第9話

文字数 3,445文字

 丸正事件後、江戸は暫く平安な時期を過ごしていた。井兵衛店も忙しく、丁度参勤交代の時期にぶつかり、それぞれの大名家で奉公人を必要として、井兵衛店に奉公人を求めに来た。
 この頃の大名家は、借金を多く抱えている処が多く、経費節で人件費を浮かす為、普段は最低限の奉公人しか置かず、参勤交代の時のように、格式上人数が必要な時だけ口入れ屋から奉公人を一定期間だけ雇って大名家の格式を保っていた。
 高津藩五万石の大名家も同様だった。家臣の多くが必要最低限の家来や奉公人しか置かず、参勤交代の時になると、慌てて口入れ屋へ駆け込む。
 高津藩五万石の中枢を担う山並家も、五人程家来と奉公人が足りなかった。山並家の当主山並豊前は家老の森福庄衛門と人の手当てをどうするか話していた。
「又参勤交代の時期じゃな」
 という山並の問いに
「はい。頭のいたいところでして」
 家老の森福は答えた。
「人の手当てはついておるのか」
「又いつものように口入れ屋へ人の手配を頼むしかないかと」
「それしかないか」
「はい」
「又金が掛かるのう。いか程必要か」
「五人ですから支度金と口入れ屋への金を合わせて五人分で十五両、給金は道中のみの手間賃ですので一人頭一両として、全部で二十両ばかり掛かるかと思われます」
「五人で二十両か。他への出費も考えるとたかが二十両とは言えないな」
 ため息を吐きながら山並が言った。
「その二十両、何とかなる目星はついておるのか」
「いえ。借りられるところは全部あたり、今回の参勤交代に当てましたからもう何処も貸してはくれません」
 元々高津藩自体が貧しく、五万石をうたっているがいるが、実質の取れ高は三万石しかなかった。その中から家来達に禄を上げなければならないのだが、当然三万石ではたりない。目ぼしい物産品も無い為、藩収入は面高より二万石少ないのが現状だ。その為、家臣への禄は借り上げと称して足りない分を後で払うと称し、それで藩財政を乗り越えている。つまるところ、家来に借金をしているのと同じだ。山並家も千五百石のところ、この方策で千石しか貰っていない。それでは参勤交代の時にそれなりの体面を守る事が出来ない。 
「もっと安く人を集まられないかな。例えば浪人者を使うとか」
「確かに浪人者であれば、支度金と口入れ屋への手数料はいらなくなります。案外良い考えかも知れませんな」
「奉公人は安く済むから口入れ屋から入れても良いか。よし、浪人者を雇おう」
「はい。畏まりました」
 参勤交代迄あとひと月。山並豊前は家老の森福庄衛門が連れて来た三人の浪人者を見て、一瞬大丈夫かと思ったが、時間が迫っている。背に腹は抱えられないとして、雇う事にした。先ずは体裁を整えさせなければならない。衣服を家来たちのお古で賄い、頭も武家髷に整え、毎日月代を剃らせた。
 三人の浪人者は、三両の金を貰うと、夜な夜な出かけ、博打に精を出していた。当然、三両などの金はすぐに無くなる。
「金原殿、まだ金は残ってますか」
「石丸殿。もうとっくに無くなりました」
「お二方もですか。実は私もでして」
「大木殿もですか。しかし、五万石の大名家だから、もっと金回りが良いかと思ったところ、それ程でもない。これでは干上がってしまいます」
「その通り」
 石丸と呼ばれた浪人が、
「どうです。こうなったら押し込みでも働きますか」
 と言った。二人は押し黙った。
「何処か商家でも襲って、千両箱をかっさらいましょう」
 石丸の言葉に最初に反応したのは、一番年配の金原だった。
「しかし、火盗改めがいるぞ。それに、押し込みを働けば死罪だ」
「浪人生活が長くなって、もう懲り懲りと思いませんか」
「確かに。一つここは命を懸けても良いか」
 大木が答える。
「金原殿、踏ん切りましょう」
「分かった。お二人がそこ迄言うのであれば」
「よし、決まりだ。押し込む商家を明日から探しましょう」
 石丸が完全に二人を引っ張って行った。翌日石丸は、山並家に自分達と同じように、臨時で雇われた奉公人に尋ねた。
「お前達をここに入れた口入れ屋は何と言う」
「はい。口入れ屋井兵衛と申します」
「その口入れ屋は儲かっているのか」
「はい。恐らく江戸で数ある口入れ屋の中でもかなり儲けを出しているかと」
「店の場所は何処だ」
「日本橋木挽町です。店も大きく構えています。辺りには井兵衛店より大きなお店はありませんから、行けばすぐに分かります」
「そうか。分かった。ありがとう」
 石丸は礼を言うと、その足で藩邸の部屋で無聊をかこっていた金原と大木に、
「いい店が見つかりました」
「何処です」
「日本橋木挽町の口入れ屋井兵衛」
「いつやる」
 金原が訪ねた。
「段取りや下調べで三、四日必要かと」
「うむ。決行日までの間、儂は何をすればいい」
「川伝いで行きたいと思いますので、ちょき船の用意をお願いできますかな」
「分かった」
「それと大木殿には店に行き、口入れを願う者を装い、内情を調べて欲しいのです」
「俺に出来るかな」
「大丈夫ですよ。単に敵情視察するだけですから」
「分かった。やってみる」
「私はもっと他に手頃な処がないかどうか調べてみます」
 こうして、石丸の主導で話が纏まって行った。元より三人は、ばらばらに本並家に雇われた人間だ。共通点は三人共浪人で博打好きという点だけだ。自分一人で物事を決められない優柔さがあった。唯一石丸だけが多少の首謀者としての決断力がある程度だった。
 翌日から三人はそれぞれの役割を果たそうとした。大木は井兵衛店を調べたという事だったが、たった一日、店の中へ入り、口入れを頼む武士を装っただけで、終わった。
 金原はちょき舟を一艘借り受けて自分の役割は終わったと決め込み、終始部屋に籠って酒を飲み続けていた。
 石丸は、多少なりとも動いた。麻布一橋にある藩邸に戻った。二人は揃って部屋にいた。
「先ず大木殿、井兵衛店は如何でしたか」
「うむ。ひっきりなしに客が来ていた。人を雇うのに何十両と金を払う者がいるんだなと思いました」
「井兵衛店で決まりですな」
「いつやる」
「明日の夜」
「よし分かった」
 金原の一言で、場は酒席に変わった。酒が入ると、大言壮語になるのが浪人の常だ。三人共
口から出るのは、自分達のような人間が浪人風情に堕ちるというのが納得出来ないといった事だった。そういった荒れた心が、押し込みを決意させたのかも知れない。
 その日が来た。一橋の藩邸を夜九ツ半に出、目の前の川に繋いで置いたちょき船に乗り込む。三人共幾分緊張している。船は四半刻で日本橋木挽町に着いた。船から上がった三人は、頬被りをし目指す井兵衛店に向かった。
 丁度その頃、伊蔵はまだ起きていて、帳簿を見ていた。奉公人達は全員深い眠りに就いている。その時表戸を叩く音が聞こえた。伊蔵は咄嗟に押し入れから刀を取り出した。表戸に向かう。するとさえが起きて来ていた。
「旦那様開けますか」
「うん。儂が開けるから、さえは私の後ろに下がっていなさい」
「はい」
 伊蔵は、刀を左手に持ち、右手で閂を外した。いきなり戸が開いた。すると侍風の格好をした三人の男がいきなり刀を抜き、
「おとなしくしろ。言う事を聞けば危害は加えない」
 伊蔵は無言で刀を抜いた。驚いた三人は、慌てて刀を抜き伊蔵と対峙した。三人対一人という事で、伊蔵を見くびっていた大木が刀を振り下ろした。間を誤ったのか、刃は伊蔵の刀にも触れなかった。
 伊蔵がずいと大木に迫る。横から今度は金原が抜き打ちを浴びせようとしたが、これも軽くいなされた。
 伊蔵の刀が大木の左袈裟を思い切り切り下した。声を上げる事もなく、大木はどっと土間に斃れた。金原が奇声を上げて伊蔵に打ち掛かった。伊蔵は金原の刃を軽く受け流し、体を捻りながら自分の刀を横に薙いだ。腹をバッサリ切られた金原は、信じられないという表情をし、溢れ出る内臓を自分の腹に押し込もうとしながら絶命した。
 残った石丸は、伊蔵と斬り合うそぶりも見せず、逃げようとした。伊蔵はその背中を切り裂いた。
 伊蔵は外に仲間がいないか確かめた。三人だけで押し込みをしに来たのか。そう思った伊蔵は、
「さえ、悪いが今から清水門外の保綱様の役宅へ行って欲しいんだ」
 と言った。
「はい」
「要件は今さえが見た通りの事だ」
 さえは自分が頼りにされた事を喜んだ。飛ぶように走って行ったさえを見送り、伊蔵は切った三人の素性は分からないかと懐などを探ってみた。探って出て来たのは、高津藩五万石の家来を証明する物だった。
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