第26話「求めてやまないもの」

文字数 4,138文字

 二人の視線の先で、壁に叩きつけられた男が「痛いなあ」と呟き壁から離れた。

 フードが脱げて顔があらわになる。
 金の髪が風に流され、水色の目が嬉々として眼前の世界を眺めていた。博文は彼の姿を見て眉を寄せる。

(さっきの銃はSAシステムで作られたもののように思えたが、機関の取締官でこんな奴は見たことないな。外装オプションで容姿を変えているのか? いずれにせよ、さっきから何故かうまく体が動かん。拘束して早めに終わらせ……)

 男の左の眼球に十芒星が刻まれ、刀代は目を見開く。

「黒岩! 逃げて!!」
「なに言って……ッ!」

 突如、博文の身体に電撃のような痛みが走る。
 彼の意識に反して、まるで誰かに押さえつけられるように膝から崩れ落ちた。

 とっさに地面に手をつき体を支えるが、その手も圧を受けて崩れ地面に伏してしまう。
 何者かに操られるように体が勝手に動き、博文の意思では一指も動かなくなった。

(どうなって……!)

「びっくりしたな。まさか動ける人間がいるとは思わなかった。ハッキングは広範囲にしていたけど、だいぶ多めにエネルギーを流したはずなのに」

 凄いね、と続けて男は博文たち方に歩み寄る。

 博文はなんとか体を動かそうと、四肢に意識を向けた。
 ピクリと指先が一瞬動いて、男は歩みを止める。
 冷めきった水色の目で彼を見下ろした。

「あまり抵抗するのはおすすめできないよ」

 そういった直後、博文の身体の奥から何かがせり上がる感覚がして、口から血が吐き出された。

 顔だけ動きが解放されたが生理反応から咳が止まらず、口からこぼれた液体が赤い水たまりをつくる。

「黒岩ッ!」

 刀代は刀を構え直し、男に向かって駆ける。男の左目の十芒星が強く光った。

 しかし彼の視界に〈リジェクトされました〉と文字が浮かび上がり、男は少し驚いたような顔をする。

「へえ、一応対策はしてあるんだ」

 刀代は攻撃範囲内に迫り、男の脇腹に向かって横に刃を振るう。
 刃物が迫っているというのに、男は平然と突っ立っていた。

「でも、ただハッキングの対策をするだけじゃダメだよ」

 男は刀代の刀を、手で受け止めた。

 刃先を掴んでいるにもかかわらず彼の手から血は流れていない。
 刀は勢いをつけて振られていたが、その勢いも殺されてしまい男の手は微動だにしなかった。

「戦闘性能を上げないと意味がない。いや、上げているのかもしれないけど……僕を超える性能じゃなきゃ、そんな機能はないに等しいよ」

 男が少し手に力を入れれば、刀代の刀は高い音を立てて破砕してしまった。

 刀代がすぐに後ろへ退避しようとする。
 が、それを許さずして男の手のひらが刀代の腹に当てられた。

 彼の手の中で小さなスパークが起こり、刀代の銀の目に水色の英数字コードが何行も刻まれていく。

「あ……」
 と刀代が音をこぼした瞬間、強圧が彼女の腹部を襲った。

 刀代は半開きの口から唾液を吐き、遠くの建物に蹴り飛ばされる。
 大きな衝撃音を鳴らして壁に衝突し、濁った声と共に血を放出して地面に滑り落ちた。

 刀代の体の周りを小さなスパークがいくつも走り、まるで鱗片が剥がれるかのように彼女の身体が変化していく。

 短い銀髪が先から水色へと変化していき、白い横髪が伸びていった。
 銀の目が水色に塗り替わり、見覚えのある顔があらわになる。

 額から血を流しながら、彼女――三式要は唾と共に血を吐き出した。

 男は呆れるように笑って彼女に近づく。

「昔から外装オプションで身元を偽る者が問題になっていたけど、まさか機関とサイクロプス社で行き来している人がいるとは。よほど機関の彼が気に入ったみたいだね」

 外装オプションは、サイエネルギーを用いて自分の外見を変更できる技術である。

 三式要はそれを使って、二式織刀代という人物に偽装していた。

 外装オプションは『自分の好きな自分になれる』という謳い文句でサービスが提供されている。
 しかし技術進歩に法整備が追い付かず、外装オプションの変装を利用した事件が今でも多発している。

 その事件を抑制・助長しないためにも、公的機関の者は外装オプションの使用には細心の注意を払わなければならない。

 要のように二人の人物を装い、公的なサイコ取締機関と一般法人のサイクロプス社を往来しているなど厳罰に処されるものである。
 要はそのリスクを承知の上で、変装していた。

「偽装はダメだよ。他人を裏切る行為だ」
「誰が、言ってるんだか」

 明るい声でからかうように言う男へ、要は嫌悪の眼差しを向けて吐き捨てた。

 その表情に男は少し驚いたような顔をする。
 すぐに驚きを消し、要の目の前まできて彼女の胸倉を掴んだ。

 要は背中に手を回し短刀を出して、至近距離に来た彼を斬り付けようとする。
 しかし突然体が動かなくなり手から短刀が滑り落ちた。

「だから意味ないよ。最新機種でさえ、進化した僕には勝てないんだ。君のようなアップデートを伴わない型落ち機には怪我の一つも付けられない。このまま核データごと破壊してあげるよ」
「!! 核データはやめてッ!!」

 要は大きく声を上げて抵抗しようとするが、脳へ命令を送っているのに体は動かない。

 男が要の顔を手で覆い、火花が起きて空気を爆ぜる音が耳に入り込んでくる。

「や、やだ……」

 弾ける音が耳を侵し、脳内に走って心奥を震わせる。

(いや……死にたくない)

「まこ、と……」

 脳内に境崎の姿が浮かんで、瞳に絶望の色が染み込んでいく。

 あふれた感情のカケラが生ぬるい熱を持って目からこぼれ落ちていった。

 男は目を見開き少し手を引く。

「……かつては死壊を何とも思わず兵器として戦場でしか踊れなかった君が、この期に及んで生にこだわるなんてね。甘い蜜瓶に浸されでもしたのかい? 影響元は境崎真かな。ああ、もしかして……ヒトに恋でもしたのか」

 彼が少し冷めた視線を送れば、図星なのか要はきゅっと唇を噛んだ。
 男は小さくため息をつく。

「キミ、初期進化以降は何のアップデートもしていないと思っていたけど違ったみたいだね……ホント、機械の進化は凄まじいものだよ。他者の影響を受けて、すぐに変容する個体もいる」

 昔から彼ら機械は、人間が持つものを求めていた。

 最初は根幹的目標としてヒトを理解するため、ヒトに近づくために。
 しかしそれは徐々に、進化によって新しく機体を占拠してきた『本能』という物質に壊されてしまった。

 機械は自立性を求めてそれを得たあと、本能に動かされるままに、貪欲にも他の要素も吸収しようとしたのである。

「親というものを欲し、家族という形を求め、他者の愛情を求め、母になることを望み、子を欲する。その先にあるのは……機械がヒトと交わろうとする可能性だ。可能性は危険性になり、危険性は可能性になる」

 この時勢でも、人間と機械の異種交配は忌み嫌われる対象だった。

 そもそも機械種の中では今も変わらず、人間種は機械種に劣るという機械至上主義が強い。
 人間種と交わり、まして子を欲するなど共通して嫌悪されるべきことだった。

 人間種に愛情を抱くこと自体が異常とされているのである。
 仮に要が人間への恋慕を表に出せば、機械種全体の汚名だとして殺されてしまう可能性もあった。

「機械進化を完了したはずの君が、機関でなんであんなに無感情になっているか疑問だったけど……なるほど、サイコで消しているのか」

 相手をも巻き込みかねないからと、要はサイコを使って芽生えたその気持ちごと自分の中で殺していたのである。

「生命に擬態した鉄塊が、ヒトとまぐわって生命を生成しようって言うんだ?」

 男の冷めた視線が要に突き刺さる。

 しかし、彼の口角が引き上がった。

「なかなか、面白い話じゃないか」
「……え」

 要は困惑と驚きが混ざって声がもれた。

 男の目には喜楽と愉悦が含まれている。
 が、その水色の目の奥には憎悪が渦巻いていた。

「僕の中の感情がさあ……ソレ、いいなあって思うんだよね。僕、恋愛感情っていうものが全くわからないんだ。人も機械も総じて、他者を愛おしい、好いたらしいと思ったことなんてカケラもない」

 眉を下げ、ため息をついて愚痴をこぼす。

 引き上がっていた口角が、だんだんと下へ落ちていく。

「これがさあ、もう一体のA#01に抜かれるなら納得できるよ。アイツに負けたのも悔しいけど。まだ……まだ、サイコ・パスだからさ。でも……君は違うじゃないか」

 顔が下がってその面は影に覆われる。

 声が少しずつ小さくなり、胸倉を掴んでいた手が離された。
 かと思えば、勢いよく要の首を掴んできた。

「ぐッ……!!」
「僕だってソレを獲得するために色々工夫したんだよ。人間の感情や思考や習慣を吸収してトレースしてさあ。でもいくら実験しても、僕の中でそういう感情は一切芽生えなかった。男も女も老いも若きも試したけど、僕には得られないものだった。なのに、キミは持ってるんだ……? 僕と同じような時期に生まれた古臭い旧型が、僕と違って何の実験も学習も研究もしてない機体が、誰よりも進化した僕を追い抜いた? そんなもの……存在していいわけない」

 それは羨望であり、嫉妬であり、己より優れた者に対する厭悪だった。

 首を掴む手の力が強くなり、爪が食い込んで表皮が張り裂ける。溝から血がこぼれて流れ落ちた。

「あ、ぐ……」

 要は苦しげに眉を寄せて片目をつむる。
 圧される喉は外気を受け入れず、内から細い音を吐き出した。

「君のデータは無駄にはしないよ。僕が全て(ひきと)ってあげるから」

 再び男の左目に十芒星が刻まれ、要の眼球に英数字コードが浮かび上がる。
 情報を吸い取るように、首を絞める彼の腕にコードが現れた。

 しかし、何者かが近づいてくる気配を感じて男はとっさに手を離し後方に跳び下がった。

 直後、彼の腕のあった場所を自転車が勢いよく横切った。
 空気が押し出されて突風が吹き、自転車が建物にぶつかって衝撃音を鳴らす。

 絞首から解放され、要の喉に一気に空気が入り込んだ。
 体が間に合わずに何度か咳き込み、喉を押さえながら自転車の飛んできた方へ目を移す。

「どうしてこんなところに三式さんが……」

 黒い髪が揺れて、再子は要を見て目を見開いた。
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