第26話

文字数 3,360文字

「なあ、辰さん、あの頭をどう思う」 
「権藤のかい」
「ああ。そうだな、もし伊蔵の旦那との関わりがなかったら、正味の話、本気で付いて行ったかも知れねえな」
「辰さんもかい。俺も同じ事を考えたよ」
 酒の入った湯呑を舐めるように吞みながら、平吉はしみじみと言った。
「あんな過去があれば、誰だってああなっちまうぜ。何だか今回の押し込みは上手く行くように手出すけしたくなっちまう」
 酒の入った湯呑を両手で持ったまま、辰が語る。
「ああ。だがそれは許されねえ」
「分かっている。あくまでも心情的にだ」
「せめてお縄にだけはしたくねえな」
 平吉が本心から言った。
「伊蔵の旦那に知らせに行かなくちゃいけねえな」
 辰が湯呑を置いて平吉を促すように言った。伊蔵の話をする事で、現実に戻したのだ。
「じゃあ行くか。外に出る言い訳はどうする」
 平吉が聞く。
「そうだなあ、自宅へ戻って着替えを持って来るというのはどうだい」
 辰はそう言ったが、平吉はその理由で果たして外出させてくれ るかどうか自信は無かった。なんだか心許無い理由だが、お互い他に言い訳が見つからなかったので、それで通そうと言う事になった。
 二人が隠家を出ようとすると、吉蔵がやって来た。
「何処へ行く」
 眼つきが鋭い。
「へい。自宅へ着替えを取りに」
「俺も付いて行く」
 断りずらくなり、平吉が
「吉兄い、まだお疑いですか」
「お前らが目明しじゃねえという保証はねえ」
「分かりました。じゃあ一緒に行きましょう」
 三人で横山町の自宅へと向かった。吉蔵をどうにかしないと、伊蔵の所へ行けない。辰と平吉は道々それを考えていた。すると平吉が、
「辰さん、一足先に酒屋へ行って酒を買って置いてくれないかい」
 と言って来た。悟った辰が、
「分かった。灘の酒を買って来るよ」
 と、言い吉蔵に向かって、
「じゃあ酒を買って置きますので」
 と言った。
「気が利くな」
 と吉蔵が頷き、辰は走って行った。
 辰は急いだ。駆け通しで馬喰町の伊蔵の家に着くと、応対に出たさえに向かって、
「伊蔵の旦那を」
 と、息も絶え絶えになりながら言った。伊蔵が奥から顔を出すと、辰が、
「座敷に上がっている暇はないので、この場でお話しします。押し込みは近いうちに行われますが、日本橋茅場町の両替商としかまだ分かっておりやせん。それと一味の隠家は麻布赤羽橋です」
 と言った。,
「茅場町には両替商が多いから、何とか店の名前を探ってくれ」
「それと、一味の頭の名前が分かりました。権藤八五郎」
「ありがとう。直ぐ戻らなければならないのだろう」
「はい。酒屋へ寄ると言ってあるので酒を買って帰らなければなりません」
「ならば酒屋へ寄らず、うちから酒を持って行きなさい。さえ、酒を一升用意しなさい」
「助かります」
 辰はさえが用意した一升の徳利を抱え、伊蔵の家を辞した。横山町の自宅へ戻ってみると、まだ吉蔵と平吉は着いてなかった。酒を飲む用意をしていたら、吉蔵と平吉が着いた。間一髪だ。
「おう、早かったな」
 吉蔵が言う。
「へい。酒の用意はできましたから、吉兄いさんはここで先に飲んでいて下せい。私等は着替えを持って行く支度をしますので」
「分かった。なるべく急げよ」
「へい」
 辰と平吉は隣の部屋へ行き、着替えの衣類を纏め始めた。
「うまく繋ぎはできたかい」
 平吉が小声で聞く。
「ああ。丁度伊蔵の旦那もいた。伊蔵の旦那が押し込む店の名前を何とか調べてくれとの事だ」
「分かった。吉蔵に酒をたらふく飲ませ、吐かす事にする」
「余り無茶はするなよ」
「大丈夫。任せて置け」
 二人は風呂敷で包んだ着物を抱き抱えながら、吉蔵の元へ戻った。
「早かったな。もう用意は出来たのか」
「へい」
「なら隠家へ戻るか」
「吉兄いは今日は博打の方は」
「昨日やられているからなあ」
「金ならおいらが昨日勝ってますので,種銭はありやすよ」
「いいのか。出してくれて」
「へい。元はといや、昨日吉兄いが勝ってた金を、おいらが途中から奪い取った格好の金ですから」
「そういやそうだな。じゃあほんの少しだけやって行くか」
 三人は、昨夜丁半博打を打った大名家の奉公人屋敷に行き、博打に加わった。自分の金で打つ訳ではないから、吉蔵は大胆に打った。見る見るうちに駒が集まりだした。昨夜と一緒だ。平吉と辰も加わっていたが、二人は最初に両替した駒が無くなりかけていた。
「吉兄い、ここは勝っているうちに退散しませんか」
「おう。そうだな。お前がそういうなら退散するか」
 吉蔵は機嫌が良かった。赤羽橋の隠家までの帰り道、平吉はそれとなく聞いてみた。
「吉兄い、押し込む先は茅場町の何という両替商なんですか」
「店は三浦屋という両替商だ」
 吉蔵は簡単に喋った。
「三浦屋と言えば茅場町でもそこそこ大きなお店ですよね。手引きの者はいるんですかい」
「手引きはいない。戸を打ち壊して入り込む。心配するな。簡単に事は運ぶ。今迄もそうやって店に入り込んだからな」
 吉蔵は、酒と博打で勝った高揚感でさらりと言ってのけた。
「大八車か何か用意して行くのですか」
「いや。川に面した店だから、船を使う。丁度赤羽橋と川が繋がっているからな。船が一番都合うが良い」
「成る程。考えたものですね。お頭が全部考えた事なのですか」
「ああ。あのお頭に付いて行けば間違いない」
「聞いて安心しやした」
 日本橋界隈は川と言う川が、運河の如き様相を呈しており、物資の運搬や交通の便で他の都市を凌駕していた。その川に盗賊が目を付けないわけがない。これまでも盗賊が川を使って盗んだ千両箱を運搬している。黒衣の一党も何度か利用した。
 平吉は、聞くだけ聞くと辰に目配せをした。
「吉兄い。済まねえが辰と二人で先に行って欲しいんですが」
「何だ、どうした」
「忘れ物をしちまったようで」
「家にか」
「はい。すぐ戻りやす」
 吉蔵は、酒の酔いもあり、又博打の金を出してくれた平吉に、何の疑いも持たず、
「しょうがねえなあ。行って来い。隠家に先に戻っているから。お頭には上手く言って置く」
 と言った。簡単に許すとは、案外軽い人間なのかも知れない。
 二人と別れた平吉は、急ぎ足で伊蔵の家へ行った。伊蔵の家の土間に転がり込む平吉。さえが厨から水を持って来て平吉に差し出した。
「伊蔵の旦那は今清水門外の方へ行ってます」
「なら、言伝を」
「はい。どうぞ」
「押し込み先は、両替商の三浦屋。船を使い、赤羽橋の隠家へ奪った金を運ぶとの事。手引きの者はいない。戸を打ち破って押し入るそうですと、伝えて欲しい」
「分かりました。私が今から清水門外へ出向いてお伝えします」
「お願いしやす。では、これで」
 平吉は再び走った。
 平吉が赤羽橋に戻ると、一味の一人に、
「二人は部屋にいるぞ」
 と言って来た。
「すいません。今戻りやした」
「遅かったじゃねえか。飛んだかと思ったぜ」
 吉蔵が、半分本気で言った。
「酒の続きだ。足りなきゃ買ってくればいい」
 平吉と辰は、互いに小さく頷き合い、吉蔵の酒に朝まで付き合った。
 さえは、平吉からの言伝を胸に仕舞い込んで、清水門外の正治の役宅まで急いで向かった。さえが役宅に着くと、すぐさま正治と伊蔵がいる部屋へ案内された。
「平吉さんからの言伝です」
「よし、言ってみなさい」
「押し込む先は、日本橋茅場町の両替商三浦屋。当日は船を使うそうです。手引きはいない。むりやり押し込むとの事。一味の隠家の麻布赤羽橋から船で三浦屋へ行くとの事。決行日に関しては、何も言っていませんでした」
「分かった。さえご苦労」
 それだけ言うと、伊蔵は、
「正治様。そういう事ですので、次に繋ぎが入る時は、押し込む日が分かった時だと思います。いつ繋ぎが入っても大丈夫なように、今から戻ります」
 と言った。
「うん。頼む。今回は必ず盗賊一味をお縄にしたいからな」
 伊蔵は軽く会釈をし、さえと共にその場を辞した。
 さえと清水門外の正治の役宅を出、二人で歩きながら、伊蔵は考え事をした。どう盗賊一味をお縄にするかを考えていた。船を使うと言っていた。なら船に乗っているうちに一網打尽にする方法も無いではない。店に押し込む寸前に捕縛するよりかは危険が少ない。陸と川から挟み撃ちにすれば、けが人も死人も出さなくて済む。よし、正治様にそう献策してみよう。伊蔵は決めた。
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