第15話

文字数 1,740文字

時計を見ると予約時間の10分前になっていた。
そろそろだなと茉麻が立ち上がると、すぐにインターホンが鳴る。
「はい、どうぞ」
「今日もよろしくお願いします……」
俯き加減の女性が申し訳なさそうに入ってくる。
「今日は天気がいいですね」
「ええ、本当に」
「今日も自転車ですか?」
「はい」
「ああ、じゃあ風が気持ちよかったでしょう?」
「はい」
茉麻と女性はテーブルを挟んで、向かい合うように座った。
「今日の調子はどうですか?」
「うーん……前に来たときよりちょっとだけいい気がします」
「それはよかったです」
「あの……先生」
「はい、何でしょう」
「先生は死にたいと思ったことはありますか?」
「……ええ、ありますよ」
「自殺しようとしたことは?」
「行動に移したことはないですね」
「そうですか。……実は私、自殺しようとしたことがあるんです」
「そうだったんですか……どうして自殺しようとしたんですか?」
「そのときは全部が嫌になって……家族もめちゃくちゃだし、仕事も全然うまくいかなくて、信頼してた人にも裏切られて。死ねば解放されると思ったんです」
「……でも、それを乗り越えてこうやって前を向こうとしているんですよね」
「うーん、乗り越えてはないかもしれないです……」
「えっ?」
「自殺するのが怖くなっただけなんです」
「それはどうしてですか?」
「……私、首吊りをしようとしたんです。紐が首に食い込んで、首から頭をぎゅっと絞られるような感覚になって。目、鼻、口、耳……穴という穴から中身が全部飛び出るんじゃないかって状態で、自分の脈拍を感じるんです。顔も頭も熱くなって、そのうちテレビの砂嵐みたいな音が聞こえてきて、その音に全部が包まれるというか、埋もれていくような感覚になりました。あ、テレビの砂嵐ってわかりますか?」
「ええ、わかりますよ」
「今度はその砂嵐の音がふっと消えるんです。気づいたら体も楽になっていて、真っ暗な空間というか真っ暗な世界にいました。真っ暗なんですけど、確実に何かがうごめいているんですよ」
「目には見えないけど、気配を感じるような?」
「そうです!周りにいっぱいその気配を感じるんです。で、何を言っているのかはまったくわからないんですけど、声が聞こえてくるんです。それがとにかく怖いんです。ホラー映画を見て怖いとかそういう次元じゃなくて、本能的に内臓が震えるような恐怖なんです」
「その中でただただ恐怖に耐える時間を過ごすという感じですか?」
「いえ、その恐怖の中で私は私のそれまでの人生を見させられるんです」
「見せさせられるというのは強制的に画面を見せつけられるような?」
「そうです。画面を見ているというよりも、頭の中で何度も何度も私の人生が繰り返されるんです。生まれて、子どもから大人になって、首を吊る。首を吊った後にまた生まれて、子どもから大人になって、首を吊る……終わりなく、ずっとその繰り返し。何で死ねないの、何で死ねないのってそればっかりです」
「……その後はどうなったんですか?」
「突然、強い衝撃を受けました。その後に体がふわっと浮いたと思ったら、一気に重力を感じて、気づいたら床の上にいました。紐が切れて、落ちたんです」
「そのとき、どういう気持ちでしたか?」
「息は苦しいし、涙は出るし、顔も気持ちもぐちゃぐちゃでした。死ねなかったって思いもありましたけど、真っ暗な中で自分の人生を延々と見せつけられるあの時間が終わってほっとしている自分もいました」
「その後はどうしましたか?」
「落ち着いてから、自分と同じように自殺に失敗した人の話を聞きたいと思って、いろいろ調べました。で、1冊の本を見つけたんです」
「その本というのは?」
「海外の方が書いた本なんですけど、その人も自殺に失敗した人でそのときの体験談をまとめていました。私が見たものや感じたものとほぼ同じものが書かれていました」
「それは……すごいですね」
「だから、自殺した人は皆あの世界に行くんだと思います。たぶん、そこで一生というかずっと苦しむんだと思います。私はそれだけは絶対に嫌だと思ったので、自殺は諦めたんです」
「そうだったんですね……」
「だからね、先生。死にたいと思っても、自殺だけは絶対にダメなんです。自殺以外の方法で死なないと」
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