第11話「人間のエゴ」

文字数 5,941文字

 正生と再子はチャシャから新型バグとの戦い方を教えてもらい、稽古が終わって昼から学校に向かった。

 学校についた瞬間、上野が再子に飛びついてくる。

「再子!! 無事でよかった!! 本当に心配したんだからね!!」
「わっと……心配かけてごめんね」

 飛びつかれて後ろに倒れそうになり、再子は慌てて足を後ろに下げバランスを取る。
 驚いていたが、上野の様子を見て優しく微笑み抱きしめ返した。

 後から下野も二人のもとに来て、正生たちは上野のお説教を食らいながら教室へと向かう。

 昨日巨大なバグが暴れ回ったというのに、学校は通常通りの景色を見せていた。

 ただ運動場の割れた地面や、その近くの建物の破壊された壁は昨日のままである。
 それらだけが唯一、昨日の戦いの記憶を遺していた。

 正生と再子を見かけた生徒たちが、興奮して昨日のバグ騒動について話しかけてきた。
 しかし少しすれば皆、その話題に興味を持たなくなる。二人のクラスメート、下野と上野を除いて。

「……なあ、二人ってなんで機関に入ったんだ」

 下野は少し言いにくそうにして、ずっと疑問に思っていたことを二人に尋ねた。
 改まって聞かれて正生は怪訝そうにする。

「なんでって、皆を守るためだけど。どうしたんだよ急に」
「いや……来年は大学受験あるだろ? 今回かなり深手を負ったみたいだし、この際もう脱退したらどうだ」

 正生も再子も除隊を促されて驚くが、正生は表情が硬くなる。

「悪い。それはできない」
「ッ、なんでだよ。誰かが命を賭けなきゃいけないとしても、別にお前らである必要性はないだろ」

 下野は眉間にしわを寄せ苦悶を浮かべる。
 下野のその言葉はエゴの塊であり、切実な願いだった。

 彼の言う通り、取締官が普通の一般人に戻っても、機関がその分の人材を補填するだけである。
 戦える者であればそれでいい。その人物でなければならない、などということはほとんどない。

 大切な人が取締官だった場合、他の人が代わりになってくれたらと思う者も多い。
 正生も再子も、そのエゴを否定することはできなかった。

 上野も下野と同じ気持ちで、彼の言葉をフォローする。

「せめて学生の間は、普通に一般人として生きた方が良いんじゃないかって、私は思う。大学を卒業してからでも遅くはないよ」

 上野も内心では、学生の間だけでなくずっと二人に普通の一般人として生きてほしいと思っていた。

 ここで除隊して普通の生活を享受することで、少しでも機関に戻る気持ちをなくしてほしいと。

「二人とも志願して入隊したんだろうけど……中学生から取締官になるのって、ちょっと機関にのめり込み過ぎてると思うんだよ」

 上野は少し言いにくそうにして二人に思っていることを伝えた。

 正生と再子は中学校へ入学する同時に機関に入所し、その時点で既に特務零課に配属されている。
 十三歳で機関に入るなど、普通ではありえない。

 上野と下野は命の恩人である正生たちの人間性に惚れているだけで、機関への熱意や敬意はそれほど持っていない。
 中学生から命を賭けて機関に尽くしている正生と再子が、「機関に取りつかれている」ように見えていた。

 しかし、事実はそう簡単なものではなかった。
 正生と再子は、「自ら志願して入隊したわけでない」のである。

 正生が十二歳の頃、ある事情から機関は二人を強制的に入所させた。
 例え除隊を願ったとしても、簡単に機関を辞めることができない。

 それは断ち切ることのできない、生きる上で背負う絶対的な鎖だった。

 機関の取締官として生きる道以外は全て破壊され、普通に生きることは許されていないのである。

「悪い。詳しいことは話せないが、俺たちが機関を辞めることはない」

 それは親しか知らないことであり、決して外部に漏らしてはいけないもの。
 正生と再子は顔に影を差して絡みつく鎖を隠した。

 正生たちは少し気まずくなりながらも、いつもと変わらない学校生活を送る、はずだった。

 何やら新しく教師が二人着任するようで、午後一番の授業が急きょ変更になる。
 その二人は正生たちのクラス担任と副担任になるらしく、現在のクラス担任が新しい教師を教室に招いた。

 教室の扉が開かれ、生徒たちはざわつき期待の眼差しを向ける。
 教室に入ってきた人物に、正生と再子は目を見開いた。

 長い金髪を揺らす緑の目を持った美麗な女と、整った顔立ちに両耳にピアスを付けた坊主頭の男。
 そう、チャシャと証である。

「な、なんで……」

 驚愕する二人をよそに、チャシャと証は挨拶を済ませる。

 質問タイムになって生徒たちが元気よく手を挙げるなか、正生と再子は戸惑った様子で目の前の光景を眺めていた。

 新任二人と交流を深めるために授業の枠が一つ消費され、チャイムが鳴っても生徒たちはチャシャたちを囲っていた。

 正生は電子メッセージでチャシャたちに呼び出しをかけ、再子を連れて空き教室に移る。

 チャシャと証はメッセージを見て顔を見合わせる。
 何とか生徒の群れを解散させて正生たちのいる教室に来た。

 正生は教室の椅子に座り、眉を寄せて嫌そうな顔して二人を迎える。

「それで、なんでアンタら教師なんかやり始めてんだよ」
「監視するって言っただろ」
「それ俺らだけの監視じゃねーだろーが」
「ごめんね。大人の取締官は監視しやすいんだけど、学生となると学校にいた方がやりやすいから。潜入みたいな感じかな」

 チャシャは苦笑いして弁明した。

 一応、この学校には正生たち以外にも学生の取締官がいる。他の学校にもいるが、それらは別の者に任せているらしい。

(なんか、他の奴らより俺らへの疑いが強い気がするな。俺らというより、俺だけにか)

 正生は何となくチャシャや他の面々から何か警戒されているように感じていた。小さくため息をつく。

「まあ、仕事だから仕方ねえか。学校生活を壊すようなことしたら、アンタらの上司にクレームいれっからな」
「分かってるよ。大丈夫、別に四六時中ついて回るわけじゃないから。学生として楽しく過ごしている分には、邪魔はしないよ」

 これから先、面倒くさくなりそうだと正生は心底嫌そうな顔をしていた。
 その後の授業が始まって正生たちはこれまで通り過ごす。
 しかしチャシャと証の授業になると少し居心地悪そうにしていた。

 授業が終わりチャシャと証は別任務で離れ、再子は用事があるらしく正生は一人で家路につく。

 帰る途中、ヴィークルが壊れかかっていたのを思い出す。
 値が高いのは嫌ということで中古店に行き、同じくペン型のヴィークルに買い替えた。

 動作確認のためヴィークルに変形させて乗り、家まで走らせる。
 しかし近くで爆発音が鳴り響いた。

「!!」

 すぐにヴィークルを停止させ、音がした方を見る。
 発生源はどうやら高校のようだが、煙が大きく天に上がっていた。

 視界に〈バグが発生しました〉と通知が出て正生は舌打ちする。
 ヴィークルを方向転換させ煙の上がる学校に向かった。

 * * *

――意思を持つ者が皆わがままなのは、いつの時代になっても変わらないな。

 女のピンクのボブヘアが風に揺れる。
 人のいない高校の一室は、校舎の上部ごと破壊されてすっかり開け放たれていた。

 ピンク髪の彼女は、終始(おわりはじめ)という人物である。

 この高校の生徒で、おそらく人間種だろう。
 静かすぎて、首にかけているヘッドホンから女性ボーカルの歌声が細く聞こえてくる。

 銀色の目は何の思いも抱かず、目の前でうめき声を上げている浮遊物を眺めていた。
 その浮遊物は機械質の丸い体を持つ、バグである。

 始は怖がりもせず泣きもせず、逃げもせず、ただじっとバグを見つめていた。

(今さら、見慣れてしまって恐怖を感じなくなったな……仮にも「彼女」とは仲良くしていたから、ちょっとは悲しいと感じると思ったんだけど)
「人はこうも非情になれるものなんだね」

 ぼそっとつぶやいた。

 このバグは始のクラスメイトの女子で、彼女の友達「だった」人物である。

 その友達は驚異的なピアノの才を持っていたが、同時に極度の社交性不安障害を抱えていた。
 緊張がなければ、素晴らしい才を惜しみなく発揮することができる。

 伸し掛かる緊張の糸を感じなくさせるために、彼女は一度サイコに手を出した。

 しかしサイコを使った結果、サイエネルギーを受けて本来持つ実力以上の演奏を轟かせてしまった。
 奇しくも、彼女はサイコの「適合者」だったのである。

 素晴らしい演奏に人々は感嘆し、大きな喝采と莫大な期待が彼女にのしかかった。
 あのとき響いた音色が聴きたいと、それを出すことが当たり前だと。

 彼女がその言葉に応えるには、サイコを飲むしか選択肢がない。

 ピアノ演奏の場があるたびに、彼女はサイコを飲み続けた。
 途中で効果が切れてはボロが出てしまうから、大量に何日も続けて服用していた。

(まあ、時間の問題だったのかもしれないな。サイコの適合率が比較的高いとはいえ、八十一パーセントなだけ。アレだけ大量に飲み続ければ許容量を超える)

 本来ならば友達のサイコの服用を止めなければならないのだが、気づいた時点で既に友達は抜け出せない深い穴にはまってしまっていた。
 その様子を見るに止めても止まらなかっただろう。

 こんな状況で平然としている始だったが、彼女は友達の奏でるピアノの音色が好きだった。
 いつ何時でも飽きることなく、友達がピアノを弾き終わるまでずっとそばで聴いていたくらいに。

『私、いつかビッグなアーティストになって、おっきいホールで始ちゃんのためにピアノを弾いてあげる!』

 いつかに友達が言っていた約束は、もう叶うことはないだろう。

(彼女は夢を追いかけていた。夢に潰されたともいえるけど)

 バグの手がこちらに向けられて、始の脳内に数分前の友達の姿が思い浮かぶ。

『は、じめ、ちゃ……』

 バグになる直前、彼女は悲痛な表情をしていた。

 足が動かなくなり、指の爪先から少しずつ、硬い甲殻に変化していく。
 痛みがあるのかは分からないが、見ているだけでも辛さは伝わってくる。

 苦悶の顔でこちらに伸ばすかつての友の細い手が、目の前の化け物の巨大な手と重なった。
 しかしーー

(うん……悲しくはならないな)

 この始という人間は、友達の苦しむ様を見ても何も感じていなかった。
 それどころか、やけに冷静にこの状況を俯瞰して捉えている。

(ダメだな、感覚機能が鈍ってしまったか? やっぱりメンテナンスをした方が良いかもしれないな……しかしまあ、夢を追う姿が似ていると思ったけど、「あの子」とは全然違った。薬に頼るくらいなんだから、そもそも一緒にするのが間違いか)

 記憶の中に居座る、とある少女を思い浮かべて、始は自嘲気味に鼻から息をこぼした。

 バグの手に赤い炎が生成され、徐々に肥大化していく。
 始の視界で、〈警告・高濃度のサイエネルギーを感知〉と赤いテロップが存在を誇張する。

 しかし彼女は逃げずに、バグの前で突っ立ったまま動かない。

「私を殺すのか? あまりにも理不尽だな。キミの本当の音を聞いていたのは、私だけだというのに……けどまあ、罪悪感を持つ必要はないよ」

 始は視線を少し下げ、胸に前に手を添えて力を込める。

 力に合わせて指骨が浮き上がり、手の中で水色の光が集まった。
 手元から光がもれて顔に影が差す。

「私はキミの奏でる音色は好きだけど、キミ自身にはそこまで興味がなかったみたいだから」

 始が手を前に出した。
ーー直後、上から人が降ってきてバグの腕を勢いよく斬り落とした。

 腕が地面に落ちて大きな衝撃音が鳴り響き、土煙が舞い上がる。

「!!」

 始は驚いてバッと手を下におろした。
 先ほどまで彼女の手にあった水色の光は消え去っている。

 上から降りてきた人物は、手に持った刀を横にふるって煙を払った。
 黒髪をなびかせるその人、正生はバグの拳が振ってきて横に回避する。

 拳に飛び乗り、踏み込んで浮遊しているバグの頭部を斬り飛ばした。

 バグは活動を停止し、床に落ちて衝撃音を立てる。正生はバグから飛び降りて始の方へ振り返った。

「大丈夫か」
「あ……は、はい」

 動揺してすぐに言葉が出てこないながらも遅れて返答する。
 機関の人間か、などと内心でぼやき、始は自分の視界にデータウィンドウを展開させた。

 白い環が視界に一つ現れ、正生を捉えて個人データに侵入して読み込み始めた。

 とある文字が目に入って始は驚きの表情を浮かべ、少し口角を上げる。
 しかしすぐにそれを戻し、侵入のログを消去して正生のそばに歩み寄った。

「助けてくれてありがとうございます。あの、もしかしてサイコ取締機関の細川正生さんですか?」
「? なんで俺のこと知ってるんだ」
「有名ですからね。バグより周りを破壊する怪獣みたいな取締官って」
「……否定できない」

 自業自得ではあるが、そこまで一般人にも認知されているとは思っていず顔を手で覆った。

 SAシステムで出していた刀を消し去り、電子ウインドウを開いて機関の回収課に連絡を入れる。

「お前、ほんとに怪我はないのか? あんなにバグの間近にいたし、どっか負傷してると思ったんだが……遠慮しなくても、逃げるときにこけて擦りむいたとかでも機関から治療費は出るぞ?」
「ああ、いえ。大丈夫ですよ。怪我する前にお兄さんが助けてくださったので……あの私、終始って言います。よかったらお礼がしたいんですけど」
「あー、悪い。そういうの個人では受け付けてないんだよ。よかったら機関に応援メッセージでも書いといてくれ。あれ他の奴らには割と励みになるらしいから」

 正生は帰ろうとするが、「あの!」と始が声を上げて制止してきた。
 正生は足を止め、怪訝そうに振り返る。

「連絡先、交換してくれませんかっ?」
「……え?」

 予想外のことで唖然とする。
 正生は普段から目が死んでいて態度が悪く、モテないのは自覚していた。

 出会ったばかりの彼女に連絡先の交換を頼まれ、彼の頭は疑問でいっぱいである。

(何だこいつ。からかってんのか?)

 平常なら断るところなのだが、始が銀の目をキラキラさせて見つめてきて正生は顔を引きつらせた。

 期待満載の眼差しに断る気力が削られ、目をそらして頭をかく。

「まあ、良いけど……」

 正生は小さくため息をつき、始と電子端末を出して連絡先を交換した。

「ありがとうございます。じゃあまた、『デート』、誘いますね!」
「え? あ、おいっ」

 交換すると始は笑顔で手を振ってすぐに帰ってしまった。
 取り残された正生は呆然と、彼女の去った方を眺める。

「な、なんだったんだよ」

 バグと戦うより気疲れしてしまい、大きくため息を吐いて帰路についた。
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