六十八夜 ただいま
文字数 1,936文字
教団の敷地内には、村人や信者たちが行き交っていた。全焼した本殿の焼け跡が、陽光の下にさらけ出されている。辺りには焦げた匂が残っていた。
村人と信者たちが協力して、残骸の撤去を行っている。それを葵 と虎児 、宗弥 の三人が見ていた。葵と宗弥は私服だったが、虎児は生成の作務衣を着ていた。
三人の元へ深山 と百合 がやって来る。
「この度は、ありがとうございました」
深山が虎児に言う。
「こっちこそ、怪我を治してくれておおきに」
虎児たちの負った怪我は昨晩、深山の〝月の癒し〟によって癒やされていた。
「いえ、それくらいは」
「紫雲 は?」
「部屋で寝ています」
紫雲も深山の〝月の癒し〟を受けて傷を癒していた。しかし生きてはいるが、眠りについたまま目を覚まさない。見た目もずいぶんと衰えており、いまは深山よりも年老いて見えるほどだ。
「ほうか。あの様子やともう悪さはできへんと思うが、なんかあったらワイか葵に連絡をくれ。すぐに飛んでくるさかい」
「あの……よろしいので?」
深山が遠慮がちに言う。虎児たちは深山や百合だけでなく、紫雲も見逃そうとしているのだ。
「あんさんらは、もう教団をせぇへんねやろ?」
「はい」
「せやったら、教団は壊滅。それで万々歳……でええんやな、葵?」
虎児は横にいる葵に向かって言った。
「はい。百合さんたちは、もともと隠れて暮らしていたし、里の外とほぼ関わらないように生きて来ました。それを邪魔してまで生活を脅かす権利なんて、あたしたちにはありません」
「……ちゅうこっちゃ。この仕事のリーダーは葵やさかいな」
「葵。ありがとう」
百合が葵を見て言った。その顔には笑みが浮かんでいる。葵も笑顔を返す。
「でもさ、百合サンたちを脅すわけじゃないけど、僕ら以外の〝月を喰らいし者 〟だって来るかもしんないよ?」
「それは、社長がなんとかしてくれるやろ」
宗弥の言葉に虎児がのんきな様子で言う。宗弥はそれを見て肩を竦めた。
「いざとなればまた隠れます。伊達に長い間、この里で暮らしてきたわけじゃないから。あなたたちの知らない隠れ場所は、まだたくさんあるわ」
そう言った百合の表情は、少女のものとは思えないほど大人びて見えた。長い間生きてきた、したたかな女性の顔だ。
「虎児、もう帰るの?」
虎児たちを見つけて、佳乃 と紅葉 もやって来る。佳乃は相変わらず生成の作務衣を着ていた。
「お前らはまだおるんか?」
「うん。片付けを手伝ってから帰るわ」
虎児の問いに佳乃が答える。
「あら、残ってくれてもいいのよ?」
百合が言った。佳乃の言葉を受けてのものだが、その視線は紅葉に向いていた。
「…………」
「なに? 紅葉、ここで暮らしたいの?」
「そうじゃないけど……人のいない場所で暮らさないかって、前に言ってたでしょ?」
「紅葉がそうしたいんだったら、わたしはいいけど?」
そんなやりとりをする二人を、百合が悪戯っぽい笑みを浮かべて見ている。それに気づいた紅葉がそっぽを向いた。
「わ、わたしは佳乃と二人ならどこでもいいけど……」
「そう。じゃあ、もう少しだけ〝人〟の中で暮らしましょう。根無し草みたいな生活、わたしは嫌いじゃないわ」
「佳乃がそう言うのなら……」
紅葉を見る佳乃の表情は限りなく優しい。
「それは残念ね。いつでも待ってるわ」
百合の言葉に深山も頷いた。
「ほな、ワイらは帰るか」
そう言って虎児は佳乃を見る。佳乃も虎児を見つめる。
「またな、佳乃」
「ええ。またね。虎児」
それっきり虎児は振り返ることなく門の外へと歩き始める。深山たちに会釈して宗弥が後ろに続く。
葵だけその場に残っていた。葵は佳乃を見つめる。
「どうしたの、橘 さん?」
「……葵です。あたしの名前は向日 葵 です」
「そう。向日葵さんね。覚えておくわ」
佳乃が微笑んで言う。葵は何か言おうとして、口を開きかけた。
「おい、葵! 行くで」
虎児が足を止めて呼びかける。葵は意を決したように口を開いた。
「虎児……先輩には、あたしがついていますから!」
葵は軽く頭を下げて、虎児の所へと駆けていく。虎児と葵が何か話している。葵は虎児の腕を掴んで抱きついた。それから佳乃の方を向いて、口をいーっとする。
佳乃の目が丸くなった。
「なに、あの娘 」
去っていく葵の後ろ姿を見ながら、紅葉は少し怒ったように言った。
「葵ちゃんだっけ……いい娘 ね」
「どこが」
言ってから、紅葉が佳乃の方を向く。
「あのね……」
言葉を止めた紅葉を、佳乃は不思議そうに見る。紅葉は佳乃の目を見ない。そのまま恥ずかしそうに視線をそらしながら口を開く。
「おかえり、佳乃」
佳乃は少し驚いたような顔をし、すぐに笑顔になる。それから嬉しそうに、佳乃の唇が言葉を紡いだ。
「ただいま、紅葉」
『佳乃と葵』 了
村人と信者たちが協力して、残骸の撤去を行っている。それを
三人の元へ
「この度は、ありがとうございました」
深山が虎児に言う。
「こっちこそ、怪我を治してくれておおきに」
虎児たちの負った怪我は昨晩、深山の〝月の癒し〟によって癒やされていた。
「いえ、それくらいは」
「
「部屋で寝ています」
紫雲も深山の〝月の癒し〟を受けて傷を癒していた。しかし生きてはいるが、眠りについたまま目を覚まさない。見た目もずいぶんと衰えており、いまは深山よりも年老いて見えるほどだ。
「ほうか。あの様子やともう悪さはできへんと思うが、なんかあったらワイか葵に連絡をくれ。すぐに飛んでくるさかい」
「あの……よろしいので?」
深山が遠慮がちに言う。虎児たちは深山や百合だけでなく、紫雲も見逃そうとしているのだ。
「あんさんらは、もう教団をせぇへんねやろ?」
「はい」
「せやったら、教団は壊滅。それで万々歳……でええんやな、葵?」
虎児は横にいる葵に向かって言った。
「はい。百合さんたちは、もともと隠れて暮らしていたし、里の外とほぼ関わらないように生きて来ました。それを邪魔してまで生活を脅かす権利なんて、あたしたちにはありません」
「……ちゅうこっちゃ。この仕事のリーダーは葵やさかいな」
「葵。ありがとう」
百合が葵を見て言った。その顔には笑みが浮かんでいる。葵も笑顔を返す。
「でもさ、百合サンたちを脅すわけじゃないけど、僕ら以外の〝
「それは、社長がなんとかしてくれるやろ」
宗弥の言葉に虎児がのんきな様子で言う。宗弥はそれを見て肩を竦めた。
「いざとなればまた隠れます。伊達に長い間、この里で暮らしてきたわけじゃないから。あなたたちの知らない隠れ場所は、まだたくさんあるわ」
そう言った百合の表情は、少女のものとは思えないほど大人びて見えた。長い間生きてきた、したたかな女性の顔だ。
「虎児、もう帰るの?」
虎児たちを見つけて、
「お前らはまだおるんか?」
「うん。片付けを手伝ってから帰るわ」
虎児の問いに佳乃が答える。
「あら、残ってくれてもいいのよ?」
百合が言った。佳乃の言葉を受けてのものだが、その視線は紅葉に向いていた。
「…………」
「なに? 紅葉、ここで暮らしたいの?」
「そうじゃないけど……人のいない場所で暮らさないかって、前に言ってたでしょ?」
「紅葉がそうしたいんだったら、わたしはいいけど?」
そんなやりとりをする二人を、百合が悪戯っぽい笑みを浮かべて見ている。それに気づいた紅葉がそっぽを向いた。
「わ、わたしは佳乃と二人ならどこでもいいけど……」
「そう。じゃあ、もう少しだけ〝人〟の中で暮らしましょう。根無し草みたいな生活、わたしは嫌いじゃないわ」
「佳乃がそう言うのなら……」
紅葉を見る佳乃の表情は限りなく優しい。
「それは残念ね。いつでも待ってるわ」
百合の言葉に深山も頷いた。
「ほな、ワイらは帰るか」
そう言って虎児は佳乃を見る。佳乃も虎児を見つめる。
「またな、佳乃」
「ええ。またね。虎児」
それっきり虎児は振り返ることなく門の外へと歩き始める。深山たちに会釈して宗弥が後ろに続く。
葵だけその場に残っていた。葵は佳乃を見つめる。
「どうしたの、
「……葵です。あたしの名前は
「そう。向日葵さんね。覚えておくわ」
佳乃が微笑んで言う。葵は何か言おうとして、口を開きかけた。
「おい、葵! 行くで」
虎児が足を止めて呼びかける。葵は意を決したように口を開いた。
「虎児……先輩には、あたしがついていますから!」
葵は軽く頭を下げて、虎児の所へと駆けていく。虎児と葵が何か話している。葵は虎児の腕を掴んで抱きついた。それから佳乃の方を向いて、口をいーっとする。
佳乃の目が丸くなった。
「なに、あの
去っていく葵の後ろ姿を見ながら、紅葉は少し怒ったように言った。
「葵ちゃんだっけ……いい
「どこが」
言ってから、紅葉が佳乃の方を向く。
「あのね……」
言葉を止めた紅葉を、佳乃は不思議そうに見る。紅葉は佳乃の目を見ない。そのまま恥ずかしそうに視線をそらしながら口を開く。
「おかえり、佳乃」
佳乃は少し驚いたような顔をし、すぐに笑顔になる。それから嬉しそうに、佳乃の唇が言葉を紡いだ。
「ただいま、紅葉」
『佳乃と葵』 了