第28話

文字数 3,677文字

 全ての用意が出来た。刻限が来た。権藤以下九人が、静々と船に乗る。
「船を出せ」
 権藤が命じる。ゆっくりと川を下って行く。皆緊張感からか、押し黙っていた。途中迄下ってから、今度は川の合流地点で遡る。目指す三浦屋迄もうすぐだ。
 その頃三浦屋の前では、陸を受け持つ与力や同心達が、店の中と周囲の辻々に身を潜ませていた。川の方では三艘のちょき舟に便乗した者達が、身を俯せにして息を潜めていた。
「来た」
 一艘の船が少しずつ近寄って来る。こちらの船には気付いていない。船は船着き場で止まった。暗闇だから、目を凝らして見ても、薄っすらとした輪郭しか見ない。後ろの方からゆっくりと迫る火盗改めの船。もう一艘は前方から、そして胴体部分に迫ろうかというもう一艘。完全に逃れないように囲んだ。胴体部分に接触した船から正治等の一団が盗賊一味の船に乗り込んだ。
「火盗改めだ。神妙にしろ」
 辺りに木霊する声に、一味は一目散に陸へ上がった。がん灯が一斉に照らされた。伊蔵は後ろから迫った船に乗り込んでいた。伊蔵も相手の船に乗り込む。一人が伊蔵めがけて突進してきたが、躱され《かわ》てそのまま川に落ちた。逃さないよう捕り手の一人が、その男めがけて差す股で捕獲し、動けないよう川岸の堤に押し当てた。平吉と辰が、権藤に、
「お頭、どうか逃げて下せい」
 と懇願したが、権藤はにやりと不敵な笑みを見せながら陸に上がった。陸では与力、同心らが二十名程で権藤達を待ち伏せていた。刀がきらめいた。双方睨み合いながら対峙している。そこへ川から上がって来た正治や伊蔵達が権藤達を囲んだ。権藤が、平吉と辰を呼んだ。
「もういいぞ。向こうへ行け」
「お頭」
「俺の最後をよく見て置くんだ」
 そう言うと権藤は血路を開くべく、刀を上段に掲げて突進した。伊蔵がさっとその血路に割って入った。平吉と辰の二人は、火盗改めの一団へ加わっている。裏切者か、いや最初から俺達を騙すつもりだったんだ。そう思った瞬間、吉蔵は平吉と辰の二人に、匕首を腰だめに構えて突進した。その横合いから突く棒が突き出され、吉蔵は倒れた。倒れるとそこへ火盗改めの一団が吉蔵の腕を縛り上げ、匕首も押収した。
「放せ、こら放せって言ってんだ。平吉、辰ただじゃおかねえぞ」
 喚き散らす吉蔵。次々とお縄にされる盗賊一味。残ったのは権藤と浪人が二人。その浪人も伊蔵の刃に(たお)された。
「権藤八五郎。神妙にお縄に付け」
 正治が十手を懐にしまい、剣を抜いた。
「ここはお任せを」
 伊蔵が前に出る。
「加納伊蔵。参る」
「権藤八五郎。しかと受ける」
 先に仕掛けたのは権藤の方だった。袈裟に掛かって来た剣を(かわ)し、伊蔵は権藤の首筋目掛け、刀を斜めに走らせた。権藤も躱す。既に他の一味は全員が斬られたか捕縛されたかで、残っているのは権藤だけになっている。裂帛(れっぱく)の気合。渾身の力を込めた上段斬りが伊蔵を襲う。躱せないとみた伊蔵は刃が届く寸前で転がった。そこへすかさず突きが来る。権藤の刀技に押されている。周囲を囲む火盗改めの一団も固唾飲んでこの場を遠目に見ている。平吉と辰は、はらはらした。何とか起き上がった伊蔵は、起き上がりざまに権藤の向う脛を狙った。権藤は飛び上がって避け、着地と同時に剣を横に薙いだ。
 少しずつ息が上がってきている。権藤は思った。この数年の放蕩生活が体を蝕んだのかなと。昔ならこれ位の事で息が上がる事は無かった。正面に相対する加納伊蔵は自分よりも年上に見えるが、息も上がらず、益々気合を体に充満させている。斬られる。間違い無く。だが構わない。これ程の腕の者と、生涯最後の勝負を出来るのだから、幸せというものだ。そう思うと体から余計な力が抜けた。不敵な笑みを浮かべながら、権藤はじりじりと間合いを詰めて来る。
 権藤の剣は難剣と呼んだ方がいい位、剣先が普通ではない角度で襲って来る。下手に剣で受けようもなら、権藤の剣の餌食になってしまう。速さだ、権藤の剣より速く打ち込まねばならない。それには相撃ち覚悟で深く踏み込み、一撃を撃ち込む事だ。
 伊蔵は大きく、深く呼吸をした。権藤も同じく深く息を吸っている。間合いが詰まった。権藤が電光石火の如く踏み込んで来た。剣が上段から降って来た。伊蔵はほんの少し右へ動き、権藤の空いた胴へ横殴りの剣を打ち込んだ。権藤もそれを予期していたかのように体を躱した。が、ほんの一瞬、伊蔵の剣が胴を斬り裂いた。が、浅手だ。それが証拠に、権藤の剣先が伊蔵の頭から顔にかけて走った。両者ともに浅手ながら傷を負った。
「伊蔵、助太刀するぞ」
「それはご容赦願います」
 正治の言葉を遮る伊蔵。血が目に入り始めた。がん灯の灯りで照らされた権藤の姿がぼやけて来た。一方の権藤も息が上がり始めている。次が最後だ。両者同じ思いで剣先を正眼に構えた。二人揃って気合の声を上げ、正眼から刀を上段に掲げ、すれ違いざまに振り下ろした。倒れたのは権藤の方だった。伊蔵は羽織の袖を斬られたが、傷は負わなかった。
「見事」
 正治がそう言うと、伊蔵は膝をつき、頭を下げた。平吉と辰の二人が傍へ寄って来た。
「伊蔵様。大丈夫ですか」
「ああ。何とかな」
「すぐ傷の手当てを」
 と言って自分の手脱ぎを切り裂き、伊蔵の額をぐるりと巻き、血止めをした。
「済まぬ平吉」
 平吉は複雑な気持ちだった。逃げてくれと願っていた権藤が伊蔵との斬り合いで死んでしまった事に。
 それは、辰も同様だった。仮にこれが逆の結果になっていたとしても、それはそれで複雑な心境になったに違いない。ただ、付き合いの長さからすれば、伊蔵との方が数十倍の重みがある。それを考えれば、これで良いのかとも思った。出来れば権藤には逃げて欲しかったが。
 三浦屋の押し込み騒動は、こうして終わった。伊蔵と平吉、辰の三人は、正治から自前で褒美が出た。伊蔵は自分の分は平吉と辰の二人に上げてくれと言って、褒美を受け取らなかった。
 それから五日後。伊蔵の元に平吉と辰が揃ってやって来た。伊蔵は権藤から受けた傷が塞がって包帯も取れて元気そうだった。
「何の話だね」
「はい。辰とも話したのですが、俺達堅気になろうかと思いまして」
 二人は何時も以上に畏まりながら、伊蔵の反応を見た。
「詳しく話してみな」
「へい。十手もお返しします。それと盗賊の仕事も辞めます。俺はこれ迄頂いた金で料理屋でもやろうかと。辰さんは惣佐衛門さんの下で口入れ屋の仕事を覚えて、将来は独立出来ればと考えています。どうかお許し願いたいので」
「許すも何も、喜ばしい話じゃないか。応援するよ」
「ありがとうございます」
「一つ聞いてもいいかい」
「へい。何でしょう」
「何がきっかけでそういう気持ちになったんだい」
「この前の三浦屋の件です」
「三浦屋の」
「へい。あの時の押し込みで何人か死人が出ました。又、生き残ったやつも獄門行きです。それを考えたら、何だかもう押し込みはいいや、て気持ちになりやして。その気持ちは辰さんも同様だったので、じゃあ足を洗うかという事になった次第でして」
 伊蔵は話を聞いて、
「実は私も目明しの仕事は辞めようかと思っている。お前達の気持ちは良く分かるよ」
 と言った。
「伊蔵様も目明しの仕事をお辞めになるのですか」
「ああ。今のお前達の話を聞いていたら、私も決意した。今日にでも正治様の役宅へ行って気持ちを伝えるよ」
 平吉と辰の二人は、自分達の思いを伝えられて満足そうに笑顔を見せた。伊蔵もすっきりしたような表情を浮かべ、
「これからは、茶飲み友達だ。好きな時にやって来なさい。そうだ平吉が出す店にも行かなくちゃな」
 そう言って、伊蔵はさえを呼び、酒の支度をさせた。
 久々に楽しい酒だった。一刻ばかり二人は居て、帰りは千鳥足で帰って行った。時刻は遅かったが、伊蔵は正治に会う為に清水門外の役宅へ向かった。
「どうした伊蔵」
「はい。今日はお暇の願いでやって来ました」
「暇願いだと。どういう事だ」
「はい。十手をお返ししますので、目明しの仕事は辞めさせて頂きたいのです」
「与力や同心並みの働きをしているにも関わらず、役料が入らないからか」
「お金の事ではありません。私の心情とでも思し召しくださいませ」
 伊蔵の決意が固そうだと知ると、正治は、肩の力をふっ 抜いて、
「仕方ねえな。まあ、今日までよくやってくれた。なあ伊蔵、火盗改めの仕事には関わらなくとも良いから、これからもこの屋敷は来てくれねえか。なあに単なる茶飲み友達でな」
 伊蔵はもう少しで吹き出しそうになった。自分が平吉達に言った言葉と同じ言葉をここで聞いたからだ。
「分かりました。私のような者で宜しければ」
 清水門外の役宅からの帰り道。伊蔵は一人これから事を考えていた。今の伊蔵は一人ではない。さえという想い人がいる。それらを考えると今一度真っ新な状況になるのが一番良いのだろう。俺も平吉や辰達のように生きねば。伊蔵はうんと頷き、馬喰町の家迄早足で帰った。


                                      了

 
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