第24話

文字数 3,641文字

 一勝負が終わり、休憩が入った。酒が欲しい者は胴親に頼めば、只で飲ませてくれる。平吉の正面の男は少し苛ついているのか、頼んだ酒を煽っている。何しろ十番続けて平吉に負けているからだ。平吉も酒を飲んでいるが、勝負が控えている以上、馬鹿な飲み方は厳禁だ。舐める程度に盃に口を付けた。視線が合う。平吉の事を気にし始めた証拠だ。よし、いいぞと平吉は思った。
 胴親が、壺を振る胴元を変えると言って、新たな胴元に代わった。正面の男は又駒を追加して勝負に挑んで来た。今度は賭け方を変え、最初の方に駒を賭けた。平吉と一進一退の勝負が続いた。周りの客達が、平吉と正面の男との勝負に注目し始めた。そうすると、周りの客達は、参加せず勝負の行方を見守る者と、おこぼれにあずかろうと小金を賭ける者に分かれた。長い勝負が続いた。
「お客さん方。申し訳ないがそろそろ刻限です。これで本日最後の勝負とさせて頂きます」
 胴親がそう言うと、胴元が最後の壺を振った。それまで負けている者は最後の勝負に大きく賭けて負けを取り戻そうと駒を賭けた。正面の男もそっくり全額を賭けて来た。平吉も、その男が賭けた金額と同等の駒を賭けた。正面の男は丁に。平吉は半に賭けた。駒が揃い、壺が開けられた。五、二(ぐに)の半だった。
 平吉は駒を金に換えている間も、その男から視線を外さなかった。男は自分が見つめられている事に気付いていない。大きな勝負に負けた割には、さばさばしている。性格なのか、それともこれ位の金は博打で負けても、どうという事はないのか。平吉は後者に賭けた。
 賭場への手数料を払い、勝ち金を受け取った平吉はその男に近付いて行った。男が平吉に気付き、
「何か用か」
 とドスの効いた声で言った。
「兄さんと久し振りにいい勝負が出来たなと思い、声を掛けさせて貰いました。何処かで一杯どうですか。幸い今日の勝負で懐が温かいので」
「あんたが奢るってえのかい」
「酒は苦手ですか」
「いや」
「なら、どうです。いろいろとお話を伺わせて頂ければ、又いい勝負が出来るというものです」
「そこ迄言うなら」
 男は一緒に飲みに行く事を了承した。
「申し遅れました。私は平吉という者です」
「俺は吉蔵という」
「では吉兄いと呼ばせて頂きます」
 兄いと呼ばれて吉蔵はにこりと微笑み、軽く頷いた。案外、軽い人物なのかも知れない。
「お前さん、なかなか世渡りが上手そうだな。ただの職人てえ事はねえだろう。本業は何をしてるんだい」
「お恥ずかしい。そんな大した者じゃありやせん。只の大工でして」
 大工と平吉は言ったが、もう十年以上現場仕事から離れている。
「飲みに行くのはいいが、この時間でも開いている店はあるのかい」
「へい。市場の中に河岸の人間達を相手にした飯屋がありまして。そこは部外者でも入れやすし、酒も出します」
「よし分かった。そこへ行こう」
 話は纏まった。二人はぶらぶらと歩きながら道々話をしながら店に向かった。
「吉兄いは失礼ですが、何処かの貸元かなんかの元で修業なさっているとか」
「ははは。そんな風に見えるかい」
「へい。駒の賭け方が素人じゃ真似できねえと見とれてやした。なので最後の方は真似させて頂いた次第で」
「そうだったのか。まあ博打の賭け方に黒も白もねえがな。俺は何処の貸元にもお世話になってはいねえ。一匹狼だ。一匹狼の博打打ちだ」
 吉蔵は饒舌になっていた。平吉は吉蔵の性格を読み取った。店に着くとほぼ満席で、隅の二人席に辛うじて座る事が出来た。
「吉兄い、ここの酒は正真正銘の灘の酒です。じっくり飲み明かしましょう」
「おう。お前、酒にはうるさい方なのか」
「いやあ、お恥ずかしい。酒には目がねえんです。尤も今日みたいに博打でひと稼ぎ出来た日じゃなきゃ灘の酒どころじゃござんせん。水で薄めた貧乏人相手の酒をちびちび舐めるのが関の山で」
「ならもっと稼げる仕事に就いたらどうだい」
「たかが大工風情にそんな仕事が回って来ますかねえ」
「ねえ事はねえぞ」
 来た……。平吉はここからが勝負だと自分に言い聞かせた
「吉兄い、どんな仕事でしょうか」
「それを話す前に言って置きたいんだが……」
「へい」
「これからの話はお前さんが引き受ける事を前提で話す。断ったら只じゃ済まねえ。尤も絶対にお前さんは引き受けると踏んでいるがな。そして、引き受けた後、一切誰にもこれからの話を漏らしちゃなんねえ」
「へい。分かりやした」
「結論から言う。押し込みの手伝いだ」
「……」
「これと目を付けた店に押し込む。取り分は人数割りだ。今うち等は八人居るから、お前さんを入れて九人になる。だから九等分だ。千両箱がうなっていればそれだけ大儲け出来るってえ訳だ」
「押し込むのに手順とあるんですか」
 平吉はしらっとした表情で聞いてみた。
「その時によるな。当然役割も変わって来る。まあ、お前さんは初めてだから簡単な仕事になると思う。どうだここでやるかやらないかの返事が出来るか」
「へい。吉兄い是非やらせて下せえ」
「分かった。じゃあこの後、俺達の隠家へ行って皆に紹介してやる」
「宜しくお願いします」
 平吉は腹の中でほくそ笑んだ。
 その頃、もう一人の目明しである人買いの辰は、博打場の大名屋敷の使用人部屋を出、日本橋横山町の家に戻る所だった。戻ってみるとまだ平吉は帰っていない。ひょっとしたら目星を付けていた人間と接触出来たのかも知れないと思った。実は辰の方も怪しい人間を見つけていた。風貌は素浪人そのもので、どうみても真っ当な人間に見えない。博打は下手で、負ける度に酒の入った湯呑を煽っている。負けても負けても、懐から金が出て来る。辰は平吉のように勝負に参加せず遠目に眺めていた。賭場が終わりを告げる。浪人も致し方ないかという表情をし、大名屋敷を出て行った。その後を人買いの辰は追った。
 酒に酔っているのか、歩き方が右へ左へとふらついている。尾行は簡単だった。すると浪人は古い屋敷の前で右手を上げ、曲がり角を曲がって来た二人連れに、
「吉蔵、誰だそいつは」
 と声を掛けた。何とましらの平吉が遊び人風の男と一緒ではないか。辰はすぐに家の陰に隠れた。
「旦那。こいつは博打場で拾った男でして。我々の仲間に加わりたいと申しております」
「加わる事が出来るかどうかはお頭次第だ」
「へい。でもこいつなら大丈夫です」
「まあいい。中へ入ってお頭に話してみろ」
「へい」
 平吉は腰を低くし、吉蔵の後に従った。この時、平吉は辰の姿を現認していた。これはおもしろいぞ、と思った平吉は益々この一党に加わりたいと思った。
 辰は、平吉が遊び人風の男と、浪人風の男の後から古屋敷へ入って行く姿を確認してから、馬喰町へ向かった。
 屋敷へ入った平吉は、暫く玄関の土間で待たされた。漸く吉蔵が]
「上がれ。お頭が会って下さる」
「へい」
 吉蔵の後をついて行きながら、平吉は、ざっと屋敷の間取りを頭に叩き込んだ。
「入れ」
 年嵩の浪人がそう言った。
「吉蔵から聞いた。仲間に入りたいという事だな」
「へい。何でも致しやす」
「名前は何という」
「平吉と申します」
「お前、岡っ引きじゃねえだろうな」
「飛んでもねえ。そんなんじゃありやせん」
「まあいい。もし俺達をだましてるのが分かったら命を頂くからな」
「へい。どうぞお好きなように」
「ところで、今の家さ《や》は何処なんだ」
 平吉は一瞬迷ったが、正直に横山町と答えた。
「今、二人で住んでいると言ったが、もう一人の男とはどういう関係なんだ」
「博打場で知り合った人間で、一人で長屋住まいをするよりか、一軒家を借りた方が良くないかとなって、それで二人住まいをしている訳でして」
「成る程な。今迄盗みの経験はあるか」
「いえ。今迄一度もありやせん」
「分かった。まあ盗みは一回やっちまったら二回目は簡単なもんだ」
「それでは、御一党さんに入れて下さるんですかい」
「ああ。吉蔵に付いていろいろ教えて貰え」
「ありがとうございます」
「部屋は雑魚寝になるが、ここに長くいる訳じゃねえから少しの間だけ我慢しろ」
「着替えや細々とした荷物だけでも取りに行きてえんですが、宜しいでしょうか」
 お頭と呼ばれた男の目が遠くをみるような目つきになり、暫し沈黙した。平吉は早まったかと覚悟を決め、懐の匕首を確認した。
「吉蔵、一緒に行け。もし家にこいつの同居人がいたら、そいつも引っ張って来い。仲間に出来るならそうしたいからな」
「へい。分かりやした」
「行くぞ、平吉」
「へい」
 二人は日本橋横山町の平吉の家へ向かった。その頃、辰は馬喰町の伊蔵の屋敷にいた。
「間違いなく平吉は、盗賊と思われる一味に入り込んだと思われます」
「分かった。平吉の繋ぎを待って辰は横山町へ戻っていろ。この屋敷へ真っすぐ平吉が来ればそれはそれでいい。私は必ず横山町へ帰って来ると思う。辰は平吉と盗賊一味についての話をしかと聞いて欲しい」
「分かりやした。そう致します。ではこれで」
 辰は急ぎ横山町の自分達の家へ戻った。
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