第25話「バグの浄化」

文字数 4,891文字

 入り口の方から足音が聞こえ、始はすぐに表情を戻した。
 正生たちが牢屋にやってきて始の前までくる。

「あらまあ、皆さんお揃いで。どうしたんですか?」

 何となく分かっているが、始は白々しくも問いかけた。

「サイコ・パスだったか。人の身体をいじれるんだってな。お前が光をバグ化させて上野を巻き込んだのか」
「サイコ・パスって名付けたのか。あのおじいちゃんカタカナ好きだなあ……」

 問いに答えず関係ないことを言っていると、正生が顔に険を浮かべて敵意丸出しで睨んできた。
 始はその表情に思わず苦笑いする。

「そんな怖い顔で睨まなくても。まあわからなくもないけど」

 始は床にあぐらをかいて足に肘を乗せ、頬杖をつき顔に笑みを浮かべる。

「あの一件に関しては私のせいじゃないよ。というか、むしろ君らを助けようとしたんだよ。褒めてほしいくらいだ」
「助けるだと?」
「そ。君たちも見ていただろ? バグが人間に戻っていくところ」
「やはりバグの浄化は、あなたがやったんですね」

 チャシャに確認されて、改めて始は肯定の言葉を返した。

「誰かが細川君の友達に干渉してバグ化させていたから、それを私が元に戻したんだよ」
「人間に戻すなんて本当にできるのかよ」
「もともと、人間の肉体の細胞をサイエネルギーが侵食して変化したのがバグだからね。対象の元の肉体を形成するデータが残っていれば、それに干渉して絡みついているサイエネルギーを摘出し細胞から引き剥がすことができる。そうすれば細胞が回復して、人間に戻れるってわけだよ。浄化というよりは、摘出手術みたいなものだね。治療だよ、治療」

 肉体が完全にバグ化してしまうと、元の人間の情報が失われるため浄化することはできないらしい。
 死んだバグや人間も同様に、浄化や蘇生はできないという。

 そしてサイエネルギーの侵食を停止させながら全ての細胞を元に戻すには、集中力も時間もかなりかかる。

「浄化の途中で君たちが来ちゃって、かなり焦ったよ。戦闘で下野君のサイエネルギーが増幅されたみたいで浄化もうまく進まなかったし。なんとか君が彼を殺してしまう前に終わらせられたけど本当にギリギリだったんだよ」

 始は下野を助けるために動いていたが、正生にバグ化させた犯人と思われていて困ったように苦笑いした。

 しかし始と松岡には先刻、正生たちを襲ったという事実がある。
 安易に相手の言葉を信じるわけにもいかない。

「じゃあ、下野と上野の体の治癒を妨害したのは?」
「ああ……アレは私じゃないよ。私も上野さんを見つけた時は治療しようと思ったんだよ。でも右目が、何者かによって細胞が回復不可状態にされていた。サイコ・パスの力で無理矢理にでも細胞の成分に入り込もうとしたけど、ブロックされたんだよ。下野君の腕も同様で誰かに細工をされていた」
「誰かって、誰だよ」

 始は口角を引き上げ、嫌な笑みを正生に向けて投げかけた。

「いるじゃないか。私以外にももう一人、他人の身体をイジることができるバケモノみたいな奴がサ」
「まさか……もう一人のサイコ・パス」
「そう。私と同じく〈A#01〉の死に損ないにして、災厄の性格を持つ面倒な奴。いつどこで消えたか、消えたのかすらも定かでない消息不明の古代の遺物……『ショウキ』という名を刻まれた機械種だよ」

 もう一人のサイコ・パスの名が上がったが、彼女の言うことが全て正しいとも限らない。

 自分が罪から逃れる時間稼ぎをしている可能性もある。

「ショウキって名前してるくせして、バグなんてバケモン生み出してるなら皮肉なものだがな」
「ホントに。皮肉な名前だよね」

 始は銀の目に正生を沈め、少し呆れたようにして窓の方へ視線を移した。

 正生は情報を聞いても信用していない様子で警戒を解かない。

「お前が俺たちを襲ったことは消えない。サイコ・パスはヒトの記憶も意思も全て書き換えられるらしいからな。お前たちが犯人の可能性は高いままだ」
「ま、当然だろうね。疑うなら気の済むまで疑ってくれて構わないさ。ただ……死んだことにしてコソコソ隠れていた終時が表に姿を現してまで動き出しているなら、私と同じような化け物がもう一匹いるのは確実になった」

 始は手を上げて手枷を見せ、サイエネルギーを制御する首輪に手を触れ注目させる。

「私はこうやって拘束されているけど、もう一体のサイコ・パスは野放しのままだ。なら今は、そいつを見つけ出すのが先じゃないかい? 新型バグの被害が拡大しても良いなら、俺を好きに拷問してくれて構わないけど」

 正生たちは押し黙り、チャシャの判断でひとまずもう一人のサイコ・パス捜索を優先することになった。

 正生たちは帰ろうとするが、始から声をかけられ振り返る。

 始の瞳が再子を捉え、再子は少し違和感を覚える。

「一つ情報をあげる。サイコ・パスが他人に干渉するとき、目が水色に変わって眼球に十芒星が刻まれるから。そこを見逃さなければ、すぐに探し出せると思うよ。困ったことがあったら私を頼りな。それなりのサポートはしてあげるから」
「誰がお前なんか頼るか」

 正生は毒を吐いて先に歩いていき、チャシャと証もそれに続く。

 しかし再子は先ほどから何か違和感が消えず、その場から動かずにいた。

 これまで始はずっと、正生に目を向けて話していた。
 だが今の間だけは、再子の方を見ていたのである。

 たまたまと言えばそうなのかもしれないが、再子は始の最後の一言が、正生や全体に向けてではなく自分だけに投げられた言葉のように感じていた。

 再子の水色の瞳が始を映して揺れる。

「あの……」
「再子なにやってるんだ。早く行くぞ」
「あ、うん」

 始に何か話しかけようとするが、正生に催促され遮られてしまう。

 再子は困ったように眉を下げて始へもう一度視線を向け、何か気がかりな様子でいながらも背を向けて帰っていった。

「お前、まさか起動再子に話すつもりか」

 松岡の声が少し心配の色を乗せて、始の牢へ流れてくる。

「再子ちゃん次第だよ。ここでショウキが捕まれば彼らにとっては万々歳だけど、そう簡単に行くとは思えないからね。必要であれば話すし、過去を見せるように動くよ。そこで情報の対価として結晶を要求する。そうすればあの子は真実を知れて、機関はバグの犯人を見つけられて、私は始澄を再生できてウィンウィンで終わる。これが、私たちと彼らに残された最善で唯一の解決法だよ」

(彼女にとっては最悪の選択肢かもしれないけどね)

 始は心の中で呟き、憐れむような目を窓の外へと向けた。

 夕日が世界を茜色に染め上げ、日の暮れを知らせる。
 庶務が終わって再子は機関から出るが、正生は用事があるらしく別々で帰路についた。

 人々が穏やかに帰るなか突然、爆発音が響き渡った。

 音のした方へ目を向けるが、白い煙が立ち上っているのみでバグは見当たらない。

(あそこはサイクロプス社の研究所近く……)

 再子はすぐさまヴィークルを起動させてそちらに向かおうとする。

 しかし、突然ヴィークルの接続が遮断されて地面に落とされてしまった。

「ひゃッ!? いっ、なんで……」

 電子ウインドウを起動させ、二輪車を出そうとする。

 だが途中で電子ウインドウがブラックアウトし強制的に閉じてしまった。

《システムに接続ができません。再起動してください》

 男性の声が聞こえた瞬間、周囲の電子公告が一斉に消滅し周囲が停電状態になる。

 信号機がスパークを発生させて消灯し、自動車が停止して上空でヴィークルに乗っていた者たちが次々と落下してきた。

 再子は慌てて落下してくる人を下で受け止めていき、すぐに怪我人を治療する。

(いったい何が……サイエネルギーを使った物が全て動かなくなっている)

 治療しながら辺りを見回して現状を確認する。ヴィークルや電子公告、信号機や自動車などサイエネルギーを利用している器具がことごとく起動できなくなっていた。

 電子ウインドウもSAシステムもサイエネルギーを用いているため開かない。
 電子端末は、機器自体は動くものの中のソフトウェアが起動しない状態だった。

《機体干渉を感知》

 突然、女性の警告音声が聞こえてきて再子は「え」と声をもらす。

 誰にも触れられていないのに警告が出たということは遠隔操作だろう。

 急いで周囲を確認するが、周りにいた人たちが一斉に倒れていった。

 人間種も機械種も次々と地に伏せ、再子はすぐに駆け寄って容体を確認する。

「大丈夫ですかっ、しっかりしてください!」

 皆、特に外傷はなく呼吸はあるものの、眠るように意識を失っていた。

 続けて再子の脳内に電撃のような痛みが走る。

「ッ……」

 再子は眉を寄せて頭を押さえるが、再び女性の警告音声が響いた。

《機体防衛システムの妨害を検知。対処します――妨害コードを分解しました》

《機体侵入を感知。ただちに迎撃を開始します》

《サイエネルギーの変動を確認。調整に入ります》

(機体に干渉されているなんて……まさか)

 他者の身体に手を加えられる存在は一つだけ。
 サイコ・パスの残り一体だけである。

《攻撃者を特定しました。防衛システムはこのまま継続します。外敵を排除してください》

 再子の視界に、攻撃者の居場所が表示される。

 そこはサイクロプス社の方、先ほど爆発音がした煙が立ち込めている場所だった、再子は近くのレンタルサイクルを借りて目的地まで走らせた。


 白い煙が広がる世界で、少女――終時は手で煙を払って軽く咳き込んだ。隣には刀代がいて、片手に刀を持っている。

「ったく……やはり動くと思っていたが、ここまで派手にやるとは。煽り耐性の低さは変わらないんだな、お前」

 終時の視線の先には、黒いコートに身を包み黒いフードを目深に被った人物がいる。

 その人物は自分の喉元を少し撫でて手を下ろす。

「君がくだらないことを言うからでしょ?」

 フードしたから男性の声が聞こえるが、終時も刀代も今まで聞いたことがない人物の声である。

「僕は確かに君に造られたけど今はもう君にも、もう一体にも遥かに超えている。僕は今までずっとサイエネルギーを使って人も機械もいじってきたんだ。女に焦がされて朽ちた鉄塊なんかに劣るわけがないじゃないか」
「……機械いじりが好きなのがお前だけだったらな」

 終時は目を閉じて大きくため息をつく。

 再びまぶたを開けば、そこに見えた目は明確な殺意を映していた。

「刀代。潰せ」
「御意」

 刀代は地面を踏み込み、フードの男に急接近した。

 懐まで来ると間髪入れずに男を斬り上げる。
 しかし男はそれを横に避けて刀代の腹に蹴りを入れて吹っ飛ばした。

 刀代は痛みに眉を寄せ、地面に手をついて体勢を整える。足を地に押し付けながら後ろに勢いを殺す。

 顔を上げるが、視界に男の姿が見えない。

「どこみてるの」
「!!」

 背後から声がして刀代はすぐに振り返る。
 彼女の銀の目に、銃口が大きく映った。

 顔面の目の前にある狂気に、刀代の目が見開かれる。

 正生の指が引き金を引く――直前、正生の顔面に勢いよくゴミ箱が投げつけられた。

 ゴミ箱は強圧をもって正生を遠くの壁に叩きつける。

 刀代は驚いていたが、後ろから足音が聞こえてきてそちらへ振り返った。

「騒がしいからバグかと思って来てみりゃ、ただの喧嘩か」
「あなたは、黒岩博文……」

 ゴミ箱を投げた人物、博文は呆れた様子で刀代のもとまで歩いてくる。

 助けてもらったが、刀代は何故か険しい顔つきになっていた。

 博文は彼女を見て少し驚いた後、小さくため息をつく。

「まさか、こんなところ機関の旧友に再開するとはな。様子を見るにまだアイツに執着しているのか」
「……誰のことですか。ここは危険です。あなたのようなただの人間は今すぐ逃げてください」

 刀代に冷たくあしらわれ、博文は肩をすくめる。

「やられそうな機械放って逃げるわけないだろ」
「……そう言って機関を辞めたくせに。逃げてるじゃない」
「痛いところを突くなァ。じゃあなおさら、ここで逃げるわけにはいかねえな」

 博文は小さく息を吐き、前方で立ち上がるフードの男を見やった。
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