第4話

文字数 4,414文字

アブさんとお寿司を食べた後、食休みをしてオカルティンへと向かった。
オカルティンの看板の前には気合いを入れたらしい田中氏が膝を震わせながら立っていった。
私とアブさんで田中氏を両側から支えながらどうにかタクシーをつかまえ、乗り込む。
事情を知らない人からすればどう考えても拉致にしか見えないのはわかっていたため、タクシー運転手の訝しげな視線がひどく痛かった。
「……行先は?」
「こ、ここ、ここまでお願いいたしたく……」
田中氏が震えながら運転手に住所を書いた紙を渡す。
「あー、はいはい。またここね」
「運転手さん、ここの住所知ってるんですか?」
「その住所までってお客さんを何回か乗せてるね。有名な先生がいるとか何とかで。ただ、その先生が死んじゃったのかな?昨日だったか、一昨日だったか、手を合わせに行くってお客さんを乗せたよ」
「へぇ、そうだったんですね……」
「お客さんたちもそんな感じ?」
「まぁ、そんな感じですかね」
「ああ、そう。やっぱ人は見かけで判断しちゃダメだね。最初は何事かと思ったよ。お姉ちゃんと大男が震える男をタクシーに押し込んできてよ、俺も何か変な事件に巻き込まれでもしたのかなと思ったわ。あっはっは」
「あはは……まぁ、いろいろ事情があるんですよ」
また話を聞くこともあるかもしれないからとタクシーを降りるとき、運転手と名刺を交換しておいた。
改めて見上げてみると結構大きなマンションで、事務所として使っている部屋が多いようだった。
このマンションの3階に心理カウンセラーのカウンセリングルームがあるらしい。
エントランスの近くに白い布がかけられた長机が置いてあり、そこには花やお菓子などのお供え物が山になっている。
自治体の設置した献花台なら自治体がこの後のことも全部対応するのだろうが、もし個人が設置したものだったら誰が片付けをするのかで後々揉めることになるのかもしれない。
そのしわ寄せが母親に行かないだろうかと考えてしまう。
「……いい人すぎると死んだ後も大変だねぇ」
私の考えを見透かしたかのように、アブさんがつぶやく。
何となくしんみりとしていると、田中氏のハリのある声が響いた。
「行きましょう!301号室です!」
「突然、元気になりましたね……」
「もうすぐ室内に入れると思うと、みなぎってきたのです!」
「あー、はいはい……ちゃんと鍵はありますか?」
「もちろん!」
持っている鍵をまるで印籠のように見せつけてくる田中氏。
このテンションなら田中氏ひとりでできるのではと思ってしまう。
マンションに入ってみるとエレベーターがかなり上の階でとまっていたので、階段で3階まで行くことにした。
「今さらなんですけど、遺品とかってそれこそお母様に持ってきてもらうことはできなかったんですか?」
「拙者も最初はそうお願いしていたのです。ただ、母上殿もいざ部屋に入ると動けなくなってしまうらしいのですよ」
「動けなくなるというのは?」
「こう……気持ちがずーんと沈んできて、その場に座り込んでしまうらしいのです。何度行ってもそうなってしまって、結局何もできずに帰ってしまうのだそうで」
「はぁ……」
「でも、今は遺品整理とかの業者があるだろ?」
「ええ、ええ。もちろん、そちらもお願いしたそうですよ。ただ、毎回なぜかうまくいかないそうで」
「うまくいかないって?」
「スタッフが部屋で倒れたり、部屋から逃げ出したり、原因不明の体調不良になったり、来る予定だったスタッフの乗った車が事故に遭ったり……ですね。そのうち業者が匙を投げて、他の業者に依頼してみたものの同じことの繰り返し……結局、依頼できるところがなくなってしまってという感じですな」
「田中氏、そういうことは先に言うべきでは……」
「さて!着きました!3階です!」
「……」
意気揚々と301号室へと向かう田中氏。
少し恨めしい視線を送っている私とアブさんにはまったく気づいていない様子。
鍵を自慢げにこちらに一度見せるともったいぶった感じで鍵穴に差し込み、ガチャリと回す。
「オープ……あれ?」
テンション高く「オープン!」と言うつもりだったのに、ドアが開かなかったらしい。
「建て付けが悪いんですかね?」
「……いんや。これ、逆に鍵をかけたんじゃないか?」
「えっ、それって最初から鍵がかかってなかったってことになるんじゃ……?」
3人で顔を見合わせる。
田中氏が覚悟を決めたように、もう一度鍵を鍵穴に差し込み、ガチャリと回す。
恐る恐るドアノブに手をかけ、回してみるとキィっという音とともに玄関のドアが開いた。
靴箱、洗面所、廊下、レースの間仕切りカーテン……少しずつ部屋の中が見えてくる。
遮るものが何もなくなったとき、部屋の真ん中に座り込んでいる女性が見えた。
思わずアブさんの服の裾をつかんでしまう。
その裾越しに、アブさんの体が珍しく強張っているのが伝わってきた。
部屋の中から玄関に向かって、何とも言えないぬるい空気とカビくさいような、埃っぽいようなにおいが流れてくる。
ああ、とうとう本物に遭遇してしまったのか。
あの女性が振り返ったら呪われるとかそういう類の話なのだろうか。
オカルトライターとして今までもいんなところへ取材に行ったけども、本物を見たことはなかった。
感じたこともなかった。
見ることも感じることもなかったからこそ続けてこれたのに、ああ、どうしよう……などと思っていると田中氏が口を開いた。
「母上殿!」
「はっ、えっ、何?」
「ライター殿!今座っておられるのが心理カウンセラーの先生の母上殿ですよ!」
「あ、はぁ、どうも……はじめまして……」
一気に力が抜ける。
アブさんをチラっと見ると、楽しげにニヤニヤしている。
嬢ちゃん、怖かったねぇとでも言わんばかりの表情。
自分だって縮み上がってた癖に……むかつくその横っ腹に肘鉄を食らわせてやった。
「母上殿、上がってもよろしいですか?」
「ええ、ええ。どうぞ」
「今日はどうされたのです?」
「田中さんにお任せするとは言ったものの、我が子のことなのに全部任せてしまうのもどうかと思って……。せめてできることだけでもと思ったんですけど、やっぱりダメですね。どうしてもここで座り込んでしまって、動けなくなってしまいます」
「なるほど……でも今日は心配ご無用!その道のプロが仲間として来てくれましたので!」
「プロじゃない、プロじゃない……」
「あなたがライターさん?」
「あ、ええ、はい。初めまして。一応、オカルトライターをやっている者です。こっちが助手みたいなものです」
「……ほぉ、オマケからはだいぶ出世したもんだ」
本日2回目の肘鉄。
母親は力なく笑うと、ふっと俯いた。
「なんか……ごめんなさいね。本当に、自分の子どものことなのに……」
こういうとき、どういう言葉をかければいいのかわからない。
子どもを持ったことのない自分が何を言っても、薄っぺらい言葉になってしまうような気がするから。
ただ、このまま何も声をかけずに作業を始めるのも違う気がする。
開きかけた口をつぐんだところで、アブさんが口を開いた。
「俺だったら母親がこうやって部屋に来てくれるだけでも嬉しいけどねぇ」
ぶっきらぼうな言い方ではあったものの、どことなく普段よりも声色が優しかった気がする。
本人も少し照れくさいのかあえて視線をそらしながら、人差し指で自分の頬を軽く掻いていた。
母親は少し驚いた表情を見せた後、優しく微笑み「ありがとう」と小さく言った。
「母上殿!枕元にあるものは全部ということでよろしいですか?」
「ええ、はい。お願いします」
「わかり申した!」
すでに寝室のほうに入っていた田中氏は背負っていた大きな箱型のリュックをフローリングにおろすと、そのリュックを覆っていた布を外した。
すると、お札がびっしりと張られた木箱のようなものが出てくる。
おかもちのように手前の板を上にスライドさせると、中にもお札がびっしり。
曰く付きアイテムを運ぶための田中氏お手製のリュックらしい。
もはやこれをリュックと呼んでいいのかはわからないが。
「ほうほう」「ふむふむ」などと言いながら、田中氏は枕元にあった曰くありげなものをお手製のリュックの中へと突っ込んでいく。
「あ、母上殿!カウンセリングルームから持ち帰るものはライター殿のほうにお伝えくだされ!」
「ああ、そうですよね……。えぇと、ノートパソコンと携帯電話、それからそこにあるダンボールをお願いできますか?ダンボールは少し重いかもしれませんが……」
「わかりました。アブさん、ダンボールお願いできます?ちょっと前にギックリやらかしたんで、重いものはまだちょっと不安で……パソコンと携帯は私が持ちますから」
「了解」
「その……えっと……お母様、もう少し部屋を見させてもらっても?」
「ええ、もちろん」
部屋をぐるりと見渡してみる。
玄関から入り、短い廊下を1、2歩進むと右手に洗面所。
さらに進むと間仕切りカーテンがあり、それをくぐるとカウンセリングルーム。
カウンセリングルームはパーテーションで仕切られていて、キッチンなどは見えないようにしてある。
生活感を出さないようにしているのだろう。
部屋にあるひとつひとつのものが優しい色合いで、清潔感もある。
ただ、その一方でところどころ雑然とした印象もある。
なんとなく、ちぐはぐな気がする。
部屋の隅のほうには七輪や縄、薬局でよく見かける市販の睡眠導入剤などがまとめて置かれていた。
死に方を探していたのは明らかだった。
田中氏がいる寝室へ入ってみると、思っている以上に狭くて驚いた。
本当に寝るだけという感じで、最低限のものしか置いていない。
それだけ仕事を優先していたということなのだろうか。
カーテンが閉め切られ、重たい空気が流れる今の寝室を見ると余計に物悲しい。
心理カウンセラーはここでどういう風に過ごしていたのだろうかと考えていると、田中氏がぱっと顔を上げた。
「こちらは完了しました!」
「ああ、そうですか。……じゃあ、ぼちぼち帰りますかね」
「母上殿!せっかくならこのまま一緒にオカルティンへ行きませんか?調査のこともありますし」
「そうですね。そうしようかしら」
「タクシーって何人までOKなんでしたっけ?」
「あー、確か5人?」
「あ、皆さんタクシーでお越しになったんですか?」
「ええ、いろいろ事情がありまして」
「私、自転車で来てしまって……場所は田中さんに教えてもらっているので、夕方頃にお伺いしてもいいですか?」
「ライター殿と相棒殿のご都合は……?」
「ああ、大丈夫ですよ」
「もちろん、こっちも問題なし」
「よかった!じゃあお待ちしております、母上殿!」
その後、それぞれが回収したものを持ち、母親とはマンション下の自転車置き場で一旦別れた。
行きのときと同じようにタクシーを捕まえて、私とアブさんで田中氏をタクシーに押し込み、オカルティンまで戻る。
荷物が増えた分、行きよりも帰りのほうが大変だった。

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