第7話

文字数 3,494文字

 伊蔵なりにいろいろ考えてみた。盗賊の中には、最初から自分の息が掛かった人間を潜り込まそうとする者もいるだろう。近江屋の時のさえや、井兵衛店の時は上手く行きすぎた。ならば、こちらの者を一緒に潜り込ませ、監視させて怪しければ火盗改めへ知らせる。その方が理に適っている。しかし、それには、目端の利く者でなければならない。伊蔵はさえの顔を思い浮かべた。
 店に戻ると、伊蔵は惣佐衛門を部屋へ呼んだ。
「何でございましょう」
「盗賊を一網打尽にする件だが」
「はい」
「怪しいと思う店に、こちらから奉公人を一人潜り込ませて、手引き役と思われる人間を監視させるというのはどうだ」
「成る程、考えましたな。その方が二重手間にならないで済みますな」
「うん。怪しい店の見極め方だが、うちを通して奉公人を入れようとする者で、怪しければ一緒に同じ店へ入れる。これには目端の利く者でなければならない」
「はい」
「さえはどうだ」
「さえですか」
「そうだ。さえならどの店へ行っても仕事はこなせるし、目端も利く」
「宜しいでしょう」
「そうと決まったら、いまのうちにこの事を話して置こう」
「分かりました。それでは呼んで参ります」
 惣佐衛門は厨へ行き、夕食の支度をしていたさえを呼んだ。
「旦那様が用事だ。お茶を持って行くついでに話を聞いて来なさい」
 他の使用人がいる時は、頭とは呼ばず、旦那様と呼ぶ惣佐衛門だ。
「はい」
 さえは、伊蔵が話があると聞いて、胸が躍った。どんなつまらない用事でも、伊蔵から直接声を掛けられるというのは、この上なく嬉しいものだ。
「旦那様ご用はなんでしょう」
 さえは茶を入れながら尋ねた。
「話がある」
「はい」
 さえが入れた茶を口にしながら、伊蔵は惣佐衛門と話した事をさえにも話した。
「私達はこの姿が仮の姿で本当の姿は盗賊だ。盗賊だが人は殺めない。傷も負わせない。真っ当な商人の処は盗みに入らない。世に悪名を欲しいままにしている処だけを狙う。しかし、今江戸で横行しているのは、大人のみならず、子供まで殺めて盗みを働く者が闊歩している。この事は由々しき事だ。私は許せない。分かるかここ迄の話が」
「はい」
「火盗改めも取り締まりに躍起になっておるが、なかなか捕まらない。そこで、口入れ屋をやっているうちの強みを活かして、手引き役と思しき奴を入れていると思われる店に、うちからも人をいれる。監視役だ。監視役は賊の手引き役の動向をうちに逐一報告する。そして決行の時は、前以て連絡した火盗改めに登場して貰うという塩梅だ。どうださえ」
「私にお話をされたという事は、そのお役目を私にという事ですね」
「ああ。そちは女子おなごだ。危険が伴う今回の仕事、断っても良いんだぞ」
「やります。やらせて下さい」
 さえの心境は、嬉しさで溢れていた。伊蔵から特別に仕事を頼まれる。この上なき幸せだった。危険とか難しいとかの概念は無かった。
「引き受けてくれて感謝する。くれぐれもさえには危険が及ばないようにするからな」
「はい。それで何時からどのお屋敷へ」
「それはまだこれからだ。明日いきなりになるかも知れないし、何か月も先の話になるかも知れない。とにかくいつでも行ける心の準備だけはして置いてくれ」
 さえは、伊蔵から命令された事の嬉しさの次に、緊張感で身が震えた。厨へ戻って夕食の支度をしている間中、ずっと考えていた。
 伊蔵から話があってから、早いもので半年過ぎた頃、店に相応しくない格好の人間が来た。明らかに浪人の格好をしていたその男は、町人髷を結った一人の男を前に出し、
「こいつに働き口を見繕ってくれ」
 と言った。応対に出た番頭はすぐに奥へ行き、大番頭の惣佐衛門を呼んだ。かねてより、怪しい客は全て大番頭に、という決まりにしていた。
「私が当店の大番頭でして」
「こいつの働き口を頼む」
「へいお年はお幾つになられますか」
「二.十歳」
 とても二十歳には見えない。三十歳と言っても通る。
「お名前は」
「徳三」
「徳三さんですか。ご奉公の種類はいろいろありますが。武家屋敷の奴やっこの口もありますよ」
「いや。商家がいい」
 浪人が言う。
「今すぐが宜しいのですか」
「ああ。今日からでもいい」
「分かりました。日本橋ではありませんが、小石川に小さいお店ですが両替商で丸正というお店が丁度奉公人を探しております。そちらで宜しければご紹介させて頂きます」
「うん。そこがいい。その店にしてくれ」
「畏まりました。では条件ですが、奉公人の給金は二両。支度金も二両。ご紹介頂いたそちら様には紹介料で二両という事で」
「もっとならないか」
「この条件が丸正様から出ている条件ですので。後は高い処と仰るのでしたらお武家様の奴がいいかと」
「仕方が無い。先程の条件で良い」
「では、屋敷迄うちの奉公人を同行させますので」
 惣佐衛門はそう言って浪人風の男に二両を差し出した。男二人と手代が店を
 出て行くと、惣佐衛門は奥へ行き伊蔵へ今来た浪人風の男の話をした。
「あれは明らかに怪しいです。尤も怪しすぎて外れかも知れませんが、さえを丸正に入れても良いかと」
「惣佐衛門がそこまで言うのならそうしよう」
 さえが奥の間に呼ばれた。伊蔵だけでなく惣佐衛門もいる事に、さえはついにその日が来たかと悟った。
「さえ。以前に話した事だが、覚えているか」
「盗賊に狙われているお屋敷に奉公しに行くんですね」
「ああ。明日から行って欲しいんだ。大丈夫だな」
「はい。悟られないようにします」
「うむ。その心構えが出来ていれば大丈夫だ。うちとの繋ぎは手代の庄次郎にする。頼むぞ」
 翌日からさえの姿は丸正にあった。さえを丸正に入れるにあたり、給金はいらないから、仕事を教えて上げてくれという事になっている。さえは常に徳三の動きに注意を払った。徳三は、時々表へ出る事がある。そういう時は、決まって見知らぬ男と接し、書き記した物を小さく折り畳んだ紙片を交換している。
 そうしているうち、徳三が表で人と会うのは時間が決まって同じだという事が分かった。これらの事を繋ぎ役の庄次郎に手紙に書いて渡していた。
 ある日の午後、いつものように徳三が表で見知らぬ男と会っていた。さえは、表玄関の陰からそっと二人の会話を聞いていた。
「明日の夜に三千両入るようで」
「何、三千両とな。間違いないか」
「へい。この耳でちゃんと聞いた話で」
「なら、明日決行だな」
「丑三つ時に表戸の閂を開けときます」
「たのんだぞ」
「さえ、ちょっと来てくれ」
 店主が呼んだ。さえはぞっとした。盗み聞きしているのが二人に分からなかっただろうかと。
 内密な話をしていた二人は、そそくさと別れた。
 明日、丸正に盗賊が入る。早くこの事を伊蔵に知らせなければいけない。繋ぎの庄次郎は、今日はもう来ない。明日では、盗賊を捕縛するのに間に合わなくなりはしまいかと、さえは思った。さえは決心した。いまから井兵衛店まで走ろうと。
 丸正の主人に、井兵衛店から急遽呼ばれたので今から行きたいのだが、と申し出ると、丸正の主人は快く構わないと言ってくれた。のみならず、今からだと帰りは遅くなるだろうから、そのまま井兵衛店に泊まりなさいと言ってくれた。
 何と優しい店主か。井兵衛店で奉公していなければ、このまま丸正で働いていただろう。駆けるようにして木挽町に着いた。駆け込んできたさえを見て、惣佐衛門が驚いた。
「どうした、さえ」
「大番頭さん、明日です。明日なんです」
 さえの言葉の意味するところを惣佐衛門はすぐに理解した。
「明日なんだな」
「はい。この耳ではっきりと聞きました」
「よくやった。今すぐにお頭に伝える」
「はい。お願いします」
 惣佐衛門が奥へ行くと、さえは上がり框にどっと腰を下ろした。伊蔵がやって来た。奥で話そう。と言った。さえは少し乱れた髪を気にしながら、伊蔵の後に付いて行った。
「今惣佐衛門に聞いた。間違いなく明日、押し込みがあるんだな」
「はい。徳三という人が、少しうらぶれた感じの男の人と話していて、その内容を盗み聞きしました」
「どんな内容だった」
「はい。明日、丸正に三千両運ばれるから、それを狙おうと話してました。押し込む時間は丑三つ。徳三が表戸の閂を外す手立てでになっております」
「それだけ分かれば万全だ。儂は今から火盗改めの頭の保綱様に会いに行ってくる。さえは向こうに戻らなくても良いのか」
「はい。丸正の旦那様から、遅くなるだろうからそのまま木挽町に泊まれと言われて来ました」
「うむ。ならば体を休めなさい」
 伊蔵はさえの話を聞いて、勇躍店を出、清水門外の火盗改めの頭である保綱の役宅へ駆けた。
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