第21話

文字数 3,522文字

 受け取った太刀を抜いてみると、銘は無いが相州物で、身幅が厚く実践向きの刀だ。伊蔵は一目見て気に入った。これは益々ちゃんと金を払わねばと思い、佐古田に百両を差し出した。
「こんなには頂けません」
「いや、これは仰る通り脇差の分です。それだけの価値がある」
「そこまで仰るのでしたら、このお金、受け取らせて頂きます」
「そうして下さい」
 その後、佐古田と伊蔵は刀の事で息が合い、一刻近くもの間話し続けた。刀の話から剣術の話に迄及ぶと、さすがにじっと聞いていた岡っ引きの三人は部屋の隅で手持無沙汰になり、二人を遠目に眺めているしかなかった。それに気づいた佐古田が、
「これはこれは失礼しました。今すぐ食事の用意をさせます」
 そう言って佐古田は厨の方へ行き、食事の用意を急ぎさせた。
「嫌々、何も御もてなしが出来ませんが、今日は着いたばかり、埃を落としながらゆっくりお休みになられると良い」
「今日の夜から見回りに出ます」
 岡っ引き達にそう言って、気持ちを引き締めさせた。この夜の見回りでは異常は全くなかった。明けて翌日の昼前、勘定奉行の忍野と会う事が出来た。
「一つ案があるのですが、次に盗賊に狙われているのがさかえ屋だと見当を付けているようですが、いっそさかえ屋の近くに隠家を借り、そこで見張るというのは如何でしょうか」
「隠家というとそれはただで貸してくれる所でも見つかったのか」
「いえただではなく、ちゃんと賃料は払います」
「その金、誰が払う」
「奉行所からは出ませんか」
「そんな金、奉行所から出せる訳がなかろう。火盗改めの頭が、切れ者を寄越すからと言って居ったが大した事ないのう」
「分かりました。出して頂けないのであれば、私が自腹で借ります。それなら構いませんね」
「自分で借りて自分で後始末もきちんとするのであれば、構わん」
 何処か皮肉たっぷりに喋る忍野に、伊蔵はこの人の下では働けないなと思った。
 渋々だが忍野の許しを得た伊蔵は、佐古田の案内で、さかえ屋周辺で空き家は無いか聞きまわった。残念ながら空き家は無かったが、丁度真正面の家が老人の一人住まいで、住んでいると分かった。その老人には古河に息子夫婦が住んでいてそこへ行く事は出来るから、貸してやってもいいという返事を貰えた。伊蔵は老人に十両の金を与え、その日からここを隠家として使う事にした。
 先ず、岡っ引きの三人をここに待機させた。伊蔵は見回り以外の時間、定期的に隠家へ立ち寄った。伊蔵達が野田へ来てから二十日程過ぎたある日。いつものように隠家でさかえ屋の動向を注意深く監視していた岡っ引きが、いつもと違う雰囲気を感じていた。
「おい。あれおかしくねえか」
 一人の岡っ引きが窓越しにさかえ屋を監視していたら、丁稚と何か話し込んでいるやくざ風の男が目に入った。言われた二人の岡っ引きが、
「ありゃあ手引きか引き込みか、そんな風にみえるな」
「伊蔵の旦那に早いとこ知らせてくれ」
「よし、俺が行く。お前達のうちひとりはやくざ風の男がさかえ屋を離れたら後をつけてくれ」
 そう言って、年嵩の岡っ引きの方が裏口から隠家を出て奉行所へ向かった。
 さかえ屋の前で話し込んでいるやくざ風の男と丁稚は互いに肯き合いながら。最後は分かれ、やくざ風の男は表通りから遠ざかり脇道へと歩いて行った。
「よし。行ったぞ」
「分かった。今から後をつける」
 一番若く足腰の達者な若い岡っ引きがやくざ風の男の後をつけた。俄然、野田宿は裏の世界で慌ただしくなった。通りを歩く旅人や、宿場町で生計を立てている者達は、変わらない日常を過ごしている。そんな中を伊蔵と佐古田が隠家へやって来た。
「やくざ風の男は」
「つけさせています」
「うむ。良く気が付いた。なら今日はここで過ごそう」
「私も詰めさせて頂きます」
 佐古田がそう言って、目明しの一人に大組合の牧田と勘定奉行の忍野に現状を伝えろと指示をした。
「加納殿、今晩押し込みがありますかね」
「その可能性は大きいと思います。多分、丁稚と時刻の打ち合わせをしていたと思われます。後はやくざ風の男をつけている岡っ引きからの連絡待ちです」
「捕り物の道具を揃えなければいけませんな」
 佐古田は又一人目明しに奉行所へ行くように指示した。捕り物道具を持って来させる為だ。そうこうしているうちに、陽が西の空へ沈み始めた。
 やくざ風の男をつけて行った岡っ引きが帰って来た。
「加納の旦那。今夜です。今夜押し込むようです」
「詳しく話せ」
「はい。奴等はここから一町ばかり離れた所にある廃れ寺にいまして、その人数は九人。親玉らしき人物は侍風の格好をしてましたから、浪人かと思われます。軒下に隠れて話を聞いたので、はっきりとは聞き取れなかった部分もありますが、今夜の丑三つ時に押し込むとはっきり聞きました。さかえ屋の店前で話していた丁稚が手引きします。ちなみに、お頭と呼ばれていた男は、浪人風の男から象二郎殿と呼ばれておりました」
 象二郎。何という因果だ。確か象二郎は前回の押し込みの時、捕縛された筈だが、奴なら牢獄をどんな手段を使ってでも出るだろう。これはきっと間違いなく浅田象二郎であろう。
 しかし、又しても押し込みを働くとは、最早武士としての心は寂れ果てたのだろう。
 伊蔵は今夜が勝負だと強く決意した。今度は絶対に逃さない、自分の運命がどうなるか分からないが、己の剣に誓って最善を尽くすのだ。
「よく調べてくれた。今のうちに体を休めろ」
 そう労って、自分も部屋の隅で体を休めた。
 象二郎はまさか野田宿に伊蔵が来ているとは思っ,てもいない。それを知っていれば、象二郎こそ運命の不思議さを感じていたと思う。十五年近く、触れ合う機会がなく空しく過ごして来たが、武士を捨て家名を捨て、そして国を捨てた事で伊蔵と巡り合った。なんという皮肉。何という無慈悲。今は仇討ちという気持ちよりも、自分の人生を壊した張本人の加納伊蔵を憎しみの一言だけで葬りたいだけだ。その相手と今夜再び巡り合う。会うまでは伊蔵が捕り手の中にいるとは知らない。そもそも今夜の押し込みが、捕り手側に漏れているとは気付いていない。運命の時刻はもうすぐやって来る。
 さかえ屋の店前の借りた隠家に、総勢二十名余りの捕り手が集まった。勘定奉行の忍野も来ている。余り広くない一軒家だったから、二十名を超す人間が集まると、まさに足の踏み場も無い。
「皆に言って置く。首領と思われる人間は私が相対する。皆にはその他の者を頼む」
 首領株と思われる人間が、伊蔵と敵討ちの関係だとは言っていない。忍野が
「一人で大丈夫なのか」
 と聞いて来た。
「はい。何とかなるかと」
 そう答えた伊蔵は、ひょっとしたら討ち取られるかも知れない、と思った。突然さえの事を思った。寂しがっていないだろうか。と思った時、いや、あの娘は強い娘だ。大丈夫だろう。
「来ました」
 見張り役が伊蔵に言った。
「手筈通り、私が合図をします。合図があったら、一気に攻め込むように」
 さかえ屋の前に九人の盗賊が蹲るようにして固まっていた。来ている者は、皆黒い衣装で統一されているから、灯りのほぼ無い、暗闇では闇に溶け込み誰が誰だか識別出来ない。
 伊蔵が目で合図を送ると、何人かががん灯に火を点け辺りを明るくした。がん灯の先を盗賊達へ向ける。それと同時に捕り手側が盗賊達に襲い掛かった。盗賊の後ろの方に象二郎が刀を抜いて立っていた。
「浅田象二郎。神妙に勝負しろ」
「加納伊蔵。不思議な縁だな」
「ああ。全くな。これも神仏のたまものかも知れん。いざ、参るぞ」
「来い」
 最初の一太刀は伊蔵からだった。右袈裟に振り下ろした刀は、すんでの所で交わされた。象二郎は体を交わした状態から刀を横に薙いできた。何とか後ろに飛び下がり、象二郎の剣を交わす伊蔵。正眼の構えに戻す。暫く対峙したまま、相手の出方を双方見ている。象二郎が剣先を上げ、裂帛(れっぱく)の気合もろとも上段で真向に剣を振り下ろして来た。
 伊蔵は何とかその一撃を刀で受け跳ね返した。象二郎は次の一撃を繰り出して来た。伊蔵は踏み込んだ。正眼に構えた切っ先をま直ぐ前に突き出した。左鎖骨に衝撃が走った。鎖骨を斬られた。と同時に、伊蔵の刃が象二郎の胸を刺し貫いた。膝を落とした伊蔵の前で、象二郎が前屈みになって倒れた。
 象二郎に息があるかどうかを確かめた。微かに息があった。
「浅田、おい話は出来るか」
 象二郎は伊蔵の問い掛けに力なく首を振るだけで息も絶え絶えだった。
 周囲では大捕り物が繰り広げられていた。一人ずつ絡め取って行くが思いの外抵抗が強く、手をこまねいていた。それでも、半刻程すると盗賊の一味は皆捕縛された。
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