五十二夜 虎児と佳乃 其ノ四

文字数 4,842文字

「ストーカー? お前にか? えろう物好きがおんねんな」

 珍しいものでも見たような表情で、虎児(とらじ)が言う。虎児は佳乃(よしの)のバイト先の喫茶店にいた。佳乃が相談があると、たまたま公休だった虎児を呼び出したのだ。

「わたしじゃなくて、紅葉(くれは)のよ」

 テーブルを挟んだ向こうには、佳乃と紅葉の姿があった。喫茶店に入ってすぐ、佳乃から紅葉を紹介された。高校時代の友達で、夏休みを利用して佳乃に会いに来たのだと。

「ああ。こないなべっぴんさんやったら、有り得へん話やないな」
「あんたさっきから、遠回しにあたしのこと莫迦にしてない?」
「気のせいや。で、旅行先まで追いかけてくるなんて、相当やな。相手は学生かいな?」
「えーと、どんな人?」

 佳乃が横にいる紅葉を見た。いきなり話を振られて、紅葉が飲みかけのコーヒーを慌てて置く。

「なんでお前が知らんねん」
「わたしだって、初めて聞くのよ」
「相手は、中年の男性です」

 虎児の方を向いて、遠慮がちに紅葉が言う。

「あ、敬語はいりまへん。佳乃の友達やったら、ワイの知り合いみたいなもんや。ワイも遠慮せんとタメ口で話すよって」
「変なちょっかいかけないでよ」
「かけるかいな」

 息のあった掛け合いをする二人を見て、紅葉が笑う。緊張気味だった彼女の表情が和らいだ。

「わかったわ。えっと……伊吹(いぶき)さん」
「虎児でええ。ワイも紅葉って呼ばせてもらうさかい」
「じゃあ……虎児」
「おう」

 虎児は満面の笑みを浮かべた。一つ間違えば胡散臭さが増す笑い方だが、虎児からはそれを感じない。紅葉はちょっとだけ、面食らったような表情になる。そしてすぐに横にいる佳乃を見た。

「犬みたいに人懐っこいのよ、虎児(コイツ)は」
「ワイは猫派や」
「好みの話じゃないわよ。それよりもストーカー」

 呆れた表情で佳乃が言った。

「せや。中年って仕事サボってまで、紅葉を追いかけてきてんねや」
「そう……ね」

 紅葉の言葉はどこか歯切れが悪い。

「名前とかは分かっててん?」
「いいえ。その……知り合いとかではなく、通学中の電車で見かけるだけの人だから」
「警察に被害届は? ちゅうか、紅葉はどこから来てんねや?」
「え? えっと……」
「ちょっと虎児。紅葉の話はいいでしょ。それともなに? 色々聞き出して、あんたまでストーカーになるつもり?」

 虎児の質問攻めに、紅葉が言葉を詰まらせる。それを見ていた佳乃が虎児を責めた。

「アホ()いな。被害届出しとったら問い合わせできるやろ。まぁ他県やったら簡単には教えてくれへんやろけど」
「それって問い合わせて、返事がくるまで何もできないって言うつもり? 紅葉はいま困ってるのよ」
「そないなこと言うたかてな。警察は民事不介入や。なんでもかんでも、はいそうですか言うて動いたりはでけへん」
「もう、あんたには頼まない。あたしがなんとかする」

 話は終わりとばかりに、佳乃は立ち上がろうとする。隣に座る紅葉は佳乃と虎児を交互に見ている。

「待てって。自分たちだけや危ない思うたから、ワイに相談してきたんちゃうんか?」
「そうだけど……役に立たないんじゃ、しょうがないでしょ。こっちでなんとかするわよ。わざわざ休みの日に呼び出してごめんなさいね」
「ああ、もう。ホンマお前はせっかちやな。せっかちな上に頑固ときとる」そう言って虎児はため息をついた。「分かった分かった。ワイが個人的に動ける範囲内でよかったら警戒したる。とりあえずその男の特徴を教えてくれ」

 視線を上にして、紅葉が少し考え込む。

(とし)は多分、四十前後。髪は七三分けのオールバックで、細い垂れ目……だったかな」
「それ、わたし……知ってるかも」

 紅葉の言う男の特徴を聞いて、考え込んでいた佳乃が言う。

「なんやて?」
「なんで!?

 虎児と紅葉が同時に言った。

「最近来はじめたお客さんで、そんな人がいるの。よく見るわ。虎児が来た時にも何度かいたわよ。覚えてない?」
「いちいち、覚えとるかいな。他の客のことなんて気にしとらへんわ」
「警察官なのに注意散漫ね。とにかく常連さんじゃなくて、最近来始めたお客さんにいるのよ。虎児捕まえてよ」
「いや、無理やて」
「なんでよ。数年前だっけ。ストーカー規制法って、できたでしょ?」
「あれは親告罪やから、告訴せな逮捕まではできへん。相談やと、警察にできんのは警告止まりや。せやから、せめて被害届だけでも出してないんか聞いたんや。出しとったら逮捕までいかんでも、捜査する言い訳にはなる」
「もう。ややこしいなぁ。虎児がなんとかしてよ」
「お前、ホンマ無茶言いよんな」虎児が苦笑する。「その客が、ホンマに紅葉のストーカーかどうかわからへんやろ」
「それは……そうだけど」

 言われて佳乃は言葉を詰まらせる。

「佳乃、もういいわよ。佳乃にも会えたし、ここに長居するつもりもないんだし」
「紅葉、それはだめ。移動中に襲われたらどうするの」

 虎児は黙って佳乃と紅葉を見ていた。交番勤務だと様々な〝相談〟を持ち込まれる。中にはわざとぼかして話すので、要領を得ない相談も多い。その多くは「とにかく相手が悪いから逮捕しろ」というものだ。
 佳乃がしている相談は、それに近い。この二人は何か隠しているのだろうか。虎児の心に、ふとそんな思いが浮かぶ。

「なに?」

 虎児の視線に気づき、佳乃が言う。

「なんでもない。もしまた喫茶店に来たら、ワイに連絡くれ。逮捕とかは無理やけど、職務質問くらいはできるやろ。それなら素性は確認できる」
「わかった。お願いね」

 佳乃の言葉に、虎児は浮かんだ思いを打ち消すように頷いてみせた。

        ☆

「店内にはおらへんみたいやな」

 佳乃から連絡を受けたのは、相談を受けてから四日後のことだった。制服姿の虎児が、喫茶店で佳乃に話しかける。
 店内にいるのは中年女性のグループと若者が一人。中年男性の姿はない。

「さっき出ていったわ。まだ追いつけるかも」
「どっちに行ったんや?」
「駅の方ね」
「どないな服装やった?」

 店の外に向かいながら虎児が言った。その後ろを佳乃がついてくる。

「着ていたのは紺色のスーツ。あと黒い大きなアタッシュケースを持ってた」
「わかった。追いかけてみるけど期待はせんといてくれな」

 そう言って、虎児は紅葉のストーカーとおぼしき男を探して歩き始めた。
 駅に向かう通りには人も多い。もちろん、スーツ姿の中年男性も多い。五分ほど探していただろうか。紺色のスーツに大きなアタッシュケースを持つ男性の後ろ姿を捉えることができた。
 男は駅へ向かう大通りを外れ、脇の路地へと入っていく。虎児はそれを確認すると、慌てて追いかける。
 路地に入った先に、男の姿はなかった。

「どこ行ったんや」

 この辺りは区画整備がされており、道路は格子状に走っている。虎児の目の前にある路地は真っ直ぐでも、そこから脇へと進む道はたくさんあった。
 その道の一つ一つを覗き込み、虎児は男を捜す。三本目の路地の先に男の姿をみかけ、虎児は足早に追いかけた。
 一度見失って、遙か先を歩く男を見つける。それを何度か繰り返しながらも、不思議と虎児は男を完全に見失うことはなかった。

 いま男はビルの建ち並ぶ街中を貫く、川沿いの道を歩いていた。護岸された川岸には遊歩道が作られており、緑の多い並木道になっていた。その合間に、川の方向を向いてベンチがいくつも設置されている。歩いているのは男と虎児のみ。男はベンチの一つに腰をかけた。
 それを見て、虎児は男に近づいた。

「すいません。ちょっとよろしいですか?」

 虎児の言葉に、男が顔を向けてくる。七三分けのオールバックにした髪は綺麗に撫でつけてあった。彫りの深い顔だちだが、目は下がり気味の細目。年齢は四十前後だろうか。
 顔の印象は紅葉の言っていたストーカーの特徴と一致する。

「何かご用でしょうか?」

 男の物言いは穏やかだ。

「失礼ですが、お住まいはどちらですか?」
「東京です」
「東京から。この街には旅行で?」
「はい。えっと、これ、もしかして職務質問ですか?」

 男は少しだけ驚いた表情を浮かべたが、警戒した様子はない。

「あー。そうなりますね。ご協力ください。身分証はお持ちですか?」
「何かあったんですか?」

 男は素直に免許証を見せた。虎児はそれを受け取り、名前を確認する。免許証の名前欄には「筑紫(つくし)俊次郎(しゅんじろう)」と書かれており、住所は確かに東京のものだった。

「女性から、男性につきまとわれているという相談がありまして。その特徴が……」
「私に似ていた、と」
「すみません。一応、確認ですよって」
「いいえ、気にしないでください。それ私ですから」

 とぼけた調子で男――俊次郎(しゅんじろう)が言う。

「……なんやて?」

 虎児の視線が鋭くなる。俊次郎は相変わらず、とぼけた表情でその視線を受けた。
「相談してきたのは、髪の長い若い女性ですよね? 私は確かに、彼女を追ってましたよ」
「ちょっと、交番まで来てもらおうか」
「なぜ、追っていたかは訊かないんですか?」

 カードのようなものを挟んだ指を、俊次郎は顔の横に立てる。

「せやから、交番で――」

 そのカードが免許証であることに気づいて、虎児は言葉を止めた。思わず自分の手を見る。返した覚えはないのに、免許証は虎児の手にはなかった。

「何をしたんや?」
「これですか?」俊次郎は免許証を見る。「返してもらっただけですよ」
「ワイは返した覚えはないで」
「少し、話をしましょう」
「交番でな」
「あなた、月は好きですか?」

 まるで虎児の言葉が聞こえなかったかのように、俊次郎は問いかける。

「……なんの話や?」

 俊次郎の言った〝月〟という言葉に虎児の心がざわついた。

「大事なお話です。あなたは月が好きですか?」
「月? 好きか嫌いかで言うたら、嫌いやな。ええ思い出はない」

 虎児は思わず答えてしまう。

「それは良かった。警察官であるあなたまで〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟なら、少々厄介でした。
 ところで彼女の方はどうですか?」
「なんのことや?」
「背の高い、メガネを掛けた女性のことですよ」

 俊次郎の言う女性が佳乃のことだと気づき、虎児の表情が更に厳しくなった。

「彼女、月が好きなんじゃないですか?」
「なんでワイに、そないなことを聞くんや?」
「おや。あの喫茶店で話し込んでおられたので、お知り合いと思ったいたんですが?」

 言葉は疑問系だが、表情から男が虎児と佳乃の関係を確信しているのは間違いないだろう。そしてあることに気づき、虎児は体の芯が冷たくなるのを感じた。

「あんさん……追いかけとるんがワイやと知ったうえで、ここに誘い込んだんやな。なかなか食えんやっちゃ」
「よく言われます」

 俊次郎はにっこりと微笑む。その笑顔は胡散臭くはない。だが、決して信用していい笑顔ではない。新米とは言え、虎児の警察官としての勘がそう伝えていた。

「彼女が単に月が好きなだけならそれでいい。私の見立てでは〝なりかけ〟ですが、それでもまだ〝人〟です。
 でも〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟になってしまえば、彼女はあなたの手には負えません」
「さっきから()うとる、〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟てのはなんや?」
「おや、私の話に興味をもたれましたか?」

 普段なら、虎児は俊次郎の話を戯言として受け入れない。この場で話を聞くことなく、交番まで連れて行こうとするだろう。しかしこの男は佳乃のことを知っている。そして佳乃が〝月〟を好きであることに、なぜか気づいている。
 なにより佳乃と紅葉は虎児に何か隠していると感じていた。だから、俊次郎の言葉に耳を傾ける気になった。

「ああ。興味はあるな。特に喫茶店の店員に関係しとることが」
「でも、この話は交番では話せませんよ?」

 虎児は俊次郎の目を見つめる。顔は笑っていても、男の目は笑っていない。
 俊次郎は言外に示しているのだ。この話は他の警察官では理解できないだろうと。それどころか、虎児が話を聞く上で邪魔になるだろうと。

「あんさんは、ホンマ食えんやっちゃな」

 そう言って、虎児は男の横に座った。
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