第18話「バックアップと自己認識」

文字数 4,177文字


 事件の翌日、チャシャのバックアップ機体が目を覚ましたと証に連絡がくる。

 証は再び機関本庁に来たのだが、チャシャに声をかけると彼女は不思議そうに首をかしげた。

 そばにいた同僚から事件や、証のことを教えてもらい、「あー」と声をもらす。

『キミ、私が助けたっていう例の。無事だったんだね! よかったー、私と一緒にバグに巻き込まれた人がいるって聞いたから心配してたんだよー』

 まるで初対面化のような態度のチャシャに証は驚いて目を見開いた。

『アンタ記憶……』
『あー……機工治療師から聞いたんだけど、どうやら核データもバックアップも二つとも記憶データがクラッシュしたらしくてね。私は当時のことを覚えてないんだ。いやー、やっちゃったな』

 などとチャシャはのんきに笑って頭をさすっていた。
 証の脳内にバグと戦う彼女の姿が再起する。

 死に物狂いで血にまみれて足掻いていたのに、今はそんなことを忘れてヘラヘラとしている相手に神経が逆撫でされた。

――あんなに死に物狂いで戦ってたのに

――あんなに辛いって泣いてたのに

――あんなに痛いって叫んでたのに

――あんなに忘れたくないってこぼしてたのに

――なのに

『なに笑ってんだよ』

 証は不快感をあらわにして、青い目は怒りに加えて憎悪のようなものまで混ざっていた。
 チャシャは驚き、肩を震わせ息を飲む。

『何で、もっとバックアップ取らなかったんだよ。簡単に複製体を作れるんだ。他にもっとコピー取ってたら記憶データが無事な機体もあったはずだ』

 簡単に作れる、と聞いてチャシャは少し顔に険を浮かべた。

『……そうだね。それはその通りだと思うよ』

 でも、と言葉を続ける。

『バックアップは、機械種にとっては複雑なんだよ……ついてきて、保管庫を見せてあげる』

 チャシャは証を連れて、機関本庁の地下に向かった。
 エレベーターが地下の最下階で止まり廊下に出るが、チャシャは廊下を進まず横の壁に手をかざす。

《ID認証。入室を許可します》

 男性の声が聞こえ、壁に水色の光の線が入る。壁が消滅し、人一人が通れるくらいの道ができあがった。
 チャシャはそのまま証を連れてその先へと足を進める。

 突き当りには、巨大な白い扉がそびえたっていた。

『ここは……』
『バックアップ保管庫だよ』
『え、いいのか』
『今回は特別にね』

 チャシャは笑ってウインクする。

 バックアップ保管庫には、機械種が作ったコピー機体が保管されている。

 先ほどのように入り口でIDを読み込み、読み込んだIDのコピー機体のみが部屋に出される。
 機械種のプライバシー保護のため、通常は人間種が立ち入ることができない場所だった。

 チャシャが扉に手をかけ、軽く力を入れて押し開ける。
 巨大な扉は重低音を響かせてゆっくりと部屋を開放した。
 黒の壁に囲まれた広大な部屋には、中央に機械があるのみで他には何もない。

『寂しい部屋でしょ。私はちょっとした調査で一時的に日本に来ているだけだから、帰国したらバックアップもここから撤去するけど。ちょうどいいから、バックアップ作業を見せてあげる』

 チャシャが中央の機械に触れ、男性のガイド音声が聞こえてきた。
 声の指示に従い、機械を操作する。

《バックアップ作成コードを受信。セキュリティパスを入力してください。パスを読み込み中……受理しました。核データをロード中》

《完了しました。引継ぎ項目を選択し、コピー数を入力してください。設定完了。バックアップ作成を開始します。この作業には時間がかかる場合があります。接続を切らずにお待ちください》

 部屋に一つの培養槽が出現し、その中にチャシャと同じ体の機体が生成されていく。
 少しして全身の生成が完了し、バックアップ作成システムが終了する。

『また一体だけなのか』

 証は不思議そうに眉を下げる。

 バックアップはあればあるほど、死の可能性が減るものである。
 多くて損はないものだが、チャシャはいつも一体しかバックアップを取っていない。

 彼女は培養槽の前に来てガラスに手を触れた。

『私、あんまりバックアップを作りたくはないんだ。こうやって自分の目の前に、自分と同じ体を持った別個体が作られたとき……何だかね……「ああ、私たちは簡単に破壊()んで簡単に再生(よみがえ)られるんだ」って、胸が締め付けられるんだ』

 ガラスに触れる手にぐっと力が入り、視線を下げる。

『私たち機械種には、魂や生命なんてものはない。言うなれば動く「意思物体」。そんな中でコピーを作るとね、なんだか……「自分」の存在が薄くなる気がするの』
『存在が、薄くなる……?』
『機体が再起不能になって、コピーの別個体で目が覚めた時――それは、本当に「わたし」なのかな、って』

 証は目を見開いた。
 それは人間があまり考えない、機械種特有の悩み。

 魂がなく、意識を移り替えられるからこそ、それが本当に以前と同じ自分であるのか不安になってくる。

『たとえ体は同じ、記憶も同じ、性格も同じだとしても……ゲームでいうライフを一つ削ったとして、それで生き返った方が今までのその人と同じである事、誰か証明できる人はいるかな』

 チャシャは振り返って証を見つめる。
 その緑の目の奥底に、吐き出せぬ苦しみの塊が見えていた。

『過去の自分の意識は完全に消滅していて、目を覚ました時の意識は、核データでゼロから構築された「第二の自分」だったとしたら……そんな、不安のせいでバックアップを作るのが怖くて』

 証は言葉を探すが何も出てこず、下を向いて「ごめん」と小さく謝った。

 それから数日が経ちチャシャが機関本庁で執務をしていると、電子ウインドウが開いて受付から通話がかかってくる。

《あのすみません。どうしてもレイバレンさんに会いたいという人が来ているのですが》
『え? 誰だろ……』
《定原証という若い男性で、警察官だそうです。この間、助けてもらったからお礼がしたいとかどうとか》
『え、ああー……すぐ行くって伝えて』

 訪問者が誰か分かったチャシャは苦笑いして通話を切った。
 何しに来たんだろう、と心の中で呟きつつ部屋から出る。

 エントランスまで降りるが、証の姿を見た瞬間に目を見開いた。

『え、ちょ。髪どうしたのさ!?』

 証の黒い髪がなくなっていて、彼は坊主頭になっていた。

『俺なりの、ケジメと覚悟だ。アンタ、ICPOの取締官なんだってな……俺を、アンタの相棒にしてくれ』
『あ、相棒って』

 チャシャは驚いて困惑する。

 今まで誰かが相棒になりたいと願い出てきたことはなかった。
 しかも彼は警察官である。

『ご、ごめんね。ICPOの取締官がバディを組む相手は、ICPO内の取締官じゃないとダメなの』
『そういう規定があるのか』
『いやまあ別に規則っていうものじゃなくて、これまで築かれてきた慣習のようなものなんだけどね。それを歪めることになるから、警察官の君が相棒になるのはICPOの上層部が反対すると思うよ』
『だったら警察辞めてICPOに入る』
『いやそんな簡単に即決しないの。ICPOのサイコ取締局って、ここでいうサイコ取締機関と同じでバグと戦うことになるんだよ? 死の危険性が高い仕事だから』
『じゃあなおさらお前の隣で一緒に戦う』

 証は言葉を遮って全然引き下がらない。
 チャシャは大きくため息をついて顔を手で覆った。

(まあ、実際に上層のおじ様方に囲まれて無理難題を叩きつけられたら諦めてくれるか)

 証を諦めさせるため彼を連れて海外へと渡り、ICPOの上層に取り次いだ。

 予想通り上層は証に絶対不可能と思われる難題の数々を押し付けて追い払った。
 しかし、証はそれらを全て成し遂げてしまう。

 何をやらせてもできてしまい、諦める気配が全くない。
 結局ICPOの者たちは証の実力を認めざるを得なくなった。

『アンタには迷惑かけない』
『……はあ、仕方ないなあ』

 チャシャはここまで熱心に追いかけられて根負けしてしまう。
 彼は警察の職はそのままに、チャシャの相棒となった。

『相棒になる前に、アンタに一つ頼みがある』
『頼み?』
『ああ。なるべく俺がそばで守るが……せめて十五以上は、バックアップを作ってくれ。頼む』

 証が頭を下げてきてチャシャは驚き戸惑ってしまう。
 彼は頭を下げたまま、自分の思いを吐き出した。

『俺のエゴで、アンタの気持ちをないがしろにすることだったとしても。俺は、アンタに死んでほしくない。もしバックアップでアンタが自分の存在に不安を感じるのなら……この名にかけて、俺がそばにいて、アンタがアンタであることの証明をする! だから頼む』

 チャシャは困惑してどうすればいいか迷っていた。
 しかし証の下がった顔から、涙の雫を地面に落ちていて目を見開く。

 チャシャは眉を下げて小さく息を吐き、口元に笑みを浮かべる。
 彼の顔を両手で包み、上を向かせた。

『顔を上げて。君が存在を証明してくれるというのなら安心だよ……分かった、約束する。お姉さん死なないように、君が泣かないように、なるべく多くバックアップを作るよ』

 にっこり微笑み、証の頼みを受け入れた。

(結局のところ、俺は昔と同じでアイツを守り切れていない)

 証はガラスの箱に収められたチャシャの旧機体へ視線を落とす。
 視線を上げ、再子へ目をやった。

「いいか、起動再子。お前の意識は一つだ。お前ももうわかっているとは思うが……その体の中にある意識体が誰であるのか、それを確実に答えられる奴がお前の隣にいる」

 証は正生へ目を向け、再び再子を見る。

「そいつを信じろ」
「!!」

 再子は瞠目し、唇を噛み締めて拳を握る。
 証はそれだけいうと部屋から出て行ってしまった。

 正生と再子だけが残され、静まり返った部屋に少し心地の悪い空気が漂う。
 正生が口を開いた。

「……別に、人それぞれなんだ。お前の気持ちを優先すればいいとは思うが」

 正生は再子の前まできて柔らかく笑って見せる。

「心配しなくても、その意識がお前かどうかなんて俺にはすぐわかるぞ。ずっとお前と一緒にいたからな」
「!! 正生……」

 再子は目を見開くが、すぐに口もとをほころばせる。

「なら隣で、ずっと存在証明してもらうから」
「それはまた、面倒くさいな」

 二人して声をもらして笑う。
 再子は真っ直ぐに彼を見つめ「ありがとう」と、心からの熱を込めて言葉を渡した。
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