力を抜いた。エリエーンを作戦から外したいのが本心だが、そのように過保護にしていては、新人種であるエリエーンが他の党員から信頼を勝ち取る機会は失われてしまうだろう。
「落ち着いてやるわ。冷静に、落ち着いて……」
 テーブルの上で指を組み、耐えかねたようにエリエーンは目をつぶった。祈る姿に似ていた。
「彼女こそ私のヒマワリだった」
「エリエーン、この作戦が終わったら、イスマリルや他の仲間たちを悼む時間を作ろう」
「本当に? 姉さんたちも一緒?」
「ああ、ニハザも、みんな一緒だ。だから今はやるべきことに取り組むんだ。校外学習当日のスケジュールを聞かせてもらおう。これより打ち合わせに入る」
 その頃、旧人種たちの居住区に近いアンナフェルナ地区の一角では市が開かれていた。協会の熱心な協力者であるコレー一家、その一人娘エルーシヤと一家が雇う料理人の一人は、『芥子とニワトリ』二号店の展開に先駆けて市で出店を開いていた。
「うめぇ、これマジうめぇよ」
 膨らんだ胸を潰し、その上から男もののシャツを着て、女性的な顔立ちの、塩鉱でミレイが聞いたのと同じ男とも女ともつかぬ声の持ち主が、店先でオーロラキャンディソースがけのクレープにがっついていた。
「お店にもまた来てくださいよ。最近いらっしゃらなくて寂しいです」
 エルーシヤは、この客が新生アースフィア党の幹部と知りながら、いやだからこそ、知らぬ顔をして探りを入れた。
「あ? うん、まあ、最近仕事が忙しくってな。エルーシヤ、二号店は下町に出せって親父に言っとけよ。受けると思うぜ」
「うーん、どうかなあ?」
「俺は新人種だからって威張ってる連中は嫌いだけど、お前とお前のオーロラキャンディソースは好きだぜ。またな!」
 クレープの包み紙を屑籠に入れて、その客、ニハザはエルーシヤの前から立ち去った。アンナフェルナの市には旧人種と新人種が入り混じっていた。
「せんせー、コハリせんせー!」
 初等学校に入ったばかりくらいの小さな女の子が雑踏で声を張り上げた。郊外で生活する三十代の女教師は、青ざめた顔で子供を振り向いた。
 それから子供に近付いて、膝を曲げ、引きつった笑みを浮かべた。
「お休みの日もお元気ね、モモちゃん」
「先生、あのね、モモしゅくだいおわらせた」子供は言った。「あしたになったら、先生にたくさんほめてもらうの」
「ううん、明日はクラス替えよ、モモちゃん」
 教師は言った。
「学校の制度が変わったの。旧人種と新人種は、同じ教室にいてはいけないことになったの」
 子供の肩に手を置く。
「あなたは新人種、先生は旧人種。だからもう、話をしてはいけないの」
「どうして話しちゃいけないの?」
 唇をきつく結び、立ち上がった教師はスカートを翻して立ち去った。
「まって、先生」
 子供が叫んだ。
「どうしてクラス替えをするの? どうして先生とはなしちゃいけないの? 先生、先生!」


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登場人物紹介

◆ミレイ・スターセイル

◆32歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈茜の闇〉。本作の主人公。

◆ラジャン・シンクマール

◆32歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈墜とし得ぬ星〉。ミレイの相棒。

◆イスマリル・ダーシェルナキ

◆17歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈呪つ星の狂照〉。旧大陸からきた特務治安員候補生の一人。

◆フィフィカ・ユンエレ

◆17歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆ランゼス・フーケ

◆17歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆ラトル・グレイ

◆17歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆リリファ・ホーリーバーチ

◆29歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


協会の戦闘支援部隊員で、ラジャンの婚約者。

◆エリク・ラーステミエル

◆24歳/男性

◆所属:新生アースフィア党


新生アースフィア党ナイラノイラ支部の指導者。ナイラノイラ人民解放戦線の広告塔だった人物の息子。

◆エリエーン・ラーステミエル

◆17歳/女性

◆所属:新生アースフィア党


エリクの妹で、弱火の新人種。イルレーン地区の高等学校に通っている。

◆ニハザ・マーシーン

◆19歳/トランス男性

◆所属:新生アースフィア党


エリクの助手。ナイラノイラ人民解放戦線指導者ラルフ・ヴォレックの甥。

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