第20話

文字数 2,369文字

鳥居の前から右に回ると背の低い緑がみっしりと茂っているのだが、1か所だけ獣道ができている。
その獣道を抜けるとちょうど本殿の裏側あたりに出た。
「ねぇ、なんかすんごいジメジメしてんだけど。今日雨降らねぇよな?」
「しばらく雨は降らないって言ってたと思いますけど。それに、ここはいつもこんな感じですよ。空気が淀んでるんじゃないですかね、宮司がクソだから」
「ちょ、社務所見えてんじゃん。聞こえたらどうすんだよ」
「いいんですよ。クソにクソを自覚させてあげるのも優しさです」
「へぇ、そりゃあまぁ優しいこって」
「あ、アブさん、虫ついてますよ」
「えっ!やだっ!」
「女子か」
獣道を抜けて、少し開けた場所に出る。
アブさんは念入りに自分の服をパタパタと叩いて、虫がついていないかを確認している。
小さな虫なら気にせず丸のみしてしまいそうなワイルドな見た目なのに妙なところで細かいな……とアブさんを見ていると、その背後に見えるものが気になった。
背の高い木に白い何かがなびいている。
「アブさん、あれ」
「何?あ、あー……、大祓とかで使う人形かね」
「釘で打ち付けてるっぽいですね。すんごい高いとこにありますけど」
「昔打ち付けられて、木が成長したとか?」
「……それにしては釘も人形も綺麗な気がしません?」
「あー、じゃあ脚立を使ったとか……いや、あの高さだしなぁ……」
「……深く考えるのはやめときましょうか。ちなみに、ああいうの素人が勝手に抜いちゃうのは絶対にダメですからね」
「何で?」
「普通に怪我したら危ないのと、抜いた瞬間にあれやこれやが解放されちゃって影響を受けちゃう可能性があるんです」
「まぁ、さすがの俺もあれを好き好んでは触りたくはないわなぁ」
「この本殿の裏あたりってちょうどいい木もたくさんありますし、丑の刻参り的にはいい場所らしくって、昔から普通に藁人形が打ち付けられてたんですよ。定期的に見回りしたり、藁人形を撤去したりはしてるみたいですけど……よく見ると結構ありますね」
木の1本1本を改めて確認してみると、苔むした幹に穴が開いていたり、釘が刺さったままになっていたり。
木の幹をぐるりと一周してみると、見えにくい位置に打ち付けられた藁人形もあった。
新しいもの、古いもの。
写真と一緒に打ち付けられているもの、名前が書かれた和紙と一緒に打ち付けられているもの。
ふとアブさんが静かだなとその姿を探してみると、ある1本の木の幹を見つめていた。
どうやら幹にできているこぶを見ているらしい。
驚かせてやろうかとゆっくりと背後から近づくと、こぶが動いたような気がした。
いや、視界が揺れて動いているように見えただけか。
真後ろに立ってみるが、アブさんは気づく気配がない。
のぞき込むように上半身を傾けると、ちょうど目線の高さにあのこぶがあった。
茶色くて、細かい繊維のようなものが密集していて……うごめいている。
それが何なのかわかった瞬間、声が出てしまった。
「おあぁぁぁぁぁっ!!」
「……っ!」
私の絶叫に驚いて、アブさんは声も出なかったらしい。
肩がビクリと飛び上がるのと同時に振り返り、背後にいたのが私だとわかって安心したような、呆れたような顔をしていた。
「ちょっ、もう、何……一瞬息止まったんだけど……。つーか、そういうときって普通キャーって叫ぶんじゃないの?そんな猫の喧嘩みたいな声出されても」
「そ、そ、それ……」
アブさんの背中にしがみつきながら、その背中越しにこぶだと思っていたものを指さす。
「あー、これな。俺も最初は木の節かなんかだと思ってたんだけどさ、動いてる気がしてよ。じっと見てたらやっぱ動いてるんだわ。そりゃそうだわな。こんだけ小さい虫が集まってりゃあな」
「……虫、気にしてたわりにはこういうのは平気なんですか?」
「寄ってこられるのはヤだけど、見てる分には。つーかさ、これ人形のシルエットっぽくない?」
「……確かに」
「俺、一応虫よけ持ってるんだけど、スプレーぶっかけてみる?」
「そうですね……お願いします」
「……そんなに強く抱き着かれると身動き取れないんだけど」
そう言われて、しばらく何のことかわからなかった。
ああ、確かに今の私はアブさんに……と気付いて、すぐにぱっと手を放し、アブさんから離れた。
アブさんのシャツがひどくしわくちゃになっていて、そこまで強くしがみついていたのかと恥ずかしくなる。
「だ、抱き着いてないです。これはしがみついてただけです……」
「……まぁ、俺的にはずっとそのままでもよかったんだけどね」
「……もういいですから、ちゃっちゃっとぶっかけてください」
「へいへい」
スプレーで虫が一気に飛び立つのではないかと警戒して少し離れていたが、虫はその場で地面へとぼとぼと落ちていった。
「アブさん、それ、虫よけじゃなくて殺虫剤なんじゃないですか?」
「いんや、虫よけよ。ほら」
確かにパッケージには虫よけと書かれてあった。
さっきまで生き生きとうごめいていた虫たちがスプレーをした途端に死んでいく。
まるでそれを待っていたかのようにも思えた。
虫が落ちて白い和紙が見えてくるのかと思っていたが、見えてきたのは茶色く長い繊維状のもの……藁人形の一部だった。
大半の虫が落ちたところで、藁人形の頭や手足が露わになった。
ただ、胴体の部分に群がっている虫だけは妙にしぶとく、なかなか落ちない。
「スプレー、足りそうです?」
「うーん……ギリギリかも」
アブさんがスプレー缶をカショカショと振ると、少し弱くなっていたスプレーが勢いを増した……が、すぐに息も絶え絶えという感じになってしまった。
とうとうスプレーが息絶えたが、そのタイミングで胴体に群がっていた虫が固まりのままぼろっと落ちた。
思わずアブさんと顔を見合わせる。
藁人形の胴体に打ち付けられていたのは、「恵茉麻」と書かれた紙だった。
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