四十八夜 早乙女百合

文字数 4,025文字

宗弥(そうや)先輩、聞いてました?」

 (かつら)たちが去ったあとの庭で、(あおい)は呟いた。

『もちろん。なかなか興味深い話が聞けたね』

 メガネに仕込まれた骨伝導イヤホンを通じて、宗弥の声が聞こえてくる。

『少なくとも写真で見た三人と桂ってヒトは〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟で確定だね』
「……はい」

 葵の返事はどこか弱々しい。それは桂のことを考えているからだった。今まで会った〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟の中でも、どこか彼女は違う。何が違うかと問われると答え辛いが、敢えて言うなら〝人〟っぽいのだ。

『それにしても……随分と無防備だね、あの桂ってヒト』

 宗弥も同じことを感じているようだった。

「はい。今まであたしが見てきた〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟は、自分は〝人〟とは違うことを強く意識していました。どちらかというと悪意を持って。でもあの女性(ひと)は、なんか違う気がします」

 桂もきっと、自分自身は〝人〟ではないと理解し、〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟であることを受け入れているのだろう。だが〝人〟に対しての悪意は感じない。
 恐らく〝人〟である他の信者たちに対しても、歌を聴いたことがあるだけと偽り〝人〟として振る舞う葵に対しても、桂は同じ目線で対応してくれている。
 〝人〟であることを彼女は尊重しているように、葵には思えた。それは葵の身近にいる誰かを思い出させる。

「そう言えば、先輩はどう言ってましたか?」
『あー、えーと。そのことなんだけどね」宗弥がなぜか言いよどむ。「虎児(とらじ)サン、最初に桂ってヒトを見てから飛び出して行っちゃった』
「え?」

 思いがけない宗弥の言葉に、葵の口から間の抜けた声が出る。

『なんかね。知り合いに似てるとかで、虎児サンもう速攻で』
「まさか……もうこっちに来てるんですか?」
『ちょっと待って……いや、まだ集落には入っていないね。山の中から様子を伺ってるみたい』
「それならいきなり教団に侵入して来たりはなさそうですね」
『さすがに大丈夫……って断言できないのが辛いね。結構焦ってたから』

 それを聞いて葵はため息をつく。宗弥と虎児は今回サポートのはずだ。それをいきなり突入されてしまっては、調査どころではなくなる。

「なら宗弥先輩。先輩に直接会って釘を刺しますから、合流するように連絡してください」
『おっけー。どこで合流する? いまドローンを飛ばして上から確認してるけど、集落の中だと逢い引きするにはちと骨だよ』
「宗弥先輩?」

 葵が棘のある声で宗弥を呼んだ。

『冗談だって』慌てて宗弥が言う。『ただ、山の中だと目印がないから、誘導が面倒かな』

 言われて葵は考える。そして近くに古い神社があったことを思い出した。鳥居の向こうに階段があり、山の中に入っていくようになっていたはずだ。

「宗弥先輩、教団の近くに神社が見えますか?」
『神社、神社っと。うん。あるね。人もいなさそうだ』
「じゃあ、そこに先輩を誘導してください」
『わかった』

 宗弥からの返事を聞きながら、葵は敷地の外へと向かった。門の近くで少女とすれ違う。生成の作務衣を着た、十三歳くらいの少女だ。
 葵は軽く頭を下げた。

「あら。あなたは新しく来た?」

 少女は立ち止まって葵を見る。葵は内心焦りつつも足を止めた。
 葵を見る切れ長の目。綺麗に切り揃えられた肩までの黒髪と相まって、日本人形を彷彿とさせる風貌をしていた。
 少女は写真でみた深山(しんざん)の娘――早乙女(さおとめ)百合(ゆり)だ。

「はい。百合(ゆり)さま」
「百合でいいわ」

 百合は笑ってみせる。それは随分と大人びた笑い方だった。葵はまるで大人の女性と対面しているような感覚になる。朝の礼拝で見かけた時も、見た目の割に落ち着いているように感じたが、実際に話してみるとその印象は強くなった。

「外へ出かけるの?」
「あ、はい。畑とかも見学しようと思って」

 葵は咄嗟に嘘をついた。

「なら、案内しましょうか?」
「いえ。桂さんが畑の方へ行ってるという話なので、そちらで合流しようかと……」

 内情を探るということなら、百合と話して情報を引き出すのも悪くない。だがいまは虎児と会うことが先決だった。先走った虎児の危うさは、四年間一緒に仕事をしてきた葵にはよく分かっている。早い内に釘を刺さなくては。
 そんな焦りが顔の出たのだろうか。百合が急に無表情になった。
 百合は確かに葵を見つめていた。しかしその目はどこか遠くを見つめているようだった。そしてその瞳は凪いだ湖面のように静寂で澄んでいた。

「百合……さま?」 

 百合の瞳には葵が映っていた。それはまるで葵のすべてを映されているような。すべてを見透かされているような。そんな感覚を葵にもたらす。
 葵の体に緊張が走った。

「そう。気をつけて行ってらっしゃい」

 葵にとって長く感じたが、実際の時間にして数秒だろうか。百合がふと表情を戻し笑ってみせた。
 それきり葵の前を去って行く。その姿が消えるまで、葵はただ黙って見つめ続けた。

        ☆

 目の前にある鳥居は木製で随分と古かった。丸太を組み合わせた素朴な造りをしており、額束(がくつか)には掠れた文字で「調詠(つきよみ)神社」と書かれているのがかろうじて見えた。

 その先には急だが石造りの階段が、上まで続いている。葵は五十段はありそうな階段を上り、あまり広くはない境内へと入る。階段を上りきってすぐに、大きいが古い拝殿があった。その奥には本殿が見える。
 葵は辺りを見回す。社殿も境内も、古いながらこまめに手入れされているようだった。

「葵か?」

 本殿の後ろ、山の方から葵を呼ぶ声がした。

「先輩」

 葵は拝殿を回り、本殿へと近づいて行く。それに合わせるように虎児が木の間から出てくる。

「大丈夫やったんか?」
「大丈夫もなにも、案内されてただけですし。それよりもなに、いきなり飛び出して来てるんですか」
「あ、まぁその……なんや」

 葵の勢いに気圧されるように、虎児は目をそらして言葉を詰まらせる。

「……本当に、知り合いなんですか?」

 誰、とは言わない。それでも虎児には通じるはずだ。

「……ワイがあいつを、佳乃(よしの)を見間違うわけない。間違いのう、あいつは佳乃や」
「画面を通して見ただけなのに?」
「……声も聞いた」
「似てる誰かかもしれませんよ?」
「あいつは〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟なんやろ? せやったら別人なんて可能性、ほぼゼロや」
「あの人の〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟に関する知識は、紫雲(しうん)っていう幹部からの受け売りでしたよ?」
「それでも……あいつは……」

 虎児が葵を見つめてくる。その眼差しは真剣で――必死だ。そんな虎児を見て葵はため息をついた。

「桂さんが、先輩の言う佳乃さんだったとします。でも、事故に遭って記憶喪失になってるのに、いきなり会うつもりだったんですか?」
「……会えば、思い出すかもしれへんやろ。せや、なんか覚えとることはなかったんか?」

 言われて、葵は桂との会話を思い出す。

「先輩、『玉桂(たまかつら)』って知ってます?」
「玉桂……確か、佳乃と女狐がやっとる雑貨屋がそんな名前やったな」
「雑貨屋?」
「〝人〟の中で暮らすんやったら、なんもせんのは怪しいやろ。ワイらの探偵社(かいしゃ)みたいなもんや。但し、あいつらは定期的に引っ越すけどな」
「その名前からとって、桂って呼ばれてるらしいですよ」
「他にはないんか?」

 虎児が葵の両肩を掴んでくる。

「あとは……」

 葵はそれに驚きながらも、視線を上げ思い出そうとする。桂との会話のなかで、紫雲の受け売りではない知識が一つだけあったはずだ。

「そうだ。〝月震(げっしん)〟の話は知ってますか?」
「月震?」
「月は震動しているんだって。その震動が月の光に乗って届くから、月の歌が聞こえるんだ……って言ってました」
「それは知ら……いや、そないな話を女狐(めぎつね)から聞いたって()うとったな。そういや、佳乃と一緒に女狐がおらんかったか?」
「さっきから言ってる女狐って誰なんですか?」
「佳乃を唆した〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟や。教団には佳乃と一緒に行動しとるオンナはおらへんかったか?」
「信者に女性は何人かいましたが……桂さんはほとんど一人で行動してましたし、親しい知り合いは多分いないと思います」

 虎児は葵の両肩から手を離すと、そのまま背を向けた。

「ほうか。あいつひとりやねんな。それでもそういうんは覚えてんねやな」
「あ、でも誰に聞いたとかは覚えていませんでしたよ」

 葵には、向けられた虎児の背中が急に小さくなったように見えた。慌てて言葉を継ぐ。

「記憶がのうてもええ。事故に()うても、あいつは無事に生きてんねやから」

 虎児は振り向くと、笑ってみせた。しかし葵にはその笑顔がどこか寂しく見える。
 葵は意を決したように口を開いた。

「先輩……。昔、先輩の話を聞いた時のこと覚えていますか?」
「? 四年前ん時か?」
「はい」

 四年前、葵は〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟である九重(くのう)(かずら)に襲われ、虎児に助けられた。気を失った葵は虎児に背負われて、当時住んでいた学生寮まで送ってもらったのだ。
 その時に、虎児は自分の過去を葵に話した。自分には好きな女性(オンナ)がいて、その女性(じょせい)が〝月に捕らわれし者(ルナティック)〟になったから、自分は〝月を喰らいし者(エクリプス)〟になって追いかけているのだと。

 葵は当時、それを詳しく聞きたいとは思わなかった。虎児もきっと詳しく話そうとは思わなかったのだろう。ごく簡単に、話をしただけだった。
 だがいまの虎児の必死な様子から、それは簡単なことではなかったということは葵にもわかる。そして現在(いま)の自分なら、虎児の過去をちゃんと聞ける気がする。
 葵の指がメガネの蔓に指を触れる。ピッという音がして、メガネに仕込まれた装置の電源が切れた。

「先輩……昔何があったのか、あたしに聞かせてください」

 そう言って葵はメガネを外す。大きめの丸目は真剣に虎児を見つめ。小作りな口は引き締められている。

「葵……?」

 虎児は驚いた表情で葵を見つめる。そして根負けしたように表情を緩めた。

「――あれはまだ、ワイが新米の頃やった」

 どことなく懐かしむ表情で、虎児は話し始めた。
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