第20話「自己の証明」
文字数 5,643文字
路地を進むが、だんだん店もなくなり、ひとけも少なくなっていった。
静けさが広がり、少し心を揺すって不安にさせる。
路地を囲う壁は縦長の建物から、倉庫群へと変わっていく。
さすがに正生は進路を不審に思い、立ち止まって始の背中に声をかけた。
「おい、さっきの大通りに戻るぞ」
始は返答せず足を止めて後ろで手を組む。
前を向いたまま、口を開いた。
「細川君。君はどうして、起動さんと一緒にいるの?」
「なんだよ急に。どうしてって……昔馴染みでずっと一緒にいたから、腐れ縁だよ」
正生は改まった問いかけに怪訝そうにし、頭を掻いて答えた。
その答えを始はフッと鼻で笑う。
「昔馴染みでずっと一緒に、ねえ……」
「? なんだよ」
「いや? 別に、何も……ねえ、細川君。君は、『自分が細川正生という人間であること』を証明できるかい?」
「証明って……戸籍とかDNAとかでできるだろ」
「でもそれ、誰かに改ざんされる可能性もあるよ。私がこの間、起動さんのデータベースに侵入しようとしたみたいに」
「! やっぱお前あのとき再子のデータに干渉してきたのか!」
正生が顔に険を浮かべて怒りを表に出す。
「まあまあ落ち着いて」と始は笑い、背中を向けたまま言葉を続けた。
「もし仮に、個人情報そのものが改ざんされていた場合……自分が誰なのか分からなくなって、自己認識そのものが崩壊すると私は思っていてね」
「……そんなもん記憶があれば大丈夫だろ。記憶をたどっていけば今まで生きてきた軌跡から自然と自分を証明できるはずだ」
「ふふ、その導き出されるものが『本当の自分の軌跡』であればいいけどね」
「どういうことだよ」
「人間種の脳内にある記憶というものも、しょせんはデータの一つに過ぎない。海馬という媒体を用いて記されているだけの……変わってしまうかもしれない、変えられてしまうかもしれないデータだ。そしてそれは、己の種族認知すらも歪めてしまう」
「種族ってなに言って……」
「あまりにも、機械が人間に近づきすぎたんだよ。次第に境界線が滲んでいく。それは自己認識を歪めるほど脅威的だ。あの人は人間か? 彼女は機械か? アレは、どちらなのか? ――自分は、どちらなのか」
自己の認識というものは、感情や精神状況によって左右されたりもする。
たとえ真実ではなかったとしても、己が信じ込めばそれが真実として脳に記録される。
己が拒絶すれば、真の事象も己の箱庭から消し去られてしまう。
「……ねえ、細川正生君」
始は口角を引き上げ、顔だけ後ろを振り返って正生を見つめる。
「自分が人間だと信じ込んでいる機械種が出てきても、おかしくはないと思わないかい?」
問われて正生は言葉に詰まった。
彼女の考えていることが何となく分かって、しかしそれを肯定するわけにもいかず冷や汗が額からこぼれる。
「機械 が人間 の世界に溶け込み共存することで、人間 は機械 に溶けていく……さて。君の命を証明してくれるのは誰かな? 国で作った戸籍かい? 今も脈動している心臓かい?」
始は体ごと正生に向き直り、口元に笑みを携えて銀の目で彼を見据えた。
「細川正生くん。君はホントに、人間なのかな」
正生の目が見開かれる。
赤い虹彩は眼前の始に捕らわれ、息を飲み込めば鼻腔から冷気がなだれ込んできた。
相手の言の葉が頭を穿たれ、瞳が揺れ動く。
それは自分を形成してきた基盤に亀裂を作った。
(い、いや。でも、俺は……)
正生はうつむき片手で顔を覆う。
今まで己が信じ、それを前提として生きてきた道を今さら覆すことは彼にはできなかった。
「キミも、薄々気づいていたはずだ」
始が手を横に振り、《データベースを開きます》と男性の声が外界に現れる。
瞬間、正生の目の前で勝手に彼の個人データの電子ウインドウが開かれた。
正生は目を驚き、慌てて顔を上げる。
「やめッ」
「君は思っていたはずだ。この適合率は、人外の証なんじゃないかって」
電子ウインドウには、正生のサイコの適合率が大きく表示されていた。その数値は、百パーセント。
しかし始が手を横に振るえば数値部分が砂嵐で歪み、百二十四という数値が現れる。
百以上のそれは、人間が絶対に持ちえないものだった。
「い、いや。ちが、俺は人間で……お、親だっているからッ」
現実から目をそらすように頭を抱えて下を向いた。
脳内で疑念と不安と焦燥が膨れ上がる。
疑問を解こうとすれば自分が人間であることを否定せざるを得ず、しかし心は今までの己を否定することに恐れを持つ。
動揺する彼に、始は呆れて鼻で笑った。
「こんなことでそんなに取り乱すのか。まあもう一つの君が消えているだけまだマシだけど。真実を知ったら壊れちゃいそうだね」
「真実って」
正生が顔を上げれば、始がすぐ目の前にいて。
その手は彼の胸部に触れていた。
「本当は君が……相当危険で厄介な存在だってことだよ」
《膨大なサイエネルギーを感知。緊急回避してください》
「!!」
始の手の中に水色の光が出現する。
すぐさま正生の脳内に警告音声が流れるが、彼は動揺で即座に対応できず――莫大なエネルギーが放たれ、強圧で正生を倉庫に吹っ飛ばした。
大きな衝撃音を響かせ、正生の身体は建物の壁を貫き二棟先の倉庫まで飛ばされる。
内壁に叩きつけられ、口から血を吐き出して地面に落下した。
正生の胸部には風穴が開いており大量に血が流れている。
意識はあるが、開け放たれた口から細い呼吸が出ては消えていく。
始は地面の瓦礫を踏みしめ、わざと足音を鳴らしてゆっくり近づいた。
正生の目の前まできて、彼の体を見て冷たい眼差しを向けた。
「松岡。賭けは私の勝ちだ」
「げほッ……まさ、か。お前、通り魔の……ッ!!」
正生はそこまで言って、再子が彼女の知り合いと共にいることを思い出す。
慌てて電子ウインドウを開いて再子に通話をつないだ。
再子と松岡は小腹を満たすためにレストランに来ていた。
中は広くテーブルがいくつも並んでいて、壁一面が鏡になっている。
しかし周りには二人以外誰もいず、店員の姿すら見えない。
再子は戸惑って辺りを見回した。
「こ、これ開いてるんですよね? 人いないけど入ってよかったのかな」
「別にいいんじゃないのか。呼び出しボタン押せば店員も来るだろ」
「そう、ですね」
再子がテーブルの方へと歩いていき、松岡は後ろをついていく。
テーブルのそばに来て座ろうとすると突然、再子の横に電子ウインドウが開いた。
『再子ッ!! 今すぐそこから逃げろ!!』
「え?」
正生の声が聞こえた瞬間、トンと背中に触れられる感覚がする。
視線の先で壁の鏡に映るのは、自分の真後ろに立つ松岡の姿で。
胸部に衝撃が走って血が噴き出し、再子の目が見開かれる。
鏡に映る再子の胸は、手で貫かれていた。
「あ……」
松岡が手を引き抜けば、再子は体に力が入らなくなり地面に倒れ込む。
胸部を中心に、地面に赤い海が広がった。
松岡が手元へ視線を下げる。
そこには、水色に光る大きな鉱石が握られていた。 それは松岡の触れている部分から煙を放ち、彼の手を焼き焦がしていく。
しかし松岡は気にすることなく腰のポーチにしまい込んだ。
松岡は電子ウインドウを開いて始に通話をつなぐ。
「終わったぞ」
『お疲れ。そのままでいいからすぐにそこから離れな。何かあったら面倒だから』
「了解」
松岡は通話をつないだまま再子へ視線を向けた。
(こいつも、あの人のせいで巻き込まれたのか……これで自由に生きられるとはいえ、本当のことを知る辛さを知ることになるだろうな)
憐れみを含んだ目で再子を見おろし、前へ向き直ってレストランの入口へと向かった。
「さて、もう君たちに用はなくなった。私たちが君たちに手を出すことはもうないから、助けに行くなり好きにすればいいよ」
始はそういって背を向け帰ろうとする。
しかし正生の口角が上がり鼻で笑う声が聞こえて、始は足を止め振り返った。
「? どうしたの。早くSAシステムで治療して再子ちゃんのところに行かないとあの子、死壊しちゃうよ?」
正生ならばどれだけ傷を負っていてもSAシステムですぐに治療し、再子を助けに行くことなど簡単であろう。
始は、てっきり正生が自分の怪我を置いてでもすぐに再子のもとへ行くと思っていた。
しかし彼は動こうとせず、動いたかと思えば体を起こして壁にもたれかかる。
一つ息を吐いてニヒルに笑い、始を見据えてきた。
「君は、本当に勝った気でいるんだね」
正生の口から声が放たれるが、その口調に違和感があって始は眉を寄せる。
「……どういうこと」
「しょせん、最初期に造られて不必要なアップデートしかしていない骨董品だね。もう少し考えを巡らせるべきだよ。可能性は一つも漏らしてはいけない」
正生の目尻が下がり、口角が引き上がって赤い瞳は嘲けるように始を射抜いていた。
下卑たその目つきは、始が遠い昔に少しだけ見たことのあるモノで。
「!! まさか君」
「君のような低質な者にアレを奪えるなら、とっくの昔に僕が奪っているよ」
直後、始の開いていた電子ウインドウから破壊音が聞こえてきた。
「!? 松岡! どうした!」
始が大きな声で呼びかけるが松岡からの応答はなく、続けてウインドウから破壊音が鳴り響いた。
始はヘッドホンをヴィークルに変形させて乗り松岡のもとに行こうとする。
しかし、急にヴィークルの接続が遮断されて始は地面に転げ落ちた。
「いッ……なんで」
困惑した様子の始の前に、正生が歩いてくる。
胸の傷はもう治したようだが、ニコニコと微笑んで始を見おろしていた。
「そう簡単に行かせるわけないでしょ?」
始は眉を寄せ、SAシステムでナイフを出して正生に斬りかかる。
しかし、突然始の身体が動かなくなり、始は「え」と小さな声をもらした。
顔は動くが、それ以外は金縛りかのように微動だにしなくなる。
正生は何もしていないのに、SAシステムで出したナイフが甲高い割裂音を響かせて砕け散った。
彼の目を見て、始は瞠目する。
正生の赤い目は水色に変色していて、眼球に十芒星が刻まれていた。
「その目……そうか、なるほど。やっとわかったよ、キミのこと」
始は自嘲気味に鼻で笑い、小さくため息をつく。
「てっきり、あのとき学校で新型バグに蠱毒をさせたのは別の人だと思っていたけど……まったく、むごい話じゃないか。なあ、少年」
皮肉を込めて正生に笑顔を向けるが、彼は平然としてニコニコと微笑んでいた。
レストランに土煙が充満して視界を遮る。
壁の鏡には、松岡が叩きつけられていて地面に落下した。
ひび割れた鏡のカケラが軽い音を立てて降り注ぐ。
地面に倒れた松岡へ影が差す。
見上げれば再子が立っていたが、その水色の目に光はなく無表情を顔に張り付けていた。
松岡がレストランから出ようとしたあのとき突然、再子が立ち上がって急接近し、彼を壁に投げつけたのである。
彼女の胸の穴は塞がっていて傷一つなく、服すら元に戻っていた。
松岡は言葉を出そうとして咳がもれ、それ共に血を吐き出す。
「なんで、こんな一瞬で……結晶を取り出したから、脳芯は格段に減ったはず」
聞いているのかいないのか、再子は鉱石の入った松岡の腰のポーチへ手を伸ばした。
彼は取られまいと横に転がって避ける。
椅子の背もたれを掴んで起き上がり、口の中の邪魔な血を吐き捨てた。
口元の血を手で拭い、鋭い目つきで再子を見据える。
再子はテーブルに置いてあったナイフとフォークを取り、逆手に構えて松岡に斬りかかった。
彼はとっさにそばにあった椅子を持ち上げて盾にし、攻撃を受け止める。
しかし木製の椅子であったためナイフとフォークが貫通し、刃先が目の前に突き出てきた。
「ッ!!」
刃先と眼球の距離はギリギリというところで松岡は唾を飲み込む。
再子が再び動き出す前に、彼はそのまま椅子を横に振るってナイフを持ったままの再子を投げ飛ばした。
再子はナイフとフォークから手を離して地面を転がって受け身を取る。
体勢を立て直すとすぐに松岡に殴りかかってきた。
松岡は椅子を放り捨てて再子の拳を横に払い流す。
そのまま腕を掴み、再子の腹めがけて膝を入れようとする。
しかし彼女は片手でそれを防いできて松岡の膝を押し離し、一歩懐へ入り込んだ。
ガチャ、と金属音がして何かが松岡の胸にあてがわれる。
松岡が視線を下げれば、再子が自動式拳銃を手にして、彼の胸に銃口を押し当てていた。
(バカな、この一瞬でウインドウは開いていなかったはず)
SAシステムの武器であれば、電子ウインドウを開かねば出せないはずである。
さらにウインドウの起動から武器が出現しきるまで、わずかだが時間がかかる。
だが彼女は今、ウインドウを開くことなく一秒も経たずに手元に銃を出していた。
「なんで」
困惑の声に重ねて再子は銃の安全装置を解除し、トリガーを引いてゼロ距離で撃ち放った。
乾いた発砲音が鳴り響き、反動が再子の腕を伝う。松岡の胸部から血が噴き出して再子の服を赤く染めた。
衝撃で松岡は後ろにバランスを崩し、口から血をこぼした。
すぐに足を下げて転倒を避けようとする。
しかし再子が薬莢を排出し再び銃口を松岡に向け、間髪入れずに発砲してきた。
両肩、両ひざに向けて四発立て続けに撃つ。
松岡は四肢を撃たれて立てなくなり地面に崩れてしまった。
再子は倒れた松岡の腹を足で押さえ、腰のポーチをはぎ取る。
松岡がSAシステムを起動させて銃を出すが、再子は彼の手に数発、発砲して銃を弾き飛ばした。
ポーチの中から水色の鉱石を取り出し、口を開けてそれを飲み込む。
大きな物体に喉が押しつぶされるが、つぶれてもすぐに再生して鉱石を体内へと流し込んだ。
ポーチを床に捨て、松岡を見おろす。
しかし止めをさすことはなく、そのままレストランの外へと出て行ってしまった。
静けさが広がり、少し心を揺すって不安にさせる。
路地を囲う壁は縦長の建物から、倉庫群へと変わっていく。
さすがに正生は進路を不審に思い、立ち止まって始の背中に声をかけた。
「おい、さっきの大通りに戻るぞ」
始は返答せず足を止めて後ろで手を組む。
前を向いたまま、口を開いた。
「細川君。君はどうして、起動さんと一緒にいるの?」
「なんだよ急に。どうしてって……昔馴染みでずっと一緒にいたから、腐れ縁だよ」
正生は改まった問いかけに怪訝そうにし、頭を掻いて答えた。
その答えを始はフッと鼻で笑う。
「昔馴染みでずっと一緒に、ねえ……」
「? なんだよ」
「いや? 別に、何も……ねえ、細川君。君は、『自分が細川正生という人間であること』を証明できるかい?」
「証明って……戸籍とかDNAとかでできるだろ」
「でもそれ、誰かに改ざんされる可能性もあるよ。私がこの間、起動さんのデータベースに侵入しようとしたみたいに」
「! やっぱお前あのとき再子のデータに干渉してきたのか!」
正生が顔に険を浮かべて怒りを表に出す。
「まあまあ落ち着いて」と始は笑い、背中を向けたまま言葉を続けた。
「もし仮に、個人情報そのものが改ざんされていた場合……自分が誰なのか分からなくなって、自己認識そのものが崩壊すると私は思っていてね」
「……そんなもん記憶があれば大丈夫だろ。記憶をたどっていけば今まで生きてきた軌跡から自然と自分を証明できるはずだ」
「ふふ、その導き出されるものが『本当の自分の軌跡』であればいいけどね」
「どういうことだよ」
「人間種の脳内にある記憶というものも、しょせんはデータの一つに過ぎない。海馬という媒体を用いて記されているだけの……変わってしまうかもしれない、変えられてしまうかもしれないデータだ。そしてそれは、己の種族認知すらも歪めてしまう」
「種族ってなに言って……」
「あまりにも、機械が人間に近づきすぎたんだよ。次第に境界線が滲んでいく。それは自己認識を歪めるほど脅威的だ。あの人は人間か? 彼女は機械か? アレは、どちらなのか? ――自分は、どちらなのか」
自己の認識というものは、感情や精神状況によって左右されたりもする。
たとえ真実ではなかったとしても、己が信じ込めばそれが真実として脳に記録される。
己が拒絶すれば、真の事象も己の箱庭から消し去られてしまう。
「……ねえ、細川正生君」
始は口角を引き上げ、顔だけ後ろを振り返って正生を見つめる。
「自分が人間だと信じ込んでいる機械種が出てきても、おかしくはないと思わないかい?」
問われて正生は言葉に詰まった。
彼女の考えていることが何となく分かって、しかしそれを肯定するわけにもいかず冷や汗が額からこぼれる。
「
始は体ごと正生に向き直り、口元に笑みを携えて銀の目で彼を見据えた。
「細川正生くん。君はホントに、人間なのかな」
正生の目が見開かれる。
赤い虹彩は眼前の始に捕らわれ、息を飲み込めば鼻腔から冷気がなだれ込んできた。
相手の言の葉が頭を穿たれ、瞳が揺れ動く。
それは自分を形成してきた基盤に亀裂を作った。
(い、いや。でも、俺は……)
正生はうつむき片手で顔を覆う。
今まで己が信じ、それを前提として生きてきた道を今さら覆すことは彼にはできなかった。
「キミも、薄々気づいていたはずだ」
始が手を横に振り、《データベースを開きます》と男性の声が外界に現れる。
瞬間、正生の目の前で勝手に彼の個人データの電子ウインドウが開かれた。
正生は目を驚き、慌てて顔を上げる。
「やめッ」
「君は思っていたはずだ。この適合率は、人外の証なんじゃないかって」
電子ウインドウには、正生のサイコの適合率が大きく表示されていた。その数値は、百パーセント。
しかし始が手を横に振るえば数値部分が砂嵐で歪み、百二十四という数値が現れる。
百以上のそれは、人間が絶対に持ちえないものだった。
「い、いや。ちが、俺は人間で……お、親だっているからッ」
現実から目をそらすように頭を抱えて下を向いた。
脳内で疑念と不安と焦燥が膨れ上がる。
疑問を解こうとすれば自分が人間であることを否定せざるを得ず、しかし心は今までの己を否定することに恐れを持つ。
動揺する彼に、始は呆れて鼻で笑った。
「こんなことでそんなに取り乱すのか。まあもう一つの君が消えているだけまだマシだけど。真実を知ったら壊れちゃいそうだね」
「真実って」
正生が顔を上げれば、始がすぐ目の前にいて。
その手は彼の胸部に触れていた。
「本当は君が……相当危険で厄介な存在だってことだよ」
《膨大なサイエネルギーを感知。緊急回避してください》
「!!」
始の手の中に水色の光が出現する。
すぐさま正生の脳内に警告音声が流れるが、彼は動揺で即座に対応できず――莫大なエネルギーが放たれ、強圧で正生を倉庫に吹っ飛ばした。
大きな衝撃音を響かせ、正生の身体は建物の壁を貫き二棟先の倉庫まで飛ばされる。
内壁に叩きつけられ、口から血を吐き出して地面に落下した。
正生の胸部には風穴が開いており大量に血が流れている。
意識はあるが、開け放たれた口から細い呼吸が出ては消えていく。
始は地面の瓦礫を踏みしめ、わざと足音を鳴らしてゆっくり近づいた。
正生の目の前まできて、彼の体を見て冷たい眼差しを向けた。
「松岡。賭けは私の勝ちだ」
「げほッ……まさ、か。お前、通り魔の……ッ!!」
正生はそこまで言って、再子が彼女の知り合いと共にいることを思い出す。
慌てて電子ウインドウを開いて再子に通話をつないだ。
再子と松岡は小腹を満たすためにレストランに来ていた。
中は広くテーブルがいくつも並んでいて、壁一面が鏡になっている。
しかし周りには二人以外誰もいず、店員の姿すら見えない。
再子は戸惑って辺りを見回した。
「こ、これ開いてるんですよね? 人いないけど入ってよかったのかな」
「別にいいんじゃないのか。呼び出しボタン押せば店員も来るだろ」
「そう、ですね」
再子がテーブルの方へと歩いていき、松岡は後ろをついていく。
テーブルのそばに来て座ろうとすると突然、再子の横に電子ウインドウが開いた。
『再子ッ!! 今すぐそこから逃げろ!!』
「え?」
正生の声が聞こえた瞬間、トンと背中に触れられる感覚がする。
視線の先で壁の鏡に映るのは、自分の真後ろに立つ松岡の姿で。
胸部に衝撃が走って血が噴き出し、再子の目が見開かれる。
鏡に映る再子の胸は、手で貫かれていた。
「あ……」
松岡が手を引き抜けば、再子は体に力が入らなくなり地面に倒れ込む。
胸部を中心に、地面に赤い海が広がった。
松岡が手元へ視線を下げる。
そこには、水色に光る大きな鉱石が握られていた。 それは松岡の触れている部分から煙を放ち、彼の手を焼き焦がしていく。
しかし松岡は気にすることなく腰のポーチにしまい込んだ。
松岡は電子ウインドウを開いて始に通話をつなぐ。
「終わったぞ」
『お疲れ。そのままでいいからすぐにそこから離れな。何かあったら面倒だから』
「了解」
松岡は通話をつないだまま再子へ視線を向けた。
(こいつも、あの人のせいで巻き込まれたのか……これで自由に生きられるとはいえ、本当のことを知る辛さを知ることになるだろうな)
憐れみを含んだ目で再子を見おろし、前へ向き直ってレストランの入口へと向かった。
「さて、もう君たちに用はなくなった。私たちが君たちに手を出すことはもうないから、助けに行くなり好きにすればいいよ」
始はそういって背を向け帰ろうとする。
しかし正生の口角が上がり鼻で笑う声が聞こえて、始は足を止め振り返った。
「? どうしたの。早くSAシステムで治療して再子ちゃんのところに行かないとあの子、死壊しちゃうよ?」
正生ならばどれだけ傷を負っていてもSAシステムですぐに治療し、再子を助けに行くことなど簡単であろう。
始は、てっきり正生が自分の怪我を置いてでもすぐに再子のもとへ行くと思っていた。
しかし彼は動こうとせず、動いたかと思えば体を起こして壁にもたれかかる。
一つ息を吐いてニヒルに笑い、始を見据えてきた。
「君は、本当に勝った気でいるんだね」
正生の口から声が放たれるが、その口調に違和感があって始は眉を寄せる。
「……どういうこと」
「しょせん、最初期に造られて不必要なアップデートしかしていない骨董品だね。もう少し考えを巡らせるべきだよ。可能性は一つも漏らしてはいけない」
正生の目尻が下がり、口角が引き上がって赤い瞳は嘲けるように始を射抜いていた。
下卑たその目つきは、始が遠い昔に少しだけ見たことのあるモノで。
「!! まさか君」
「君のような低質な者にアレを奪えるなら、とっくの昔に僕が奪っているよ」
直後、始の開いていた電子ウインドウから破壊音が聞こえてきた。
「!? 松岡! どうした!」
始が大きな声で呼びかけるが松岡からの応答はなく、続けてウインドウから破壊音が鳴り響いた。
始はヘッドホンをヴィークルに変形させて乗り松岡のもとに行こうとする。
しかし、急にヴィークルの接続が遮断されて始は地面に転げ落ちた。
「いッ……なんで」
困惑した様子の始の前に、正生が歩いてくる。
胸の傷はもう治したようだが、ニコニコと微笑んで始を見おろしていた。
「そう簡単に行かせるわけないでしょ?」
始は眉を寄せ、SAシステムでナイフを出して正生に斬りかかる。
しかし、突然始の身体が動かなくなり、始は「え」と小さな声をもらした。
顔は動くが、それ以外は金縛りかのように微動だにしなくなる。
正生は何もしていないのに、SAシステムで出したナイフが甲高い割裂音を響かせて砕け散った。
彼の目を見て、始は瞠目する。
正生の赤い目は水色に変色していて、眼球に十芒星が刻まれていた。
「その目……そうか、なるほど。やっとわかったよ、キミのこと」
始は自嘲気味に鼻で笑い、小さくため息をつく。
「てっきり、あのとき学校で新型バグに蠱毒をさせたのは別の人だと思っていたけど……まったく、むごい話じゃないか。なあ、少年」
皮肉を込めて正生に笑顔を向けるが、彼は平然としてニコニコと微笑んでいた。
レストランに土煙が充満して視界を遮る。
壁の鏡には、松岡が叩きつけられていて地面に落下した。
ひび割れた鏡のカケラが軽い音を立てて降り注ぐ。
地面に倒れた松岡へ影が差す。
見上げれば再子が立っていたが、その水色の目に光はなく無表情を顔に張り付けていた。
松岡がレストランから出ようとしたあのとき突然、再子が立ち上がって急接近し、彼を壁に投げつけたのである。
彼女の胸の穴は塞がっていて傷一つなく、服すら元に戻っていた。
松岡は言葉を出そうとして咳がもれ、それ共に血を吐き出す。
「なんで、こんな一瞬で……結晶を取り出したから、脳芯は格段に減ったはず」
聞いているのかいないのか、再子は鉱石の入った松岡の腰のポーチへ手を伸ばした。
彼は取られまいと横に転がって避ける。
椅子の背もたれを掴んで起き上がり、口の中の邪魔な血を吐き捨てた。
口元の血を手で拭い、鋭い目つきで再子を見据える。
再子はテーブルに置いてあったナイフとフォークを取り、逆手に構えて松岡に斬りかかった。
彼はとっさにそばにあった椅子を持ち上げて盾にし、攻撃を受け止める。
しかし木製の椅子であったためナイフとフォークが貫通し、刃先が目の前に突き出てきた。
「ッ!!」
刃先と眼球の距離はギリギリというところで松岡は唾を飲み込む。
再子が再び動き出す前に、彼はそのまま椅子を横に振るってナイフを持ったままの再子を投げ飛ばした。
再子はナイフとフォークから手を離して地面を転がって受け身を取る。
体勢を立て直すとすぐに松岡に殴りかかってきた。
松岡は椅子を放り捨てて再子の拳を横に払い流す。
そのまま腕を掴み、再子の腹めがけて膝を入れようとする。
しかし彼女は片手でそれを防いできて松岡の膝を押し離し、一歩懐へ入り込んだ。
ガチャ、と金属音がして何かが松岡の胸にあてがわれる。
松岡が視線を下げれば、再子が自動式拳銃を手にして、彼の胸に銃口を押し当てていた。
(バカな、この一瞬でウインドウは開いていなかったはず)
SAシステムの武器であれば、電子ウインドウを開かねば出せないはずである。
さらにウインドウの起動から武器が出現しきるまで、わずかだが時間がかかる。
だが彼女は今、ウインドウを開くことなく一秒も経たずに手元に銃を出していた。
「なんで」
困惑の声に重ねて再子は銃の安全装置を解除し、トリガーを引いてゼロ距離で撃ち放った。
乾いた発砲音が鳴り響き、反動が再子の腕を伝う。松岡の胸部から血が噴き出して再子の服を赤く染めた。
衝撃で松岡は後ろにバランスを崩し、口から血をこぼした。
すぐに足を下げて転倒を避けようとする。
しかし再子が薬莢を排出し再び銃口を松岡に向け、間髪入れずに発砲してきた。
両肩、両ひざに向けて四発立て続けに撃つ。
松岡は四肢を撃たれて立てなくなり地面に崩れてしまった。
再子は倒れた松岡の腹を足で押さえ、腰のポーチをはぎ取る。
松岡がSAシステムを起動させて銃を出すが、再子は彼の手に数発、発砲して銃を弾き飛ばした。
ポーチの中から水色の鉱石を取り出し、口を開けてそれを飲み込む。
大きな物体に喉が押しつぶされるが、つぶれてもすぐに再生して鉱石を体内へと流し込んだ。
ポーチを床に捨て、松岡を見おろす。
しかし止めをさすことはなく、そのままレストランの外へと出て行ってしまった。