四十五夜 玉桂

文字数 2,136文字

 (あおい)たちは屋敷を出て、敷地内を他の建物へと移動していた。
 目指すは屋敷より小さな、しかしより現代建築に近づいた造りの和風家屋。信者たちの寝泊まりする宿坊の一つだ。

(かつら)さんは、この教団に入って長いんですか?」

 先を行く桂の背中に葵が訊く。この桂という女性のことは、事前の情報になかった。なるべく本人から話を聞いておきたい。ここで話せば、メガネを通じて宗弥(そうや)たちにも伝わるはずだ。

「いいえ。三ヶ月前に来たばかりよ」

 桂は葵に警戒することもなく、素直に話す。三ヶ月前といえば七月の上旬。その頃は確か豪雨災害で道路が不通になり、村には入れなくなっていたはずだ。
 葵は頭の中で素早く確認する。

「でも、その頃は村には入れなかったんじゃ? 道路が不通になったとかで、来るのを諦めた覚えがあります」

 葵の言葉に桂は足を止めて振り向いた。そして少し困ったような表情を浮かべて見せる。

「わたしね、記憶がないの」
「え?」
「あなたの言う道路が不通なった時ね。どうもわたしはそれに巻き込まれたみたいなの」
「車を運転中に巻き込まれたんですか? なら、免許証やスマートフォンは持ってなかったんですか?」
「そういったものは持ってなかったって紫雲(しうん)さまが言ってたわ。道路に倒れていたって。気づいたら、教団で保護されてたの。だから以前の記憶はないのよ」

 それだけ言うと、桂はまた歩き始めた。葵が慌ててついていく。

「名前もわからない。でも『玉桂(たまかつら)』って言葉は何故か覚えていたのね。そこから桂って呼ばれるようになったのよ」
「それは……なんて言っていいのか」
「気にしないで。ここの皆さんには良くしてもらっているし、深山(しんざん)さまは、災害に巻き込まれたショックで記憶が一時的に喪失しているのだろうって。
 あ、深山さまって元お医者さまらしいわ」

 この女性は一般の信者に「さま」付けで呼ばれていたはずだ。先ほどは教祖を含め、教団でそれなりの地位の人間とも気軽に話していた。てっきり彼女は古参の信者だと思っていたのだが……。
 しかし葵の思い違いだったらしい。もっとも、桂の言う記憶喪失の話が本当なら……だが。

「さあ、ここがあなたの部屋になるわ。わたしもこの宿坊にいるから、わからないことがあればいつでも来てね。一番奥の部屋よ」

 宿坊に入ると、葵は四畳半の和室に案内された。新参者(しんざんもの)の葵に個室を与えてくれるらしい。どうやら葵のことを

の人間として扱ってくれるようだ。
 個室なのは葵にとっても好都合だった。

「ありがとうございます」
「あとで必要なものを持ってくるから、それまではこの部屋で寛いでいてね」

 桂がウインクして見せる。そして葵の返事を待つことなく部屋を出て行った。
 葵は障子戸を閉め、少しのあいだ聞き耳を立てる。桂の足音が聞こえなくなってからもその場を動かない。
 心の中で二十を数え近づく気配がないことを確認して、葵は誰にともなく話しかけた。

「宗弥先輩。聞こえますか?」

 しかし、宗弥からの返事はない。

「宗弥先輩? あれ……?」

 もう一度呼びかける。しかし、いつまで経っても返事はなかった。
 一瞬、通信可能範囲外なのだろうかと葵は思ったが、通信は宗弥の持つ能力に依存するところが大きい。ここに来るまで何事もなく通信できていたのだから範囲外ということはないだろう。また電波妨害があったとしても、条件次第だが無視できる。
 他に理由があるとすれば……
 ――さすがにそっちの電源が入ってないと、僕の方で捕捉できないから。
 宗弥の言葉が思い浮かんだ。

「もしかして」

 葵は荷物の中から、メガネケースを取りだした。鏡面加工の施されたアルミ製のケースだ。ケースの中へメガネを入れて閉じる。
 ケースの表面に仕込まれたディスプレイに電池マークが現れた。マークの中に「!」が出ている。これはメガネの電池残量がなくなったことを示すマークだった。
 バッグからスマートフォン用の充電ケーブルを取り出してケースに繋ぎ、部屋にあったコンセントに差し込む。ケース表面の電池マークが、充電中のものに変わった。

「宗弥先輩、フル充電してるって言ってたのに」

 いつから電源が切れていたのだろうか。渡された時に自分で電池残量を確認しなかったことを、葵は後悔した。
 サポートがあるとは言え、今回は初めて単独行動させてもらえる任務だった。なのに最初から躓いたような気がして、葵は面白くなかった。
 なにより、急に連絡がとれなくなって虎児(とらじ)が心配しているだろう。葵にはそれが嬉しくもあり、嫌でもあった。

 虎児は自分に対して過保護だと思う。葵としては早く一人前の〝月を喰らいし者(エクリプス)〟として認めてもらいたいのだ。頼れる相棒として、虎児の横に並びたいのだ。
 しかし未だ、虎児にとって自分は四年前に出会った少女のままだった。葵はまだ子供であり、自分を彼女の保護者か何かだと思っている(ふし)がある。
 桂が戻って来るまでに充電は終わらないだろう。代わりのメガネも持ってきていないので、この部屋に置いたまま……というわけにもいかない。

 まだまだ自分は経験不足だ。これでは虎児に胸を張って一人前と認めろとは言えない。
 葵はメガネケースにうつる充電中のマークを見つめる。彼女の口から、ため息が一つこぼれた。
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