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文字数 2,314文字
森は、予想するよりも深かった。高い木々の枝葉に遮られ陽が射し込まず薄暗く湿っていた。苔生した古い石畳は、所々で分かれ道になっていた。
「涼しくていいが、意図的な道の配置を感じるな。」
イプシが、真っ先に感想を言い出した。僕も同じ見解だった。
「……これでは、まるで迷路だ。何を隠したいんだ。」
その言葉に誰も笑えなかった。
僕らは、その奥深い森で迷っていた。最初は余裕があって軽口を交わしていたが、歩き疲れ無口になった。イプシが自分を問い質すような口調で呟いた。
「もしかして……、迷ったか。」
耳を澄ませても伝わってくるのは、木々の葉先を撫で擦る風の渡る音だけだった。イプシが強がって語った。
「……これで、いよいよ楽しめる。出でよ、森の守精よ。我らに試練を。」
「独りでなかったのは、幸いだ。僕らは、無垢だからな。」
僕は、二人に同意を求めた。イプシの瞳が泳いでいた。警戒するタウの声が、僕らを窘めた。
「今は……、冗談を口にしない方がいい。」
次の瞬間、禍々しい気配が伝わりに僕らは身構えた。仄暗い木々の向こうから人影が浮遊するように現れた。女主が、純白の衣装に窶した出で立ちに僕らは凍り付いた。
「……あら、まさかと思いましたが。」
女主は、驚いた素振りも見せなかった。
「迷っていらしたのね。」
「探しに来てくれたのですか。」
タウは、泣き出しそうな声で感謝を伝えた。女主の哀れむような視線が僕らに失態の重大さを教えていた。
「彼は、教えなかったのですか。この森の迷路は、立体的なのですよ。」
その後に続く女主の言葉は、僕らを怯えさせた。
「最近、行方不明の方がでました。」
深い沈黙が流れた。女主は、花籠を下げていた。僕の視線に気付き話した。
「……これですか。お供えです。」
少し進んだ先に、朽ち果てそうな古い墓石が立っていた。僕らは、何も見えていなかった。女主が、籠の花を供えた。軽く頭を垂れて祈りを捧げた。その自然な姿に僕は、引き込まれた。
「……さぁ、帰りましょう。」
女主は、そう言って先に立った。墓石の謂れを話さなかった。女主の後に付き従う僕らは、迷える子羊のように猜疑心に憑りつかれていた。僕は、女主の後ろ姿に遠い記憶の淵に埋没した想いを重ねているのに気付いた。その時は思い出せなかったが。大切な出逢いをしていたのだった。
湖水の傍に出ると、岸辺を廻り館に辿り着いた。陽が傾き夕刻に近付いていた。
「ここまで戻れば、大丈夫ですね。」
そう言い残して女主は、先に館に向かった。見送った後、僕らは小さく安堵の溜息を零した。
「……俺らは、どこから帰還したのだ。」
イプシが、自嘲するように呟いた。
「異世界か。あれが、あの世か。」
僕は、肩を竦めて見せた。館に入るまで押し黙ったままのタウが、少しばかり冷静で利口だったのかもしれない。
その夜、館で泊まることになった。
遅い晩餐に現れた女主の姿は、怯えさせるほどに艶やかだった。黒と赤の夜会服は、古き時代から抜け出して来たかのように威厳に満ちていた。その優雅な所作と共に僕の記憶に深く刻まれた。僕らも用意された礼装に着替えて席に着いた。
イプシは、どこまでも楽しみ、タウは、困惑しながらも成り行きに身を任せ、僕は、余裕を失わないように集中した。
今思えば、意味深い席の配置をしていた。長い食卓の正面に女主が座り、真向いがアルファだった。僕ら三人は、片側に並び席が用意された。会話は、隣同士で続いた。女主は、右隣のイプシを相手に機知にとんだ会話を重ねた。タウの生真面目な話を僕は受け応えながら、アルファが独り物静かに食事をする様子を目の端に捉えていた。
長い晩餐の後、アルファと女主が踊った。僕らは、前世紀の不思議な光景を目撃するかのように二人の演舞を眺めていた。
「……凄いな。いゃ……、何だ。」
珍しくイプシが、自分の言葉に迷っていた。僕は、余裕を見せようと平然に強がった。
「だから、面白いのだろう。」
「面白い。それは認める。」
イプシの感想は、周りを困惑させた。
「だがな。これでは、我々が観客にされている。」
「見届け人で、いいじゃないか。」
僕の言葉に、タウが顔を向けて何か言いたそうにした。イプシは、その行動を制して言った。
「そうか……、なるほど。やはり、お前は冷静だな。よく物事が見えている。」
テラスを隔てる硝子扉が並ぶ前で前で踊る二人の姿は、僕らを魅惑させながらも不可解な感傷を覚えさせた。
「もしも、この場で彼が刺されたら。」
イプシが、皮肉交じりに囁いた。
「拍手を送ればいいのかな。」
何時もの調子が戻ったイプシは、僕に尋ね確かめた。
「嫉妬、恨み、怒り、悲しみ、戸惑い、……僕らは、何を見せられている?」
「性格が合わないだけだろう。先ずは、それだな。」
僕は、そう言い切った。踊る二人が、従兄姉妹であるのを不確かながら予測して理解しながら。
「愛のカタチの、一つかもしれない。そう考えれば、面白いし。自然だ。」
「同意しかねるが、反論はしないでおく……。まったく、どこまでもお前は屈折しているな。」
イプシの半ば呆れる言葉は、僕の想いの中に埋もれた。
僕らの細やかな議論に入らずにタウは、感動して二人が踊る姿を目で追っていた。僕らが期待するように進まなかった。二人が踊終わり戻ってくると、イプシが真っ先に立ち上がり拍手で迎えた。
「一生の好き思い出になりました。」
鷹揚な称賛の物言いに、女主は受けた。
「楽しんでいただけた御様子、何よりです。」
それから、二階の広いテラスに場所を移して月明りの下で夜半近くまで過ごした。
「涼しくていいが、意図的な道の配置を感じるな。」
イプシが、真っ先に感想を言い出した。僕も同じ見解だった。
「……これでは、まるで迷路だ。何を隠したいんだ。」
その言葉に誰も笑えなかった。
僕らは、その奥深い森で迷っていた。最初は余裕があって軽口を交わしていたが、歩き疲れ無口になった。イプシが自分を問い質すような口調で呟いた。
「もしかして……、迷ったか。」
耳を澄ませても伝わってくるのは、木々の葉先を撫で擦る風の渡る音だけだった。イプシが強がって語った。
「……これで、いよいよ楽しめる。出でよ、森の守精よ。我らに試練を。」
「独りでなかったのは、幸いだ。僕らは、無垢だからな。」
僕は、二人に同意を求めた。イプシの瞳が泳いでいた。警戒するタウの声が、僕らを窘めた。
「今は……、冗談を口にしない方がいい。」
次の瞬間、禍々しい気配が伝わりに僕らは身構えた。仄暗い木々の向こうから人影が浮遊するように現れた。女主が、純白の衣装に窶した出で立ちに僕らは凍り付いた。
「……あら、まさかと思いましたが。」
女主は、驚いた素振りも見せなかった。
「迷っていらしたのね。」
「探しに来てくれたのですか。」
タウは、泣き出しそうな声で感謝を伝えた。女主の哀れむような視線が僕らに失態の重大さを教えていた。
「彼は、教えなかったのですか。この森の迷路は、立体的なのですよ。」
その後に続く女主の言葉は、僕らを怯えさせた。
「最近、行方不明の方がでました。」
深い沈黙が流れた。女主は、花籠を下げていた。僕の視線に気付き話した。
「……これですか。お供えです。」
少し進んだ先に、朽ち果てそうな古い墓石が立っていた。僕らは、何も見えていなかった。女主が、籠の花を供えた。軽く頭を垂れて祈りを捧げた。その自然な姿に僕は、引き込まれた。
「……さぁ、帰りましょう。」
女主は、そう言って先に立った。墓石の謂れを話さなかった。女主の後に付き従う僕らは、迷える子羊のように猜疑心に憑りつかれていた。僕は、女主の後ろ姿に遠い記憶の淵に埋没した想いを重ねているのに気付いた。その時は思い出せなかったが。大切な出逢いをしていたのだった。
湖水の傍に出ると、岸辺を廻り館に辿り着いた。陽が傾き夕刻に近付いていた。
「ここまで戻れば、大丈夫ですね。」
そう言い残して女主は、先に館に向かった。見送った後、僕らは小さく安堵の溜息を零した。
「……俺らは、どこから帰還したのだ。」
イプシが、自嘲するように呟いた。
「異世界か。あれが、あの世か。」
僕は、肩を竦めて見せた。館に入るまで押し黙ったままのタウが、少しばかり冷静で利口だったのかもしれない。
その夜、館で泊まることになった。
遅い晩餐に現れた女主の姿は、怯えさせるほどに艶やかだった。黒と赤の夜会服は、古き時代から抜け出して来たかのように威厳に満ちていた。その優雅な所作と共に僕の記憶に深く刻まれた。僕らも用意された礼装に着替えて席に着いた。
イプシは、どこまでも楽しみ、タウは、困惑しながらも成り行きに身を任せ、僕は、余裕を失わないように集中した。
今思えば、意味深い席の配置をしていた。長い食卓の正面に女主が座り、真向いがアルファだった。僕ら三人は、片側に並び席が用意された。会話は、隣同士で続いた。女主は、右隣のイプシを相手に機知にとんだ会話を重ねた。タウの生真面目な話を僕は受け応えながら、アルファが独り物静かに食事をする様子を目の端に捉えていた。
長い晩餐の後、アルファと女主が踊った。僕らは、前世紀の不思議な光景を目撃するかのように二人の演舞を眺めていた。
「……凄いな。いゃ……、何だ。」
珍しくイプシが、自分の言葉に迷っていた。僕は、余裕を見せようと平然に強がった。
「だから、面白いのだろう。」
「面白い。それは認める。」
イプシの感想は、周りを困惑させた。
「だがな。これでは、我々が観客にされている。」
「見届け人で、いいじゃないか。」
僕の言葉に、タウが顔を向けて何か言いたそうにした。イプシは、その行動を制して言った。
「そうか……、なるほど。やはり、お前は冷静だな。よく物事が見えている。」
テラスを隔てる硝子扉が並ぶ前で前で踊る二人の姿は、僕らを魅惑させながらも不可解な感傷を覚えさせた。
「もしも、この場で彼が刺されたら。」
イプシが、皮肉交じりに囁いた。
「拍手を送ればいいのかな。」
何時もの調子が戻ったイプシは、僕に尋ね確かめた。
「嫉妬、恨み、怒り、悲しみ、戸惑い、……僕らは、何を見せられている?」
「性格が合わないだけだろう。先ずは、それだな。」
僕は、そう言い切った。踊る二人が、従兄姉妹であるのを不確かながら予測して理解しながら。
「愛のカタチの、一つかもしれない。そう考えれば、面白いし。自然だ。」
「同意しかねるが、反論はしないでおく……。まったく、どこまでもお前は屈折しているな。」
イプシの半ば呆れる言葉は、僕の想いの中に埋もれた。
僕らの細やかな議論に入らずにタウは、感動して二人が踊る姿を目で追っていた。僕らが期待するように進まなかった。二人が踊終わり戻ってくると、イプシが真っ先に立ち上がり拍手で迎えた。
「一生の好き思い出になりました。」
鷹揚な称賛の物言いに、女主は受けた。
「楽しんでいただけた御様子、何よりです。」
それから、二階の広いテラスに場所を移して月明りの下で夜半近くまで過ごした。