この小咄の意味するところ

文字数 3,298文字

 4.

 泣き言を言っているのは鳥飼いのアイメルだけではなかった。
「無理だよぉ、あんなの。偵察ポッドが壊れてるなんて聞いてないし、あっちこっちから撃たれるし、雨ざーざー降ってるし……」
 ありがたいことに、福利厚生エリアの庭園には春の正午の日差しが燦々と降り注いでいた。四人の候補生はシャワーを浴びて着替えを済ませ、庭園のそこここでランチを取っていた。予定では、来週の野外演習後には不眠絶食での訓練を受けることになっていた。
「っていうか、私、足手纏いだったよね。ごめんね……」
 弱音を吐いているのは、ミレイが凡庸と評価したフィフィカ・ユンエレで、同期生のイスマリルが同じ野外の丸テーブルを囲んでいた。
「そんなことないよ。図書館の二階から狙われたときにすぐ気付いて対処してくれたし、ポッドのどこが壊れてるのか特定してくれたのもフィーだよね。あれは助かったな」
「それはそうだけど」
 二人の少女はサンドイッチとローストチキンをすでに平らげていた。汚れた紙皿と使い捨てのフォークが残っており、紙コップの中の紅茶はまだ半分ほど残っていた。
「イスマリル、私、大丈夫かな。この先の訓練についていけなかったらメリアノに送り返されるかも……」
「それはないよ。選別するための訓練じゃないもの。心配しすぎだって」
 イスマリルは笑った。上側の前歯の間に千切りのニンジンが挟まっていた。
「事実上の試用期間とは言われてるけど、私、ランゼスから聞いたんだよね。最初は厳しめのメニューを組むって。学生気分を払拭させるためだって。ミレイ先生とラジャン先生が話してるのをこっそり聞いたみたいだよ」
「そうなんだ。だといいんだけど」
 昨日までは、ランゼス・フーケと同じ配属先になれた運命を喜んでいたのだが、今ではそんな気分は打ち砕かれていた。ランゼスを失望させるのが怖かった。
「フィー、大丈夫」イスマリルは重ねて言った。「フィーは見かけよりずっと根性あるじゃない。大丈夫だって。ついてこれるよ。それにランゼスも一緒じゃない。頑張らないと」
 さっ、とフィフィカの頬が紅潮した。
「私、あの、いや、今はランゼス君のことは関係なくない?」
「関係ないかなぁ?」候補生代表のイスマリルは少しだけ意地悪げに笑った。「私にはそうは見えないけど?」
「もう、からかわないでよ」
 そのとき強い風が吹いて、口の周りを拭いてそのまま置かれていたフィフィカのハンカチが吹き飛ばされた。
「あっ、待って!」
 これ幸いにとフィフィカはイスマリルを離れ、ふわふわと舞うハンカチを追って草地を走り出した。三つ編みにした砂色の髪がフィフィカの背中で弾んだ。
「待って、待ってってば、こら!」
 母親がお守り代わりにと作って送ってくれた刺繍入りのハンカチなのだ。ハンカチは風に吹かれて草の上を這った。木陰から出てきた誰かがそれを屈んで拾い上げた。
 ミレイだった。
 フィフィカは緊張して体の動きを止めた。酒癖が悪いとの噂の、表情の読めないこの上官に、フィフィカは既に苦手意識を抱いていた。
「おお、フィフィカ。フィフィカじゃないか。これはいいところに」
 手にハンカチを押し付けられても、咄嗟にお礼の一言が出てこなかった。何か言わなきゃと思っているあいだにミレイはこう切り出してきた。
「午後の訓練を抜け出さないか?」
「……えっ?」と、挨拶も忘れて聞き返す。「いいんですか、それ?」
「君たちを教える私が言ってるんだ。いいに決まってるだろう」
 丸い目をしばたたくフィフィカに「ちょっとね」と付け加える。「君に一足早くナイラノイラがどういう街かを教えてやりたいんだ。いい刺激になる」
 フィフィカが使い物になるか見定める、という言葉をミレイは実行するつもりだった。一方、フィフィカの考えはこうだった。喝を入れられるんだ。訓練中の姿がみっともなかったから。
 青ざめるフィフィカにミレイは小声で言った。
「戦いに備えなさい」
 フィフィカは縋るような目でミレイを見上げた。
「戦いが起きるんですか?」
「そんなことは関係ない。常に備えておきなさい」
 そうだった。ラジャン先生が言ってたっけ。ここはすでに戦場だって。

 ※

 ミレイが声をかけたときには何故か怯えた様子を見せたフィフィカだが、能力開発センタービルの屋上庭園からの展望には興味を示した。
 ここから見下ろせば、ミレイたちが戦場と呼ぶナイラノイラも実は美しい都市だとわかるだろう。
 すぐ北に見えるのは、協会警備隊の宿舎、治安実務エリア、それから視界の限り延々と広がる屋内及び屋外演習施設。南は能力開発エリアで、協会の敷地の向こうには、トロマカム美観地区の赤煉瓦の建物が広がっている。東は福利厚生エリアで、西は一般職員とその家族の居住エリアとなっている。
 さらに西方には、連なる屋根屋根の向こうに大地を裂く西ルベル河、その終着点がある。
「見てごらん、あれがナイラノイラ・ナイラマカム(大いなる恵み、大いなる滝)だ。私たちは『大滝』と呼ぶ」
 きらめくものは大河と瀑布ばかりではなかった。異能をもつ新人種たちの住む区画の上空には、大小さまざまな形のクリスタルガラスが浮遊し、それを透過した日光が虹のかけらを区画全域に投げかけていた。プリズムの輝きの一つ一つが大滝に目をすがめるフィフィカの顔を彩り横切っていく。クリスタルは新人種たちに色彩を公平に分配すべく、ランダムに運動しながら回転しているのだ。
 屋上庭園はそこそこの人出だった。晴天の下でカフェテリアのワゴンが営業し、焼き菓子の甘ったるい匂いを漂わせている。そこかしこのテーブルで職員たちがランチをし、また別の者たちはバドミントンに興じていた。庭園中央の球面ディスプレイには、スフィアリンクの協会公式放送が映し出されていた。心を休ませる、熱帯の珊瑚礁の水中映像だった。
「魚の動画がそんなに珍しいか?」
 ディスプレイに釘付けになっていたフィフィカが細い肩を震わせた。
「あっ、すみません! 魚の映像っていうか、スフィアリンクが見れる端末自体が珍しくて。旧大陸にはそこまで普及してないものですから」
「だがメリアノ校にはあっただろう」
「それを見たのも数回だけです。こんなに大きいものじゃなかったし、それに、二年間もずっと山の中で黙想修行でしたから」
 フィフィカはまっすぐな目でミレイを見た。
「ミレイ先生は新大陸の人なんですか?」
「ああ、生まれたときからね。おかげさまで物心つく前から地球文明遺産の恩恵にどっぷりだ。こんな小咄(こばなし)がある」
 ミレイはフィフィカを伴って屋上の南の端に歩いていった。
「旧大陸の移民が新大陸にたどり着いて少し経った頃、スフィアリンクの放送が開始されたときには映像は白黒だったんだよ。カラーにすると危ない、現実と区別がつかなくなる、そう言い張る人がいた。その後、人が血を流すような映像が流されるようになると、映像はまた白黒に戻された」
「それ、本当の話ですか?」
「自分で調べてごらん。事実かどうかより、この小咄の意味するところを理解できるようサポートするのが私の仕事だ」
 顔を前に戻すと、屋上の端、透明アクリルの壁の手前でアイメルが右手を振っていた。左腕にはオウムの星獣を抱えている。
 星獣は、いわば色彩の貯蔵庫だ。空のクリスタルから降り注ぐ無数の虹のかけらを、オウムは身動きもせずに、四方八方から体に取り込んでいた。
「わっ、本当に若い」
 フィフィカを会わせると、アイメルはそう言って驚いてみせた。
「すまない、待たせたね。この子はフィフィカ。期待の新人だ」
「フィフィカ・ユンエレです! よろしくお願いします」
 アイメルがフィフィカに挨拶を返す前に、ミレイはオウムに手をかざした。
 明度の高い青系と緑系の色彩がオウムから溢れ出し、三人の周囲を円く取り囲んだ。
「ま、話は道すがらでいいじゃないか」
 コーヒーカップを手に景色を見ていた何人かが、ミレイたちを一瞥した。だがこの日常の光景にすぐに興味を失った。
 織りなされた青と緑がミレイたち三人の体をふわりと浮き上がらせた。色彩に乗った三人は枯葉のように宙を漂い、地上へと降下していった。


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登場人物紹介

◆ミレイ・スターセイル

◆32歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈茜の闇〉。本作の主人公。

◆ラジャン・シンクマール

◆32歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈墜とし得ぬ星〉。ミレイの相棒。

◆イスマリル・ダーシェルナキ

◆17歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈呪つ星の狂照〉。旧大陸からきた特務治安員候補生の一人。

◆フィフィカ・ユンエレ

◆17歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆ランゼス・フーケ

◆17歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆ラトル・グレイ

◆17歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆リリファ・ホーリーバーチ

◆29歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


協会の戦闘支援部隊員で、ラジャンの婚約者。

◆エリク・ラーステミエル

◆24歳/男性

◆所属:新生アースフィア党


新生アースフィア党ナイラノイラ支部の指導者。ナイラノイラ人民解放戦線の広告塔だった人物の息子。

◆エリエーン・ラーステミエル

◆17歳/女性

◆所属:新生アースフィア党


エリクの妹で、弱火の新人種。イルレーン地区の高等学校に通っている。

◆ニハザ・マーシーン

◆19歳/トランス男性

◆所属:新生アースフィア党


エリクの助手。ナイラノイラ人民解放戦線指導者ラルフ・ヴォレックの甥。

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