(18) 冬のバレンタイン
文字数 1,872文字
キキョウが人に成りすます——その
「じゃあ、キキョウに容姿を真似られた人間はどうなるんだよ?」
里美からキキョウについての知識を少しずつ得ていた樋山が、そんな疑問を口にしたとき、扉が開いてこの昼休み三組目のカップルが屋上に現れた。
里美が口の前に指を立てて黙れと指示する。雑談ならいくら聞かれても構わないがキキョウの話は別だ。
二人は屋上の更に上の階段室の上にいたので、扉から離れた位置で姿勢を低くしていれば屋上に来た生徒たちから見つからずに済んだ。ただし二人の方からも相手の姿は見えない。
カップルが少し離れたのを確認して、樋山が里美にだけ届く音量で愚痴をこぼす。
「バレンタインの屋上なんて来るもんじゃないな。くそ寒いから誰も来ないと思ってたら大間違いだった」
そう、今日は二月十四日、バレンタインデーだった。カップルが現れては女子から男子にチョコが提供される儀式は、この昼休みの屋上だけで三組目。それも整理券でも配布されているかのごとく時間をずらして入れ替わりやってくる。
きっと体育館の裏とか誰もいない部室とか、至る所で同じような儀式が行われているのだろう。
「妬かない妬かない。モテない男の僻 みはみっともないよ」
「ほっとけ」
「かわいそうな樋山くん、誰からも貰えそうにないの?」
里美が笑いを噛み殺す。
「うるさい。こうやっておまえと一緒にいることが多くなって、他の女子が遠慮してるんだ、きっと」
「あ、わたしのせいだっていうの?」
思わず里美の声のボリュームが上がっていた。
「声がでかいよ」
「いいわよ、聞かれたって」
そうは言いつつも、その声は再び小声になっている。
「カップルの邪魔しちゃ悪いだろ」
「霧田部長からチョコ貰ったことないの?」
「なっ、なんでそんなこと訊くんだよっ⁈」
里美の直球内角高めの挑発に乗って、今度は樋山がむきになった。
すかさず里美が水を差す。
「ほら、声が大きいってば」
まだ何か言いたげだった樋山は、噛み潰したニガ虫のように言葉を呑みこんで、その場に寝転がった。
それを見た里美が隣に寝転ぶ。
「制服が汚れるぞ」
屋上と言っても土足ではなく上履きではあるものの、吹きっさらしの屋外には違いない。
「自分だって」
座っていたときと距離感は変わらないはずなのに感じ始めた緊張感の正体を、樋山は掴みかねていた。
何の話をしていたのかも忘れてしまい、冬の透き通る青空に視線を泳がせながら言葉を探す。
先に何か言ってくれればいいのにと思って、こっそりと視線を里美に落とす。が、首を捻らずに眼球の動きだけで彼女の姿を捉えることはできなかった。
里美がずっと何も言わないものだから、まさか寝たんじゃないだろうなと思い始めた頃、先ほどのカップルが帰って行った。
これで声量を気にせずに話せると思い、里美を起こそうとしたとき、次のカップルが登場した。こうなるといよいよ他にも何組も階段に並んで順番待ちをしているとしか思えない。
『誰でもいいからとっとと済ませて早くいなくなってくれ』
頭の中で悪態をつき、もうしばらく寝転がっているしかないと樋山が諦めたとき、今上がって来たカップルの話し声がかすかに聞こえてきた。盗み聞きをしようなどとは思っていなかったのだが、自然に聞こえてくるものはしようがない。
だが、その女子の声はただ聞こえてきたというだけではなく、どこか樋山の琴線に触れる声だった。
「……くん、これ、貰ってくれるかな」
それは間違いなく、霧田美波の声だった。
樋山は身体の中心に鉛の棒を突っ込まれたような気分になった。
男の方はありがとうとか何とか言って受け取ったようだ。
『こんなところで二人きりで渡すのは、どう考えても義理じゃないよなあ』
小さくため息をついた樋山が視線を感じて横を見ると、里美と目が合った。
「なんだよ?」
ほとんど声にはなっていなかったが、口の動きだけでも里美には伝わったのだろう。同じく、ほとんど口の動きだけで言い返して来た。
「どんまい」
樋山は視線を空に戻し、今度は体中の空気を入れ替えるほどの大きなため息をついた。
人
とは、もともと実在する誰かということだ。そのオリジナルの人物の体内に侵入して脳を掌握し、その身体を我がものとして操る場合は話が早い。だが、オリジナルの人体とは別にキキョウだけでその人物そっくりの姿を形成する場合、キキョウが成りすました偽物とオリジナルが同時に存在することになる。当然ながらそれはキキョウが人として社会に溶け込むのに不都合となる。オリジナルの存在はキキョウにとって邪魔なのだ。「じゃあ、キキョウに容姿を真似られた人間はどうなるんだよ?」
里美からキキョウについての知識を少しずつ得ていた樋山が、そんな疑問を口にしたとき、扉が開いてこの昼休み三組目のカップルが屋上に現れた。
里美が口の前に指を立てて黙れと指示する。雑談ならいくら聞かれても構わないがキキョウの話は別だ。
二人は屋上の更に上の階段室の上にいたので、扉から離れた位置で姿勢を低くしていれば屋上に来た生徒たちから見つからずに済んだ。ただし二人の方からも相手の姿は見えない。
カップルが少し離れたのを確認して、樋山が里美にだけ届く音量で愚痴をこぼす。
「バレンタインの屋上なんて来るもんじゃないな。くそ寒いから誰も来ないと思ってたら大間違いだった」
そう、今日は二月十四日、バレンタインデーだった。カップルが現れては女子から男子にチョコが提供される儀式は、この昼休みの屋上だけで三組目。それも整理券でも配布されているかのごとく時間をずらして入れ替わりやってくる。
きっと体育館の裏とか誰もいない部室とか、至る所で同じような儀式が行われているのだろう。
「妬かない妬かない。モテない男の
「ほっとけ」
「かわいそうな樋山くん、誰からも貰えそうにないの?」
里美が笑いを噛み殺す。
「うるさい。こうやっておまえと一緒にいることが多くなって、他の女子が遠慮してるんだ、きっと」
「あ、わたしのせいだっていうの?」
思わず里美の声のボリュームが上がっていた。
「声がでかいよ」
「いいわよ、聞かれたって」
そうは言いつつも、その声は再び小声になっている。
「カップルの邪魔しちゃ悪いだろ」
「霧田部長からチョコ貰ったことないの?」
「なっ、なんでそんなこと訊くんだよっ⁈」
里美の直球内角高めの挑発に乗って、今度は樋山がむきになった。
すかさず里美が水を差す。
「ほら、声が大きいってば」
まだ何か言いたげだった樋山は、噛み潰したニガ虫のように言葉を呑みこんで、その場に寝転がった。
それを見た里美が隣に寝転ぶ。
「制服が汚れるぞ」
屋上と言っても土足ではなく上履きではあるものの、吹きっさらしの屋外には違いない。
「自分だって」
座っていたときと距離感は変わらないはずなのに感じ始めた緊張感の正体を、樋山は掴みかねていた。
何の話をしていたのかも忘れてしまい、冬の透き通る青空に視線を泳がせながら言葉を探す。
先に何か言ってくれればいいのにと思って、こっそりと視線を里美に落とす。が、首を捻らずに眼球の動きだけで彼女の姿を捉えることはできなかった。
里美がずっと何も言わないものだから、まさか寝たんじゃないだろうなと思い始めた頃、先ほどのカップルが帰って行った。
これで声量を気にせずに話せると思い、里美を起こそうとしたとき、次のカップルが登場した。こうなるといよいよ他にも何組も階段に並んで順番待ちをしているとしか思えない。
『誰でもいいからとっとと済ませて早くいなくなってくれ』
頭の中で悪態をつき、もうしばらく寝転がっているしかないと樋山が諦めたとき、今上がって来たカップルの話し声がかすかに聞こえてきた。盗み聞きをしようなどとは思っていなかったのだが、自然に聞こえてくるものはしようがない。
だが、その女子の声はただ聞こえてきたというだけではなく、どこか樋山の琴線に触れる声だった。
「……くん、これ、貰ってくれるかな」
それは間違いなく、霧田美波の声だった。
樋山は身体の中心に鉛の棒を突っ込まれたような気分になった。
男の方はありがとうとか何とか言って受け取ったようだ。
『こんなところで二人きりで渡すのは、どう考えても義理じゃないよなあ』
小さくため息をついた樋山が視線を感じて横を見ると、里美と目が合った。
「なんだよ?」
ほとんど声にはなっていなかったが、口の動きだけでも里美には伝わったのだろう。同じく、ほとんど口の動きだけで言い返して来た。
「どんまい」
樋山は視線を空に戻し、今度は体中の空気を入れ替えるほどの大きなため息をついた。