第15話「現代技術の発展と実験」

文字数 4,228文字

 翌日、正生と再子は機関本庁の医務室にいた。といっても昨日、下野たちを連れてきてから帰らずにずっといるのだが。

 下野と上野は、医務室に二つ並べられたベッドで眠っている。
 上野の右目と下野の右腕だけは治っていず、再子はそれを見て眉を寄せた。

「なんで目と右腕だけが治らないんだろう」
「あのスパーク、いったい何なんだろうな」

 二人の負傷のほとんどは、SAシステムの治療で治っていた。
 しかし上野の右目を治そうとすると、右目の負傷部からサイエネルギーのスパークが散って反発されてしまった。

 下野は、左腕はつなぎあわせることができたが、右腕は上野と同じように負傷部からスパークが出て治療ができない状態である。

 機械種がエラーを起こした時に、サイエネルギーが暴発して小さくスパークを起こすことはある。
 しかし人間種でそれが起きることは今まで一度もなかった。

(この二人は元からサイコの適合率がかなり低いし、それが理由か?)

 SAシステムの治療は、サイエネルギーがダイレクトに肉体に干渉するものである。
 適合率が数パーセントの人間であれば、システムの治療に拒絶反応が出る可能性もなくはない。

(だが……中学の入学式でやったときは何もなかったはずだ)

 中学入学時にバグに襲われたとき、負傷した下野たちを正生と再子がSAシステムで治療していた。

 しかしそのとき下野たちにサイエネルギーの拒絶反応は出ていなかった。

(月日と共に二人の適合率が変動したか、耐性が下がったのか?)

 人間の肉体は成長と共に変動するものである。サイコの適合率も、微量だが変わる者もいた。
 サイコの適合検査が健康診断に付随しているため、学生は毎年自分の適合率を確認している。

 下野と上野も確かめているはずだが、二人が適合率の変動を口にしたことはない。

(とすれば……『誰かが肉体に直接、干渉する方法を生み出してしまった可能性』もあるのか)

 そしてそれは、新型バグが現れ始めた事とも関係があるかもしれない。

「思った以上に面倒なことになりそうだな」

 正生は眉間にしわを寄せ、顔を手で覆って大きくため息をついた。


「以上が、今回の新型バグ浄化についての報告となります」

 チャシャは機関本庁の境崎の執務室にて、下野の一件を報告した。

 証と要は部外者が立ち入らないように部屋の外で監視しており、部屋にいるのは境崎とチャシャの二人のみである。
 報告が終わってすぐ、境崎の大きなため息が部屋に広がった。

「次から次へと……細川がSAシステムで浄化していないと確認は取ってあるな?」
「はい。彼が発動していたのはコードBR99のみです。それはそれで驚きましたが」
「ああ、情報を表に出していないから知らないのも無理はないな。アイツは基本、どれだけサイエネルギーを受ける能力でも全て使うことができる人間だ」
「すべて、ですか……ですが彼にもストレージの容量に限度はあるはずです。BR99の消費に耐えられるほどのストレージを持っているということですか」
「……そもそも、限度がない可能性もある」
「え」

 呆然とするチャシャを見て、境崎はふっと笑って「冗談だ」と訂正した。

「ともかくあの男がBR99を難なく使えるなどという情報は、開示するにはあまりにもリスクが大きい。本人とも話して、個人データにはそのことを記載していないんだ」

 正生自身も積極的にストレージ消費の多すぎる能力は使わないようにしている。
 なので境崎は今回彼がBR99を使ったことに少し驚いていた。

「それで、バグの浄化だったか。その下野光という少年が起きたら詳しく話を聞かせてもらう。話ができる状態に戻っていればの話だがな」

 バグが浄化したとはいえ、光の肉体がどうなっているかは分からない。
 脳を損傷しているかもしれないし、目を覚ましたときには人語を介さなくなっている可能性もある。

「彼の状態に応じて身体検査も行うが……報告では治療が完全にできていないといっていたな」
「はい。下野光は右腕を、巻き込まれた上野凉は右目を完治できていません。二人とも最古の適合率が極端に低いので、サイエネルギーが反発を起こしているのも副反応と取れます。しかし……見ようによっては、何者かが治療を妨害しているようにも思えるかと」

 ただSAシステムの妨害記録はなく、システム自体は正常に動いている。
 とすると、治療対象自体に何らかの干渉がされているということになるが、人間種や機械種が他者の肉体に干渉する手段は限られている。

 人間種相手では、SAシステムの治療の能力のみ直接、肉体に干渉ができる。
 しかしできるのは治療行為だけである。

 他人の肉体に治療の妨害工作をすることなど、現代の技術では不可能だった。

 機械種相手では、脳芯にコードを送って治療する機工医療行為が肉体への干渉に当たるが、これも治療以外の行為はできない。
 治療コード以外の変なコードを送ったとしてもリジェクトされるようになっている。

 人間の体でいうところの免疫のようなもので、脳芯には外部干渉から身を守るウイルスセキュリティ機能がある。

 人間種も機械種も、外部から他人の肉体に干渉して害することはできないようになっていた。
 しかし、これらはあくまで「現在確立されている技術では」不可能なだけというもの。

 チャシャが懸念しているのは、現代技術の発展。
 つまり――

「誰かが肉体に直接、干渉する方法を生み出してしまった可能性がある。そう考えているのか」
「……はい。技術の発展には実験が付き物です。新型バグの発生、バグの浄化、負傷者への治療の妨害工作……一連の事柄が、全て同一人物による『実験』なのではないでしょうか」

 新しい事象が次々と起こっているこの状況は、何者かが開発している技術を試行している段階ではないかとチャシャは考えていた。

「サイエネルギーを用いた実験ができるのは、エネルギーの微調整ができる者だけです。それはつまり、高いサイコの適合率を持つ者。九十パーセント前後などではなく、より百に近い者。それに最も当てはまる人物を、あなたはご存じのはずです」

 チャシャの言葉は、一人の人物のことを指していた。

 境崎も彼女が誰のことを言っているのか理解していたが、すぐに答えを返さず黙っていた。
 数十秒して、口を開く。

「だがアイツはその現場にいて、お前も奴の動きを見ていたはずだ。それでも不審な反応は出なかった。それに今回出た負傷者は奴の知人だ」
「マッチポンプを行っている、とは考えられませんか。新型バグ生成の実験のために知人をバグ化させ、自分でその知人を殺して新型バグの強度を確かめる。殺すのに失敗したら、負傷した知人を使って他者に干渉する技術の実験をする」
「それはまた、グロい話だ。まあ、奴が知人を傷つけることに何のためらいもないか、演技派の小賢しい狐という可能性は捨てきれないな」
「……まだ推測の範囲ですが、技術が完成する前に処理しておかなければならないかと」

「手の内が明らかになっていない今、攻撃すればこちらが瞬殺されてしまう可能性はあるがな……俺としては、もう少し奴の情報が欲しい。今は奴の力を見極めるために動いてくれ。焦らずとも、技術完成の前に奴の本性が表に出てくるはずだ」
「……分かりました」

 チャシャは背を向けて扉の方に行くが、すぐに足を止めた。
 背中を向けたまま、「そういえば」と言葉を吐く。

「分かっているとは思いますが、あなたも監視対象ですからね、境崎真さん。いずれは隠していることも全て公になりますよ」

 そう言って出て行き、扉の開閉音が静かな部屋に響いた。境崎は鼻から息を吐いて頭を押さえる。

「アレはオヤジが勝手に拾ってきた負の遺産なんだよ。俺だって正体しりてえよ」

 かつて機関を管理していた男、自分の父親に恨み言を吐き捨てた。

 下野の事件があってから一日ほど過ぎて、上野と下野は目を覚ました。

 二人とも以前と変わらずに会話応対できたため、医務室で事情聴取を受けていた。

 下野は正生たちの力になりたくてサイコに頼りバグ化して暴走してしまったらしい。
 上野はそんな彼の様子に気づき、助けようとして巻き込まれたという。

 下野がサイコの入手ルートを話し、販売者たちの捕縛命令が出た。

 一連の聴取には正生と再子も同席していたが、チャシャは全員を一旦病室から出し、下野と上野にいくつか質問をする。

「事件の時以外でもいいんだけど、不審な人物に接触されたとかはない?」
「不審な人物、ですか?」
「うん。二人の腕と目はサイエネルギーの反発が起って治療ができない状態なんだけど、誰かが治療の妨害を仕組んでいる可能性があるの」
「治療の妨害、すか」

 二人は右上に視線を移して記憶をたどる。

 下野は思い当たる節が全くないようだったが、上野が「そういえば」と声をもらした。

「お姉さんたちが助けに来る前に、誰かが私の目の前に来ていました」
「! どんな人だった?」
「あ、ごめんなさい。視界がかすんでいて顔までははっきり分からなかったんですけど、スカートをはいた女の子でした」
「女、の子……?」

 正生に関係しそうな情報だろうと思い込んでいたので異性の話が出てきて驚く。

「その子、血だらけの私を見ても特に驚いた声とか悲鳴とかも出してなくて、何か言っていたんです。確か……『パスがブロックされた。治せないな』って」
(治せない? もしかして、彼女の右目のこと? けど、パスっていったい……)

「それでその子、『ちょっと物見遊山に待っとこうかな』って言って帰っていったんですけど。きっとその子が通報してくれたんですね。お姉さんたちがすぐに来てくれて助かりました」
「ああ、いや……」

 チャシャたちは別に、誰かの通報を受けて南館に行ったわけではない。
 彼女は以前より南館の唸り声を調査しようとしており、それをたまたまあの日に行っただけである。

 怪談好きの学生が、あの時間帯に取り壊し予定の廃校舎に肝試しに来たとも考えられるが、学生であれば普通は通報するだろう。

(待っておくってことは、まさか私たちが来たとき近くにいたのか……?)

 考えれば考えるほど、その人物が怪しくなってくる。

 小さくため息を吐いて考えるのをやめ、チャシャは椅子から立ち上がった。

「二人とも、話してくれてありがとう。体はもう大丈夫ではあるんだけど、まだ安静にしていてね」

 そう言って医務室を出て行った。
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