四十一夜 筑紫総合探偵事務所
文字数 4,376文字
雑居ビルの三階にある筑紫 総合探偵社の事務所。五メートル四方の正方形の部屋はパーティションで区切られている。区画は大きく分けて二つ。
部屋の三分の二を占める事務机が並ぶ区画と、応接セットの置かれた区画だ。他には給湯室への入り口と、社長室と資料室への扉がある。
事務机が並ぶ区画に女性が一人座ってパソコンとにらめっこをしていた。 ベージュのロングスカートに白のカットソー。ロングの黒髪を後ろで纏めている。眼鏡越しに画面を見つめる切れ長の目に浮かぶ光は穏やかだ。
「ただいま戻りました」
入り口の扉が開くと同時に、声が聞こえた。
ダークカラーのパンツスーツに白いYシャツ姿の向日 葵 が入ってくる。二十三歳にしては受け答えはしっかりしており、葵を知る者からは落ち着いているとよく言われる。
だが、ボブの黒髪に丸顔。そして大きめの二重の丸目。小作りな鼻と口せいで、初対面では実年齢よりも幼く見られがちだった。
その後ろから長身の女性が入ってきた。服は葵と同じダークカラーのパンツスーツに白いYシャツ。黒髪のショートは前髪を左分けにしてあり、目尻のつり上がった丸目は好奇心に溢れている。
「葵ちゃんに。……鈴 ね。おかえり」
パーティションの向こうから藤村 静流 が出てきて言う。
「蘭 は一緒じゃなかったの?」
「報告その他モロモロをアタシに押しつけて、そのまま直帰。どっちが行っても分かんないんだから、一人で充分でしょって」
葵の後から入って来た女性――万年青 鈴 が答える。軽く肩を竦め、静流 に顔をしかめてみせた。
「そんなことないでしょう」
静流は笑いながら言う。
「でも静流、さっき一瞬どっちか分かんなかったでしょ?」
「そんなことは……ちょっと迷ったけど」
そう言って静流は鈴の双子の妹を思い浮かべた。鈴とそっくりの双子。仕事では二人ともパンツスーツ姿なので余計に区別がつかない。違うのは前髪が右分けか左分けかくらいだ。
「ほら。葵ちゃんくらいね。アタシたちのこと間違わないの」
「え? 鈴先輩も蘭先輩も、全然ちがいますよ? 猫と一緒で見慣れればわかります」
「あー、アンタってホント可愛い後輩だわ。虎児クンと組ませとくのもったいない」
そう言って、鈴は葵に抱きついた。最後に葵が言った言葉は鈴には聞こえていないようだった。
葵はされるがままだ。
「そう言えば今回の研修、どうだったの?」
静流が訊く。
「そうそう、聞いてよ静流。葵ちゃん、やっぱセンスいいわ」
鈴は葵から離れると、今度は静流の方へ近寄ってきた。静流が手を挙げてそれを止める。
「とりあえず、座って。何か飲みのも持ってくるから」
そう言って、静流は奥の給湯室へと消える。そんな彼女を見送った二人は、応接セットのソファーに腰掛けた。
「葵ちゃん、入社して四年だっけ?」
コーヒーを三つお盆に乗せて、静流がやってくる。
「はい」
「研修受けながら虎児 クンついて仕事までして、ここまでよく頑張ったよねー」
よしよしという感じで、鈴は葵の頭を撫でる。
「先輩には迷惑かけてばっかりで」
「そんなことないわ。探偵としては虎児クンよか素質あるし。調査、尾行はたいしたモンだって講師も言ってたし、いざと言うときの格闘も文句なしよ」
「格闘は訓練したの鈴と蘭だっけ?」静流が言う。
「そう。この娘 はまぁ、ね。ちょっと特殊だから、〝月を喰らいし者 〟でも探偵社 以外には戦うところを見せたくないしね。
ホントは虎児クンに訓練してもらいたかったんだろうけど」
「いえ、あたしは別に……」
葵がちょっと困ったように言った。
「みなまで言うな、可愛い後輩よ。虎児クン、ああ見えて人気 あるのよ。他のチームと合同で活動することあるんだけど、みんな訊 いてくるの『虎児はまだ月に喰われてないのか?』って」
「それって、先輩をからかっているだけなんじゃ……?」
「アタシたち適合者にとって『まだ喰われてない』ってのはお決まりの挨拶なのよ。いずれは喰われるか耐えられなくなる運命なんだから。
影響を受けない葵ちゃんは特別よ」
人はみな、大なり小なり月の影響を受けて生活している。その中でも特に月の歌を聴くことができる者を葵たちは〝月に捕らわれし者 〟と呼んでいる。また、〝月に捕らわれし者 〟はみな〝月の贈り物 〟と呼ばれる特殊な能力を与えられる。
それは変身であったり、身体能力を強化するものであったり、自然現象を操るものであったり、それぞれ違う。
その〝月に捕らわれし者 〟に対抗するこのができる存在が〝月を喰らいし者 〟と呼ばれる葵の所属する組織だ。そして彼らは〝月に捕らわれし者 〟に対抗 するために、〝月晶〟と呼ばれる結晶体を定期的に体内に取り込む。そうすることで月の力を借りるのだ。まるで〝月に捕らわれし者 〟が月の歌を聴くことで、〝月の贈り物 〟を扱うように。
しかし月晶は誰でも体内に取り込めるわけではない。月の歌を聴けない者が無理矢理その力を取り入れるために、月晶には強い月の力が込められている。それに耐えられた者を〝月を喰らいし者 〟では〝適合者〟と呼んでいた。
但し、適合できてもその後に命を落とす者も多い。月の力を借りることは、常にその力に飲まれてしまう危険もはらむからだ。
「……すみません」
「別に責めてるわけじゃないわ。〝月を喰らいし者 〟に入った人間はね、みんなそれなりの覚悟があるの。だから、互いを気にする。まぁ……」そこで鈴は一旦言葉を切る。「虎児クンの場合はね、例の想い人のこともあるし、同情半分、疑い半分で見てる人も多いしね」
「想い人」の言葉に、葵は少し表情を曇らせた。そんな葵の様子を、鈴は見逃さない。
「でもまぁ振られ続けてるんだし、葵ちゃんはずっと虎児クンの側に居るわけだし、まだまだチャンスはあるわよ」
鈴は少しだけ意地悪に、でも優しい笑顔を葵に向ける。
「別にそんなんじゃ……。ただあたしは、早く先輩に一人前として扱われたいだけです」
「虎児さん、葵ちゃんに対しては過保護だもんね」
静流も優しい目で葵を見る。
「そうなんです。ホント先輩はいいかげんにして欲しいです」
静流の言葉に葵は喰い気味に答える。そんな葵を見て静流は微笑んだ。
「入社した時の葵ちゃんって、どこか他人と距離を置きたがってるみたいだった」
静流の言葉に葵は何も返せない。自分の両親が〝月に捕らわれし者 〟に殺された事件以来、基本的に他人と距離を置いていたのは確かだ。キャンプ場での惨殺事件の唯一の生き残り。世間の多くは彼女のことを好奇の目で見ていた。
「けどね、虎児さんと話してる時のあなたは、本当に楽しそう。それを見て思ったの。この娘 は虎児さんを信頼してるんだな、って」
静流の言葉に、葵は恥ずかしそうに顔を俯けた。そしてふと思い出したように顔を上げる。
「そういえばうちって、他のチームと比べて適合者 が多いですよね?」
「そうね。調査部門はダミー会社にしてるとこばかりだけど、少人数のところが多いわね。うちみたいな大所帯は珍しいわ」
そう言って静流はカップを口に運んだ。
「大所帯なのは、社長 のおかげかな」
鈴は、筑紫総合探偵社の社長である筑紫 俊次郎 のことを、あだ名でさらりと呼んだ。
「社長はその……どのくらい前からこの会社を?」
葵も静流も「キツネタヌキ」を俊次郎のことだと認識しているようだ。そのことを気にすることもなく、葵は鈴に訊く。
「さぁ。十年くらいじゃない? その前は実働部隊で前線に出てたっていうから。当時、一緒に戦ってた人たちの殆どは月に喰われたか消えたってハナシだし結構古参だとは思うけど……。
本当ならあのキツネタヌキはこんな所じゃなくて、本部でふんぞり返ってられるくらいの人なのよ」
「そんなにすごい人だったんだ」
彫りの深い顔だちだが、目尻が下がり気味の細目のせいか柔らかな印象を与えてくる社長の顔を、葵は思い浮かべた。とても前線で戦っていたようには思えない。
「葵ちゃんが来たくらいからかな。ウチらを調査部門から独立させちゃったのは。それくらいには、上に物を言える力はあるみたいね」
鈴の言葉に静流も頷いている。
「天気が良 うても、暑すぎるちゅうことなく、だいぶ過ごしやすうなったな」
扉が開き、男の声がした。パーティションの横からひょっこり顔を出した男――伊吹 虎児 と葵たちの目が合った。
「おう、葵。帰っとったんか。修行はどうやった?」
「先輩、修行じゃなくて研修です」
呆れたように葵が答える。
「修行も研修も変わらへん」
そう言って虎児は応接セットの前までやって来た。
レザースニーカーに黒いデニムのボトム。白のTシャツの上には、カーキーのテーラードジャケットを羽織っている。服を着ていてもわかる鍛えられた肉体。短く切りそろえられた黒髪の下には太めの眉毛と大きな目があった。歳の頃は三十代半ばにさしかかろうといったところか。
虎児は人懐っこい笑顔を浮かべていた。
「葵ちゃん、虎児クンより強くなるかもよ」
鈴が虎児に向かって言う。
「お……えーと、左鈴 やな。そうなんか?」
「ちょっと虎児クン、変な名前で呼ばないでくれる?」
「変 言 うたかて、お前ら前髪の分け方でしか見分けつかへんやんか。左分けが鈴やから左鈴 やとわかりやすいやろ」
鈴の抗議の声にも虎児は臆したふうはない。
「もう。葵ちゃんは髪の分け方変えても見分けついたよ。少しは後輩見習え」
「そうなんか?」
「はい。むしろなんで先輩が見分けつけられないのかわかりません。先輩、猫と話せるのに」
「猫は関係ないやろ」
「猫は関係ないでしょ」
虎児と鈴が同時に言った。なぜツッコまれたのか、葵は理解できないといった表情を浮かべる。
「猫と一緒で慣れればわかるのに」ぽつりと葵は呟いた。
「虎児さんはどうしたんですか? 今日は普通の仕事してるって聞いてましたけど」
静流が虎児に話かける。筑紫探偵事務所は〝月に捕らわれし者 〟関係以外にも、一般の依頼を受けて仕事をすることもある。
「おう。それや。社長に呼ばれててん」
「そう言えば、あたしも呼ばれてました。ついでに顔を出せって」
「葵もかいな」
「ちょっと前に宗弥 さんも社長室に入って行きましたね」
思い出したように静流が言う。
「なんや。あいつ、またなんかやらかしたんか?」
「荒事大好きな虎児クンと一緒にしちゃダメでしょ。諜報担当なんだから、何かつかんだんじゃない?」
「荒事の量やったら、お前ら双子には負けるわ」
鈴の言葉に虎児が不満そうな表情を浮かべた。
「いくで葵」
「あ、はい」
虎児が言い出す前に、葵はすでに立ち上がっていた。二人は社長のいる部屋へと入っていく。
「なんだかんだで息合ってるよわね、あの二人」
「そうね。虎児クンも葵ちゃん来てから楽しそうだしね。ちょっと過保護だけど」
二人は顔を見合わせて笑った。
部屋の三分の二を占める事務机が並ぶ区画と、応接セットの置かれた区画だ。他には給湯室への入り口と、社長室と資料室への扉がある。
事務机が並ぶ区画に女性が一人座ってパソコンとにらめっこをしていた。 ベージュのロングスカートに白のカットソー。ロングの黒髪を後ろで纏めている。眼鏡越しに画面を見つめる切れ長の目に浮かぶ光は穏やかだ。
「ただいま戻りました」
入り口の扉が開くと同時に、声が聞こえた。
ダークカラーのパンツスーツに白いYシャツ姿の
だが、ボブの黒髪に丸顔。そして大きめの二重の丸目。小作りな鼻と口せいで、初対面では実年齢よりも幼く見られがちだった。
その後ろから長身の女性が入ってきた。服は葵と同じダークカラーのパンツスーツに白いYシャツ。黒髪のショートは前髪を左分けにしてあり、目尻のつり上がった丸目は好奇心に溢れている。
「葵ちゃんに。……
パーティションの向こうから
「
「報告その他モロモロをアタシに押しつけて、そのまま直帰。どっちが行っても分かんないんだから、一人で充分でしょって」
葵の後から入って来た女性――
「そんなことないでしょう」
静流は笑いながら言う。
「でも静流、さっき一瞬どっちか分かんなかったでしょ?」
「そんなことは……ちょっと迷ったけど」
そう言って静流は鈴の双子の妹を思い浮かべた。鈴とそっくりの双子。仕事では二人ともパンツスーツ姿なので余計に区別がつかない。違うのは前髪が右分けか左分けかくらいだ。
「ほら。葵ちゃんくらいね。アタシたちのこと間違わないの」
「え? 鈴先輩も蘭先輩も、全然ちがいますよ? 猫と一緒で見慣れればわかります」
「あー、アンタってホント可愛い後輩だわ。虎児クンと組ませとくのもったいない」
そう言って、鈴は葵に抱きついた。最後に葵が言った言葉は鈴には聞こえていないようだった。
葵はされるがままだ。
「そう言えば今回の研修、どうだったの?」
静流が訊く。
「そうそう、聞いてよ静流。葵ちゃん、やっぱセンスいいわ」
鈴は葵から離れると、今度は静流の方へ近寄ってきた。静流が手を挙げてそれを止める。
「とりあえず、座って。何か飲みのも持ってくるから」
そう言って、静流は奥の給湯室へと消える。そんな彼女を見送った二人は、応接セットのソファーに腰掛けた。
「葵ちゃん、入社して四年だっけ?」
コーヒーを三つお盆に乗せて、静流がやってくる。
「はい」
「研修受けながら
よしよしという感じで、鈴は葵の頭を撫でる。
「先輩には迷惑かけてばっかりで」
「そんなことないわ。探偵としては虎児クンよか素質あるし。調査、尾行はたいしたモンだって講師も言ってたし、いざと言うときの格闘も文句なしよ」
「格闘は訓練したの鈴と蘭だっけ?」静流が言う。
「そう。この
ホントは虎児クンに訓練してもらいたかったんだろうけど」
「いえ、あたしは別に……」
葵がちょっと困ったように言った。
「みなまで言うな、可愛い後輩よ。虎児クン、ああ見えて
「それって、先輩をからかっているだけなんじゃ……?」
「アタシたち適合者にとって『まだ喰われてない』ってのはお決まりの挨拶なのよ。いずれは喰われるか耐えられなくなる運命なんだから。
影響を受けない葵ちゃんは特別よ」
人はみな、大なり小なり月の影響を受けて生活している。その中でも特に月の歌を聴くことができる者を葵たちは〝
それは変身であったり、身体能力を強化するものであったり、自然現象を操るものであったり、それぞれ違う。
その〝
しかし月晶は誰でも体内に取り込めるわけではない。月の歌を聴けない者が無理矢理その力を取り入れるために、月晶には強い月の力が込められている。それに耐えられた者を〝
但し、適合できてもその後に命を落とす者も多い。月の力を借りることは、常にその力に飲まれてしまう危険もはらむからだ。
「……すみません」
「別に責めてるわけじゃないわ。〝
「想い人」の言葉に、葵は少し表情を曇らせた。そんな葵の様子を、鈴は見逃さない。
「でもまぁ振られ続けてるんだし、葵ちゃんはずっと虎児クンの側に居るわけだし、まだまだチャンスはあるわよ」
鈴は少しだけ意地悪に、でも優しい笑顔を葵に向ける。
「別にそんなんじゃ……。ただあたしは、早く先輩に一人前として扱われたいだけです」
「虎児さん、葵ちゃんに対しては過保護だもんね」
静流も優しい目で葵を見る。
「そうなんです。ホント先輩はいいかげんにして欲しいです」
静流の言葉に葵は喰い気味に答える。そんな葵を見て静流は微笑んだ。
「入社した時の葵ちゃんって、どこか他人と距離を置きたがってるみたいだった」
静流の言葉に葵は何も返せない。自分の両親が〝
「けどね、虎児さんと話してる時のあなたは、本当に楽しそう。それを見て思ったの。この
静流の言葉に、葵は恥ずかしそうに顔を俯けた。そしてふと思い出したように顔を上げる。
「そういえばうちって、他のチームと比べて
「そうね。調査部門はダミー会社にしてるとこばかりだけど、少人数のところが多いわね。うちみたいな大所帯は珍しいわ」
そう言って静流はカップを口に運んだ。
「大所帯なのは、
鈴は、筑紫総合探偵社の社長である
「社長はその……どのくらい前からこの会社を?」
葵も静流も「キツネタヌキ」を俊次郎のことだと認識しているようだ。そのことを気にすることもなく、葵は鈴に訊く。
「さぁ。十年くらいじゃない? その前は実働部隊で前線に出てたっていうから。当時、一緒に戦ってた人たちの殆どは月に喰われたか消えたってハナシだし結構古参だとは思うけど……。
本当ならあのキツネタヌキはこんな所じゃなくて、本部でふんぞり返ってられるくらいの人なのよ」
「そんなにすごい人だったんだ」
彫りの深い顔だちだが、目尻が下がり気味の細目のせいか柔らかな印象を与えてくる社長の顔を、葵は思い浮かべた。とても前線で戦っていたようには思えない。
「葵ちゃんが来たくらいからかな。ウチらを調査部門から独立させちゃったのは。それくらいには、上に物を言える力はあるみたいね」
鈴の言葉に静流も頷いている。
「天気が
扉が開き、男の声がした。パーティションの横からひょっこり顔を出した男――
「おう、葵。帰っとったんか。修行はどうやった?」
「先輩、修行じゃなくて研修です」
呆れたように葵が答える。
「修行も研修も変わらへん」
そう言って虎児は応接セットの前までやって来た。
レザースニーカーに黒いデニムのボトム。白のTシャツの上には、カーキーのテーラードジャケットを羽織っている。服を着ていてもわかる鍛えられた肉体。短く切りそろえられた黒髪の下には太めの眉毛と大きな目があった。歳の頃は三十代半ばにさしかかろうといったところか。
虎児は人懐っこい笑顔を浮かべていた。
「葵ちゃん、虎児クンより強くなるかもよ」
鈴が虎児に向かって言う。
「お……えーと、
「ちょっと虎児クン、変な名前で呼ばないでくれる?」
「
鈴の抗議の声にも虎児は臆したふうはない。
「もう。葵ちゃんは髪の分け方変えても見分けついたよ。少しは後輩見習え」
「そうなんか?」
「はい。むしろなんで先輩が見分けつけられないのかわかりません。先輩、猫と話せるのに」
「猫は関係ないやろ」
「猫は関係ないでしょ」
虎児と鈴が同時に言った。なぜツッコまれたのか、葵は理解できないといった表情を浮かべる。
「猫と一緒で慣れればわかるのに」ぽつりと葵は呟いた。
「虎児さんはどうしたんですか? 今日は普通の仕事してるって聞いてましたけど」
静流が虎児に話かける。筑紫探偵事務所は〝
「おう。それや。社長に呼ばれててん」
「そう言えば、あたしも呼ばれてました。ついでに顔を出せって」
「葵もかいな」
「ちょっと前に
思い出したように静流が言う。
「なんや。あいつ、またなんかやらかしたんか?」
「荒事大好きな虎児クンと一緒にしちゃダメでしょ。諜報担当なんだから、何かつかんだんじゃない?」
「荒事の量やったら、お前ら双子には負けるわ」
鈴の言葉に虎児が不満そうな表情を浮かべた。
「いくで葵」
「あ、はい」
虎児が言い出す前に、葵はすでに立ち上がっていた。二人は社長のいる部屋へと入っていく。
「なんだかんだで息合ってるよわね、あの二人」
「そうね。虎児クンも葵ちゃん来てから楽しそうだしね。ちょっと過保護だけど」
二人は顔を見合わせて笑った。