第14話

文字数 3,378文字

 長七郎の言葉に惣佐衛門はどう答えるべきか暫し考えた。そして、
「あの子は、わざわざ実家から直接預かっている娘でして。嫁入りまでうちで修業をさせる約束なのです。なので申し訳ないですが、あの娘に関してはご勘弁を。但し、あの娘に負けない位、仕事の出来る娘をご紹介させて頂きます」
 と答えた。
「駄目か。そうか。致し方ないのう」
 余程さえが気に入ったのであろう、長七郎は見ていて気の毒になりそうな位、がっくりと肩を落とした。惣佐衛門は今紹介出来る手代と女中を如何かと勧めた。
「貴方が勧めるのだから確かなのだろう。この三人でお願いします」
「では給金は手代の二人が年八両、女中が五両に支度金はそれぞれの給金と同額の八両と五両、紹介料が一人三両です」
「分かりました。いつから来て貰えますかな」
「明日、三人を連れてお伺いします」
「ちなみに、先程のお女中でしたら給金は幾らでしょうか」
「あの子でしたら女中頭も務まるので十両といったところでしょうか」
「やはりそれ位掛かりますか。ではこれで」
 長七郎が帰ると、惣佐,衛門は明日引き連れて行く三人に連絡を取るべく、丁稚達を走らせた。
 翌日の午前中、惣佐衛門は手代二人と女中一人を伴って泉屋へ向かった。
 泉屋は江戸でも有数の両替商で大名、旗本のみならず商家に金を貸していて、一般庶民にも小口ながら金を貸していた。但し余り評判は良くない。直ぐに貸すのだが、その分利息は高く、取り立ても厳しい。他に本業の金、銀、銅の交換に預金の預かりなどで相当の利益を得ていた。その泉屋には常に百人近い奉公人が働いていた。惣佐衛門が連れて行った三人もすぐさま働かされたが、次から次へと指示が出るので、忙しさに目が回り、仕事が終わった後はぐったりと力が抜けた。
 口入れ屋井兵衛から来た手代の喜平治と与三郎は、大概な仕事はこなして来たが、ここ泉屋程忙しい所は無いと思った。それは女中のかよも同様で、三人は愚痴を溢し合いながら、何とか毎日を過ごしていた。ある日、かよが番頭の一人に些細な事で叱られた。本当につまらない事で、一日中ねちねちと叱られたものだから、ついに泣き出してしまった。
 それを見た嘉平治と与三郎は、同じ口入れ屋から来た者同士という事もあり、間に入りかよを宥め、
「ここは我慢するんだ。たかが番頭さんの小言位気にするな」
 と言った。すると番頭はその光景を見て嘉平治と与三郎に詰め寄った。
「たかが手代と女中風情が文句を言うとは、お前達恐れ多いというものだ。自分達の立場を考えろ」
 と言って来たものだから、嘉平治と与三郎が癇癪を爆発させた。
「何を、貴様如き番頭風情が大きな口を叩くんじゃねえ」
 与三郎が拳を番頭に向けて振るった。与三郎よりも小柄な番頭は、こめかみをしたたかに殴られ、その場に倒れた。かよを庇うようにしていた嘉平治は、与三郎を宥めるように、
「そこまでにしておけ」
 と言った。
 この事があった翌日、三人は、番頭頭の長七郎に呼ばれた。
「評判の井兵衛店から来て貰ったのに、ひと月ともたず、番頭を殴るとはどういう事だね。理由次第によっては辞めて貰う」
 三人は何も言わず、畏まっていた。
「無言か。分かった。三人ともうちの店を辞めて貰う。今から荷物を纏めて出て行ってくれ」
 三人は泉屋を辞める事になった。荷物を纏め、三人は井兵衛店へ向かった。
 井兵衛店に戻った三人は、惣佐衛門に経緯を話した。番頭を殴った事の他に、仕事の厳しさも同様に話、あれでは奉公人は持ちません、と言い現に僅か十日程の間に数人の奉公人が暇を出されたという話もした。
「そうですか。以前から余り評判は良くないと聞いてはおりましたが、そこまでとは」
「私等このお店にご迷惑をお掛けした事になるのでしょうか」
「確かに迷惑は掛かるかもしれませんが、それは先方の出方次第です。貴方方は次の仕事先の心配でもして下さい。悪いようにはしませんから。但し、泉屋で働いた分の給金はありませんよ」
「分かりました」
「次の奉公先が決まる迄、うちの仕事の手伝いでもして下さい」
「はい」
 三人は、奉公人用の部屋に荷物を置き、惣佐衛門の言いつけ通り、店の仕事を手伝った。
 泉屋の長七郎が井兵衛店へやって来たのは翌日の事だった。
「わざわざ足を運んで頂き申し訳ございませぬ。本来ならこちらから不始末のお詫びに上がらなければならなかったにも関わらず、誠に申し訳ありませぬ」
 惣佐衛門は精一杯謝罪をした。
「本当に不始末ですよ。それで改めて奉公人を世話して貰いたいのだが」
「はい。それはもう今度こそきちんとした者をご紹介させて頂きます」
「お願いしますよ。高い紹介料を払っているのですから」
「はい。その代わり二、三日お時間を頂けますか」
「それは構わないが、今回の不始末を清算して頂く意味も込めて、女中はあの娘にしてくれ。それが出来なければこちらにも考えはある」
 半分脅しのような文句を言った長七郎を見上げ、惣佐衛門は畏まった。
 長七郎らが帰った後、奥の間へ行き、伊蔵にこの件の話をした。
「さえにそこ迄執心だとは、単に使い勝手が良い女中と思っての事ではあるまい。儂には何らかの下心があるように思うが、惣佐衛門はどう思う」
「はい。つい今しがた迄は気付きませんでしたが、お頭に言われてはたと感じました。正に下心からの執心かと」
「泉屋のうわさは同業者の間でも評判だ。口入れした者が長くもたない。それと金貸しの方で法外な利息を取り、払えない者からは家財道具一切持っていったり、娘がいれば女衒(ぜげん)に売り飛ばしたりと、聞くに耐えない噂が多い。そんな処へさえをやるのは……。いや待てよ。泉屋を仕事の的にするというのは、惣佐衛門どう思う」
「お頭がやるというなら、私は従います」
「さえには苦労掛けるが、手引きとして送り込むというのはどうだろう。先方がさえを望んでいる以上またとない機会だと思う」
「うまく番頭頭をあしらってくれればよいのですが」
「そこはきちんとさえにつたえよう。惣佐衛門、さえを呼んでくれ」
「分かりました」
 惣佐衛門がさえを呼びに行った。伊蔵は考えた。安易にさえを使おうとしていないか。さえの胸の内を自分はちゃんと考えいるのか。さえが惣佐衛門と一緒にやって来た。
「さえ。呼び立ててすまん。実はさえに頼みたい事があってな。それは、仕事の件だ」
「何でもやります。なんなりと仰せつけください」
「うん。手引きをして欲しいんだ。店は、日本橋本町の泉屋だ。江戸でも有数の両替商で奉公人も多い。そこで女中をやって貰う訳だが、一つ注意して欲しいのは、番頭頭がお前に執心なんだ。隙を見せると言いよって来るかも知れないという事だ。大丈夫か」
「はい。そんな事位どうという事ありません。それで、いつから行くのですか」
「うむ。早速で悪いが明日から行って欲しい」
「分かりました。期間はどれ位になるのでしょう」
「なるべく準備が出来次第早く決行するつもりだ」
 さえは納得した表情で、
「では明日の準備して来ます」
 と言って、伊蔵の前を下がった。
 さえが下がった後、女中頭がやって来て、火盗改めからのお使いですと言って来た。何だろうと思いながら伊蔵が玄関まで出て見ると目明しが、
「保綱様がお呼びでして」
 と言った。
「分かりました。直ぐ支度してお屋敷へ伺います」
 惣佐衛門にあとを頼むと言って、伊蔵は清水門外の火盗改めの役宅へ出向いた。
 奥座敷へ案内されると、保綱が書状の山に囲まれるようにして座っていた。
「済まんな急に呼び立てて」
「いえ。いつでもお呼び立て下さい」
「もうそんな事はなくなる。明後日までの仕事だ」
「すると交代になるのですか」
「ああ。いろいろ世話になったな。一言礼を言いたくて呼び立てた」
「いえ。私如きに過分な配慮、ありがたく存じます」
「次の頭だが、お前が良く知っている方だ」
 伊蔵はある人間を思い出した。
「誰とは言わんが、まあ再会を楽しみにしてろ」
「分かりました」
「話はこれだけだ。短い用てすまんな。これからも火盗改めを助けてくれ」
「はい」
 保綱にはいと言いながら、今は泉屋という大店の両替商を狙っている。何だかおかしくなって来た。
 あの井上正治が再び火盗改めの頭として戻って来る。となると今度の押し込みは余程気を付けないといけない。身が引き締まる感じがした。
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