第6話

文字数 1,174文字

「あー、アブさんがいて本当によかったですよ」
「それは物理的に?それとも精神的に?」
「物理的に」
「少しは悩めよ」
「だって、こんな大きなダンボール私ひとりじゃ絶対に運べないですし。パソコンと携帯の重さだけですでに腕がガクガクですよ」
「お嬢様はか弱いようで」
「そうです。私は弱々しい生き物なのです。芥子粒の命ですよ」
「はいはい。じゃあ明日また適当な時間に来るわ」
「ありがとうございます。じゃあまた明日。気をつけて帰ってくださいね」
「あいよ」
玄関でアブさんを見送った後、いつものように掃除を始める。
どれだけ掃除をしても、茉麻さんの遺品の周りだけ空気が淀んでいるような気がする。
普段はそういった類のものを持ち帰ることはないし、しかもそれを調査のためにしばらく置いておくというのも初めてのこと。
自分の部屋なのに妙に緊張してしまう。
いつもより明かりを余分につけてから食事も入浴も済ませ、さっさと寝ることにした。
その夜、夢を見た。
茉麻さんのカウンセリングルームに、雅子さんではない女性が立っている。
白衣を着ていて、髪は肩にかからないくらいの長さ。
顔はよく見えない。
その女性がゆっくりと椅子の上に立つ。
椅子のキャスターが不安定に揺らぐ。
天井から吊るされているロープに首をかけたその瞬間、女性が胸をぎゅっと抑える。
手の甲にも指にも筋や血管が浮かび、白衣には深いしわが刻まれる。
ロープが首に食い込み、がらがらと音を立てながら椅子が女性の後方へと逃げて行った。
苦しそうに体を痙攣させながらも、女性の口元は笑っているように見えた。
窓からのうっすらとした光に、首吊りをした女性のシルエットが浮かぶ。
振り子のように揺れていた体がすっと止まると、今度はその場でゆっくりとこちらを振り返るかのように向きを変えていく。
後頭部が見えていたはずなのに、頬が見え、鼻から口元のラインが見え……ああ、もう顔が見えてしまうというところで飛び起きた。
信じられないくらいの寝汗をかいていた。
時間を確認すると朝の6時。
普段だったら二度寝をする時間だが、とても二度寝をする気分にはなれなかった。
寝汗で身につけているものが全部肌に張り付いているような感覚。
さすがにこのままでいるのは無理だった。
水道代がもったいないという葛藤はあったものの、朝からシャワーを浴びることにした。
朝日が差して十分明るさはあったが、洗面所からバスルームの電気をすべてつけ、大きめの鼻歌を歌いながらシャワーを浴びた。
うがいをするときもできるだけ鏡は見ないように。
仕事場に戻ってくるといつもの癖で、パソコンの前に座ってしまう。
とりあえずメールの確認だけでもしておくか。
……特に何もない。
となると、例の調査をするしかない。
この心理状態で、しかもひとりで?
ああ、ちょっとそれは無理かも……とすぐさま着替えて、近くの公園へ行くことにした。
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