第27話

文字数 3,530文字

 その日が決まった。三浦屋に押し込む日は、七日後の五の日。両替商が忙しくなる日で、金の入金も多いと予想される。時間は夜九つ。辰と平吉は早く伊蔵に知らせなければと気持ちが急いた。押し込みの下準備とかで、なかなか赤羽橋の隠家を出る機会が無かった。そんな中でも、明後日に決行日を控えた日、一通り準備が終わり、時間も取れた。
 お頭の権藤に、
「押し込み用の黒い衣装を買って来ます」
 と言った。権藤は何も言わず、只薄笑いを見せ、
「行って来い」
 と一言だけ言った。
 二人一緒に隠家を出て、馬喰町に向かった。伊蔵の家に行くと、まるで二人が来る事を知っていたかのように、伊蔵が待っていてくれた。
「伊蔵様。押し込みの日が決まりやした。明後日の五の日、時刻は夜九つです。船も用意出来て、何時でも押し込める手筈になっておりやす」
「そうか。ご苦労、よく調べた。当日、お主達はどういう役割になっているんだ」
「千両箱を運び出す役目です」
「そうか。当日はなるべく頭目の傍から離れていろ」
「へい。分かりやした」
「二人は泳げるのか」
「へい。俺も平吉も泳ぎは達者です」
「万が一だが、お前達が乗る船を転覆させるかも知れないから、心して掛かってくれ」
「へい。伊蔵様も船でお出ましで」
「うん。今回は川と陸から挟み撃ちだ」
「そりゃあ豪勢だ。蟻一匹逃れられませんね」
 二人は、その時の場面を想像していた。あの権藤の頭も川に突き落とされるのだろうか。いや、あの人はそんなへまはしねえ。そう思った。そろそろお暇を、と平吉が言い、二人は伊蔵の家を出た。
「辰さん」
「何だい」
「あの頭。助けられねえかな」
「何だ平吉さんも同じ事を考えていたのかい」
「何だか情が移っちまってね」
「俺もだよ。でもそうはいかねえよなあ」
「ああ。でも考えてみてくれ。伊蔵の旦那が権藤の頭としたらどうだい。逃げて貰う事を考えるだろう」
「確かに。だが平吉さん俺達ではどうにもならねえだろう」
「そうだなあ。俺達の手を借りずに上手く逃げてくれればいいんだけどな」
 二人は赤羽橋迄の道々、そんな事を話し合っていた。
 伊蔵は正治の役宅へ出向いた。平吉と辰が、危険を承知で体を張って得た事の内容を伝えに来たのだ。
「明後日で間違いないのだな」
「はい。一味は船を使って押し込むようです」
「確かに三浦屋の前は川だ。都合が良いな」
「そこでですが、我々も船を出し、川と陸からの両面から挟み撃ちにしてはどうかと思うのですが」
「挟み撃ちか。それはいい考えかもしれない」
「ちょき舟を何艘出せばいいかな」
「三艘あれば、前後と正面で身動きを取れなく出来ます。そこで必ず奴等陸へ上がると思います、そこを陸で待機していた火盗改めの者で絡め取ります。船から陸へ上がるにしても一遍に何人もとは行かない筈ですから、絡め取るのは容易かと」
「成る程。それはいい考えだ。それで行こう」
 正治は、伊蔵の考えに大きく頷き、
「人数は船一艘に十人。陸で召し取る役目の者が二十名、都合五十名もいれば間に合うな」
 と言った。伊蔵は大きく頷いた。
「よし。これで一連の盗賊騒ぎも片が付く」
 正治の思考は既に明後日へ飛んでいた。
 平吉は、心底権藤に傾倒していた。伊蔵がいなければ、間違いなく本気で権藤の手下になっていたに違いない。一緒に付いて来ている辰も同じ気持ちではないかと思っていた。押し黙りながら赤羽橋迄歩いていた二人だが、突然平吉が、
「俺、正直に打ち明けるよ」
 と言った。平吉のその言葉に辰は驚く事も無く、頷いた。
「権藤の頭に、明後日の押し込みは止めるように言うよ。そして俺達が目明しだって事も話す。それで諦めて貰うんだ。伊蔵の旦那の事も話せば分かって貰えると思う」
「分かった。どう処分されるか分からねえが、地獄へ行く時は一緒だ」
 二人は何処か晴れやかな気持ちになりながら、赤羽橋の隠家に着いた。着くと早速権藤に話をする為に、奥の座敷へ行った。
 権藤は一人で酒を飲んでいた。他の者達は、殆ど出払っていた。これは都合が良いと思い、権藤に話があると言った。
「話とは何だ」
「権藤のお頭、明後日の押し込みは中止に出来ませんか」
「何故だ」
「実は、私と辰は目明しなんです」
 目明しと打ち明けられても、権藤は何の反応も見せなかった。
「火盗改めの目明しとして、お頭の所へ入り込みました」
「やはり目明しだったか」
「驚かねえのですかい」
「薄々感付いてはいた。お前ら二人が目明しだってな」
「じゃあ、わざと泳がせておいたんですかい」
 辰の言葉に権藤は暫し考え、
「最初はそういう考えもあったが、すぐにどうでもよくなった。奉行所でも火盗改めでもどっちだって構わない。捕まえに来るなら来てみろ、と思った。だからお主達二人がどう嗅ぎまわろうと気にしなかった」
「でも、それじゃあみすみす火盗改めのお縄に掛かるという事になりますぜ」
「みすみすはならないよ。この命、剣に代えて相対するさ」
 権藤の言葉を聞いて、二人は思わず涙が出そうになった。
「お頭。俺達二人共、目明しであると同時に盗人なんです。それも、お頭もご存じの黒衣の一党なんです。俺は黒衣の一党の二代目を継いでます。そして、今私達を目明しとして使っている頭も元は黒衣の伊蔵として盗賊を率いていたんです。その頭が火盗改めの目明しになり今回の現場に出張って来ます。伊蔵のお頭なら、権藤のお頭の事を話せば、悪いようにはしないと思います。なので、権藤のお頭、もう一度押し込みの件、考え直しては頂けませんか」
「お前達、何故俺を助けようとする」
 平吉が、
「お頭は運が無かっただけです。普通なら今頃剣術道場を開いて名を上げていた筈です。でも、まだ遅くはありやせん。今からでも間に合います。それには、今度の押し込みを中止にし、今後押し込みはやらない事です」
 と、言った。
「俺が何で火盗改めが待ち受けてても押し込むか分かるか」
「いえ」
「俺の最後を賭けてみたいのさ。これが火盗改めではなく、普通に奉行所が出張ってくるだけだったら、こんなにも執着はしなかったと思う。火盗改めと手合わせ出来るなら、それを最後の斬り合いにしようと、お主達の話で思ったのだ。火盗改め、いいじゃないか。とな」
「……」
「では、明後日はどうしても船をお出しになるんですか」
「ああ。それと、他の人間は火盗改めが待ち受けているなどと知らん方がいい。知ってしまったらお主達の命がなくなるからな」
「お頭……」
「そういう辛気臭い顔をするな。他の者が見たら勘繰るぞ」
「もし、黒衣の一党にいなかったら、俺は間違いなくお頭に付いて行きました」
「……」
 暫し沈黙が続いた。堪らず辰が、
「最後にもう一度言います。明後日の件、考えなおして頂けませんか。新しく人生をやり直し、新天地で暮らすんです」
 と言った。
「新天地、そんなものは私には無い。修羅の世界があるのみだ。斬るか斬られるかのな。最後に言って置く。当日はお主達も敵だぞ。私の刀の錆にならないよう、近くには来るな」
 そう言うや否や、権藤は剣を抜き、二人の前に切っ先を向けた。
「さあ、行け」
 権藤の一言で話は終わった。
 二人は肩を落としがっくりとした気持ちのままで、自分達の部屋へ入った。
「平吉さん、お頭の気持ちを変える事は出来なかったねえ」
 辰が言う。
「俺の話し方が悪かったのかな」
 平吉は、心底がっくりとしている。
「平吉さんのせいじゃねえ」
「俺も頑張って話してみたけど、それ以上に権藤の頭の気持ちが堅かったんだ」
 辰が今の自分の正直な気持ちを語った。
「明後日、どうなるかな」
「お縄になるにしても、斬られたりしなけりゃいいのだが」
 二人は諦め切れない気持ちで一杯だった。まだ時間はある。ぎりぎり迄説得するしかないか。二人はそう思ったが、なら具体的にどうするかが浮かばない。何とか押し込む前に、権藤をこの一味から抜け出させなければと結論付けた。
 権藤は、辰と平吉が去った部屋で、一人手酌で酒を煽っていた。何故あの目明しの二人を自由にさせているのか。何故斬らなかったのか。一年前なら間違いなく、分かったその場で斬っていただろう。二人に言った言葉に偽りはない。もうこれが最後だと神から言われているのだ。最後なら自分らしく最後を締め括りたい。一剣術家として、最後に火盗改めは自分にとって相応しいじゃないか。今迄の人生について考えた事は無かった。何時も運命に左右され、自分の意図する方向へは向いてくれない。気が付けば盗賊の頭に収まってしまい、抜け出られなくなってしまった。もうこれで終わりだ。刀を抜いてみる。最近研ぎに出していないから、血で曇った個所が幾つもある。権藤は酒を一口、口に含み、刀身に吹き付けた。
 
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