第6話

文字数 3,468文字

「井兵衛。大和屋の件、知っておるだろう」
「はい。昨夜押し込みにあったとか。それが何か」
「うむ。どうにも腑に落ちない処があっての」
「腑に落ちないとは」
「以前、近江屋という両替商が押し込みにあっての。その時、お主の処から口入れされた女中がいた。そして今回の太和屋にもお主のところから口入れされた手代がいた。これは何かの偶然か」
 正治の声音は、普段二人で談笑している時には見せない厳しいものだった。
「偶然でございましょう」
「そうかな。この江戸にはごまんと口入れ屋がある。それにも関わらず二軒の押し込みにお主の処から雇い入れた奉公人が絡んでいる事実。井兵衛、これをどう思う」
 正治は、半分脅しながら伊蔵に迫った。
「何度も申しますが、やはり偶然でございましょう」
 正治は、暫し黙した後、突然笑い出した。そして、
「まあ、その事はいい。実は儂の火盗改めのお勤めももうすぐ交代でな。変わる前に黒衣の一党をお縄にしたかったのだが、どうも無理のようだ。ならばせめて手掛かりの一つも掴み、後を託す者に土産として残して置きたかったという訳だ」
 と言った。それを聞いた伊蔵が、
「井上様が交代されるのは、いつでしょうか」
 と尋ねた。
「来月には代わる。火盗改めを代わってもそちとは繋がりを持っていたい。茶飲み話の相手をしてくれるか」
「手前で宜しければ喜んで」
「うむ。ところで、まだ聞いておらなんだが、そちが以前武士として仕えていたのは何処のお家だ」
「それは、ご勘弁を願います」
「まだ教えてはくれぬのか」
「どうかお察し下さいませ」
「そうか。では又いつかの時に教えてくれ」
「そういう日がくれば」
 正治の役宅を出た伊蔵は、正治が、薄々ながら自分が黒衣の一党に関わっているとの思いを強く持っていると察した。それでも自分をお縄にしなかったのには、確たる証拠を見いだせなかった為であろう。怖いお人だ。さすが火盗改めの頭だ。伊蔵はそう思い、日本橋木挽町の店へ戻った。
 火盗改めの頭が変わったのは文化十一年の梅雨明け、七月二十四日の事であった。今度の頭は松下保綱(まつしたやすつな)で、井上正治から申し送りでもあったのか、すぐに伊蔵は役宅に呼ばれた。
「余は松下保綱という。井上殿からそちの事は聞いている。井上殿同様、宜しく頼むぞ」
「勿体無いお言葉です。こちらこそ宜しくお願い申し上げます」
 呼ばれた初日は世間話で終わった。その後、保綱から呼ばれる事はあったが、会話の内容は、口入れ屋にどんな人間が依頼に来るのかという話で終始する事が殆どだった。
 口入れ屋には、奉公人や旗本大名の奴を求めにやって来る者だけでなく、人買いの辰のように、自ら若い女を連れて来て、奉公先を依頼する場合もある。
 その男が一人の女を伴ってやって来たのは、秋を感じさせ始めた九月だった。
「この女の奉公先を、こちらで紹介して頂きたいのですが」
 応対に出た惣佐衛門は男と女の身なりを吟味するように見つめた。
「お二人はどういう関係で」
「申し遅れました。私はこの子の叔父でして。かねてから井兵衛店の噂は耳にしておりまして、こちらならこの子を預けても間違いないと思ったものですから」
 男はそう言って頭を下げた。
「女中として働くのであれば、給金は年二両で交渉させて頂きます。他に支度金を給金と同じ額の二両、それとは別にそちら様に二両差し上げます。それで宜しいでしょうか」
「はい。充分です」
「それでしたら、丁度武家屋敷の女中の話がありますが、いかがですか」
「お武家屋敷となりますと、何もこの子には躾をしてませんので、ご迷惑が掛かるかと。なので
 商家がよいかと思うのですが」
「分かりました。それでしたら、神田羽衣町の廻船問屋の渥美屋という店がありますが」
「そちらでお願いします」
「では神田の渥美屋という事で」
 話が決まると、惣佐衛門は男に二両差し出した。男は大事そうに懐へその金をしまうと、そそくさと店を出て行った。風呂敷包みを抱えた女は、見たところ二十を三つ四つ出ているように見える。惣佐衛門は、自らその女を連れて、神田へ向かった。
「そなた、名前は何んと言う」
「おしまと申します」
「以前はどういう仕事をしていたんだい」
「越後の長岡で旅籠の仲居をしておりました」
「じゃあまだ江戸へ出て来て間もないのかい」
「はい」
「生まれも長岡かい」
「はい」
「それにしては訛りがないな」
「……」
「叔父上は江戸の人かい」
「はい」
「何をしている人なんだい」
「大工をしています」
「職人には見えなかったがなあ。まあそれはいいか」
 神田までの道々、 惣佐衛門はおしまの素性やらを聞いた。
「両親は何をしているんだい」
「百姓をています」
「そうか」
 惣佐衛門はおしまの素性が言っている事と違うのではないかと疑った。第一に、越後から出て来たばかりと言っている割には、言葉は江戸の言葉である事が上げられる。物腰から考えて、岡場所や茶屋勤めをしていたのではないかと考えた。惣佐衛門は、言っている事と実際の素性が違っていても、紹介先で間違いさえ犯さなければ、別に構わないと思った。
 神田羽衣町の渥美屋に着いたのは、丁度昼飯時で、厨で奉公人達が忙しく立ち働いていた。忙しそうに客と応対していた番頭が、惣佐衛門の姿をみると、深々とお辞儀をしながらやって来た。
「番頭さん、忙しそうだね」
「はい、お陰様で。猫の手も借りたいくらいで」
「その忙しさを軽くしてくれる奉公人を連れて来ましたよ」
「これはありがとうございます。では今主人を呼んで参りますので、こちらの部屋へ」
 番頭がそう言って、惣佐衛門とおしまを奥へ上げた。上がってすぐの座敷で待たされると、番頭と渥美屋の主人がやって来た。
「この人かい」
 挨拶もそこそこに主人が言った。
「さっそく今日から働いて貰うからな」
 おしまは頭を下げた。
「では、手数料を」
「分かった。五両とか言ってたな。五両は高すぎやしないか。五両あれば奉公人を二人雇える」
「他の口入れ屋は、紹介した奉公人が働いている間は、毎月紹介料を取るところもあります。うちは最初に頂ければもうそれで終わりですので」
「分かった。そっちの言う通りにする。五両だ」
「はい。それとこの子に支度金を忘れずに」
「分かった」
「ではこれで」
 手数料を受け取ると、惣佐衛門は渥美屋を後にした。あの主人で奉公人がもつのかな。惣佐衛門は主人とのやり取りからそう思った。大体にして口入れ屋の料金相場はあってないもので、ぴんからきりという事になっている。それは井兵衛店も同様で、紹介する奉公人によって金額が変わる。井兵衛店では、惣佐衛門が全てを任されている。
 渥美屋へおしまを紹介してから三か月程経った年の瀬。番頭の一人が瓦版を持って惣佐衛門の処へやって来た。
「神田羽衣町の渥美屋が押し込みにあったようです」
「何だと。渥美屋がか」
 そう言うなり、瓦版をひったくるようにして受け取って見入った。瓦版には女中の一人が手引きをしたと書いてあった。惣佐衛門は、すぐさまおしまを思い起こした。おしまは手引き役だったのではないだろうか。押し込み後のおしまのその後が知りたかった。
 おしまの件はすぐに分かった。伊蔵が火盗改めの頭である保綱に呼ばれ、今回の押し込みは井兵衛店から紹介されたおしまが手引きをしたと知らされた。
「手引きされて押し入った連中は、渥美屋の主人夫婦と子供二人におしま以外の奉公人四人を殺し、金を奪って行った。これは看過出来ない」
「しかし、世の中物騒になりましたな。押し込みの殆どが刃物を携えて家人と奉公人を殺す。許せませんね」
「そちの言う通りだ。このところそういう事が減って来ておったから、多少は気持ちに余裕が出来ていたが、それが隙を生んだのかも知れん」
「私共は口入れ屋ですから、その方面でお手伝い出来る事があれば、何なりとお申し付けくださいませ」
「うむ。よう言ってくれた。そのようにする」
 伊蔵は殺してまで金品を奪い取るやり方を憎んでいた。更には、押し込む先は何処でも良いという訳ではなく、良い噂を聞かない店にしか押し込みをしないし、殺しもしない。それに、自分達は必ず投げ銭をする。そして外道のやり方はしないという決意があった。
 伊蔵は決心した。そういう輩をこの世から抹殺する事を。やり方は、盗賊にこちらの人間を潜り込ませ、わざと手引きをし、火盗改めの手を借りて一網打尽にするというやり方だ。問題はどうやって奉公人を潜り込ませるかだ。惣佐衛門と相談するか。伊蔵は保綱の役宅からの帰り道、それらの事を考えた。
 
 


 

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