文字数 2,073文字

 真夜中を過ぎても店は、賑わっていた。生演奏の合間で、笑い声と話声だけが広がっていた。
 席に着くと、僕らは一気に強い酒をあおった。僕らの中で話は深く鋭くなった。三杯目の酒杯を飲み干して僕は、少し落ち着くことが出来た。
 「ここまで来たのは、正しい選択だったか……?」
 イプシが、何度か言葉を変えて僕らに答えを促した。僕は聞こえないふりを続けた。タウも窓の外に浮かぶ対岸の街の明かりを眺めていた。
 楽団が緩やかに演奏を再開した。その懐かしい曲は、高校の卒業間際にミューと踊った記憶があるものだった。ミューから誘われて店に赴いた夜、細い腰を抱き踊りながら、香水の向こうに隠れる彼女の過去を探していたからだろうか。ミューの春からの計画を聞かされたが、気の利いた言葉も返せなかった。あの頃の僕は、都会の学生生活の思いに気持ちが移っていた。そんな浮ついた僕をミューは、憐れむわけでもなくいつものように穏やかに言葉を選んで語った。僕と違って、堅実な彼女は足元が見えていたのだろう。
 僕が思い出に浸っていると、イプシが大袈裟な身振りで僕らを誘った。
 「男三人で踊って見せれば、後の世まで話題になる。……そうだろう、同士諸君。」
 「ここに来てから、初めて君の真面目な提案を聞けたな。やはり、僕らには酔う理由が必要だった。」
 僕は、酒の勢いに任せて言い放つと、イプシと共にタウの腕を掴んだ。僕の言葉も行動もタウを怯えさせた。二人に腕を捕られてホールの中央に向かうタウは、酔っていながらも悲壮感を漂わせていた。
 「待てよ……。知り合いがいるかもしれない。君の家がある町じゃないか。故郷で愚かな真似はできないだろう。」
 タウは、本気になって力を使い僕らの行動を引き留めようとした。僕は、その言葉で酔いが醒めてしまった。タウが酔っていても少しだけ冷静ななのが疎ましかった。
 「おお……、迷いたいのか。」
 イプシは、天を仰ぎ頭を抱えた演技で嘆いてみせた。険悪な雰囲気の僕らの輪に女性の声が届いた。
 「……楽しそうですね。 」
 声をかけてきたのは、母の知り合いで何度か見かけたことがあった。フィーという名前と店を幾つか持つ実業家としてしか覚えていなかった。
 「貴男のお母様から絵葉書が届きましたよ。」
 フィーは、軽く酔っていたが穏やかだった。近くで見るとまだ若かった。それでも、朝まで騒ぐには、歳を取り過ぎているように思えた。親世代の背丈の低い中年男と若い娘を伴っていた。紹介が済むと、カッパと名乗った中年男は、力強く握手を返してカイの知り合いだと改めて付け足した。
 「俺は、彼奴から君の話を聞いたことがあるよ。」
 カッパは、豪快に笑い酒を勧めた。
 「泳ぎが得意だと聞いた。ひと夏を海で過ごせるのは、若いからだ。羨ましいね。」
 直線的な話し方をしたが、悪い人間でなかった。駆け引きをしない生き様は、青年のまま歳を重ねた者が持つ力強さを備えていた。カイと気が合いそうにない性格が不思議に思えた。
 カッパは、昨日の昼間にカイを駅まで送った話を始めた。カイが仕事の合間にこの海辺を訪れる身軽さに羨望しているようだった。
 「天候が悪かろうが、自分の体調が悪かろうが、時間をつくって必ず訪れる。それで昔、彼奴に理由を聞いたことがあるんだ。何だったと思う。」
 「……片思いの人がいるのでしょう。」
 僕の臆しない答えが面白かったのか、カッパは小さな目を輝かせて陽気に話し始めた。
 「最初は、そうだった。しかしな、或る日を境に変わったよ。」
 僕の興味は他に移っていたが、学生でも酒の席の年上の話を聞くだけの分別は持っていた。
 「彼奴は、【女神の降臨を観た】と言った。……笑っちゃいけない。」
 カッパは、真面目に続けた。
 「彼奴の行動は真剣だった。来る日も来る日も、早朝の浜辺を散策した。」
 僕は、夏の怪談を聞く思いがした。話を終わらせようと、さり気無く確かめた。
 「カイさんは、今でも信じていらっしゃるのですね。」
 フィーが静かに観察しているのを、その時の僕は気付けなかった。

 カッパの車に六人が乗り込んだ。岬の別荘地に向かう車中から始まったイプシとカッパの論争は、別荘の居間に移っても熱く続いた。タウがフィーと酒の上とはいえ話が合うのは、予測できた。姉に接するような気軽さで学生生活を語っていた。タウの生まれ育った家庭環境が、人懐っこい性格を形成しているからなのだろう。その姿は自然で飾り気がなく見ていても疲れなかった。卒なく女性と接するタウの様子を見る度に僕は、安堵感と共に少しの羨望を抱いた。
 フィーの別荘に滞在しているカッパと若い娘との関係に興味はなかった。会話の途中で黙り込むような娘だった。僕は、最後までカッパが彼女に使う愛称でしか覚えられなかった。二人の都会での様子を想い描くのは容易かった。おそらくは、眉を顰めて人の噂に上る結末が用意されているようにも思えた。
 娘は、何時の間にか自分の部屋に姿を消してしまった。
 居間に流れる昔の音楽を聴きながら僕は、独り物思いに耽っていた。
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