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文字数 2,265文字
数日後の昼下がり僕は、タウからデルタに一人娘がいる話を聞かされた。
デルタが胸に掛けているペンダントの写真から推測したのだろう。些細なものにも気が付くタウらしかったが、僕はどうでもいいことだった。それでも、真剣なタウを少し揶揄いたくなった。身を寄せて耳元に囁いた。
「誰の娘か、……想像してみろよ。」
僕の言葉は、予想以上に効果があった。真顔になったタウが周りを見回し警戒した。僕よりも声を潜めて尋ね返した。
「……君は、知っていたのか。」
「知らない者が、ここにいるだろうか。」
僕の言葉は、決定的だった。タウにその夏一番の衝撃を与えたのだろう。歪曲して伝わった意味をタウは、後々まで引き摺った。
それでも、タウはその後も変わらない態度でデルタと話をした。意識して距離を保ったのは、僕の方だった。
夏の盛りも過ぎた静かな朝、アルファのもとに緊急電が届いた。二人の会話から漏れ聞こえたアンヌという見知らぬ名前の後に続く「……マルガリータ様は、ご存じでしょうか。」のデルタの言葉に僕は、余計な憶測を抱いてしまった。その様子に勘付いたイプシは、目配せした。僕の気持ちを宥めるように。
デルタが忙しく荷造りを急ぐ姿は、僕らを当惑させるのに十分だった。その時になって僕らは、アルファが社会人であり夏の休暇に訪れた立場なのを思い起こした。
車の助手席に乗り込んだアルファは、もう一度僕ら一人一人と握手を交わした。イプシが陽気に言った。
「これで我々は、共通の思い出を手に入れたわけだ。さよならは言わない。我らが、友よ。」
車の二人が微笑みを返す姿に僕は、自分が思い違いしているのに気付かされた。だからといって、あの夏に出会った二人の評価が僕の中で変わらなかった。寂しそうな表情のタウが、デルタの胸のペンダントを眺め再会の約束をした。
嵐のように立ち去った二人を見送った僕らは、暫く自失して海辺の町に続く道を眺めていた。
「……それで、今日の予定は何だった。」
イプシは、気が抜けたように尋ねた。誰一人、応えられなかった。入道雲が立ち上がる青い空の下を僕らは、無言で引き返した。
「それにしてもだ。ここにいる誰が、デルタを口説いた。」
イプシの話に力が戻っていた。
「これは、誰の罪だ。」
「これ以上僕らに、罰は必要なのか。」
僕は、彼の言葉を真正面から受けた。
「何がしたくて、何が出来たか。何をしなければならなかったか。それを考えるだけで忙しいだろう。」
「……これだから、良識ある世捨て人は難しい。次の夏まで、まだ時間がある。俺は悔い改めよう。お前らは、どうする?」
イプシが、少し苛立っていた。
僕らの足取りは重く惰性で足を運んだ。会話も長く続かなかった。
昼まで未だ少し時間があった。シータが昼食の用意をする様子が目に浮かんだ僕は、遠くの山の頂を眺めながら夢のような思い出を告白するように打ち明けた。
「小さい頃、あの山に登るのが憧れだった。未だに実現していないが。」
「珍しいな。君が昔話をするなんて。」
タウの気遣う言葉に舌打ちしたのは、イプシだった。
「お前は、今からでもいい。デルタを追いかけろ。告白できたらなら、お前を見直してやる。」
そのイプシの遠慮のない言葉にタウは、珍しく折れなかった。
「彼女は、大人だよ。僕らよりも、賢い。それに……。」
「だから何んだ。」
イプシも一歩も引かなかった。
「彼奴ほども俺らは、堕落していない……。」
「止めろよ。」
僕は、自分さえも否定する勢いで二人の間に入った。その迷いない言葉が驚かせ意外だったのだろう。二人は、目を合わせ言葉を納めた。
気が付くと、僕らは遠くの山に向かって歩き出していた。僕らの誰が信じていただろうか。あの山の頂まで辿り着けると。
「……おぃ、まさか。あの山頂の付近に古い船が漂着している、と言い出さないでくれよ。」
イプシは、思い付いた言葉が嬉しかったのだろう。僕らの表情を順番に確かめて同意を促した。少し含み笑いながら。
「何か言えよ。これでは、俺が道化師になってしまう。だろう?」
僕らは、歩き続けた。強く明るい日差しの下を黙々と。
乗り合いバスの停留所で立ち止まった。
「どうして、バスが通らない……。」
イプシが、時刻表を調べて天を仰いで悪態をついた。
「今日は、休日だった……、運休だ。俺たちに何処までも試練を与えるのか。」
「田舎では、珍しくもない。」
僕は、少し冷静さを取り戻していた。
「しかしだ。真夜中に片道バスが出るかもしれない。」
「面白い。気の利いた台詞に感謝する。」
イプシが、僕の笑えない冗談を冷やかした。タウは、肩を竦めただけで口を挟まなかった。二人は、その時になって車がないのを想い出した。酔っぱらったように僕らは笑った。
「……帰りのバスは、夜の最終便にしょう。」
イプシの提案にタウは、異論を唱えなかった。
僕は、その会話を聞きながら単車を置いて二人と共にバスに乗ろうかと思った。だが、直ぐに、シータの存在を忘れていたことに気付き独り苦笑した。
「おい、好からぬことを考えただろう。」
イプシは、僕の想いを看破するような視線を向け窘めた。
「女神を置き去りにするなよ。お前の本性を見せるのは、未だ早い。」
「タウなら送ってくれるだろう。」
「やはりな。孤独な伝道者よ。今は、自分の影に怯えるなかれ。」
「ここに残された今の僕らなら、そうなってしまうだろう。面白くないがな。」
僕は、そう言い返してからも躊躇っていた。
デルタが胸に掛けているペンダントの写真から推測したのだろう。些細なものにも気が付くタウらしかったが、僕はどうでもいいことだった。それでも、真剣なタウを少し揶揄いたくなった。身を寄せて耳元に囁いた。
「誰の娘か、……想像してみろよ。」
僕の言葉は、予想以上に効果があった。真顔になったタウが周りを見回し警戒した。僕よりも声を潜めて尋ね返した。
「……君は、知っていたのか。」
「知らない者が、ここにいるだろうか。」
僕の言葉は、決定的だった。タウにその夏一番の衝撃を与えたのだろう。歪曲して伝わった意味をタウは、後々まで引き摺った。
それでも、タウはその後も変わらない態度でデルタと話をした。意識して距離を保ったのは、僕の方だった。
夏の盛りも過ぎた静かな朝、アルファのもとに緊急電が届いた。二人の会話から漏れ聞こえたアンヌという見知らぬ名前の後に続く「……マルガリータ様は、ご存じでしょうか。」のデルタの言葉に僕は、余計な憶測を抱いてしまった。その様子に勘付いたイプシは、目配せした。僕の気持ちを宥めるように。
デルタが忙しく荷造りを急ぐ姿は、僕らを当惑させるのに十分だった。その時になって僕らは、アルファが社会人であり夏の休暇に訪れた立場なのを思い起こした。
車の助手席に乗り込んだアルファは、もう一度僕ら一人一人と握手を交わした。イプシが陽気に言った。
「これで我々は、共通の思い出を手に入れたわけだ。さよならは言わない。我らが、友よ。」
車の二人が微笑みを返す姿に僕は、自分が思い違いしているのに気付かされた。だからといって、あの夏に出会った二人の評価が僕の中で変わらなかった。寂しそうな表情のタウが、デルタの胸のペンダントを眺め再会の約束をした。
嵐のように立ち去った二人を見送った僕らは、暫く自失して海辺の町に続く道を眺めていた。
「……それで、今日の予定は何だった。」
イプシは、気が抜けたように尋ねた。誰一人、応えられなかった。入道雲が立ち上がる青い空の下を僕らは、無言で引き返した。
「それにしてもだ。ここにいる誰が、デルタを口説いた。」
イプシの話に力が戻っていた。
「これは、誰の罪だ。」
「これ以上僕らに、罰は必要なのか。」
僕は、彼の言葉を真正面から受けた。
「何がしたくて、何が出来たか。何をしなければならなかったか。それを考えるだけで忙しいだろう。」
「……これだから、良識ある世捨て人は難しい。次の夏まで、まだ時間がある。俺は悔い改めよう。お前らは、どうする?」
イプシが、少し苛立っていた。
僕らの足取りは重く惰性で足を運んだ。会話も長く続かなかった。
昼まで未だ少し時間があった。シータが昼食の用意をする様子が目に浮かんだ僕は、遠くの山の頂を眺めながら夢のような思い出を告白するように打ち明けた。
「小さい頃、あの山に登るのが憧れだった。未だに実現していないが。」
「珍しいな。君が昔話をするなんて。」
タウの気遣う言葉に舌打ちしたのは、イプシだった。
「お前は、今からでもいい。デルタを追いかけろ。告白できたらなら、お前を見直してやる。」
そのイプシの遠慮のない言葉にタウは、珍しく折れなかった。
「彼女は、大人だよ。僕らよりも、賢い。それに……。」
「だから何んだ。」
イプシも一歩も引かなかった。
「彼奴ほども俺らは、堕落していない……。」
「止めろよ。」
僕は、自分さえも否定する勢いで二人の間に入った。その迷いない言葉が驚かせ意外だったのだろう。二人は、目を合わせ言葉を納めた。
気が付くと、僕らは遠くの山に向かって歩き出していた。僕らの誰が信じていただろうか。あの山の頂まで辿り着けると。
「……おぃ、まさか。あの山頂の付近に古い船が漂着している、と言い出さないでくれよ。」
イプシは、思い付いた言葉が嬉しかったのだろう。僕らの表情を順番に確かめて同意を促した。少し含み笑いながら。
「何か言えよ。これでは、俺が道化師になってしまう。だろう?」
僕らは、歩き続けた。強く明るい日差しの下を黙々と。
乗り合いバスの停留所で立ち止まった。
「どうして、バスが通らない……。」
イプシが、時刻表を調べて天を仰いで悪態をついた。
「今日は、休日だった……、運休だ。俺たちに何処までも試練を与えるのか。」
「田舎では、珍しくもない。」
僕は、少し冷静さを取り戻していた。
「しかしだ。真夜中に片道バスが出るかもしれない。」
「面白い。気の利いた台詞に感謝する。」
イプシが、僕の笑えない冗談を冷やかした。タウは、肩を竦めただけで口を挟まなかった。二人は、その時になって車がないのを想い出した。酔っぱらったように僕らは笑った。
「……帰りのバスは、夜の最終便にしょう。」
イプシの提案にタウは、異論を唱えなかった。
僕は、その会話を聞きながら単車を置いて二人と共にバスに乗ろうかと思った。だが、直ぐに、シータの存在を忘れていたことに気付き独り苦笑した。
「おい、好からぬことを考えただろう。」
イプシは、僕の想いを看破するような視線を向け窘めた。
「女神を置き去りにするなよ。お前の本性を見せるのは、未だ早い。」
「タウなら送ってくれるだろう。」
「やはりな。孤独な伝道者よ。今は、自分の影に怯えるなかれ。」
「ここに残された今の僕らなら、そうなってしまうだろう。面白くないがな。」
僕は、そう言い返してからも躊躇っていた。