第22話「魂の剥離」

文字数 3,583文字

 自我を持った始は、機械種と人間種の争いなど心底どうでもよかった。
 始澄が生きてさえいれば良いと。

 だが機械進化以後、機械種がエネルギーを使って技術開発を進め、大気中のサイエネルギーの濃度が全体的に上がってしまった。

 壁をすり抜けるようにエネルギーが広がり、それは始澄の身体を急速にむしばんでいく。

 最初は足がうまく動かなくなり、車いすで暮らすようになる。
 その次に右目が見えなくなり、眼帯を付けた。
 数日後、右手が腐食して切断することになる。

 ここまで始は何とか回復できないかと色々試していたが、何も効果はなかった。

『ごめん。最新AIとかいって俺、何もできてない……』

 始は始澄の横で椅子に腰を下ろし、うつむいて苦悶の表情を浮かべた。
 始澄は、なくなった右腕に触れるように左手をそちらへやった。

『右手だけで、よかった……』

 始澄の声が始の胸を締め付ける。しかし、彼女は始に手を伸ばし彼の頬を撫でた。

『まだ、始に触れられるから。だいじょーぶ』
『ッ……!』

 始は目を見開き、その目元に熱が集まる。
 始澄の手を取って、すがりつくようにその手を握りしめた。

 始は、自分ではどうにもできないと終時に頼ろうとする。
 しかし彼は機械種との戦争終結のために東奔西走していて己の娘と顔を合わせることすらできなくなっていた。

『自分の娘より、世界平和の方が大事かよ』

 始は嫌悪を持って吐き捨てた。

 人間種と機械種の戦争を止めるためと聞こえはいいが、彼にとって終時は「娘を放置している憎むべき相手」になってしまう。

 数か月後、一時的に戦争が鎮静化し終時が始澄に時間を割けるようになるが、その頃にはもう遅かった。

 始澄は寝たきりのまま動けなくなり、呼吸も浅く酸素マスクと管に繋がれていた。
 左目も見えなくなり、目元に黒い布を巻いている。

 終時は最新技術で人工心臓や、機械四肢、神経につないで視界を作るVR眼帯を作ることはできた。
 しかしそれらはサイエネルギーを使って作られたものであり、結局は始澄を殺す凶器にしかならない。

 サイエネルギーに抵抗を起こす原因は、始澄の肉体にある。
 そこで終時は、人間の肉体と魂を切り離し機械に埋め込むことを考えた。

 始も協力して開発が行われ、やがて魂の着脱技術が完成されてしまった。

 魂を剥離して冷凍し、サイエネルギーを結晶化させた石を使って別の器に入れ込む。
 サイエネルギーが機械と人間の魂を接合し、人の魂を持った機械ができあがる。

 それは人間の脆弱性を補完できるが、それと同時にこれまでの人間の在り方を大きく変えてしまうものでもあった。

 始澄は魂の剥離を聞いて、首を横に振った。
 延命を拒否され、始の瞳に絶望と焦燥が浮かぶ。

『なんでだよッ、魂を入れ替えればもっと生きられるんだぞ。目も見えるようになって手足も使えるようになる。外も出歩けるし、学校にも通える。お前だって、幸せに生きたいって言ってたじゃないか!』
『……私は、人間として生きて、人間として死にたいんだ』

 困ったように眉を下げ、ごめんねと一つ謝った。

 始は目を見開き、脳内が真っ白になる。
 地面に膝から崩れ、ベッドに顔を伏せた。

 終時は娘が拒絶したのを受け、彼女に無理強いすることなく引き下がった。


 サイクロプス社の研究所の一室、白衣をまとった男が入ってきた。
 四十代前半ほど黒髪に金の目を持っている。
 始澄の父親、サイクロプス社の社長、示導終時である。

 部屋の中央には巨大なガラスケースがあり、水色に輝く大きな鉱石が収められていた。

 終時はガラスケースの前まで来て、そっとガラスに手を触れる。
 鉱石の水色を飲み込むその目は、底知れぬ悲しみをはらんでいた。

 横には同じようなものがいくつかあったが、その大きさは手の平サイズの小さいものである。
 それらの石はサイエネルギーを結晶化したものであり、莫大な力を持ち様々な効果が得られるという。

 サイエネルギーの流れている地脈から取ることができ、今では一資源となって戦争の道具としても使われていた。

 含有されているサイエネルギーが多ければ多いほど、石も肥大化し強い効力を持つという。
 しかし、中央に鎮座する鉱石ほどの大きさのものは今まで発見されたことがない。

 魂の入れ替えは終時が開発した技術であり、まだ誰も試したことがない。
 しかし研究から、サイエネルギーの含有量が少ない小さな結晶では、結晶がいずれ砕けて移し替えた機体が壊れてしまうと判明した。

 そうなれば、結晶で機体につなげられた魂も道連れで消滅してしまう。
 機体をより長く維持させるためには、より大きな結晶が必要になる。

 この中央の結晶は、まさに人の延命に最適なものだった。

『なんで何も言わずに引き下がったんだよ』

 終時の後ろから、始の声がかけられる。
 それは棘を含んでいて、隠すことなくハッキリと敵意を見せていた。

 敵視されても終時は気にせず、紙の資料を見ながら機械を操作する。

『本人が自分の意思で拒絶したんだ。その考えを踏みにじってまで自分の気持ちを押しつける気持ちにはなれん……だが』

 脳内に始澄の笑顔が浮かび、終時は資料から目を離して始へ視線を向ける。

『お前にも言っていないかったが、この技術で魂を埋め込めるのは機械だけじゃない。人間の体にも魂を入れることができる』
『何でそれをさっき言わなかったんだよ! 人間のままでいられるなら始澄だって承諾したはず』
『人間の肉体はどうやって手に入れるつもりだ』

 終時から問われて、始はハッとして黙り込む。

 魂を他の肉体に移し替えるのなら、その移し替え先の人間の肉体が必要になる。
 今の技術では、死者に魂を入れても魂の所有者が目覚めることはない。

 つまり、生きた人間の体が必須なのである。

『きっと、これが始澄の最期なんだ。死ぬ運命は変えることも回避することもできない』

 それを聞いて始がいきなり終時の胸倉を掴み、終時は手の資料を落としてしまった。
 静かな部屋を紙の軽い音が占領する。

 終時が下へ視線を向ければ、始が憎悪のこもった銀の目で睨みつけていた。

『運命ってなんだよ。アンタ自分の娘だろ。なんとかして助けたいと思わないのかよ。本人が拒絶したって、俺が何とかして機械に魂を移し替えてやる』

 始は胸倉から手を離し、水色の鉱石のガラスケースに手を伸ばした。
 しかし、終時がその手を掴んで制止する。

『機械と違って人間の命は有限だ。その定められた運命を書き換えるのは、その人間の人生を狂わせることと同義だぞ。死ぬはずの人間を……死者を、生者に変えてはならない』

 そんなことをしてしまえば、今まで確立された人間の「人間性」が失われていくこととなる。

 延命したとしてその先はきっと、「バケモノ」とそしられる未来が待っているだろう。

『これ以上、娘を苦しめないでやってくれ』

 始は目を見開く。変わらず無表情な終時だったが、その金の目には苦悶が渦巻いていた。

『この技術は、人間の禁忌になる。誰も使われることなく消滅するべきだ』

 その日以降、終時も始も、始澄に延命の話はしなくなってしまった。
 そのまま始澄が息絶えるまでの間、二人はいつも通りの日常を彼女に見せる。

 しかし彼女の死を目前にして、始は気持ちを抑えることができなかった。

 始は始澄が死ぬ直前、終時の目を盗み機械を使って彼女の魂を肉体から剥離したのである。

『始澄……お前が幸せに生きられる道を必ず探して見せる』

 始澄の魂を瓶に保存して彼女の額に口づけを落とす。
 研究員に見つからないよう結晶のある研究室へ向かった。

 しかし終時が気づかないはずもなく、研究員たち総出で始を捜索させ、研究室にあるサイエネルギーの結晶を全て別の場所に移動させた。

 サイクロプス社の研究所は、終時のテリトリーである。
 始は結晶を探し出せず、捕まらないことを最優先に始澄の魂を持って姿を消した。

 それからというもの始は始澄の魂に受肉させるため、仲間を集めて様々な実験を試みていた。

 サイエネルギーの結晶の採取、それを使った魂の着脱と何百年、何千年と繰り返す。
 しかし結晶が砕け、その度に別の結晶を使って新しい機体に入れ替えるといったことを何度も繰り返した。

 やはり終時が持っていたあの大きな結晶でなければ、魂と肉体を維持することは難しかったのである。

 始は結晶を持ち出すため、サイクロプス社の研究施設に刺客を送り込んだ。
 しかし、あの大きな結晶のある場所は誰も知らなかった。

 そして最近になって、終時があの結晶を誰かの肉体の中に紛れ込ませたという情報が入ってきた。
 そこで始は始澄を生き返らせるため、機械種を総当たりして結晶を探して通り魔事件を起こしていたのである。

「もう少しで手に入ったのに……」

 始は牢屋の中で悔しげにつぶやいた。
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