(6) 瓜二つのアイドル
文字数 2,050文字
里美から待ち合わせ場所に指定された体育館の「横」というのが、樋山を悩ませていた。「前」とか「裏」なら分かりやすいが、横というのは左右二か所ある。どっちへ行けばいいものか。
疑問を抱きつつ、全く乗り気でもない樋山が、それでも律義に体育館に向かっていると、前方に里美らしきうしろ姿が見えた。
漆黒の髪を持つ弥生と違って、里美の髪は栗色だ。校則で染髪は禁止されているから地毛の色なのだろう。太そうな神経とは裏腹に、髪はとても繊細で柔らかそうな印象を受ける。薄茶色の瞳は美しいビー玉のように透き通っており、あるときは見たものを吸い込んでしまいそうな広がりを感じさせ、またあるときは何らかのビームでも発射されるかのごとき力強さを感じさせた。髪、瞳に加えて肌の白さからも、全体的に色素が薄い印象を受ける。
そんな里美のうしろ姿が体育館の向こうに消える瞬間、ほんのわずかに横顔が見えた。
いったい何を言われるんだろうか。
樋山の気分は下降線を辿っていた。
体育館の横にしろ裏にしろ、人気のない場所に呼び出される理由はいくつか想像ができる。中でも最も平和で幸福そうなものが、告白というやつだ。
「転校してきたときから、ずっと樋山くんのことが好きだったの」
恥ずかし気に目を伏せて、もじもじしながらそう告げる里美を一応想像してはみたものの、まあ現実味はゼロだった。里美の口からそんな女の子らしい台詞が出るとは思えない。
対極のバージョンとしては、カツアゲというものが思い浮かぶ。
「おう、樋山! つべこべ言わずに有り金全部出しな!」
煙草を咥え、何やら金属的なものを身に付けた上で、重しの付いた鎖をぶんぶん振り回す里美。想像が陳腐過ぎるし、まあ無いだろうとは思うものの、告白バージョンほどには現実離れしているとは思えないところが怖い。
どちらにしろ行きたくはない。
「はあ・・・」
大きくため息をついたところで、後ろから声を掛けられた。
「やほ」
「わっ」
無防備なところに声を掛けられて驚いて振り向き、相手の顔を見て目を疑った。
そこでにこやかに手を振っていたのは、誰あろう里美だったからだ。
先ほど見たうしろ姿はセーラー服だったが、今目の前にいる里美は学校指定のコートを着ている。コートの前を閉じていないので、合間でセーラー服のスカーフが彼女の歩みに合わせて揺れていた。
「あ、あれ?」
ついさっき体育館の向こうに消えて行ったと思ったのは人違いだったのか。それにしても似ていた。
うしろから見た容貌。ちらりと覗いた横顔。
あれはいったい誰だったのか。
あれほど里美っぽい容姿の女の子がいて、もしも性格が少しでも良ければ、たちまち人気ナンバーワンになるはずだが、樋山には思い当たる顔がなかった。
「何驚いてんの? わたしって驚くほど可愛い?」
「違うよ。あ、いや、その、さっき小田島にすっごくよく似た女の子が体育館の向こうに行くのが見えたからさ、てっきり、」
呑気そうだった里美の表情が瞬時に険しくなった。
「それ、ほんとにわたしだった?」
「え、いや。だから、見間違いだと、」
答えを最後まで聞く気はないらしく、里美は一人で駆け出していた。
「ちょ、ちょっと、どうしたんだよ」
訳も分からぬままに追いかける。
「ねえ、小田島さんっ」
樋山の呼びかけには応じないくせに、里美の方は走りながら問いかけてきた。
「それって、中和泉咲桜 じゃなかった?」
「え?」
中和泉咲桜——それは里美と瓜二つと言われるアイドルだ。
実は里美の転校初日、空爆をくらった男子たちだけでなく女子の間にも、彼女が人気アイドルの中和泉咲桜そっくりだという驚きが広がっていたのだ。
確かに中和泉咲桜であれば里美と見間違えることも十分にあり得るだろう。それほどまでに二人は似ていた。しかし、それ以前の問題として、こんなところにトップアイドルである咲桜がいるはずがない。樋山とて普通の高校生男子。咲桜が所属するアイドルグループKGYPの大ファンだった。樋山の記憶では今夜の生番組にも出演予定のはずだった。
「ごめんっ、約束はキャンセルで! 樋山くんは帰って!」
走りながらほんの少しだけ顔を樋山の方に向けた里美は、一方的にそれだけを言うとギアを上げたかのように速度を速めた。
「えっ、ちょっと、、、」
どういうことなのかと問い返せなかったのは、里美の足があまりにも速くてあっけにとられてしまったせいだった。彼女との距離はみるみる開き、その姿はあっという間に体育館の向こうに消えてしまった。
樋山がおとなしく帰るという選択をしなかったのは、里美の走りのことを陸上部の友人に教えてスカウトさせるべきかどうか悩み始めたからではない。それほどまでに彼女の走りは女子高生離れしたものではあったものの、それよりも自分が見たものの正解が知りたいという好奇心が勝っていた。
里美そっくりに見えた、あの女子生徒は誰だったのか。
結果として、好奇心のまま動くのは危険が伴うという教訓を得たわけだが。
疑問を抱きつつ、全く乗り気でもない樋山が、それでも律義に体育館に向かっていると、前方に里美らしきうしろ姿が見えた。
漆黒の髪を持つ弥生と違って、里美の髪は栗色だ。校則で染髪は禁止されているから地毛の色なのだろう。太そうな神経とは裏腹に、髪はとても繊細で柔らかそうな印象を受ける。薄茶色の瞳は美しいビー玉のように透き通っており、あるときは見たものを吸い込んでしまいそうな広がりを感じさせ、またあるときは何らかのビームでも発射されるかのごとき力強さを感じさせた。髪、瞳に加えて肌の白さからも、全体的に色素が薄い印象を受ける。
そんな里美のうしろ姿が体育館の向こうに消える瞬間、ほんのわずかに横顔が見えた。
いったい何を言われるんだろうか。
樋山の気分は下降線を辿っていた。
体育館の横にしろ裏にしろ、人気のない場所に呼び出される理由はいくつか想像ができる。中でも最も平和で幸福そうなものが、告白というやつだ。
「転校してきたときから、ずっと樋山くんのことが好きだったの」
恥ずかし気に目を伏せて、もじもじしながらそう告げる里美を一応想像してはみたものの、まあ現実味はゼロだった。里美の口からそんな女の子らしい台詞が出るとは思えない。
対極のバージョンとしては、カツアゲというものが思い浮かぶ。
「おう、樋山! つべこべ言わずに有り金全部出しな!」
煙草を咥え、何やら金属的なものを身に付けた上で、重しの付いた鎖をぶんぶん振り回す里美。想像が陳腐過ぎるし、まあ無いだろうとは思うものの、告白バージョンほどには現実離れしているとは思えないところが怖い。
どちらにしろ行きたくはない。
「はあ・・・」
大きくため息をついたところで、後ろから声を掛けられた。
「やほ」
「わっ」
無防備なところに声を掛けられて驚いて振り向き、相手の顔を見て目を疑った。
そこでにこやかに手を振っていたのは、誰あろう里美だったからだ。
先ほど見たうしろ姿はセーラー服だったが、今目の前にいる里美は学校指定のコートを着ている。コートの前を閉じていないので、合間でセーラー服のスカーフが彼女の歩みに合わせて揺れていた。
「あ、あれ?」
ついさっき体育館の向こうに消えて行ったと思ったのは人違いだったのか。それにしても似ていた。
うしろから見た容貌。ちらりと覗いた横顔。
あれはいったい誰だったのか。
あれほど里美っぽい容姿の女の子がいて、もしも性格が少しでも良ければ、たちまち人気ナンバーワンになるはずだが、樋山には思い当たる顔がなかった。
「何驚いてんの? わたしって驚くほど可愛い?」
「違うよ。あ、いや、その、さっき小田島にすっごくよく似た女の子が体育館の向こうに行くのが見えたからさ、てっきり、」
呑気そうだった里美の表情が瞬時に険しくなった。
「それ、ほんとにわたしだった?」
「え、いや。だから、見間違いだと、」
答えを最後まで聞く気はないらしく、里美は一人で駆け出していた。
「ちょ、ちょっと、どうしたんだよ」
訳も分からぬままに追いかける。
「ねえ、小田島さんっ」
樋山の呼びかけには応じないくせに、里美の方は走りながら問いかけてきた。
「それって、
「え?」
中和泉咲桜——それは里美と瓜二つと言われるアイドルだ。
実は里美の転校初日、空爆をくらった男子たちだけでなく女子の間にも、彼女が人気アイドルの中和泉咲桜そっくりだという驚きが広がっていたのだ。
確かに中和泉咲桜であれば里美と見間違えることも十分にあり得るだろう。それほどまでに二人は似ていた。しかし、それ以前の問題として、こんなところにトップアイドルである咲桜がいるはずがない。樋山とて普通の高校生男子。咲桜が所属するアイドルグループKGYPの大ファンだった。樋山の記憶では今夜の生番組にも出演予定のはずだった。
「ごめんっ、約束はキャンセルで! 樋山くんは帰って!」
走りながらほんの少しだけ顔を樋山の方に向けた里美は、一方的にそれだけを言うとギアを上げたかのように速度を速めた。
「えっ、ちょっと、、、」
どういうことなのかと問い返せなかったのは、里美の足があまりにも速くてあっけにとられてしまったせいだった。彼女との距離はみるみる開き、その姿はあっという間に体育館の向こうに消えてしまった。
樋山がおとなしく帰るという選択をしなかったのは、里美の走りのことを陸上部の友人に教えてスカウトさせるべきかどうか悩み始めたからではない。それほどまでに彼女の走りは女子高生離れしたものではあったものの、それよりも自分が見たものの正解が知りたいという好奇心が勝っていた。
里美そっくりに見えた、あの女子生徒は誰だったのか。
結果として、好奇心のまま動くのは危険が伴うという教訓を得たわけだが。