四十六夜 なんでこないなとこにおんねん
文字数 2,982文字
結局、宗弥 と連絡がとれたのは次の日の朝になってからだった。とは言っても、朝のお祈りに他の信者たちと一緒に朝食をとったりといった行事を終え、ひと息ついてからだ。
自室に戻った葵 は、メガネの蔓に軽く触れ電源を入れる。
『ああ、良かった。繋がった』
電源が入っていきなり、宗弥の声が聞こえてきた。
「すみません。バッテリーが切れてました」
『え? 一日は持つはずだけど』
「多分、フル充電されてなかったんだと思います」
『そうか。それは申し訳ない。僕の確認不足だ』宗弥はすまなそうに言う。『あ、もう。大丈夫だって。ちゃんと繋がったし。画像も届いてるよ。わかったから、いまパソコンに出せるようにするから』
慌てたような宗弥の声。多分、虎児がすぐ側で文句を言っているのだろう。宗弥の声を聞きながら、葵は割り当てられた和室の中を改めて見回した。
四畳半の和室の中には、小さな文机が一つあった。押し入れは木の折り戸になっており、クローゼットも兼ねている。造りとしては現代風の和室だった。
『虎児 サン。見えたでしょ? え? 葵チャン? メガネに仕込んだカメラからの映像だから、見えないって。いや、だから無理だって。市販品の改造だよ? そんなスパイ映画みたいな便利機能なんてないから!』
宗弥の声に葵はくすりと笑った。
メガネを外して、自分と向き合わせて文机に置く。それから葵はメガネに向かって話しかけた。
「先輩、いいかげんその心配性を治してください。あたしは大丈夫ですから」
メガネを通して、こちらの声と生成の作務衣を着た葵の姿を確認できたはずだ。恐らくそれを見て、虎児が何か言っているだろう。だがメガネをかけていない葵には聞き取れない。そもそもメガネを通じて話ができるのは宗弥だけだ。
葵はメガネをかけ直した。
『これで納得したでしょ? 色々調整しないといけないから、虎児サンは向こうに座って! 只でさえ狭いんだから!
葵チャン、おまたせ。とりあえず状況を教えて』
さすがに虎児も引き下がったのか、宗弥が訊いてきた。
「潜入については、いまのところ大丈夫みたいです。教祖の深山 と幹部の紫雲 には会えました。一応は、仲間として扱ってくれるみたいです」
仲間としてとは葵を月の側 の人間として……ということだ。紹介状だけで完全に信用した訳ではないだろうが、少なくとも葵を受け入れるつもりはあるようだった。
『そりゃすごい。いきなり上々だね』
「話した時の感じからして、あの二人は〝月に捕らわれし者 〟の可能性は高いです。それと会ってはいませんが、二人が話しているのを聞く限り、深山の娘の百合 もそうだと思います」
葵はそこまで言うと、一度言葉を切った。
「あと、桂 っていう女性の信者がいるんですが、この女性 も〝月に捕らわれし者 〟だと思います」
『はて。僕が調べた時にはそれらしい信者はいなかったと思うけど』
「三ヶ月前にやって来たって本人は言ってました。記憶喪失だとも」
『……うーん? それは本当かなぁ。あ、いや葵チャンを疑ってるんじゃなくてね……』
「わかってます。あたしも桂って女性は疑ってますから」
『まぁいいや。こっちでも調べてみるよ』
「今日、桂さんに色々と案内してもらうことになっています。本人の画像が送れると思うので、確認に使ってください」
『わかった。少し上手く行きすぎてる気もするから気をつけて』
「はい――」
返事をしようとして、葵は言葉を止めた。誰かが近づいてくる気配がしたのだ。
「橘 さん、そろそろ行く?」
桂の声だ。どうやら迎えに来てくれたらしい。
「あ、はい。桂さん、すぐに出ます」
さりげなく名前を呼んで、宗弥たちにこれから会うのが桂であると知らせる。葵はゆっくりと立ち上がり、障子戸を開けた。
☆
『今日、桂さんに色々と案内してもらうことになっています。本人の画像が送れると思うので、確認に使ってください』
ノートパソコンから、葵の声が聞こえた。画面には葵のメガネから送られた画像が映されている。宗弥と虎児は、その画面に注目していた。
二人がいるのはハイエースの車内。キャンピングカーのように後部座席を改装した空間だった。狭いながらも大人が三人座って作業できる、ちょっとしたオフィスのようになっていた。
ノートパソコンの前には宗弥。その横に虎児が座っている。
「わかった。少し上手く行きすぎてる気もするから気をつけて」
聞こえてきた葵の言葉に、宗弥が応える。宗弥は特にヘッドフォンやマイクをつけていない。だが葵にはちゃんと聞こえているらしい。
『はい――』
返事しようとして、しかし葵が言葉を意識的に止めたのが画面越しに伝わってきた。
『橘さん、そろそろ行く?』
葵とは違う女性の声が聞こえた。それを聞いた虎児が、眉を寄せる。
『あ、はい。桂さん、すぐに出ます』
画面の向こうにいる葵が障子戸を開けた。画面に生成の作務衣を着た女性の姿が映し出される。襟足を伸ばしたショートヘアーは元は明るい茶色に染めていたのだろう。今は上の方から黒くなり始めていた。その下には細めのアーモンド型の目があり、瞳は穏やかな雰囲気をたたえている。
それを見た瞬間、虎児が画面に近寄ってきた。
「ちょ、虎児サン、狭いって」
「佳乃 !? なんでこないなとこにおんねん」
「え? 葵チャン、桂って言ってたよ」
虎児の声は葵には聞こえない。だが宗弥の声は葵に聞こえている。言葉の内容から、虎児が何かに気づいたことは伝わっているはずだ。
「ワイが見間違うわけない。アイツは間違いのう佳乃や」
そう言うと、虎児は上に設置された棚から小さなアタッシュケースを取りだした。中を開けると、補聴器のような黒い小型通信機が五つ、緩衝材に包まれるようにはめ込まれている。
「この通信機を持っとったら、宗弥につながるんやったな? 葵の様子を逐一教えてくれ」
虎児はアタッシュケースにあった小型の通信機を一つ取ると、耳へと差し込もうとする。宗弥をそれを掴んで止めた。
「何すんねん!?」
「慌て過ぎ。チョット待って」
そう言って、宗弥は虎児の持っている通信機を自分の手に移した。虎児に見せるように手のひらに乗せる。
虎児の目の前で、通信機を包むように一瞬、スパークが走った。
「これでリンク完了――って、虎児サン!」
宗弥が皆まで言う前に、虎児は通信機を奪うと車から飛び出していった。宗弥が慌てて外に出る。虎児の姿はすでに小さくなっていた。
車は教団のある集落から少し離れた場所の、側道に乗り入れてあった。ここからなら山道をたどることになるが、集落まで徒歩でも時間はかからない。
「ああ、もう。あのヒト、虎じゃなくて絶対に猪だよ」
ぼやきながら、宗弥はポケットから手のひらより少し小さいサイズのスチール缶を取り出した。ヒンジ式の蓋を開け、中から三センチほどの物体を取り出す。
それは、水晶のような六角柱で半分は鼈甲飴 の色をしており、残り半分は満月の夜空を思わせる蒼黒い色をしていた。〝月を喰らいし者 〟が〝月に捕らわれし者 〟に対抗するために必要なもの――月晶だ。
宗弥はそれを親指で弾いて、口の中へダイレクトに入れる。そしてすぐに噛み砕いた。
「さて、お仕事頑張りましょうか」
宗弥の言葉に応えるように、ドローンが一体、車内から飛び出して彼の背後に浮かび上がった。
自室に戻った
『ああ、良かった。繋がった』
電源が入っていきなり、宗弥の声が聞こえてきた。
「すみません。バッテリーが切れてました」
『え? 一日は持つはずだけど』
「多分、フル充電されてなかったんだと思います」
『そうか。それは申し訳ない。僕の確認不足だ』宗弥はすまなそうに言う。『あ、もう。大丈夫だって。ちゃんと繋がったし。画像も届いてるよ。わかったから、いまパソコンに出せるようにするから』
慌てたような宗弥の声。多分、虎児がすぐ側で文句を言っているのだろう。宗弥の声を聞きながら、葵は割り当てられた和室の中を改めて見回した。
四畳半の和室の中には、小さな文机が一つあった。押し入れは木の折り戸になっており、クローゼットも兼ねている。造りとしては現代風の和室だった。
『
宗弥の声に葵はくすりと笑った。
メガネを外して、自分と向き合わせて文机に置く。それから葵はメガネに向かって話しかけた。
「先輩、いいかげんその心配性を治してください。あたしは大丈夫ですから」
メガネを通して、こちらの声と生成の作務衣を着た葵の姿を確認できたはずだ。恐らくそれを見て、虎児が何か言っているだろう。だがメガネをかけていない葵には聞き取れない。そもそもメガネを通じて話ができるのは宗弥だけだ。
葵はメガネをかけ直した。
『これで納得したでしょ? 色々調整しないといけないから、虎児サンは向こうに座って! 只でさえ狭いんだから!
葵チャン、おまたせ。とりあえず状況を教えて』
さすがに虎児も引き下がったのか、宗弥が訊いてきた。
「潜入については、いまのところ大丈夫みたいです。教祖の
仲間としてとは葵を月の
『そりゃすごい。いきなり上々だね』
「話した時の感じからして、あの二人は〝
葵はそこまで言うと、一度言葉を切った。
「あと、
『はて。僕が調べた時にはそれらしい信者はいなかったと思うけど』
「三ヶ月前にやって来たって本人は言ってました。記憶喪失だとも」
『……うーん? それは本当かなぁ。あ、いや葵チャンを疑ってるんじゃなくてね……』
「わかってます。あたしも桂って女性は疑ってますから」
『まぁいいや。こっちでも調べてみるよ』
「今日、桂さんに色々と案内してもらうことになっています。本人の画像が送れると思うので、確認に使ってください」
『わかった。少し上手く行きすぎてる気もするから気をつけて』
「はい――」
返事をしようとして、葵は言葉を止めた。誰かが近づいてくる気配がしたのだ。
「
桂の声だ。どうやら迎えに来てくれたらしい。
「あ、はい。桂さん、すぐに出ます」
さりげなく名前を呼んで、宗弥たちにこれから会うのが桂であると知らせる。葵はゆっくりと立ち上がり、障子戸を開けた。
☆
『今日、桂さんに色々と案内してもらうことになっています。本人の画像が送れると思うので、確認に使ってください』
ノートパソコンから、葵の声が聞こえた。画面には葵のメガネから送られた画像が映されている。宗弥と虎児は、その画面に注目していた。
二人がいるのはハイエースの車内。キャンピングカーのように後部座席を改装した空間だった。狭いながらも大人が三人座って作業できる、ちょっとしたオフィスのようになっていた。
ノートパソコンの前には宗弥。その横に虎児が座っている。
「わかった。少し上手く行きすぎてる気もするから気をつけて」
聞こえてきた葵の言葉に、宗弥が応える。宗弥は特にヘッドフォンやマイクをつけていない。だが葵にはちゃんと聞こえているらしい。
『はい――』
返事しようとして、しかし葵が言葉を意識的に止めたのが画面越しに伝わってきた。
『橘さん、そろそろ行く?』
葵とは違う女性の声が聞こえた。それを聞いた虎児が、眉を寄せる。
『あ、はい。桂さん、すぐに出ます』
画面の向こうにいる葵が障子戸を開けた。画面に生成の作務衣を着た女性の姿が映し出される。襟足を伸ばしたショートヘアーは元は明るい茶色に染めていたのだろう。今は上の方から黒くなり始めていた。その下には細めのアーモンド型の目があり、瞳は穏やかな雰囲気をたたえている。
それを見た瞬間、虎児が画面に近寄ってきた。
「ちょ、虎児サン、狭いって」
「
「え? 葵チャン、桂って言ってたよ」
虎児の声は葵には聞こえない。だが宗弥の声は葵に聞こえている。言葉の内容から、虎児が何かに気づいたことは伝わっているはずだ。
「ワイが見間違うわけない。アイツは間違いのう佳乃や」
そう言うと、虎児は上に設置された棚から小さなアタッシュケースを取りだした。中を開けると、補聴器のような黒い小型通信機が五つ、緩衝材に包まれるようにはめ込まれている。
「この通信機を持っとったら、宗弥につながるんやったな? 葵の様子を逐一教えてくれ」
虎児はアタッシュケースにあった小型の通信機を一つ取ると、耳へと差し込もうとする。宗弥をそれを掴んで止めた。
「何すんねん!?」
「慌て過ぎ。チョット待って」
そう言って、宗弥は虎児の持っている通信機を自分の手に移した。虎児に見せるように手のひらに乗せる。
虎児の目の前で、通信機を包むように一瞬、スパークが走った。
「これでリンク完了――って、虎児サン!」
宗弥が皆まで言う前に、虎児は通信機を奪うと車から飛び出していった。宗弥が慌てて外に出る。虎児の姿はすでに小さくなっていた。
車は教団のある集落から少し離れた場所の、側道に乗り入れてあった。ここからなら山道をたどることになるが、集落まで徒歩でも時間はかからない。
「ああ、もう。あのヒト、虎じゃなくて絶対に猪だよ」
ぼやきながら、宗弥はポケットから手のひらより少し小さいサイズのスチール缶を取り出した。ヒンジ式の蓋を開け、中から三センチほどの物体を取り出す。
それは、水晶のような六角柱で半分は
宗弥はそれを親指で弾いて、口の中へダイレクトに入れる。そしてすぐに噛み砕いた。
「さて、お仕事頑張りましょうか」
宗弥の言葉に応えるように、ドローンが一体、車内から飛び出して彼の背後に浮かび上がった。