第12話

文字数 3,512文字

「何か急ぎの話か」
 保綱は話の内容をほぼ察していた。これから起こりそうな盗賊の件だろう。
「例の盗賊の件でして」
 ぴたりだった。自分の予想が当たったので、保綱は軽く笑みが零れた。
「ほぼ日にちが定まったのだな」
「はい。その通りでして」
「で、いつだ」
「来月の五の日です。しかも一軒だけでなくもう一軒も同時に押し込むようでして」
「何と、二軒同時にとな。それは誠か」
「はい」
「来月の五の日ならもう半月もないではないか。これは絶対に盗賊共を捕らえなければなるまい」
 保綱は先程の笑みに代わって今度は厳めしい表情になった。
「今からその時の準備をせねばならんな。毎日の市中改めの仕事をこなしてだから大変だ」
「保綱様。我々も出来る限りお手伝いさせて頂きます。ここにいるさえを繋ぎで使って下さいませ」
「わかった。その方名前は何という」
「はい。さえと申します」
「まだ若い女中ですがよく気が利くので、重宝して頂けるかと思います」
「うむ。さえと申したな。大変な役目だが宜しく頼む」
 保綱が軽く頭を下げた。さえは恐縮の余り、両手を畳に付け、深々と頭を下げた。
「さえとやら。顔を上げなさい。そんなに堅苦しく畏まっては私の話も満足に聞けまい」
 保綱はまだ十八になったばかりの若い女に気を配った。
「こうしよう。当日、確実に押し込みが行われると分かった時点で、さえが繋ぎで連絡をくれ。どうだ井兵衛」
「それで宜しいかと」
「よし、決まった。火盗改めはいつでも出動出来るようにして置く」
 話を終え、井兵衛店に戻る道すがら、さえが、
「繋ぎ役で店に居たのでは急な繋ぎには間に合いません」
「うん。そうだな。何かいい案があるか」
「伊勢屋本店の丁度斜め向かいに茶屋があります。私がそこで給仕の役をやりながら、その時を待つというのは如何でしょうか。連絡するにも茶屋ならば都合が良いかと」
「うむ。いい考えだ。だがその茶屋にさえと同じような考えで、盗賊の一味がいないとも限らないぞ」
「そこは、何とかうまくやります。もし盗賊の一味が茶屋で働いて居るとしたら、女でしょうから、同じ女同士、何とかなります。お願いです、是非やらせて下さい」
「分かった。そこまで言うのなら今日この足でいその茶屋へ行こう」
 伊蔵は時間が勿体無いからと日本橋轟町迄船を使った。その店は茶屋いずみといった。茶と団子に切り餅を出していた。店には女将と女中が一人がいた。女将に盗賊の話はせず給金は要らないから行儀見習いのつもりで働かせてくれと言った。
「本当にそれでいいのですか」
「その代わり長い期間ではなく短い間になってしまいますが」
「うちは構いませんよ」
「ならば今日からお願いします」
「さえちゃんと言ったわね。今日はもうすぐお店を閉めるから二階で休んでおいで」
「ありがとうございます」
「さえ。良かったな。着替えとかは明日惣佐衛門に持ってこさせる」
「はい」
 伊蔵が店を出て行くと、さえは外へでて姿が見えなくなるまで、見送った。
「さえちゃんこっちへ来て」
「はい。今行きます」
「もう一人の女中さんと一緒になるけどこの部屋を使って」
「はい。ありがとうございます」
「さえちゃん。あの人は行儀見習いのつもりで使ってくれって言ってたけど、本当の所はどうなの」
 どうも興味を持つと、何にでも首を突っ込む性格をしているようだ。
「本当に行儀見習いなんですけど」
「それならうちみたいな茶屋じゃなくお向かいさんみたいな大店にでも入った方がいいんじゃないの」
「前にさっきの旦那さんが此処で茶を飲んだ時に、その働き振りが気になったようなんです。それで」
「そこ迄言うなら信じて上げようかね。いずれにしても明日は朝が早いからもう休みなさい」
「はい」
 さえは、何とか嘘を吐いてごまかした。これは、繋ぎの時に気を付けなければと思った。もう一人の女中が二階に上がって来た。
「初めまして。さえと申します」
「ああ。私はおそめ。さっき大店の店主みたいな人と一緒に来たひとね。さっき女将さんにも宜しくお願いと言われたけど、茶屋奉公は初めてかい」
「はい」
「茶屋以外でどんな店で働いて居たの」
「口入れ屋で見習い奉公をしてました」
「そう。まあ大店と違って気を使わなくてもいいから、明日からは気軽にやればいいわよ」
 おそめの挙動をみると、盗賊の一味には見えなかった。まだ安心は出来ないが、数日も経てばはっきりするだろう。その数日が運命を握っている。
 翌日、向かいの伊勢屋本店からましらの平吉が茶屋へやって来た。
「渋茶と団子をくれないか」
 さえが注文を取り、勝手の方へ注文を復唱すると、女将がにこりとしながら、
「あいよ」
 と言った。
 渋茶と団子を盆に載せ、平吉の所迄持って行った。
「どうぞお待ちどうさまです」
「ありがとう」
 平吉は団子を食べ、渋茶で喉を潤すと、さえを呼んだ。
「おあいそだ。それとこれは寸志だ、取っておいてくれ」
 寸志の方は紙に包まれていた。それを袂に入れ、代金の方を女将に渡した。
「おさえちゃん、働いて早速寸志かい」
「あ、すみません。頂いて良かったのでしょうか」
「女中は寸志が大事な収入源だからね。あのお客さんの顔を覚えておいて、次に来た時にお給仕すればいいのよ。そうやってお得意さんを増やすの。おさえちゃんにお客さんがたくさん着けば、うちもそれだけ儲かるからね」
「はい。分かりました」
 さえは、表の掃き掃除をする振りをしながら、平吉から貰った寸志の包み紙を開いた。そこには二朱銀が一粒と簡単な文があった。
(何かあったらそこへ駆け込む。繋ぎご苦労)
 と書かれた文を、さえはくしゃくしゃにし、袂に戻した。
 暫くは伊勢屋本店も東屋も何の動きも無かった。動きがあったのは、五の日の前日だった。その浪人風の侍がさえのいる茶屋へやって来たのは、五の日の前日の昼前だった。じっと伊勢屋の入り口を眺め、人の出入りばかり眺めていた。その間、浪人風の男は立て続けに茶を三倍注文した。
 さえは、直感で盗賊の一味だと思った。何か動きがあるのか。浪人風の侍をじっと見つめ続けた。そこへおそめが近付き耳元で、
「知っている人かえ」
 言った。
「いえ。そんな」
「いいよ。隠さなくても。もし話がしたいのなら、私に言いな。上手く見て置いて上げるから」
「本当に大丈夫です。全然違うので。それより、あのお侍さんは、この店に何度か来た事あるのですか」
「いや。初めて見る客だね」
「そうですか」
「おっと女将さんが呼んでる。おさえちゃんもだよ」
「はい。今行きます」
 その時、浪人風の男は席を立ち上がり、席に代金を置いて出て行った。
 平吉が茶店にやって来たのは、昼過ぎになってからだった。平吉は茶を注文しながら、
「急ぎなんだ」
 と言いながら二通の文を勘定と一緒に渡した。一通は恐らくお頭宛てなのだろう。もう一通を開けると、
(ひと芝居を打つから後を頼む)
 と書かれてあった。すると平吉は腹を抱えながら土間でのた打ち回った。
「い、痛い。頼む医者を呼んでくれ」
 女将は突然の事でびっくりしながらも、さえに、
「医者を呼んで来ておくれ」
 と言った。
「はい」
 さえは、これ幸いとばかりに茶店を出て行き、木挽町迄の道を駆けるようにして向かった。木挽町に着いた時は、息も絶え絶えだった。店に入ってすぐに大番頭の惣佐衛門が駆け寄った。
「どうしたさえ」
 漸く呼吸も落ち着くと、袂から平吉からの文を出し、
「お頭に」
 と伝えた。惣佐衛門が奥に走りながら行くと、さえも後を追うように走って行った。
「お頭。さえがこれを」
「うむ。どれ」
 文を一読した伊蔵は惣佐衛門の後ろで隠れるように座っているさえに向かい、
「今から文を書くがそれを清水門外の保綱様の処迄届けて欲しい」
「分かりました」
 半紙にすらすらと認めた文を、伊蔵はさえに託した。
「頼むぞ」
「はい。では行って来ます」
 さえは、来た道と反対方面を走って行った。刻限は八ツ半。今の時代でいう所の午後三時だった。
 さえは走った。途中何度も人にぶつかりそうになったり、躓きそうになったりしたが、半刻と
掛からずに着いた。玄関先で来意を告げると、家人が全てを承知しているかのように、奥の間に案内してくれた。
「さえと申したな。そちが来たとなると何か動きがあったのかな」
「はい。その事につきましては、こちらの書状に認められております」
「どれ」
 そう言って文を広げ読んで行くと、保綱の表情が変わった。
「ご苦労だった。すぐに我々も動こう。さえ。もうひとっ走り頼む」
「はい。なんなりとお申し付けを」
 保綱が文を書き、それをさえに渡した。
「では、私はこれで失礼させて頂きます」
 さえは今来た道を再び駆けた。
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