第3話「噂の行方」

文字数 5,846文字

 機械種が人間を視界にも入れていないとはいえ、日常生活に支障をきたすことは好ましく思っていない。

「我々としても平穏に生活していきたいとは思っています。愚かな人間の行いでバグという、それこそこの『世界のエラー』が生まれて街を騒がしくしている。その騒音は止むどころか日に日に増しているわけです。なら、これの元凶を取り除くべきだと思うのは必然の事」

 彼のいう元凶とは人間の事であるが、それを殲滅するとなれば、また過去のように激しい戦乱が待ち受けているだろう。

「戦は被害を出し過ぎる。我々としても避けたいところです。そこで提案なのですが、人間がバグを殺せないというなら……バグの処理は全て我ら機械種に任せてはどうでしょう」

 男の提案を聞いて、境崎の眉がピクリと反応した。
 眉間に少ししわが寄り表情が硬くなる。

「もちろん機械種にも感情はありますので、この世にいる全ての機械が淡々とバグを処理できるわけではありません。特務零課に適しているかの試験は受けさせますよ。あなた方、人間のように一体もバグを倒せないなどという稚拙なことも、起こり得ません」

 境崎が何か言おうとしたが、それより先に正生が口を開いた。

「ダメだな」

 短い否定の一言に、その場の空気が一気に冷めていく。
 境崎は眉間を押さえて大きくため息をついた。

「機械種単一の部隊が作られちまったら、そいつらが協定違反を起こして人間に手出しをしたとしても気づきにくくなる」

 現状、機械種と人間種は監視関係にあった。

 人間と機械の苛烈な戦争が終わったあと、この二種族間で人機平和協定が結ばれている。
 その中には、人間と機械は互いに危害を加えてはならないという規定がある。

 命の危機に瀕した時の特例はあるものの、基本的に殺傷は許されていない。

 だが、協定の効果が行き届く範囲は限られている。
 人目を盗んで事件を起こす者は、双方の種族でいたのである。

 目撃者がいても同族であれば庇う者も多く、仮に善性の心を持つ者が協定違反を通報したとしても、密告者として始末されてしまう。

 二つの種族が本当の意味で信用し合うことはなかった。

 そういった不正や対立を防ぐためにもサイコ取締機関は、互いが互いの種族を監視するという名目で、二種族で二人一組のタッグを組ませていた。

 人間は機械を取り締まる『機械種取締官』として、機械は人間を取り締まる『人間種取締官』として任命されている。

 もっとも、機関のタッグの全てが牽制し合うような不仲な者たちというわけではない。

 しかし対バグ用部隊の特務零課が全員、機械種になってしまうと機械種を制御する「目」がなくなってしまう。

 彼らがバグを討伐している際に人間を殺傷したとしても、「バグにやられたのだ」と主張されれば、人間はそれを事実として受け止め真実に気づくことができないのである。

 それは機械種と人間種の関係を底から揺るがすものとなる。

 だからこそ、これまでそういった提案は許諾されていないのである。

「まあ、それもそうだね。だけど、そうであるならばこの現状はどうするんだい? いくら馬鹿みたいに破壊を得意とする君でも、一人では到底すべてのバグを殲滅することなんてできないよ。細川正生君」

 わざとらしく名前を強調されて呼ばれ、正生は渋い顔をする。
 そしてしばし口を閉ざして男を凝視する。

「あー、アンタ……誰だっけ」

 ピクリと男の眉が反応して口角が引きつった。

 内から怒りが込み上げてくるが、男はそれを押し込んで笑顔を張り付けたまま名を教える。

些事為狐打喜(さじいこだき)だよ。人間種取締官筆頭の」
「あ?ジジイ?」

 正生の返しに狐打喜は額に青筋を浮かべた。

「ちょ、ちょっと正生。些事為さんだって」
「あー、『さ』か。いやすまん、普通にジジイって聞こえた」

 再子が慌てて訂正し、正生は頭を掻いて軽くだけ謝った。狐打喜が大きく溜め息をつく。

「細川君、あまり慢心するものじゃないよ。キミは確かにその精神の異常性から他より突出してバグ討伐に貢献しているのかもしれない。だがしかし、それはあくまでそこにいる起動さんがサポートしているからだ」

 狐打喜の顔が再子の方に向き、彼女はまさか自分が話題に出されるとは思っていず少し身構える。

「なるほど、機種はD#54か。どうりで……キミも、使い勝手のいい相棒をお持ちのようだ。守ってくれる道具がいて、さぞ安心だろう」

 正生は分かりやすく眉を寄せた。しかしすぐに何か言葉を発することはしない。

 狐打喜は機械種でありながら、同じ機械種の再子を物として扱う言動をした。
 まるで正生に、彼女を道具として認識させようと誘導しているようで。

「機械種取締官の人間たちは、相棒を盾にすることが多いそうじゃないか。醜く野蛮で愚かな人間の特性だね。攻撃特化で有名な君のことだ。どうせ君も、実戦では機械に守られているのだろう」
「あの、それは」

 再子が何か言おうとするが、それを許さないとでもいうように狐打喜は続けて言葉を吐き出す。

「たとえ体を破壊されたとしても記憶データで引継ぎができる機械と、死んだらそれで終わりの人間……どちらがよりバグの殲滅に適しているかは明白だ」

 機械種は複製体を造り元データのバックアップを取っておけば、いくら機体を破壊されても同じ記憶を共有した同一個体として意識を取り戻すことができるのである。
 怪我をしても、機体を修復すれば治すことができる。

「君のように破壊しか能のない、相棒に守られるだけのような弱兵こそバグ討伐は不向きだよ」

 狐打喜の声が収まり、ずっと黙っていた正生が口を開いた。

「なんか知らんが、独り言は終わったか?」
「は……?」
「他人に守られる? んなの御免だわ」

 正生が手を少し上に動かした。
 その瞬間、狐打喜の顔の真横を光の槍が高速で駆け抜け、壁に突き刺さって轟音と土煙を飛散させた。

 狐打喜は閉眼したままだが驚きから口が半開きになり、頬に冷や汗が伝う。

 正生が放った光の槍は、 $!K!C-(サイキック・)@B!L!T¥(アビリティ) $¥$TEM(システム)――通称「SAシステム」で生成したもの。

 サイコ取締機関が確立させた、サイエネルギーを用いた戦闘技術である。

 サイコは現在、人間の服用が禁止されている。
 しかし、機関は人間であろうが機械であろうが、適合率八十パーセント以上の取締官にはサイコを服用させていた。

 適合率八十パーセント以上の者は、正確にいうと副作用がないわけではない。

 サイコを飲んでもサイコ・ブレイクが起きにくい、というだけで身体的に何らかの変化は生じているのである。
 彼らは体内に流されたサイコが驚異的に体に馴染み、身体の細胞がサイコに影響されて性質を変える。

 例えば身体能力、殴られても血が流れにくく、身体の表皮が破壊されにくくなる。
 普通の人間にはできないはずの殴打の威力を持つ。

 それはサイコの内部にあるサイエネルギーが及ぼす効果であり、それを応用しサイエネルギーを使って現実では不可能な超常現象を引き起こす技術を開発してしまった。
 それがSAシステムである。

 サイエネルギーを用いて外部システムのIDと肉体を連携させ、肉体にサイエネルギーを注入させる。
 そうすることで、様々な効果が得られるようになった。

 重力をいじり、瞬間的に移動し、無から有を生み出す。
 いわゆる、超能力である。

 それに付随して、SAシステムを使う者たちは機関内で、$!K!CEЯ(サイキッカー)と呼ばれていた。

 SAシステムは人間と機械の両社が使うことができるが、エネルギーの暴走と自爆を防ぐため安全装置が設けられている。

 しかしそれでは、強いバグに対抗できないこともあった。
 そこでサイコを服用することで安全装置を解除し、通常とは比べ物にならない強力な能力を使えるようにしたのだという。

 サイコ取締機関は、人間には一般的に禁じられているサイコの服用を、バグ討伐という名目で取締官だけには許可していた。
 SAシステムで起こる超常現象も、企業秘密であるとして詳細を隠している。

 だが普通であれば今の正生のように高速度で能力を出すことは機械種のサイキッカーでも不可能だった。
 いや、出すこと自体はできるかもしれないが、反動で使用者の体が爆散してしまうのである。

 光の槍は狐打喜に当たりはしなかったが、彼の目では槍を捉えられなかった。

《攻撃を察知。警戒態勢に入ります》

 自動防衛アラートが遅くも反応する。
 狐打喜の目線の高さにポップアップで青色の画面が出現し、女性の警告音声が鳴った。

《敵意を察知。警戒態勢に入ります》

 正生の目線の高さにもポップアップの画面が出てきて、同じ音声が鳴る。

 二人は視線を外さないまま、ポップアップウインドウを手で払って流し消した。

 狐打喜は口を開いて呆然としたまま何も言わなかったが、周りにいた機械種たちが一斉に立ち上がる。

「お前!! 協定違反だぞ!!」
「うるせ。デジャヴだなあ……アンタら機械種も短気かよ。当ててねーからギリ協定違反じゃねーよ」
「警戒アラームが出たじゃないか!」
「アラームの当たり判定がデカすぎんだって」

 正生は死んだような赤い目で狐打喜を見おろす。

「盾だ道具だ、うるせーなァ。そうやって被害意識を持ってる奴が一番同族差別してんだよ」

 真顔が一変、口角を引き上げて煽るような表情を作る。

「なあおっさん、一緒にバディ組んでみるか? ただし今のが見えないんじゃ、俺を守ろうにもついていけないぜ……だか安心しろ。アンタができなくても、俺がアンタを守りながら戦ってやるよ」

 口角が下がって表情が戻る。
 正生は狐打喜の後ろ方に歩いて行き、壁に刺さった光の槍を引き抜いた。

「機関のサイキッカーの中には、アンタら機械でもできない速射能力を持つ人間もいる。アンタら機械の領域と演算を超えた、盾も道具も要らねえ人間もいる。それは敵も同じだ」

 バグには個体差があり、予想を遥かに上回る強さを持ったものもいる。
 それらは人の域を超えた機械種にも、勝る可能性があった。

「アンタら機械種は確かに、バックアップを取ってデータさえ無事であれば、死という概念がない。俺ら人間よりは遥かに戦力にはなるだろうさ……だがな、バグには機械種のデータ回路に侵入して根本から破壊する奴もいる」

 過去の調査から、バグの中にはサイエネルギーを駆使してくる個体もいるようだった。
 機械種の機体の情報を読み取り、遠隔でバックアップデータごと破壊してくるのだという。

 機械種にとって記憶と人格のデータは、個体を維持する要である。
 いくら修復可能な機械種でも、核となるデータを全て破壊されてしまえば同一個体の再起は不可能だった。

「もちろんアンタら機械種の知能は人間を凌駕する。だが、勝手に他人の弱さを測ってそれが正しい事象だと思い込んでるアンタらこそ、バグ討伐には不向きだぞ……すぐに破壊されて終わるのがオチだ」

 正生は光の槍を握り破壊する。
 軽く高い破壊音が鳴って光の粒が舞い上がり、消滅していった。

「安心しろ、バグは俺一人でもなんとかするさ……じゃ、途中で悪いが俺ら学校あるんで。行くぞ、再子」
「あ、うん」

 正生が部屋を出ていき、再子もその後を追う。

「おい待て! まださっきの謝罪が!」
「辞めておけ。アレは、君たちの手に負えるようなモノではない」

 機械種の男たちが正生を追いかけようとするが、狐打喜が制止した。
 彼は机に置いていた茶を飲んで一つ息をつく。

「なるほど……あなたが認めるのも分かった気がしますよ、境崎さん」
「何の話だ」
「何故あなたがあのような若者の横暴を許しているのかと不思議でしたが、彼なら納得ですね。全く驚きましたよ。彼の先ほどの攻撃、私には一切見えませんでした。しかも威力も細かく調整されているようですし」

 先ほどの光の槍が刺さった壁は亀裂が入っているが、穴は開いていず壁の崩壊は免れている。

 狐打喜が自分の右頬を親指の腹で撫でると、手前にポップアップウィンドウが表示された。
 自動録画されていたのか、先ほど正生が攻撃した際の様子が映し出される。
 分析が入り、速度の推移と推定の衝撃力が算出された。

(やはり私の横を抜けた後に威力調整がされている……)

 狐打喜はフッと小さく笑い声をもらした。

 正生は、ただ強い威力で光の槍を放っただけではなかった。
 壁を壊さないように、秒速で駆け抜ける槍に干渉して細かく威力を調整したのである。

「サイキッカーで、これほどの速射性と、微調整をできる器用さを持ち合わせる者など機械種でもいないでしょう」

 サイキッカーの能力制御は、サイコの適合率に依存する。
 適合率が高い者ほど能力を使いこなすことができるのだが、正生のやったようなことは、適合率が九十を超える者でもできないことだった。

「そういえば……十数年前、適合率百%の赤子が誕生したと噂が流れたことがありましたね」

 人間も機械も誕生時に、サイコの適合検査が行われる。

 過去にサイコの適合率が百に至ったものは、人間も機械も誰一人いない。
 しかし十数年前に一度だけ、サイコの適合検査記録に百パーセントの文字が刻まれたことがあった。

「各方面から調査があったようですが、その赤子は見つからなかったとか。結局は、検査機器の不具合ということになっていましたが……不思議な話ですね」

 今となっては、検査機器のお騒がせ事案の一つとなっている。
 しかしその状況に懐疑を持つ者もいた。狐打喜もその一人である。

 調査員の解散があまりにも早すぎたのである。騒ぎ立てていたメディアも一切その話をしなくなっていた。

「あれはまるで、誰かが意図的に情報を隠し握り潰しているようでしたね」
「……何が言いたい」
「いえいえ。別に私は、何も?」

 境崎が冷めた声をぶつけてくるが、狐打喜はニコニコと相変わらずの笑顔を見せつけ茶を飲む。

「ただそうですね、仮に適合率百パーセントの人間がいたとしたら、可哀想でなりませんね」

 コップが机に置かれて小さく音を立てる。中のお茶は波を立てて揺れ、波面に狐打喜の嘘くさい笑みを映した。

「噂に聞けば、適合率が百を超えると人間の自然治癒力を超越して怪我が治るとか。命は一つだというのに、人を救うという名目のもと……生まれながらにして道具として利用される道を余儀なくされてしまうのですから」

 本当に哀れでなりませんよ、と感情の乗っていない声で同情の意をどこかの誰かに手向けた。
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