四十七夜 〝月震〟って知ってる?

文字数 4,001文字

「大広間を含む屋敷を、わたしたちは本殿(ほんでん)って呼んでるわ」

 (あおい)(かつら)に連れられて、敷地内を歩いていた。改めて案内され、葵は敷地の広さに驚く。黒塗りの木塀で囲まれた範囲は歩いた感覚として、端から端まで四、五十メートルはありそうだった。但し、敷地は矩形ではないので最長で、ということになるが。
 昨日、葵が入ってきた門からすぐに、桂が言う〝本殿〟がある。本殿には教団の事務所代わりの部屋と厨房、信者達が食事を取るための部屋。その他にも二部屋ほど和室があり、どれも広い。

 また玄関を入って右には深山たちの居住部屋があった。
 そして離れとして、短い渡り廊下で繋がった大広間がある。これだけでも、葵にとっては見たことのないくらいの大きさの〝家〟と言えた。
 敷地内には他に葵たちのように他の信者が寝泊まりする宿坊が二棟。古い蔵が庭の奥に一棟建っていた。

 宿坊の方は総二階の和風建築で、男女別になっている。部屋の割り当ては通常、六畳和室を二人に割り当てる形で使われていた。葵は四畳半の和室を一人で使わせてもらっているが、その狭さが心地よいと思う程度には庶民だ。

「宿坊の方はもともと蔵があったのを壊して建て替えたみたいね。奥にある蔵はその残りよ」

 桂が説明してくれる。敷地内の建物は本殿と宿坊の三棟。それと古い蔵が一棟。どれもそれなりに大きい建物だが、その四棟があって尚、十分広いと言える庭園がある。更に奥には庭木をいくつも植えた、ちょっとした林まであった。二人は庭園の方に立っていた。

「思ってたより、信者の数が少ないのは、宿坊に入り切らないからですか?」

 朝のお祈りを思い出して、葵が言った。朝、大広間に集まったのは葵を含め二十人ほど。葵と桂が個室を使っているとして、ギリギリ収容できる人数だろうか。
 教祖の行う病を治すという奇跡を考えると、信者の数は少ないと言えた。

「昔はもう少しいたらしいわ」
「もう少し?」
「ある日、いきなりやめていく人もいるんだって。宣伝もしてないし、『来る者は拒まず。去る者は追わず』がこの教団の基本方針ね」
「いま時ホームページもないんですよね」
「そう。紫雲(しうん)さまのお考えらしいわ。あまり目立たない方がいいって」

 桂の言葉に、葵は首をかしげる。新興宗教というと教祖が大きな権力を持っていることが多い。しかし葵の持って来た紹介状が紫雲宛だったことといい、昨日たまたま聞いた深山(しんざん)と紫雲の会話といい、この教団では紫雲が大きな力を持っているのかもしれない。

「でも〝月の癒し〟で病を治してしまうと、目立つんじゃ……?」

 葵は以前に調査した新興宗教のことを思い出していた。そこは教祖に奇跡を行う力があると偽っている、人心掌握に長けたいわゆるカルト集団だった。その宗教団体の信者は〝月の祝福〟教団よりも遙かに多い。
 葵が渡された資料を読んだ限りでは、深山の行う〝月の癒し〟によって実際に病が治ったという人間は多数いる。それが例え〝月の贈り物(ギフト)〟によるものだとしても、普通の人間には神の奇跡と見えるだろう。それなのに、思ったほど話題になっていない。

「〝月の癒し〟を受けるには紹介がいるの。それも紫雲さまが認めた人からのね」
「……ずいぶんと、慎重なんですね。まるで誰かに知られるのを恐れているみたい」

 葵は桂の顔をじっと見つめて言う。その様子は彼女の表情の変化を何一つ見逃すまいとしているようだ。

「そういうわけじゃないと思うわよ」

 しかし桂はそれを気にした様子はない。葵に向けて屈託なく笑ってみせる。

「深山さまはね、満月を含む、前後三日の間しか〝月の癒し〟を行えないのよ。それも月明かり――月の歌がはっきりと聞こえていないと駄目なの」
「え?」

 桂の思いがけない言葉に、葵は驚きの表情を浮かべる。

「普段は〝月の癒し〟が出来ないのですか?」

 葵は深山と紫雲の会話を思い出す。そう言えば紫雲は「〝月の癒し〟に制限がある」と言っていなかったか。

「できないことはないみたいだけど、確実に〝月の癒し〟を行うには条件があるみたいね。深山さまは、ご自分の月長石(ムーンストーン)を持っておられないから」
月長石(ムーンストーン)を?」

 深山が〝月の癒し〟を行う為に月の満ち欠けが関係しているのなら、その力は〝月の贈り物(ギフト)〟と考えて間違いないだろう。しかし〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟が自分の月長石(ムーンストーン)を持っていないというのは、葵にとって初耳だった。

「ああ、いきなり月長石(ムーンストーン)とか言っても、(たちばな)さんには分からないわよね」

 葵が発した言葉の真意を、桂は勘違いしたらしかった。

「月の歌が聴けるようになるとね、不思議な力を使えるようになるのよ。それを紫雲さまは〝月の贈り物(ギフト)〟って呼んでいたわ。深山さまと百合(ゆり)さまは、〝月の祝福〟って言ってたかな」

月に捕らわれし者(ルナティック)〟は月の歌を聴くことで〝月の贈り物(ギフト)〟を受け取り、その力を行使する。そして月の歌とは月光そのものだ。だから〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟は満月になるほどその力を増す。
 逆に言えば、月明かりのない昼間や新月ではその力は格段に落ちる。場合によっては〝月の贈り物(ギフト)〟を使えなくなるほどに。だからこそ、〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟は月長石(ムーンストーン)を使って月の光を溜め、どんな状況であっても〝月の贈り物(ギフト)〟が使えるように備えていることが多い。

「月の歌に左右されるからこそ、普通は自分の月長石(ムーンストーン)を持っている……ってことらしいわ。まぁ、紫雲さまの受け売りだけどね」

 月長石(ムーンストーン)についてひと通りの説明をした後、桂はそう付け加えた。葵は今の話を心の中で反芻する。桂の言葉が正しければ紫雲と深山、そして娘の百合は〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟で間違いないだろう。そして――

「桂さんも、その……〝月の贈り物(ギフト)〟を?」

 葵は桂の右耳にあるピアスへと目を向ける。ピアスは片耳にしかしていないが、しずく型の月長石(ムーンストーン)をあしらったものだ。視線に気づいたのか、桂が右耳へと手を添える。
「ええ。わたしのは……ちょっと見てて」

 そう言って、桂は庭の片隅へとしゃがんでみせた。その先に秋桜(コスモス)が群生している。桂は秋桜のうち、まだ咲いていない蕾へと手をかざした。
 桂のピアスについている月長石(ムーンストーン)が光り始める。まだ明るいため目立たないが、確かに自ら光っていた。

「あ……」

 葵が思わず声を上げた。蕾だった秋桜の花弁が開き始めたのだ。そして数秒もしないうちに綺麗に咲く。

「驚いた?」

 桂は立ち上がると葵に微笑んでみせる。それは本当に自然で、柔らかな笑顔だった。葵は思わず見とれてしまう。

「……他の方もそれぞれ〝月の贈り物(ギフト)〟を使われるんですか?」

 少しでも情報を引き出さないといけない。あまりに無防備な桂の様子に罪悪感を覚えながらも、葵は訊く。

「紫雲さまと百合さまの〝月の贈り物(ギフト)〟はわたしはよく知らないの。ごめんなさいね」
「いえ、謝らなくても……月の歌ってなんなんでしょうね」

 桂が素直に答えてくれることで葵の罪悪感が増した。気まずくなって話題を変える。
 桂はそんな葵の心情に気づいた様子もなく、顎に手を当てて考え込む。

「そうね……橘さんは〝月震(げっしん)〟って知ってる?」
「……いいえ」
「月はね、振動しているの。昔からずっと震えている。それを〝月震〟って言うのよ」そこで桂は一度、言葉を止める。「〝月震〟が生んだ波動が月光にのって地球に届くの。それが月の歌なんですって」
「……そうなんですか?」

 その話は、葵も初耳だった。〝月を喰らいし者(エクリプス)〟として働き出して四年。仲間の誰からも聞いたことはない。

「〝月震〟の話は本当よ。NASAがアポロ計画の時に行った実験によって証明されてる。moon quake って単語もあるくらいなのよ。
 そして、月の光は昔から特別扱いされてるわよね? 色々な言い伝えがあったり。太陽の光を反射するだけなのに、なぜだと思う?
 それは月の光が〝月震〟の波動を、月の歌を地球に届けているから――そう考えるとロマンチックでいいと思わない?」

 そう言って桂は笑みを浮かべた。それはまるで何かを思い出したかのように。

「それは桂さんの作り話ですか?」

 半ば真剣に聞き入っていた葵は、気の抜けた表情でで訊く。

「いいえ。これも受け売りよ。紫雲さま……じゃないわね。えっと誰だったかしら」

 そう言って桂は僅かに眉をしかめた。それは思い出そうとしているというより、ふいの痛みに耐えているように葵には見えた。

「桂さん?」
「……ああ。ごめんなさい。ちょっと頭痛がしたから」
「大丈夫ですか?」
「ええ。もう大丈夫」
「桂さま!」

 本殿の方から作務衣姿の男性信者が一人、葵たちへと向かったきた。

「どうしました?」
「畑の方へ桂さまに来て欲しいと連絡がありまして……」
「わかりました。すぐ行きます」桂は男性へ頷いて見せた。「橘さんはどうする? いっしょに来る?」

 そして葵の方を向いて訊く。

「えっと……」

 逡巡した葵を見て、桂は笑う。

「じゃあ、お昼まで自由時間にしましょう。敷地内を回るも良し、外に出るも良し。畑は敷地の外にあるから、もし見たくなれば来て。小さな集落だし、場所はすぐにわかるだろうから」
「はい」

 葵の返事を聞いて、男性と共に去ろうとする桂は、思い出したように立ち止まって葵を見た。

「?」

 何か言い出そうとして、でも言わずに口を閉じた桂を、葵は不思議そうに見る。桂は少し迷ったような素振りを見せて、それでも口を開いた。

「もし、敷地の外に出るのなら村の人には気をつけてね」
「どうしてですか?」
「みんながみんなそうじゃないんだけどね。この集落に昔からいる人たちの中には、教団のことを良く思っていない人もいるから」

 葵は宗弥の言葉を思い出す。宗弥が言っていた教団と元の住人との間に溝があるというのは、確からしい。

「深山さまや百合さまのおかげもあって、暴力沙汰にまでなったことはないけど……ね。橘さんは来たばかりだし、念のためよ」

 それだけ言うと桂は去って行った。
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