二夜 〝想い〟

文字数 1,621文字

「これでやっと補習も終わったね」
「……うん」
「でも、来週からは塾三昧! 嫌になるよね」
「……うん」
「まったく、高校生の夏休みが遊べないなんて」
「……うん」
佳乃(よしの)、聞いてる?」
「……うん」
「東京特許許可局局長」
「……うん」
「佳乃? もしもーし?」
「……うん」
「ちょっと! 佳乃!」
「え? ごめん、聞いてなかった」

 佳乃は慌てて横を向いた。隣には樫木知花(かしわぎともか)が呆れたような顔で立っている。知花(ともか)とは同じクラスで一年の時から仲良くしている友達だ。通っている塾も同じだった。

「アンタさぁ、今日は朝から変だよ」

 二人は教室を出て校門へと向かう。

「なんか、悩み事?」
「え? ううん」
「ホントォ? なんか心の飛び方が恋の悩みぃってカンジだったけど? あ、もしかしてこの間の彼? 関西弁の」
「もう。あいつとは、そんなんじゃないってば。ただの幼なじみだって言ったじゃん」

 知花の言葉に佳乃は苦笑する。彼女はこの手のゴシップが大好きだった。どこで仕入れてくるのか情報としてもなかなか正確だ。

「……まぁいいけど。でもさ、ホントに悩んでることあるんだったら遠慮せずに言いなよ。少しぐらい役に立てるかもしんないかさ」
「うん。ありがと。ホントにそういうのじゃないから」

 佳乃は昨夜のことを考えていた。公園で紅葉に会ったこと。その時の紅葉の言葉を――。
 知花は親友と言ってもいいぐらいの友達だと、佳乃は思う。何人かいる友達の中でも一番仲が良かった。クラスだけでなく塾も一緒なせいか一緒にいる時間も長い。よく遊ぶのも知花とだ。
 けどそんな彼女にも佳乃は月の話をしたことはなかった。

 恐らく月に対する佳乃の思いを話しても知花なら笑わずに聞いてくれるだろう。むしろ真剣に相手をしてくれるはずだ。まだ知り合ってから一年ちょっとしか経っていないが、佳乃には確信できた。
 だが、あくまで

として聞いてくれるに過ぎないことも佳乃には判っていた。
 決して共感してくれることはないだろう。
 だから紅葉のことを考えていたとは言えなかった。言えば佳乃は、知花に月の話をしてしまう。

 月を見るたびに胸を締め付けられるような思いに捕らわれる。このことは佳乃にとって秘密であり大切な〝想い〟でもあった。それを知花に話してしまって

として終わらせたくなかった。
 佳乃は自分の〝想い〟を話せる――

「あ!」

 突然、佳乃の脳裏に昨夜の光景が浮かんできた。
 ――あたしも、同じだったの。
 紅葉の言葉。
 ――聴きたくない?
 そう言って見せた、何かを期待する紅葉の瞳。答えた佳乃に一瞬見せた安堵の表情。
 ――あなたなら――――のに。
 そして別れ際の最後の言葉。あれは、佳乃のことを――
 佳乃の思考はそこで遮られた。校門を出たところでいきなり殴られたような衝撃が佳乃を襲った。思わずふらついて門柱にもたれかかる。

「ちょっと、大丈夫? いきなり叫んだかと思うと今度はふらついたりして。体調悪いんでしょ?」
「……うん。ごめん。大丈夫」

 知花に支えられてなんとか立ち上がる。佳乃は刺すような視線を感じてそちらを振り向いた。学校に隣接する教会の入り口が見えた。その場所に神父服を着た外国人が立っている。
 くすんだ金髪の、背の高い中年の男。佳乃たちを見る表情は穏やかだがその瞳には強い感情が込められいる。憎悪という感情が。

「ん? 新しい神父さん?」

 佳乃の視線に気づいた知花が同じ方向を向く。
 佳乃たちの学校でも月に一度ミサを行うため神父の存在は珍しいものではない。いつも隣接する教会から神父がやってくるかたらだ。だが今、教会の入り口に立っている神父は佳乃たちの見たことのない神父だった。
 神父が笑った。佳乃にはそれが、酷く冷たい笑いに見えた。
 見ていると目眩がして、佳乃はその場に崩れた。

「ちょっと、大丈夫? 帰った方がいいよ。塾の方には、あたしが言っといてあげるから」
「……大丈夫」

 そう呟いて佳乃は気を失った。
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