(19) 残念賞
文字数 1,868文字
恋に落ちる音などというものがある世界ならば、恋が破れる音とか儚 く散りゆく音なんてものも存在するのだろうか。
『そんなものがなくてよかったよ。あれば思い切り小田島さんに聞かれてしまうところだった』
樋山はそんな自虐で失恋の痛みから目を背けようとしていた。とはいえ、そんな音などあってもなくても変わりはない程度に現実は非常だ。美波とお相手の男子生徒が屋上を去ったあと、おもむろに身体を起こした里美の第一声は残酷なものだった。
「他人の初恋が終わった瞬間に立ち会ったのは初めてだよ」
彼女は悪魔のように笑っていた。
樋山はもう否定する気にもなれなかった。上体を起こし、体育座りで膝を抱える。
「おまえ、やっぱ性格悪いな」
「言われなくても自覚してるから。大丈夫? 泣いてない? お姉さんが頭なでなでしてあげようか? ぎゅーってしてあげようか?」
完全に面白がっている里美を、樋山はただ恨めしい目で睨みつけるしかなかった。
もしこの世界に失恋の音なんてものがあったら、そのときの里美は「わあ、派手に鳴り響いたねえ」とか何とか言いながらやはり高笑いをするのだろう。
「悪魔め」
幼い頃から家が近所で仲良く遊んでいたような仲であっても、中学高校と年齢を重ねていけば疎遠にもなりがちだ。みんながタッちゃんと南ちゃんのようにはいかない。幼馴染同士の恋が上手くいくなんていうのは、きっと少数派だ。女はいつも男の数歩先を歩いているから、女性の方が歳上の場合はなおさらかもしれない。
「はい」
消沈し自分の膝を見つめている樋山に、里美が手を差し出した。
「なに?」
「ほら、手出して」
樋山の手のひらに小さなチョコが一粒だけ載せられた。
「残念賞」
実は里美は低迷している人気度のグラフが跳ね上がるほどの笑顔を副賞として添えていたのだが、今の樋山には全く響かなかった。
「天文部のことでは助けてもらったからさ、ね」
「あ、いや。うん。ありがと……」
「ほかにも貰えるといいね、チョコ」
「……もういいよ」
長年暖め続けてきた想いが散ったばかりで、別のチョコを求めるほど樋山の神経は図太くもない。
「そう? でも、弥生ちゃんとか、可能性あるかもよ」
「森次さん? ないない。人気ナンバーワンの彼女が俺になんか見向きもしないよ」
「ほかの男子たちがどれだけ彼女を想っていたって関係ないでしょ。肝心なのは彼女の想いがどっちに向いているかだけじゃない」
樋山は弥生の顔を思い浮かべようとした。しかし、浮かんできたのはやはり美波の顔だった。
そこで午後の授業の予鈴が鳴った。
「昼休みの屋上は四組で終了だね。わたしたちも教室に戻ろう」
立ち上がった里美が樋山を見下ろす。
檜山はスカートの中が見えそうになってあわてて顔を背けた。そのどぎまぎを隠すかのように何回目かのため息をついて、力なく立ち上がる。
階段室の上には壁に埋め込まれた金属製のはしごを使って上り下りする。樋山がそちらに歩こうとすると、里美は別の方に行く。
「そっちじゃないよ」
樋山の言葉が早いか里美が踏み切ったのが早いか。次の瞬間には里美は三メートルはあろうかという高さから、軽やかにスカートを翻して飛び降りた。
「お、おいっ」
驚いて下を見る。
里美は膝を折って着地した姿勢から、立ち上がって樋山を見上げた。
「なに?」
「危ないよ。それに……」
「それに、なによ?」
「パンツが見えるぞ」
「えっち。でも、残念でした。ちゃんとスパッツ履いてるし」
里美は自分でスカートの裾を捲り上げ、丈の短い黒のスパッツを見せつける。キキョウが現れて以来、いちいちスカートの下を気にせずに動き回れるよう履くようにしていたものだ。
「わたしはパンツくらい見えてもいいんだけど、周りの男子が鼻血出しても困るしね。そんなことより早く降りて来ないと、授業に遅れるよ」
「分かったから、もうスカート下ろせって」
いくらスパッツを履いていても目のやり場に困る。
「ほんとは見たいくせに」
里美は憎まれ口をききながらもスカートの裾を下ろした。
『今日はキキョウの話をあまり聞けなかったな』
常人にはとても飛び降りられる高さではないので、ゆっくりと梯子を使いながら樋山は思う。
『でも、本当に聞きたいのは里美自身のことだ。どうして彼女は今みたいなことができて、その上キキョウまで操ることができるのか。そして、何故キキョウは襲って来たのか』
気にはなるものの、彼女が自ら話してくれないうちはこちらから訊ねることは憚られた。それを聞くには何か大きな覚悟のようなものが必要な気がしたからだ。
『そんなものがなくてよかったよ。あれば思い切り小田島さんに聞かれてしまうところだった』
樋山はそんな自虐で失恋の痛みから目を背けようとしていた。とはいえ、そんな音などあってもなくても変わりはない程度に現実は非常だ。美波とお相手の男子生徒が屋上を去ったあと、おもむろに身体を起こした里美の第一声は残酷なものだった。
「他人の初恋が終わった瞬間に立ち会ったのは初めてだよ」
彼女は悪魔のように笑っていた。
樋山はもう否定する気にもなれなかった。上体を起こし、体育座りで膝を抱える。
「おまえ、やっぱ性格悪いな」
「言われなくても自覚してるから。大丈夫? 泣いてない? お姉さんが頭なでなでしてあげようか? ぎゅーってしてあげようか?」
完全に面白がっている里美を、樋山はただ恨めしい目で睨みつけるしかなかった。
もしこの世界に失恋の音なんてものがあったら、そのときの里美は「わあ、派手に鳴り響いたねえ」とか何とか言いながらやはり高笑いをするのだろう。
「悪魔め」
幼い頃から家が近所で仲良く遊んでいたような仲であっても、中学高校と年齢を重ねていけば疎遠にもなりがちだ。みんながタッちゃんと南ちゃんのようにはいかない。幼馴染同士の恋が上手くいくなんていうのは、きっと少数派だ。女はいつも男の数歩先を歩いているから、女性の方が歳上の場合はなおさらかもしれない。
「はい」
消沈し自分の膝を見つめている樋山に、里美が手を差し出した。
「なに?」
「ほら、手出して」
樋山の手のひらに小さなチョコが一粒だけ載せられた。
「残念賞」
実は里美は低迷している人気度のグラフが跳ね上がるほどの笑顔を副賞として添えていたのだが、今の樋山には全く響かなかった。
「天文部のことでは助けてもらったからさ、ね」
「あ、いや。うん。ありがと……」
「ほかにも貰えるといいね、チョコ」
「……もういいよ」
長年暖め続けてきた想いが散ったばかりで、別のチョコを求めるほど樋山の神経は図太くもない。
「そう? でも、弥生ちゃんとか、可能性あるかもよ」
「森次さん? ないない。人気ナンバーワンの彼女が俺になんか見向きもしないよ」
「ほかの男子たちがどれだけ彼女を想っていたって関係ないでしょ。肝心なのは彼女の想いがどっちに向いているかだけじゃない」
樋山は弥生の顔を思い浮かべようとした。しかし、浮かんできたのはやはり美波の顔だった。
そこで午後の授業の予鈴が鳴った。
「昼休みの屋上は四組で終了だね。わたしたちも教室に戻ろう」
立ち上がった里美が樋山を見下ろす。
檜山はスカートの中が見えそうになってあわてて顔を背けた。そのどぎまぎを隠すかのように何回目かのため息をついて、力なく立ち上がる。
階段室の上には壁に埋め込まれた金属製のはしごを使って上り下りする。樋山がそちらに歩こうとすると、里美は別の方に行く。
「そっちじゃないよ」
樋山の言葉が早いか里美が踏み切ったのが早いか。次の瞬間には里美は三メートルはあろうかという高さから、軽やかにスカートを翻して飛び降りた。
「お、おいっ」
驚いて下を見る。
里美は膝を折って着地した姿勢から、立ち上がって樋山を見上げた。
「なに?」
「危ないよ。それに……」
「それに、なによ?」
「パンツが見えるぞ」
「えっち。でも、残念でした。ちゃんとスパッツ履いてるし」
里美は自分でスカートの裾を捲り上げ、丈の短い黒のスパッツを見せつける。キキョウが現れて以来、いちいちスカートの下を気にせずに動き回れるよう履くようにしていたものだ。
「わたしはパンツくらい見えてもいいんだけど、周りの男子が鼻血出しても困るしね。そんなことより早く降りて来ないと、授業に遅れるよ」
「分かったから、もうスカート下ろせって」
いくらスパッツを履いていても目のやり場に困る。
「ほんとは見たいくせに」
里美は憎まれ口をききながらもスカートの裾を下ろした。
『今日はキキョウの話をあまり聞けなかったな』
常人にはとても飛び降りられる高さではないので、ゆっくりと梯子を使いながら樋山は思う。
『でも、本当に聞きたいのは里美自身のことだ。どうして彼女は今みたいなことができて、その上キキョウまで操ることができるのか。そして、何故キキョウは襲って来たのか』
気にはなるものの、彼女が自ら話してくれないうちはこちらから訊ねることは憚られた。それを聞くには何か大きな覚悟のようなものが必要な気がしたからだ。