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文字数 2,076文字
数日が過ぎた夕暮れ間際に、深い海のような藍色の車で彼らは到着した。運転していたのは、母親世代よりも少し若い大人の女性だった。若い頃の美貌が窺える端正な顔立ちで身の熟しも洗練されていた。寂しく微笑む姿が痛々しく思えたからか、僕は距離を置いてしまった。初対面の挨拶をぎこちなく交わし、僕らはあの夏にデルタと知り合った。デルタの希薄な存在感に戸惑いながらもアルファを庇護する親に似た優しさが感じ取れた。デルタは、最初から滞在する気持ちがなかったのかもしれない。僕が連れて来ていたシータを見て安心したようだった。
僕が知り合ったばかりのシータを連れて来ているのを目にしたイプシは、僕を庭の外れまで引張った。
「……まったく、お前は何がしたいのだ。」
最初イプシは、真剣に声を荒げて咎めた。それでも直ぐにいつもの皮肉な調子に戻った。
「夏を急ぐ必要があるように見えないが……。」
「あの娘となら、この夏を楽しく過ごせる。」
僕が言い訳をしないのは、予測していたのだろう。それでもイプシは、僕の気取らない言葉に呆れたのか天を仰いで尋ねた。
「……どこから、連れてきた。この村の娘ではないだろう。」
「入江の店で知り合って、砂浜で仲良くなった。」
僕は、ありのままを隠さずに伝えた。イプシの呟きが、祈りのような呪文に聞こえて滑稽だった。笑いを堪えて僕は、尋ねた。
「誰のための祈りかな?」
「おおぉ……。これが呪詛に聞こえないのは、お前の気持ちがこの海辺に戻ってから揺らいでいるからではないのか。」
イプシの大袈裟な言葉に笑えた僕は、諭すように付け加えた。
「あの娘の将来も祈ってくれよ。」
「まぁ、いい、許す。……それより、デルタをどう見る。」
イプシは、真顔に戻り話題を変えて尋ねた。アルファが妙齢の美しい淑女を伴っているのを知った僕の感想を期待した。少し迷う素振りの僕の返事を待たずに、イプシは勝ち誇ったように宣誓した。
「奴は、素晴らしい。やはり彼奴は、堕落している。単なる馬鹿ではないな。お前も認めるだろう。」
「燥ぐなよ。君の想定内だろう。」
僕は、静かに語った。
「彼の母親だと紹介されても驚かなかった。」
イプシの本気の笑いで僕も少し気持ちが楽になった。獣のような眼光を宿してイプシは、僕に言った。
「お前は、どこまでも人間嫌いだな。人に背を向けた物言いをする。それが面白いが、……まだまだだな。」
「生身だからな。」
僕は、抜けめなく答えた。
「それに、僕らは若い。」
「それが解っているなら、我々は、まだまだこの夏を楽しめる。」
イプシは、嬉しそうに両手を叩き合わせて天を仰ぎ見た。ミューの舞台の話題が出ないのが、僕には救いだった。意図してのことだったとしても。
その夜は、庭に食卓を持ち出して外で焚き木を囲んでの食事になった。月明りの下で僕らは、陽気に語り合った。老人が作る葡萄酒の美味しさは、僕らの気持ちを盛り上げた。好い思い出として残ったからか、季節が廻っても葡萄酒は僕らの中で夏の記憶と共に話題になった。
シータとデルタは、意外にもすぐに仲良くなった。親子ほど歳が離れていた二人に共通の話題があるように思えなかった。無口な二人が、何事かを語り笑い合っているのが気に掛かったのは僕だけだったのだろうか。
イプシとアルファは、夕食をほとんど口にしないで酒を酌み交わしながら新聞の話題で議論を深めていた。二人ならひと夏でも酒を飲み話し続けるだろう。結論を急がない二人の会話は、広く浅く続いた。
タウからパイを田舎に誘った話を聞かされて僕は心の中で失笑した。パイのもっともらしい言い訳が予測できた。
「この場所が何処にあるのかさえ興味がない妹が口にした、御大層な理由を聞かせてくれ。」
「……そうなのか。」
タウは、僕の皮肉に軽く驚き話した。
「夏期講習が終われば、ミューさんと追いかけるからって云っていたよ。」
「賭けてもいい。妹は、来ない。」
僕は、パイが誠実に語って見せた言葉を否定した。しかし、直ぐに思い直して深く溜息をついた。二人が姿を現したなら、どのような言い訳を並べて歓迎するだろうかと、僕は自分の姿を想像した。
『……道化を演じなければならないのか。それとも、悲壮感を持って憂鬱に笑うか。』
そう考えればシータを伴って来ていることが、結果として面白く思えた。僕は、自嘲するかのように付け加えた。
「それでも、ここを訪れる妹の姿を見てみたい気持ちはあるよ。」
「おぃおぃ……、君ら兄妹、仲が悪いのか。」
タウは、僕の言葉に呆れた。
「そうなら、先に言っておいてくれよ。厄介ごとは御免だからな。……似た者に見えるけど。」
「硬貨の裏表のような兄妹だ。」
僕の表現は、正確に伝わったのだろうか。タウの苦笑する姿を見れば理解したようにも思えた。僕は、率直に告げた。
「そういうことだから、僕に遠慮はいらない。君の勇気は尊敬に値する。」
「……善い妹さんじゃないか。君よりも判りやすいし、それに真っ直ぐだよ。」
タウは、パイを擁護した。
僕が知り合ったばかりのシータを連れて来ているのを目にしたイプシは、僕を庭の外れまで引張った。
「……まったく、お前は何がしたいのだ。」
最初イプシは、真剣に声を荒げて咎めた。それでも直ぐにいつもの皮肉な調子に戻った。
「夏を急ぐ必要があるように見えないが……。」
「あの娘となら、この夏を楽しく過ごせる。」
僕が言い訳をしないのは、予測していたのだろう。それでもイプシは、僕の気取らない言葉に呆れたのか天を仰いで尋ねた。
「……どこから、連れてきた。この村の娘ではないだろう。」
「入江の店で知り合って、砂浜で仲良くなった。」
僕は、ありのままを隠さずに伝えた。イプシの呟きが、祈りのような呪文に聞こえて滑稽だった。笑いを堪えて僕は、尋ねた。
「誰のための祈りかな?」
「おおぉ……。これが呪詛に聞こえないのは、お前の気持ちがこの海辺に戻ってから揺らいでいるからではないのか。」
イプシの大袈裟な言葉に笑えた僕は、諭すように付け加えた。
「あの娘の将来も祈ってくれよ。」
「まぁ、いい、許す。……それより、デルタをどう見る。」
イプシは、真顔に戻り話題を変えて尋ねた。アルファが妙齢の美しい淑女を伴っているのを知った僕の感想を期待した。少し迷う素振りの僕の返事を待たずに、イプシは勝ち誇ったように宣誓した。
「奴は、素晴らしい。やはり彼奴は、堕落している。単なる馬鹿ではないな。お前も認めるだろう。」
「燥ぐなよ。君の想定内だろう。」
僕は、静かに語った。
「彼の母親だと紹介されても驚かなかった。」
イプシの本気の笑いで僕も少し気持ちが楽になった。獣のような眼光を宿してイプシは、僕に言った。
「お前は、どこまでも人間嫌いだな。人に背を向けた物言いをする。それが面白いが、……まだまだだな。」
「生身だからな。」
僕は、抜けめなく答えた。
「それに、僕らは若い。」
「それが解っているなら、我々は、まだまだこの夏を楽しめる。」
イプシは、嬉しそうに両手を叩き合わせて天を仰ぎ見た。ミューの舞台の話題が出ないのが、僕には救いだった。意図してのことだったとしても。
その夜は、庭に食卓を持ち出して外で焚き木を囲んでの食事になった。月明りの下で僕らは、陽気に語り合った。老人が作る葡萄酒の美味しさは、僕らの気持ちを盛り上げた。好い思い出として残ったからか、季節が廻っても葡萄酒は僕らの中で夏の記憶と共に話題になった。
シータとデルタは、意外にもすぐに仲良くなった。親子ほど歳が離れていた二人に共通の話題があるように思えなかった。無口な二人が、何事かを語り笑い合っているのが気に掛かったのは僕だけだったのだろうか。
イプシとアルファは、夕食をほとんど口にしないで酒を酌み交わしながら新聞の話題で議論を深めていた。二人ならひと夏でも酒を飲み話し続けるだろう。結論を急がない二人の会話は、広く浅く続いた。
タウからパイを田舎に誘った話を聞かされて僕は心の中で失笑した。パイのもっともらしい言い訳が予測できた。
「この場所が何処にあるのかさえ興味がない妹が口にした、御大層な理由を聞かせてくれ。」
「……そうなのか。」
タウは、僕の皮肉に軽く驚き話した。
「夏期講習が終われば、ミューさんと追いかけるからって云っていたよ。」
「賭けてもいい。妹は、来ない。」
僕は、パイが誠実に語って見せた言葉を否定した。しかし、直ぐに思い直して深く溜息をついた。二人が姿を現したなら、どのような言い訳を並べて歓迎するだろうかと、僕は自分の姿を想像した。
『……道化を演じなければならないのか。それとも、悲壮感を持って憂鬱に笑うか。』
そう考えればシータを伴って来ていることが、結果として面白く思えた。僕は、自嘲するかのように付け加えた。
「それでも、ここを訪れる妹の姿を見てみたい気持ちはあるよ。」
「おぃおぃ……、君ら兄妹、仲が悪いのか。」
タウは、僕の言葉に呆れた。
「そうなら、先に言っておいてくれよ。厄介ごとは御免だからな。……似た者に見えるけど。」
「硬貨の裏表のような兄妹だ。」
僕の表現は、正確に伝わったのだろうか。タウの苦笑する姿を見れば理解したようにも思えた。僕は、率直に告げた。
「そういうことだから、僕に遠慮はいらない。君の勇気は尊敬に値する。」
「……善い妹さんじゃないか。君よりも判りやすいし、それに真っ直ぐだよ。」
タウは、パイを擁護した。