第13話

文字数 3,578文字

 さえは伊蔵の待つ井兵衛店へ急いだ。飛び込むように店先へ転がり込むと、伊蔵が目の前にいた。
「これを」
 息も絶え絶えに保綱からの文を差し出した。それを読んだ伊蔵は、惣佐衛門を手招きした。
「いよいよだ」
 一言そう言うと、東屋と伊勢屋本店に潜り込ませた手下達とは別の、待機させていた手下を呼んだ。
「東屋と伊勢屋本店へ行って、隙があれば店を出るように伝えるんだ。出る隙が無ければ手引きの人間を絡め取るように」
 と命じた。万が一を考えての処置だった。押し込みの現場にいて、相手側に斬られたりする可能性があるからで、もう役目は終えたという事だ。
 火盗改めが二つの店に出張ったのは、夜になりそれぞれの店が表戸を閉め始めた頃であった。周囲の店や屋敷には事前に、火盗改めの人間を待機させてくれと言ってある。役人から言われて断れる人間はいない。
 手筈は整った。あとは盗賊共が現れるのを待つだけだ。保綱は伊勢屋本店の方に出向いた。待つ時間が長かった。予め押し込みの時間は九つ半と分かっていたが、万が一早くなる事も考えての布陣であった。
 その時は来た。大川(隅田川)から浪人らしき者が十名余り、ばらばらと船を降りて伊勢屋本店に向かったのである。先頭の人間が表戸に手を掛けた瞬間、
「今だ。者ども出会えい」
 保綱は自ら先頭に立ち刀を抜いた。
「神妙にしろ。もうお主達の逃げ道は無い」
「何を小癪な。返り討ちにしてくれる」
 盗賊達も皆刀を抜いて応戦する構えを見せた。
「皆の者火盗改めの怖さを教えてやれ」
 保綱の掛け声に手下達は皆呼応し、武器を手にした。刺股を 持つ者が、先に刺股の先で賊を押さえつけ動けなくする。そこへ木矢を射る。さらには熊手と言って、棒の先が幾つかに分かれたもので、相手の衣服を絡めとり、引き倒す。更には、突く棒で相手の刀が届かない所から突いて使う武具で盗賊達を追い込んだ。
 首領株の男が一番激しく抵抗した。他の者達は少しづつ無抵抗になり、路上で大の字になる者もいた。
「おのれ、斬れ斬ってくれ」
「騒ぐでない。お前にはちゃんとお白洲の場で白黒付けて貰う。お縄になれ」
 保綱の号令で皆お縄についた。その頃になると、近所が起き出しそっと表戸の隙間から様子を眺めていた。それを保綱の部下達が咎めた。
「進次郎と明義は東屋がどうなっているかを見て来い」
 二人の部下に命じると、伊勢屋本店の中へ入って行った。表戸にはましらの平吉が中からこのやり取りを眺めていた。問題の手引き役の二人は、捕縛して土間に転がしてあった。
「手引きの二人を絡め取ったか。よくやった。お主達が井兵衛店の者なんだな」
「はい」
「うむ。今日までご苦労であった。店主はいないかな」
「はい。私めが主人をつとめる、銑十郎と申します。この度は盗賊に遭う所をこのように助けて頂きまして誠にありがとうございます」
「うむ。礼をいうならそこにいる三人に言うが良いぞ」
 保綱の言葉に従って、銑十郎は平吉と弦蔵に新吉の三人に、手を取らんばかりに礼を言った。  
 一方、東屋の方は手間取っていた。相手は八人いて、浪人風の侍は六人で残り二人の中に、首領のむささびの茂吉がいた。
 既に時間は四半刻程経っていた。刺股を繰り出しても柄を切り落とされ、刀をもって斬りにいっても相手の方が腕は上で、鎖帷子を着ていなかったら一刀両断にされていたかも知れない。多少はこちらの刃が掠る為、少しずつ盗賊達の動きが鈍くなっていくが、捕縛する迄にはいかない。このままだと逃げられる恐れもある。
 東屋の方を任された瓜生源太郎は、目を血走らせながら、盗賊の首領と対峙した。
「観念せい」
「何をばかな。たかが火盗改め如きに尻尾を巻くわけがござらん」
 瓜生は弓を持って来なかった事を悔やんだ。手元にあるのは刺股と突く棒に熊手。じりじりと左に移動する盗賊達。逃す訳には行かなかった。
 瓜生は気合のこもった掛け声もろとも、むささびの茂吉に斬りかかった。すると横合いから浪人の刀の刃が襲って来た。それを避けずに瓜生は茂吉に一刀を浴びせた。僅かに遅れて浪人の刃が瓜生の左鎖骨に届き、衝撃が走った。
 刃の方へ返す刀で横に薙ぐ。ぎゃっと悲鳴が上がり、どさっという音と共に、浪人が倒れた。左肩が痛い。瓜生は歯を食い縛り、むささびの茂吉と今一度対峙した。
「ここまでだ。観念せい」
 そうこうしている間にも茂吉の手下が捕縛されていく。中には火盗改めの者の刃に斃れた者もいる。すると茂吉は瓜生に向かって短刀を振りかざしながら迫った。瓜生は刀を上段に構え、突っ込んで来た茂吉を頭蓋から一刀のもとに斬った。
 茂吉が斬られたと分かると、残りの手下達は、皆がくりと肩を落とし、お縄についた。こうして東屋も事件は解決した。
 伊勢屋本店、東屋での活躍で、火盗改めの働きは老中に知れる事となり、お褒めの言葉を頂いた。しかし、保綱からすると、お褒めの言葉なんぞ必要ないという事になる。火盗改めの職は、自費の部分が多く、任期の二年で大概の者は貧乏になってしまう。お言葉ではなく、一両でもいいから、きちんとした報酬をくれといったところだろう。
 事件の翌日。伊蔵は、手下達に今回の件の報酬を手渡した。金額は一人十両。火盗改めのとは大違いだ。
「皆ご苦労だった。少ないがとっといてくれ。さて、このところまともな仕事もせずにいるが、皆にはいつでも出来る状態でいて欲しい」 
 こう言って皆を労い、一同は解散となった。
「何と言っても今回の最大の功労者は惣佐衛門だな。それとさえ」
 皆が井兵衛店をでて行った後、目の前で残っていた二人に言った。
「皆と差を付けるのはどうかと思ったが、やはり惣佐衛門とさえの仕事にはちゃんと評価しなければな」
 そう言って惣佐衛門とさえに二十両ずつ渡した。他の者より多い金額に、二人は恐縮した。
「こんなにも頂いてはもうしわけありません」
「いいんだ。遠慮なく受け取ってくれ」
 二人は何度も拒んだが、結局最後は伊蔵に押し切られた。
「それはそうと、一味はやはりむささびの一党だったそうで」
「ああ。むささびの茂吉は切られて死んだし、二軒の捕り物で多くの手下が死んだ。痛ましい事だ」
「自業自得といえますな」
「我々も気を引き締めないとな。そこでだ、前回の押し込みから随分日にちが過ぎておる。そろそろ仕事をと思うのだが惣佐衛門はどう思う」
「我々の目的に叶う店の噂が無いので何とも言えませんし、火盗改めの動きが活発ですから自重した方が良いのではありませんか」
「そうか。分かった。惣佐衛門、もし対象となりえる店の噂を聞いたらすぐに知らせてくれ」
「はい。分かりました」
 こうしてむささびの一党の押し込み事件は幕を閉じた。火盗改めの保綱は、今回の事件で、益々伊蔵を自分の手下として、今後も働いて貰いたいと思った。
 平穏な日常が戻った井兵衛店では、連日口入れを求む客で溢れた。特に両替商のような大金を扱う店が口入れを求めて来た。理由は東屋と伊勢屋本店での奉公人の事があった。人買いの辰やましらの平吉の活躍が、伊蔵の手下と思っておらず、純粋に口入れした奉公人と思ったからだった。自分のところにも、そういう気配りが出来る奉公人がいたらと思ったのである。
 そんな中、日本橋で一番の老舗両替商泉屋が奉公人を求めて、番頭頭の長七郎が丁稚の小僧に荷物の風呂敷包みを持たせ、貫禄たっぷりにやって来た。
「両替商の泉屋だが、奉公人を三人紹介して欲しい」
「少々お待ちくださいませ。只今大番頭を呼びますので」
 番頭が帳簿付けをしていた惣佐衛門に、
「惣佐衛門さん、泉屋さんが」
 相手が相手だけに、番頭は自分の手に負えないと判断したのだろう。惣佐衛門に助けを求めた。
「これは泉屋さん、ようお越しで」
「奉公人を三人頼む」
「奉公人は丁稚ですか、それとも手代。もしくは女中のいずれで」
「うむ。手代が二人に女中を一人、頼みたい」
「すぐ必要ですか」
「早ければ早いほど良い。但し出来れば渡り職人ではない方が望ましい」
「分かりました。只今届け出ている者の書き写しを持ってまいりますので。おーいお茶をお持ちして。どうぞこちらにお掛けになってお待ち下さい」
 さえが泉屋へ茶を持って来た。小さめに切られた羊羹を添えてある。
「どうぞ」
 長七郎はさえの所作の綺麗さに見とれた。そこへ惣佐衛門が戻って来た。
「今のお女中は長いのか」
「ああ、さえの事ですね。かれこれ四年になります」
「ああゆう女中が欲しいな」
「さえのようなですか」
「うむ。ああゆう女中ならどんな時にも役立つ」
 惣佐衛門は、さすがに大店の番頭頭だと思った。さえの資質をたった茶を持って来ただけで見抜いたのだ。
「あの女をうちに女中として寄越してくれまいか。条件はそちらの言うがままでよろしい」
 惣佐衛門は断り文句を考えた。
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