第19話

文字数 3,486文字

 その男は、入口の扉を開けようとしている。そこへ仲間なのか数人の男がやって来た。浪人風の男も何人か混ざっている。伊蔵は迷う事無く怪しい男達の前に出た。
「おい何してる」
 暗闇からいきなり伊蔵が現れたので、男達はびっくりして飛び下がった。浪人風の男達だけは驚く風もなく、いきなり刀を抜いた。伊蔵も落ち着き払って刀を抜く。
「押し込みか。火盗改めだ。そうはさせねえ」
「旦那方、こいつから血祭りにして上げて下せい」
「言われなくとも斬る」
 そう言うか否か、伊蔵の右手にいた浪人が。斬って来た。僅かの差で最初の太刀を交わしたが、暗闇で灯りの無い所での戦いは初めて故、かわすので精一杯だった。左に転がりながら、相手の脛を狙って刀を薙いだ。ぎゃ、という悲鳴と共に。どさっという音がし、男が倒れた。のたうち回る仲間を尻目に、別な男が伊蔵に殺到して来た。振り被る暇はない。伊蔵は剣先を真っすぐ突き出し、胸に深々と刺した。
「なかなか使いおる。その分倒し甲斐があるというもの。勝負だ」
 三人目の浪人は、やたらと掛かっては来ず、じっくりと伊蔵の動きを確かめていた。漸く暗闇に目が慣れて来て双方共うすぼんやりだが、相手を確認出来るようになった。浪人は、頬被りの手拭を取り、捨てた顔がはっきりと見えるようになった。見ると仲間の一人が提灯を持って来てそれに燈を点けたのである。浪人の助けになればというつもりだったのだろうが、却って伊蔵にも利する事となった。じっと対峙する。浪人の顔が不思議そうに傾いだ。伊蔵も何処かで見たような顔だなと思った。
 浪人は目が飛び出す程の顔を見せ、
「加納伊蔵」
 と大きな声で喚いた。
「浅田象二郎」
 逃げるぞと言って、象二郎は駆け出して行った。残りの者も象二郎につられて逃げた。暫くして弥吉が正治らを連れて戻って来た。
「伊蔵、よく食い止めた」
「相手が勝手に逃げただけでして」
 伊蔵は正治に、象二郎とのやり取りを語った。
「せっかくの敵討ちの機会を自ら捨てるとは」
「きっと象二郎は押し込みの時に敵討ちを行ったとなるのが恥だったのではないでしょうか」
「だとすると、象二郎にまだ武士の魂が残っていたという事か」
「それか、私が火盗改めにいる事が分かり、今後いつでも敵討ちが出来ると踏んだか」
「いずれにしても身辺が忙しくなるな」
「これも運命と言う事でしょう」
 伊蔵は本心からそう思った。
 こうしてこの押し込み騒動は事なきを得たが、伊蔵の敵討ちという新たな問題が表面化した。
尤も、伊蔵にすれば、これ迄と違い、仇討ちにびくびくする必要が無くなった分、気が楽になった。
 正治は、日中に襲って来る可能性が高いから、もう一人人間を付けると言って来たが、伊蔵は今のままで良いと答えた。伊蔵は路上で仇討ちになるのは構わないが、自宅にいる時に襲われるのを避けたかった。それは、さえが来ている事が多いからで、さえを巻き添えにはしたくなかったからだ。日中、自分をつけて来る者はいないか、神経を集中させて警戒した。
 その時は来た。西の空がゆっくりと赤らむ時刻。四辻に差し掛かった時、いきなり象二郎が声を掛けて来た。
「やっと念願の仇討ちが出来る。加納伊蔵、尋常に勝負しろ」
 伊蔵は弥吉を番所へ走らせた。
「私の方もこれでやっと煩わしさから解放される」
 浅田象二郎が刀を抜いた。
「行くぞ」
 伊蔵も刀を抜き、象二郎に応じた。象二郎の一刀が伊蔵の頭上を襲った。鋭い剣戟。かわすのが精一杯だった。数歩遠のき、伊蔵はもう一度間合いを計った。正眼に構える。再び上段で打ち込んで来たら、伊蔵は突きで胴を払い勝負するつもりでいた。が、象二郎の構えも正眼になった。暫し二人共動かない。いや、動けない。象二郎が動いた。刀を右中段の袈裟斬りの構えになり、そのまま間合いを詰めて来た。刀で受けたが凄まじい衝撃だった。跳ね返せない。そのままじりじりと押し切られそうになる。刃が伊蔵の首筋に触れ、ちくりと痛みを感じた。
 伊蔵は咄嗟に足払いを掛け象二郎を倒した。象二郎はすぐさま起き上がったが、その起き上がり様、伊蔵の一刀を右腕に受けてしまった。腕を斬られ、刀を落としそうになった。伊蔵は更にもう一撃を繰り出した。今度は篭手を斬られ、象二郎はとうとう刀を落とした。象二郎はその場に座り込み、息も絶え絶えとなっていた。
「観念してお縄になれ」
「一端の役人風吹かすな。これは捕り物ではない。敵討ちだ。俺が敵を討ち漏らしたんだ。斬れ」
「心配するな。お前は嫌がおうにも獄門首になる。今までの悪行を晒してな」
 象二郎とやり取りをしているうちに、弥吉が正治以下火盗改めの者達を連れて戻って来た。
「そいつは盗賊の生き残りか」
「盗賊も兼ねた私の仇討ちの相手です」
「何と世の中の縁は奇妙なものだな。長い仇討ち旅のせいで、金が無くなったか、それとも世をすねたか。いずれにしても縛り上げろ。余罪があるかも知れん。たっぷりと白洲で調べてやる」
 引っ立てられた象二郎は、恨めしそうな眼差しを、伊蔵に投げつけた。押し込みを未然に防いだ事で、正治は伊蔵を益々気に入るようになった。現場もそうだが、相談事がある時等も役宅へ呼び、上手くもない囲碁を打ちながら話をしたりした。その中で、たまたま黒衣の一党の話が出た。
「最近、江戸から離れた所で。黒衣の一党の仕業による押し込みが相次いでな」
「どの辺で押し込みがあったんのですか」
「下総周辺が多くて、この前は野田の醤油問屋がやられた」
「ご府内ですと火盗改めの警備が厳しくて、地方へと働き場所を移したのではないでしょうか」
「成る程。それはそうとその事を遠目に眺めて話してはいられないぞ」
「と言いますと」
「関八州取締出役が、わざわざ勘定奉行を通して応援を頼んで来た。いくら、組織として出来上がって間もないからと言って、他所を頼むと言うのは普通ではあり得ない事だ。意地でも盗賊を、それも黒衣の一党をお縄にしたいのだろう」
 伊蔵は複雑な思いで聞いていた。
「それでな、お主に手下三人ばかり付けて関八州取締出役に出向いて欲しいんだ」
「正治様は」
「俺は江戸から離れられん。大丈夫だ。俺の代わりに行くやつは頭も剣も切れるやつだからと言ってある」
 結局、正治は伊蔵の承諾関係なく、話を進めていたという事だ。伊蔵は、では用意しますと言って自宅へ戻った。さえが来ていた。
「さえ、暫く旅に出なければならなくなった。着替えだの済まんが用意してくれるか」
「はい。今すぐに」
 そう言えば、さえの実家は野田の近くだった筈。野田へ行くといったらどういう反応をするだろう。伊蔵は試しに話してみた。
「さえの実家は和戸で、野田からは近くだったな」
「はい。渡し舟に乗れば古利根川を挟んで向かい側になります」
「久し振りに実家へ帰らないか」
「え。いいんですか」
「うん。丁度野田迄行くから途中まで送っていくよ。そして、帰りは迎えに行くから、それ迄実家でのんびりするがいい」
「嬉しいです。何だか勿体無いような気がします」
「普段のさえの仕事へのご褒美だ。期間ははっきりとしていないから、長くなるか短くなるかは分からないが江戸で私の帰りを待つよりかは良いだろう」
 さえは涙を見せた。滅多な事では涙なんぞ見せないさえが、辺りを憚る事無く涙を流した。
 翌日、伊蔵は岡っ引き三人とさえを連れて日光街道を北へ向かった。先にさえを和戸の実家へ送り、そして野田を目指す、道のりで行く事にした。
 岡っ引きの三人には、さえの事を自分がやっていた口入れ屋の娘で、実家へ里帰りをするから、ついでに送って行くのだと説明した。
 日本橋から和戸迄およそ十里足らず。朝早くから歩いて行けば、その日のうちに着くが、伊蔵は敢えて越谷の宿で一泊した。さえの足を考えの事だった。のんびりとは本当はしていられないのだが、雰囲気は至ってのんびりしたものだった。翌日はゆっくり起き、和戸迄目指した。和戸のさえの実家へ着くと、さえの両親が是非泊って行けといった。が、それは出来ない。その事を言う。本当の話はしなかったが、奉行所の使いで来たからと言って納得してた。
「さえ。じゃあ私達はこれで行くが、待っててくれ。いいな」
「はい。待ちます、いつ迄も」
 そのやり取りを見ていた両親は、伊蔵と娘のさえが深い関係になっているのではないかと疑った。それならそれで良いと両親は思った。変な悪い虫が付くよりも。
 さえは思った。私は幸せ者だと。ここで伊蔵の事を待っていれば、私の人生は明るく開けて行く。心から貴方を待っています。そう胸の中で呟くさえだった。
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