第16話

文字数 3,605文字

 時刻が来た。さえは五人で使っている部屋を、物音を立てずにそっと出た。他の部屋の障子も締まっている。忍び足で玄関の方へ行く。表戸の閂を外した。戸を開け、外を見る。居た。頭の伊蔵をを筆頭に、黒い装束に身を包んだ黒衣の一党が、どっと店の中へ入って来た。目だけを出した黒頭巾。誰が誰やら分からない。だがさえには伊蔵が分かった。
「さえ。苦労掛けた」
 伊蔵が優しくさえを労った。さえの仕事はまだある。家人や奉公人の寝ている部屋を案内する役目だ。
 部屋を案内し、寝ぼけ眼の者を片っ端から縛り上げて行く。ましらの平吉や人買いの辰が声を上げようとする者の口を押え、
「大人しくしてろ。静かにしていれば何もしない」
 ドスの利いた言葉でそう言うと、皆静かになった。
 最後はこの店の主人夫婦の部屋だ。離れにいたから、物音に気付いていない。離れには織衛門夫婦だけがいて、息子の進一郎夫婦は別宅に住んでいた。
 伊蔵が先に立ち、織衛門夫婦を縛り上げた。
「織衛門殿、蔵の鍵を渡してもらえないだろうか。大人しく渡してくれれば、危害を加えない」
 織衛門は、抵抗する事なく蔵の鍵がある場所を教えた。その鍵をましらの平吉に渡した。平吉は鍵を持って中庭に建つ蔵へ向かった。
 蔵の扉が開いた。皆一斉に蔵へ入って行った。ちょき船には惣佐衛門がいる。運ばれて来る千両箱をどんどん積んで行く。その時だった。人の足音が聞こえて来た。それも大人数のだ。
「お頭に人が来ると言え」
 千両箱を担いで来た者にそう伝えると、積んだ千両箱に籠を被せた。火盗改めか、そう思った時、曲がり角から十数名の浪人の集団がやって来た。
「何だ先客か」
「構わんこいつら事あの世へ行って貰おう」
 浪人たちが刀を一斉に抜いた。そこへ屋敷内にいた伊蔵が出てきた。手に念の為に用意していた刀を下げている。
「貴様、先にあの世へ行きたいか」
 と言いながら浪人の一人が斬り掛かった。その刃を交わし、抜き打ちざまにその男を斬って捨てた。伊蔵の傍らには匕首を持ったましらの平吉が、息を呑んで浪人達の動きを見ている。
 仲間の一人が一刀のもとに斬られた事で、浪人達に緊張が走った。それでも多勢に任せ、伊蔵に斬り掛かった。
 伊蔵は思った。この状況が長引くと、近所等からの通報で火盗改めがやって来てしまう。もう千両箱は殆ど運び出した。この場を早く納めなければいけない。
 相手は十人余りだが、首領以外は大した腕ではない。伊蔵は一気に勝負を決めるべく、自ら動いた。
 それは旋風の如き様だった。腕を切り落とされた者、袈裟に深々と斬られた者、腿に深手を負い、出血が止まらず呻いている者、胴を横に斬られ、臓物をさらけ出している者。そして返り血を浴び、鬼神の如く立ち尽くす伊蔵。残った首領株の男と対峙した。男が刀を上段に構えた。そのまま刀を振り下ろして来た。
 交わした伊蔵は男の喉元に突きをくらわした。深々と突き刺さった伊蔵の刀。息が絶えた首領株の男はそのまま前のめりに斃れた。
 伊蔵は浪人の集団を一人で斃した。
「相変わらずの腕前ですな」
 ましらの平吉が言う。
「皆に急げと言え。この騒ぎで火盗改めがやって来る」
「はい」
 ましらの平吉が奥へ駆け込む。さえが傍までやって来て、手拭を差し出した。それで顔を拭う伊蔵。
「さえ。済まんがお前も縛られて貰うぞ」
「はい」
 辰がさえの上半身を縛り、さえの部屋へ転がした。その光景を見ていた他の女中達は、賊のさえへの扱いを見て、まさかさえが一味とは思わないと思った。。全てが辰の計算だった。
 伊蔵が手下達を集め、ちょき船に乗るよう命令した。そろそろ火盗改めがやって来るだろう。
「お頭、今迄の中でも一番の収穫じゃありませんか」
 惣佐衛門がそう言って、伊蔵の労を労った。
「そろそろだな」
 ぼそっと伊蔵が呟いた。
「お頭、なにがです」
「いや、何でもない」
 惣佐衛門は、伊蔵があまり見せない雰囲気を見せている事に、少し不安を感じた。人を斬った
事が、そういう気持ちにさせるのだろうか。
 その頃、火盗改めは別の店で起きた押し込みに掛かり切りになっていて、泉屋の方には人を回していなかった。この押し込みは、誠に偶然で、その偶然が伊蔵達に幸いした。泉屋の件に正治の達火盗改めが気付いたのは、空が白みを帯び始めた早朝になってからだた。
「やられた」
 正治はこの二つは同じ盗賊の仕業ではないかとさえ疑う程で、それ位同時の出来事だった。現場からこうして楽々逃げる事の出来た伊蔵達は左門町の隠れ家で、盗んだ金の分配を始めていた。盗んだ金は、これ迄の押し込みの中で最高の額だった。
「もっと時間があれば全部盗んでこれたのですが」
 ましらの平吉がそう言うと、
「いや、これでいいんだ。高望みをしてたら足下を掬われる。これだけでも十分な額だ」
 と言ってましらの平吉や彼に賛同する者達を諫めた。盗んで来た総額は一万七千両。千両箱で十七個。今般押し込みが横行しているが、これだけの額を盗んだ盗賊はいない。,そして、今回も投げ銭をやり黒衣の評判を上げた。
 正治は千両箱を担いで行く盗賊の姿を夢に見た。起きた時に、その夢を振り返り、尚の事悔しさを募らせた。それ位悔しがった。その鬱憤を晴らす為なのか、正治は伊蔵を呼んだ。
「暫くぶりだな。元気にしていたか」
「はい。至って元気にしております。尤も私共の元気は空元気ですが」
「聞いておるぞ。口入れ屋として商売は盛況だそうじゃないか」
「お陰様で忙しくはさせて忙しくはさせていただいてます」
「忙しい事は良い事だ。その反面、俺達の仕事の方は暇な方がいいけどな」
「それで、今日は何用で」
 伊蔵が今日の呼び出しは何かと尋ねた。伊蔵は単に話し合い欲しさで呼んだのではないと思っている。
「なあに、単なる愚痴の聞き役にお主を呼んだだけだ。いい迷惑だろうが少し付き合ってくれ」
「聞き役で宜しいのであれば、お付き合い致します」
 伊蔵はまだ疑っている。この人には迂闊な事は言えない。
「お主も知っての通り、三日前二軒同時に押し込みがあった。一軒はたまたま儂達が巡察中だったのでお縄に出来たが、偶然にも同じ時刻に別件で押し込みがあった。悔しい事に、そっちの方は一万両を超える大仕事でな。儂は当初二軒とも同一犯の仕業ではないかとさえ疑った。実のところ今でも同一犯ではないかと思っている位だ。お主から見てどう思う」
「単なる口入れ屋でしかない私の意見など、何の参考にもなりませぬ」
「いや、一個人の言葉で感じたままを語って欲しいだけだ」
「では、あくまでも私個人の見解を」
「うむ。頼む、聞かせてくれ」
「可能性は両方あるとおもわれます。押し込みで二軒同時に襲うだけの人数を割ける余裕がある所でしたら同時に襲う事も可能でしょう」
「うむ。ならばどうして二軒同時に襲う」
「どちらかを主力として、もう一軒は囮になって貰う、そういう段取りもありかと」
「成る程。儂もそれは考えた。だが一点だけ腑に落ちないのが、囮は最初から捕まる事を考えての事ならば、盗賊連中が最初から捕まる事をよしとして仕事をするかどうかなだ」
「逃げる自信ああったとか、或いは囮の連中には囮と言わず、押し込みをさせたか。ちなみに、私はは日本橋本町の方が本命だと思います。その理由は本町の方が黒衣の一党の仕業だったからかも知れません。それに、奪った金額もかなりな額になっておるそうですから」
「黒衣の一党、お主も噂で聞いておるだろう」
「はい。耳にはします」
「実は儂は前回のお役勤めの時に、黒衣の一党の仕事に出くわしている」
「……」
「奴等は一切人を殺めない傷付けない、真っ当な押し込みだ。常に手引きの人間を店に潜り込ませて仕事をする。その辺は見事という他は無い。それらも含めて、本町の仕業が本命だと儂も思っている。ただもう一点分からないのが本町の泉屋の前に十数体の斬殺死体が放置されていた事だ。井兵衛。お主ならどうみる」
「仲間割れではないかと」
「法仲間割れとな。詳しくその理由を申してみい」
「理由は家人や店の奉公人を殺める事をよしとしない方と、証拠隠滅を図る為に全員を殺そうと言う者とが揉めた結果ではないかと思います。
「成る程のう。お主の考え参考にするよ」
「私の考えなど取るに足らないものです」
 伊蔵は謙虚に振舞ったつもりだったが、果たして正治はどう受け取ったか。伊蔵は内心気になっていた。
 伊蔵が店に戻ると、さえが帰って来ていた。手引きした人間とばれないよう、わざと押し込み後も残っていたのだ。泉屋を辞するのに少しばかり手間取ったが、何とか理由を付けて辞めて来た。辞めると決まった時、長七郎はびっくりする位さえを罵った。聞くに堪えない言葉を投げつけられながらも、さえは井兵衛店に戻れる喜びで気持ちはいっぱいだった。そして、今回の件ではっきり分かった事がある。それは、伊蔵への想いだった。
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