第20話

文字数 3,543文字

 岡っ引き三人と一緒に野田宿に入ったのは日も沈みかけ、西の空が茜色に染まり、烏が巣のある山の方へ群れて飛んで行った頃だった。
 野田宿の中心街へ行き、代官所は何処だと聞いて回った。縁台で将棋を指していた中年の男が、面白い事に、将棋の駒と将棋盤を使って説明してくれた。
「いいか、あんたら四人は王将があんあたで、お供の三人はそれぞれ歩という訳や。このマス目が道。ここ迄は分かるな。で、今ここ。ここからあっち向きに歩き始める……」
 中年の男の説明は簡潔で明瞭だった。将棋の駒と将棋盤を使っての説明が面白かった。考えてみれば、別に言葉だけの説明でも分かった思うのだが、伊蔵はこの方が面白いから次ぎ会った時に、同じように又道を聞いてみようと思った。
 教えて貰った通りに歩いて行くと門構えが見えた。入口の前で人を呼び、江戸から来た火盗改めの者だと言った。
 すると飛び上がるようにして、奥へ入って行き男を連れて来た。
「関東取締出役、関八州回りの佐古田小一郎と申し、小組合を務めております」
 小組合とは関八州の中での役職名だ。この上に大組合がいる。そしてその上に勘定奉行がひかている。
「私は江戸で火付け盗賊改めの仕事を、やっております加納伊蔵という者です」
「ようお越しなされた。今濯ぎ水をお持ちしますので。おい。お客さんに早く濯ぎ水を持って来なさい。本当にまったくもう、これだから盗人にも舐められるんだ」
 佐古田は自分が言った言葉が伊蔵等に聞かれているとは思いも寄らず、自分で気づいてから恥ずかしそうに頭をかいていた。
 足濯ぎの盥が用意され、伊蔵達は草鞋を脱ぎ、足を濯いだ。足を拭き上がり框をまたぐように上がる。奥の座敷に案内され、
「勘定奉行の忍野様はもうすぐお戻りになられますから、暫しこちらでお休みくださいませ」
「分かりました」
 先程叱られていた若党が茶を持って来てくれた。美味い茶だった。一気に飲み干すと、まだ下がっていなかった若党が、お替わりを持って来てくれた。
「お替わりをお持ちします」
 と言って、伊蔵のだけでなく連れの岡っ引き三人分も用意してくれた。何だ、結構気が利くではないか。伊蔵はそう思い、若党の姿を目を細めて見つめた。
 勘定奉行の忍野は大組合の牧田を連れてやって来た。
「何だ、四人か。もう少し寄越してくれると思ったのにな。火盗改めの頭って吝嗇家 か。まあいい。細かい事はこの大組合の牧田と小組合の佐古田がいろいろ教えてくれるから、よく聞いて励んでくれ」
 伊蔵はこの勘定奉行の下で働く気がしないなと思った。余りにも人を見下した態度は、幾ら役席が上だからと言って許せるものではない。
「その方達(ほうたち)はこの屋敷の離れで寝起きしてくれ。酒は駄目だぞ。博打も勿論だ」
 一言一言に何だか棘を感じる。連れて来た三人も同じように感じているようだ。言いたい事だけ言って勘定奉行の忍野は出て行った。
「伊蔵殿、気を悪くなされるな。あれでもいろいろ気を使って下さる事もありますから」
 伊蔵は、気分を害しているのを悟られたかと思い、恥ずかしくなった。
「早速ですが仕事の方は」
「はい。今この界隈で問題になっているのは黒衣の一党でして」
「間違いなく黒衣の仕業なんですか」
「半紙に黒衣参上と書かれた物を死体の上に置いて行ってるんです」
「ちょっと待ってください。死体と言う事は、住人を皆殺しにしているんですか」
「はい。悪辣非道な所業です」
「それはおかしい。黒衣の一党は何年も江戸で押し込みをしましたが、唯の一度として人を殺めるどころか、怪我さえも負わせた事が無いんですよ。更には黒衣参上などと言う置き紙なんぞした事が無い」
「はあ……」
「多分黒衣を騙った別の盗賊だと思われます」
「まあ、偽の黒衣であっても捕まえるのが仕事ですもんね。さて、どう手を付けましょうかね」
「押し込みされているのはどういった店ですか」
「醤油の醸造所です。ご存じの通り、野田は醤油の産地でして、醸造所が多くあり、栄えている処は、大名家は勿論、お公家さんにも買って頂いております。元は野田の醤油は江戸の醤油の後から作られたものでして、野田の醤油造り達は皆いつかは江戸の醤油を抜くんだって言って、それはそれは、大変な苦労をしたんです。それが盗賊なんかに」
「うむ。それは分かった。その他にやられた商家はあるのか」
「造り酒屋が一軒。手口は同じです」
「大体何刻頃押し込みがあるんですか」
「はい。押し込みは概ね夜九つ位から丑三つ頃です」
「これ迄、黒衣の仕業と思われるのは何軒位ですか」
「醤油の醸造所が五軒、造り酒屋が二軒の計七軒です」
「どれ位の頻度ですか」
「半年ちょっとです」
「それだけ頻繁に押し込みをするなんて、間違いなく黒衣ではないですな。次、狙われるとすると、何処が危ないか目星は付いているのですか」
「野田で一番の大店、さかえ屋辺りかと」
「巡回は」
「さかえ屋を中心にやっています」
「今夜から私達も加わります」
「宜しくお願いします」
「最後に聞きたいのですが、押し込み一味は手引きする者を店には入れてないのですか」
「いえ。入れていません。表戸を打ち破って入ったり、裏口の塀を乗り越えて侵入したりしています」
「成る程。分かりました」
 伊蔵は偽の黒衣の一味を捕まえる段取りを、頭の片隅で繰り返し準えた。取り敢えずは今夜からの巡察に備えて休む事にした。
 九つ前に佐古田が起こしに来た。岡っ引きたちはまだ眠り足らないという表情をしていたが、愚痴を溢すでなく、粛々と起き、十手を懐に差していつでも行ける準備を終えた。
 佐古田とその手下の者達は、ま直ぐさかえ屋という店の前迄やって来て醸造所の周囲を回り異常がないかを調べた。伊蔵はそのやり方に疑問を持った。確かに、隊列堂々と巡察をすれば、その店を狙っている盗賊達を寄り着かせなくなって、事件防止には役に立つ。だが、盗賊達を捕縛するのが目的ならば、隠家を近くに持って、そこで盗賊の見張りをすればいいのではないか、伊蔵はそう考え佐古田に言ってみた。
「成る程、それは良い考えですな。但し、その借りる為の金をお奉行が出してくれるかだろうか」
「何もずっと借りようと言う訳ではないのです。盗賊の一味を捕らえる事が出来たら、それでもうお役御免で構わないのです」
「はあ。しかし……」
 伊蔵はまどろっくなり、
「じやあ、私が掛け合います」
「いやあ、そうして頂けますと助かります」
 今日はもう時間が遅いと言う事から、勘定奉行の忍野と掛け合いをするのは明日という事になった。伊蔵はこういった所にも不満を感じた。急を要する案件なのに、時間が遅いと言う。火盗改めの頭である井上正治なら直ぐに会おうとなる。押し込みはこっちの都合で動いてはくれない。この半年で七件もの押し込みがあって、死者は全部で五十人近い人数になるのだ。忍野からは危機感が感じられない。その下につく大組合の牧田にも緊張感を感じられない。かろうじて小組合の佐古田が頑張っているという気配を感じる程度だ。
「それよりも、加納殿は脇差をお使いならないので」
「別にそういう訳ではありませんよ。気に入った物が無かったので求めなかっただけです。良い物があれば求めますが」
「そうですか。僭越ながら私は趣味が高じて刀を集める癖がありまして。宜しければお見立て致しますが」
 元々伊蔵は一旦武士を捨てた時に、護身用の刀は持っていたが、脇差は持たなかった。その辺の事情を話すのが面倒で、聞かれるまで黙っていたのだ。
「では脇差と太刀の方もついでに」
「はい、今すぐお持ちしますので少々お待ちを」
 佐古田は嬉しそうに席を立ち、部屋を出て行った。暫くして佐古戻ってくると、
「私のような薄給取りでは、古今東西の名刀を集める事は出来ませんが、それでも何とか集めた物の中で、気に入った物を持ってきました」
「かたじけない」
 佐古田が先ず出したのは脇差だった。長さは一尺六寸の長めの脇差だった。長い脇差だと、太刀が折れたりした時に、太刀の代わりになって戦える。又狭い室内でも有利だ。その辺も考えて何も言わず、無言で長い脇差を選んで差し出したのであろう。
 佐古田という人物は、こちらの思っている以上に出来物なのではないか、伊蔵はそう思った。
「この脇差。気に入りました。これは幾らですか」
「いや。これは差し上げます。お金は要りません」
「いやいや、そうは行きません。百両ですかそれとももっと上ですか」
 佐古田と伊蔵は金を払う要らないで互いに譲らず、暫し脇差を押し引きした。結局最後に折れたのは佐古田の方だった。その代わり脇差は金を頂くが、太刀の方は要らないからと、妥協案を示して来た。伊蔵は、仕方が無いな、と思いながら、太刀を受け取た。
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