(17) 恋愛禁止
文字数 2,089文字
同性の弥生ですら恋に落ちる音を鳴らしてしまいそうな可憐さと儚 さだった。このシチュエーションだからこそ笑ってしまったものの、この攻撃に耐えられる男子はいないだろうと感心した。
「ちょっと笑い過ぎじゃない?」
またマフラーを少し下げた里美が口を尖らせた。その表情さえ愛おしく思えるけれど、それが本心からのものなのか、まだぶりっ子を続けているのか判別できない。
「ごめんごめん。だって、思った以上に破壊力が凄 まじかったから」
「馬鹿にしてない?」
「してないしてない。教えて欲しいくらいだよ」
「こんなのでよかったらいくらでも教えてあげるけどさ、多分女の子なら誰にでもできちゃうんだよ。問題なのは意中の男の子の前で実践する勇気があるかどうかだと思うよ」
弥生は内心で頷いた。男子の前でこれをやるのはきっと自分には無理だ。
「正直、小田島さんってこんな話やすい人だと思ってなかったよ。もっとつっけんどんなイメージだった」
「だよね。ちょっと人見知りが激しすぎて、いろんな人に不愉快な思いをさせてるんだ」
「ねえ、里美ちゃんって呼んでもいい?」
唐突ではあったものの、弥生にしては思い切った提案をしてみた。
「じゃあ、わたしは弥生ちゃん呼びで」
里美があっけらかんと受け入れてくれたことに気をよくして、もう一つ突っ込んだ質問をぶつけてみることにした。
「ねえ、樋山くんにチョコ、本当にあげてもいいと思う?」
「やっぱり、そんなこと考えてたんだ」
里美はまた小さく笑ったけれど、不思議なことに今度は弥生にとっても全く嫌な笑いではなかった。
「うまくいくかって意味なら、そんなことわたしにも分からないよ。わたしはね、好きな相手に想いをぶつけるのも片想いを続けるのも、どちらかが尊いってことはないと思うんだ。結局は自分次第じゃないかな」
里美は、自分はこう見えて好きな男子に自分から告白なんか絶対にできないとは打ち明けなかった。信じてもらえそうになかったからだ。
弥生のように一見大人しそうな女子が恋愛には積極的で、快活に見える里美のようなタイプが恋愛には臆病だったりすることは往々にしてある。その点でも里美は自分が誤解され易いタイプだと分かってはいた。
自分から話題を振ってはみたものの、里美としては自分の言葉が弥生の背中を押す方向にも思い止まらせる方向にも影響を与えたくはなかった。樋山のことに限っていえば、彼が今の時点で霧田美波以外からの告白を受け入れる可能性は低いだろう。しかし、たとえ振られたとしても、告白することは決して無駄ではないという思いもあった。一方で振られたときのダメージも人それぞれだ。だとするならば、その判断に他人が無責任に影響を与えるべきではないというのが里美の思いだった。
だが里美が本当に懸念すべきはキキョウのことであるはずだった。キキョウが樋山の存在をどう捉えているのかは分からないが、もし里美、つまり本物の中和泉咲桜に近い存在として何らかの利用価値を見出した場合、弥生が彼に近づくことで弥生にもキキョウの危険が及ぶ可能性は高まるはずだった。それなのに、このときの里美はキキョウの脅威を過小評価し過ぎていた。キキョウがそこまで回りくどいことはしないだろうと楽観していたのだ。久しぶりに満喫していた普通の学生生活のせいで警戒心が緩んでいたと言わざるを得ない。
「里美ちゃんは男子にチョコをあげたりしないの?」
弥生が里美にボールを投げ返してきた。
「わたしはそんなキャラじゃないし。それに、実はわたし、恋愛禁止だったりするからさ」
「恋愛禁止? アイドルでもないのに、そんな箱入り娘なの?」
「あ、いや、はは。ごめんごめん。冗談冗談」
恋愛禁止を謳うアイドルグループは珍しくない。中和泉咲桜が所属するKGYPもその一つだ。一方で、その手のグループにいながらも、アイドルだって一人の人間、一人の女性だと主張して在籍中からの恋愛を正当化する者もいる。里美はすべきではないという立場だった。それは事務所に禁止されているからという外圧的な理由ではなく、アイドルという職業の性質上、当然に伴う本質的な制約、あるいはプロとして守るべきルールだと考えるからだ。
バレなければいいだろうという意見には一定の真実が含まれるが、ファンに対する誠実さを問うのであれば論外なのは明らかだ。ファンは推しメンに対していろんな形で応援をくれる。そしてアイドルが商売 である以上、その応援の多くには少なからずお金がかかる。ほかのメンバーよりも少しでも自分の推しメンを上に押し上げようと、お金を落として応援してくれる熱心なファンを思えば、アイドルを続けながら恋愛などすべきではない。どうしても恋愛をしたいなら潔くアイドルを卒業すべきだ。それが里美、つまり中和泉咲桜の考えだった。
「アイドルといえば、里美ちゃんって中和泉咲桜にそっくりだよね」
「そうそう。よく言われる。だからね、ちょっと言ってみたかったんだ。アイドルぶって、恋愛禁止なんだぁってね」
弥生の笑い声が白い息になって舞い上がった向こうに、バスが近づいて来るのが見えた。
「ちょっと笑い過ぎじゃない?」
またマフラーを少し下げた里美が口を尖らせた。その表情さえ愛おしく思えるけれど、それが本心からのものなのか、まだぶりっ子を続けているのか判別できない。
「ごめんごめん。だって、思った以上に破壊力が
「馬鹿にしてない?」
「してないしてない。教えて欲しいくらいだよ」
「こんなのでよかったらいくらでも教えてあげるけどさ、多分女の子なら誰にでもできちゃうんだよ。問題なのは意中の男の子の前で実践する勇気があるかどうかだと思うよ」
弥生は内心で頷いた。男子の前でこれをやるのはきっと自分には無理だ。
「正直、小田島さんってこんな話やすい人だと思ってなかったよ。もっとつっけんどんなイメージだった」
「だよね。ちょっと人見知りが激しすぎて、いろんな人に不愉快な思いをさせてるんだ」
「ねえ、里美ちゃんって呼んでもいい?」
唐突ではあったものの、弥生にしては思い切った提案をしてみた。
「じゃあ、わたしは弥生ちゃん呼びで」
里美があっけらかんと受け入れてくれたことに気をよくして、もう一つ突っ込んだ質問をぶつけてみることにした。
「ねえ、樋山くんにチョコ、本当にあげてもいいと思う?」
「やっぱり、そんなこと考えてたんだ」
里美はまた小さく笑ったけれど、不思議なことに今度は弥生にとっても全く嫌な笑いではなかった。
「うまくいくかって意味なら、そんなことわたしにも分からないよ。わたしはね、好きな相手に想いをぶつけるのも片想いを続けるのも、どちらかが尊いってことはないと思うんだ。結局は自分次第じゃないかな」
里美は、自分はこう見えて好きな男子に自分から告白なんか絶対にできないとは打ち明けなかった。信じてもらえそうになかったからだ。
弥生のように一見大人しそうな女子が恋愛には積極的で、快活に見える里美のようなタイプが恋愛には臆病だったりすることは往々にしてある。その点でも里美は自分が誤解され易いタイプだと分かってはいた。
自分から話題を振ってはみたものの、里美としては自分の言葉が弥生の背中を押す方向にも思い止まらせる方向にも影響を与えたくはなかった。樋山のことに限っていえば、彼が今の時点で霧田美波以外からの告白を受け入れる可能性は低いだろう。しかし、たとえ振られたとしても、告白することは決して無駄ではないという思いもあった。一方で振られたときのダメージも人それぞれだ。だとするならば、その判断に他人が無責任に影響を与えるべきではないというのが里美の思いだった。
だが里美が本当に懸念すべきはキキョウのことであるはずだった。キキョウが樋山の存在をどう捉えているのかは分からないが、もし里美、つまり本物の中和泉咲桜に近い存在として何らかの利用価値を見出した場合、弥生が彼に近づくことで弥生にもキキョウの危険が及ぶ可能性は高まるはずだった。それなのに、このときの里美はキキョウの脅威を過小評価し過ぎていた。キキョウがそこまで回りくどいことはしないだろうと楽観していたのだ。久しぶりに満喫していた普通の学生生活のせいで警戒心が緩んでいたと言わざるを得ない。
「里美ちゃんは男子にチョコをあげたりしないの?」
弥生が里美にボールを投げ返してきた。
「わたしはそんなキャラじゃないし。それに、実はわたし、恋愛禁止だったりするからさ」
「恋愛禁止? アイドルでもないのに、そんな箱入り娘なの?」
「あ、いや、はは。ごめんごめん。冗談冗談」
恋愛禁止を謳うアイドルグループは珍しくない。中和泉咲桜が所属するKGYPもその一つだ。一方で、その手のグループにいながらも、アイドルだって一人の人間、一人の女性だと主張して在籍中からの恋愛を正当化する者もいる。里美はすべきではないという立場だった。それは事務所に禁止されているからという外圧的な理由ではなく、アイドルという職業の性質上、当然に伴う本質的な制約、あるいはプロとして守るべきルールだと考えるからだ。
バレなければいいだろうという意見には一定の真実が含まれるが、ファンに対する誠実さを問うのであれば論外なのは明らかだ。ファンは推しメンに対していろんな形で応援をくれる。そしてアイドルが
「アイドルといえば、里美ちゃんって中和泉咲桜にそっくりだよね」
「そうそう。よく言われる。だからね、ちょっと言ってみたかったんだ。アイドルぶって、恋愛禁止なんだぁってね」
弥生の笑い声が白い息になって舞い上がった向こうに、バスが近づいて来るのが見えた。